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7/22

6時間目 強制…というか、脅迫かよ……

 その後の休み二日。意外にもナギは部屋に押しかけてこなかった。トモ曰く、金曜日の夜は少しだけ寮に戻ってきただけで、翌日からはまた大学の研究室に呼ばれていたんだとか。

「どうせナギが来なくて悶々としてるんだろうから、早めに教えておいてやろうと思ってー。」

 トモが言い捨てていった余計な一言で携帯電話を割らなかったのは奇跡だと思う。

 ナギのことについて強制する気はないとか言いながら、絶対に面白がっているではないか。

 他人事だと思って楽しそうに。

 だが一番気に食わないのは、トモの指摘があながち間違っていないことである。

 ナギに目をつけられてからというもの、こちらの調子は狂わされてばかりだ。こんなにも落ち着かない毎日では、その内精神が参ってしまう。

 ひとまずはナギが自分への興味をなくすように仕向けること。

 それが早急な課題だ。

 あからさまに嫌っても意味がないことは分かった。だが嘘でも褒めて持ち上げることは自分にはできないので、ここは心を無にして無関心を決め込むしかないだろう。

 どうにかしてこの土日の間に切り替える。

 そう意気込んでいたのに…。

 この約一週間後、自分はことごとくナギに振り回される運命にあったのだと知るのだった。

 

 

「やあ、いらっしゃい。」

 

 

 会議室のドアをくぐったユキは硬直する。

 毎月恒例の事務員会議の資料作りに来たはずだったのだが、これはどういうことだろう。

 そこにいたのは事務職員の人々ではなく、二学年の教師たちを始め教頭から果てまで校長というそうそうたるメンバーだったのだ。

「⁉」

 想定になかった事態に、思考回路は一瞬の内にパンクする。

(部屋間違えた⁉)

 そう思い、逃げようとした体が勝手に後ろを振り向く。

 だがそこには、まるで行く手を塞ぐかのように立つ教師が二人。

 どうやら部屋を間違えた、なんて楽観的な状況ではないらしい。

「えっと…その……オレ、何かやらかしました?」

 こんな圧迫面接を仕組まれるようなことをした覚えはない。自分は至極全うに真面目な学生生活をしてきたはず。

「いやいや。君の優秀さには教師一同感心しているところだよ。それはもう非のつけようがないとも。」

 そう答えてきたのは校長であるブレッドだ。

「だからこそ、一つ頼みたいことがあってだね。まあまずは座りなさい。」

(どう考えても嫌な予感しかしないんだけどー‼)

 今だかつて、こんなにも勧められて嬉しくなかった椅子があるだろうか。

 逃げたい。

 今すぐトンズラこいてしまいたい。

「座りなさい。」

 ―――無理だ。

「はい…」

 ユキは諦めて席についた。

 どのみち出口は塞がれているのだ。最初から逃げられるはずもない。

「話というのは他でもない。君のクラスメイトのナギ君のことなんだがね。」

「………っ!」

 なんという話題。

 思い切り歪みかけた顔をどうにか無表情で貫き、ユキは黙したまま話の続きを待つ。

「彼が特例で、セントラル大学の理化学研究所に所属しているのは、もちろん知っているね?」

「……はい。」

「彼には月に十日ばかり研究所に出向いてもらっている。これは入学時に交わした契約なのだが、最近になってナギ君がこの契約を破棄したいと言い出してね。なんでも、研究以上に興味をそそられることがあると。何か心当たりはないかね?」

「……………………」

 ユキは沈黙し、膝の上で両手をぎゅっと握った。

 冷や汗がだらだらと背中を流れていく。

 ここですっとぼけるのは簡単だ。だがそれでは、こうして自分がハメられている理由に説明がつかない。どうせ何もかも調べられた後に決まっている。

 この一週間やたらとナギが慌ただしげで、こちらに対してのアプローチが大人しかったから油断した。まさか研究所でそんなことをしでかしていたなんて。

「君は聡明な生徒だ。我々が言いたいことはもう分かるね?」

 ブレッドが柔和に笑う。

「ナギ君が研究所に所属する代わりに、我々はセントラル大学から多額の支援金を受け取っている。今彼に研究所を抜けられるのは困るのだ。そういうわけで、君に一つ仕事を頼もう。ナギ君が研究所から離れないよう、適度に彼の好奇心を満たしてあげたまえ。ナギ君も興味の渦中にいる君の言うことならば聞くだろう。言わずとも、自分の立場は分かっているね?」

「………」

 ユキはうつむき、ぐっと奥歯を噛み締める。

 校長直々の命令だ。特待生として学校の援助を受けている自分が逆らえるはずもない。

 でも、納得はいかない。

 こんな脅しみたいなやり方なんて、あまりにも卑怯ではないか。そもそも生徒間の人間関係なんて教師が立ち入るべき領域ではないし、ナギだってこんな事情で構われたところで嬉しくもないだろう。

 こんなの間違っている。

 そう声を大にして言いたい。

 だが現実はあまりにも非情だ。

「―――はい…」

 仕方ないこととはいえ、己の無力さが沁みる。

 悔しさを押し殺し、そう頷く他に道はないのだから…。

 

 ★

 

 ああ、気分は最悪だ。

 おかげでいつもより大分早く目が覚めてしまった。

(ちょっと外でも歩こう…)

 部屋にいても気分が滅入るだけだ。

 ユキは重い体を引きずりながらドアを開ける。

 すると。

「あっ…おはよー。」

 子犬のようにつぶらな瞳がそこにあった。

 体が動くのはほとんど無意識でのこと。

「おおっ…」

 急に胸倉を掴まれたナギが目を丸くする。そんなナギには一切目もくれず、ユキはその小柄な体を自室へと引き込んだ。

「わあ…ユキが髪下ろしてるのって新鮮。」

「黙らんか、空気もろくに読めない自由人め。」

 ドアにナギを押しつけ、ユキはふつふつと込み上げてくる激情をどうにかこうにか抑え込む。

 朝一に見るのがナギの顔とはついてない。

 今が日も昇っていないような時間でなければ、周りに騒がれようと怒鳴り散らしているところだ。

「お前なんなんだ? なんでタイミングよくオレの前に出てくるわけ? オレのストーカーか何かか?」

「んー、それは俺がっていうよりはトモがかな? ユキの行動パターンは全部トモに教えてもらったものだし。」

「…なるほどな。」

 やはりトモは一度締め上げるべきかもしれない。

「なんでそんなに怒ってるの?」

 小さく肩を震わせているユキに、ナギが不思議そうに訊ねる。

「なんでだぁ? お前のせいでこっちは散々だよ。」

 ちょうどいい。

 ナギとこれ以上関わるのはごめんだが、今は彼に言いたい文句が山のようにあるのだ。

「お前、研究所抜けるとかほざいてるらしいな。」

「うん。だって研究所にいるよりもユキを見ていたいし。……あれ? なんでユキがそんなこと知ってるの?」

「そのせいでオレがひどい目に遭ってるからに決まってんだろ! この馬鹿!」

 声をひそめながら怒鳴るのがこんなにも疲れるだなんて。

 ユキはぐいぐいとナギに詰め寄る。

「お前はな、少しは自分が持つ影響力ってものを考えろ。いいか? よく考えろ。お前がいないと研究はどうなる?」

「進まないだろうね。誰も俺の話についてこられないし。」

「ってことは、研究所としてはお前に抜けられたら困るわけだ。そこまでは分かるな?」

「だろうね。毎日電話がうるさいもん。」

「オッケー。じゃあ次の問題だ。」

 ユキとナギの問答は続く。

「研究所を抜ける理由について、お前は馬鹿正直に研究より興味がそそられることがあるって言ったんだってな?」

「うん。」

「その興味の対象がオレだってことは、ちょっと調べれば分かるよな? あれだけオレの後ろついて回ってたんだ。普通なら見ただけで分かるよな?」

「あー…言われてみれば、確かに。」

 確かに、じゃない。

 もうこの後の展開がなんとなく読めてきてしまって感情が爆発寸前なのだが、ひとまず今は堪えよう。

「じゃあお前に研究所を抜けられたくない奴らはどう考える? ようはお前の興味が満たされるか、もしくは興味の対象を消せれば、お前は研究所を抜ける必要がなくなるわけだろ。お前本人にいくら言っても耳を貸してもらえないとなったら、そいつらが狙う次のターゲットは誰になる?」

「………………あっ!」

「あっ、じゃねーよ! あっ、じゃあ‼」

 やはり考えなしの行動だったのか。

 予想はついていたが、ここまで懇切丁寧に説明してようやく理解されたこの場面を目の当たりにしてしまうと本気で張り倒したくなる。

 ユキは一段と強くナギの体を揺さぶった。

「オレがどんな目に遭ったと思ってる。校長直々の命令だ。お前が研究所を辞めないように構ってやれとさ。逆らってみろ。適当な理由つけられて退学だぞ。」

「えええ、そんなぁ!」

「ここまで好き勝手やって今さら何を言うか! だから少しは周りを見ろってあれほど…‼」

「だって! それとこれとは―――」

「お前にとっては関係なくても、他の奴らには関係あるんだっての‼」

 ユキはナギの言葉を強く遮る。

「いいか? 人間ってのは、誰もかれもが善人なわけじゃない。誰かを従わせるために、こうやって汚い手に出る奴らはごまんといる。特にお前の場合は能力が能力だ。たとえお前がそう望んでいなくても、この先こういうことは嫌でも起こるんだぞ。実際にオレがこんなことになってるのに、それでもお前はそれとこれとは関係ないって言い張るか?」

「うう…」

 そこまで言うと、ようやくナギがしゅんと眉を下げた。

「さて、状況が飲み込めたところで訊いといてやる。研究室を続けるか? 辞めるか? 辞めた場合、オレはお前の知らないどこかに飛ばされるけどな。」

 なんだか自分まで脅しをかけているようで気分はよくないのだが、決して嘘を言っているわけではないので複雑だ。

実際にナギが研究所を辞めてしまったら、自分に下る処分は想像以上に重いものとなるだろう。単純に自分だけに火の粉が飛ぶならまだしも、相手が相手だけにその影響が他に及ばないとも限らないのである。

 下手に人脈を広げなければこの辺りのパワーバランスを知らずに悪足掻きもできたかもしれないが、現実はまあ都合よく事が運ばないものである。

「で、どうするんだよ。」

 特に期待はせずに問う。

 すると。

「……辞めない。俺のせいでユキが退学になったら嫌だし。」

 まるで叱られた子供のように覇気のない声でナギはそう言った。

「ならいい。この件については、これ以上お前を責めないでおいてやる。」

 ユキはふう、と細い息を吐く。

 正直心底ほっとした。

 罪悪感を持てるだけの良心があるならまだましだ。

「ごめんなさい…。」

 状況を理解したナギはまるで別人のようにしおらしい。

(こいつ、一応謝ることはできんのか…)

 予想していなかった反応に、ユキは少しだけ戸惑って言葉に詰まる。

 だが、すぐにこれはいい機会だと思い直した。

「お前さ、自分がオレの立場ならどう思う? 笑って許せるか?」

「………」

「黙ってるってことは、オレが怒る理由について文句はねぇってことだな?」

「……うん。」

 それは、これまでには決してなかった手応えだった。

「これからは好きなことする前に、自分の行動がどこにどう影響するのは考えること。そんで、影響を受けた相手がどう思うのかを考えること。無駄になんでもできるんだから、一度覚えたならできるな?」

「……うん。」

 馬鹿の一つ覚えのように頷くことしかしないナギ。

 さすがに今回のことはこたえたらしい。

 トモが軽く話していたナギのこれまでを察するに、これは彼にとって始めての経験なのだろう。

 自分の行いが悪い意味で自分に返ってくるということも。

 こうしてじっくり叱られるということも。

 今回はそれを千歩くらい譲って大目に見てやるとして、だ。

「………………はぁ。」

 長い沈黙の末、ユキは盛大に溜め息をつく。

 そしておもむろに手を伸ばすとユキの茶髪をぐじゃぐじゃと乱暴に掻き回した。

「次に活かしてくれるならいい。この事はこれで終わりだ。」

「……え、じゃあ許してくれるの?」

「いいや、許さん。」

「ええっ⁉」

「簡単に腹の虫が収まるわけねぇだろ!」

 ナギの頭をはたき、ユキは憤然と鼻を鳴らす。

「オレは何度も何度もお前のことが嫌いだって言った。その結果がこれだぞ? 次から徹底的に無視してやろうって思ってたのに、お前のおかげで台無しだ。ちょっとくらい根に持たせろ。」

「え……」

 ナギが目を丸くする。

「それって……無視しないでくれるってこと?」

 こういうことだけは無駄に察しがいいのか。

 パッと明るくなるナギの表情に、早くも気分が重くなる。当然そんな気持ちはストレートに顔に出てしまい、ナギの瞳に映る自分はものすごく嫌な顔をしていた。

「一度こんなことになってんだ。お前が今回研究所を辞めないとしても、それはオレの首がなんとか皮一枚で繋がっただけ。お前の興味の対象がオレである内は、オレの危機的状況は何ら変わらないんだ。先生みんなグルで四六時中監視されてんだぞ? 無視できるわけねぇだろうが。オレに拒否権なんかないんだから、お望み通り逃げないでいてやるよ。どうだ、満足か?」

 勘違いしてもらっては困る。

 無視しないのではなく、無視できないのだ。

 そう簡単に、“嫌い”は“普通”や“好き”には転じない。

「……でもそれって、ユキは嫌々俺の相手するってこと、だよね?」

 ナギが不安そうにそう訊ねてくる。

 ほう。とりあえず、物事を自分の都合のいいようにねじ曲げる人間ではないようだ。

「当たり前だろ。」

 ユキは清々しいほど躊躇いなくその指摘を認めた。

「ここまで嫌い嫌いって言ってたくせに、急にオレがお前の機嫌取りなんか始めたら気色悪いだろうが。オレだってそんなことしたくねぇわ。校長に言われたから無視はしないでおいてやるけどな、だからといって仲良しこよしなんて茶番をするつもりはない。ムカついたらぶん殴る。」

 ああもう。

 トモの言った通りだ。

 完全にロックオンされた後では何もかもが遅い。

 自分からはこの船を降りられないのだから。

「さっさと満足して、オレに飽きちまえ。」

 我ながらひどい言いようだと思う。

 なのに。

「………」

 ナギが思い切り驚いた顔をする。

 そして次に彼が見せたのは、純粋に嬉しそうな笑顔だった。

 怒りも不満も吹き飛ばされてしまうようなその笑顔。

(ほんと、何なんだよこいつは……)

 早くも調子を狂わされている自分を感じ、ユキは思い切り顔をしかめた。


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