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2時間目 大嫌いなあいつ

「おお、待っておったぞい。今日は来る日だと思っておったわい。」

 校庭近くの倉庫の前で箒を掃いていたウォルトは、こちらに向かってくるユキを見つけてシワだらけの手を振った。

「お疲れ様です。今日の清掃区域は?」

「男子校舎と女子校舎の合間辺りをちょいとな。今の時期は、浮ついた不届き者どもがよく釣れるんじゃわい。」

「ははは…」

 妙に張り切るウォルトに、空笑いしか出るものがない。

「どうじゃ? 最近は?」

 清掃用具入れのロッカーの中を探るユキに、ウォルトがそんな一言。

「そうですね…特にこれといって変化はないですよ。」

 そう答えながら箒と塵取りを取り出したユキは、やにわに右手の箒でロッカーを強く叩くと、その後ろへと箒を突きつけた。

「ひっ…」

 奇襲に驚いて腰を抜かした相手の喉元に箒の柄を突きつけ、ユキはふんと鼻を鳴らす。

「こういうことが減らないんで、まあ疲れますけど。」

 ロッカーの後ろに隠れていたのは同じクラスの男子生徒が三人。

「さ、行きますか。」

 そんな風に隠れて自分を待ち構えているなんて、どうせろくな用じゃないだろうに。自分から相手をどうこう問いただすつもりはないので、ユキはすぐに彼らから離れてウォルトと共に校庭沿いの道を歩いていく。

 すると。

「ま、待ってくれよ!」

 先ほど脅した男子生徒たちがわらわらと後をついてきた。

「違うんだって! 別に僕たち、ユキに喧嘩売りに来たとかじゃなくて!」

「仕事中だ。」

「そこをなんとか!」

 相手に引く気はない様子。

 ちらりとウォルトを見ると、彼は無言のままこくりと頷く。

「…………手短に言え。」

 たっぷりと渋った上での返答だったが、それを聞いた彼らはパッと表情を明るくした。

「頼みがあるんだ! 二学期末のテスト内容、どうにかして先生たちから聞き出してくれない?」

「んなことできるか。」

 ユキは即答。

 どいつもこいつも考えることは同じ。馬鹿の一つ覚えもいい加減にしてくれ。

「なんでオレが職員室の雑務とかじゃなくて、申請書をさばく事務の方で働いてると思ってる。そういうことが起きないようにだろうが。」

 にべもなく切り捨てるユキだったが、彼らはやはりそれだけでは納得などしなかった。

「でも! ユキって色んな先生からよく呼び出されてるじゃん。仲いいんだろ⁉」

 まあ、そこは否定しないが。

 呆れたユキは肩を落とす。

「お前らが誰も手伝わないから、オレがパシらされてるだけだ。それに、オレはそういうことのために先生たちとつるんでるんじゃない。」

「ユキ、ほんとに頼むって! 僕たちを助けると思ってさぁ…‼ お礼はちゃんと弾ませるから!」

 果てには先へ進もうとするユキの腕を引き、どうにかその場に留めようとする男子たち。

 どうやら自分が首を縦に振るまでは先に行かせないつもりらしい。

 ユキは大きく溜め息を吐き出した。

 本人たちは気づいていない。

 自分たちがとんでもない過ちを犯していることに。

「一応善意で言っとくが、それ以上口を滑らせない方がいいぞ。」

「へ…?」

 ユキの言葉に彼らはパチパチと目をしばたたかせる。

 次の瞬間。

「確保。」

 彼らの後ろからガッチリとした両腕が伸びてきて、彼らをまとめてその広い胸の中に抱き寄せた。

「げっ! ガルム先生…⁉」

「なんとも楽しそうな話してんじゃねぇか。その話、もっと詳しく聞かせてくれよ。……生徒指導室でたっぷりとなぁ?」

「ひいぃ!」

 ガルムは男子三人を抱えたまま平然と歩いていく。

 さすがは体育教師。筋力とスタミナは人一倍だ。

「馬鹿どもが…」

 さて、彼らに課される罰はなんだろう。未遂とはいえ聞かれた相手が悪い。反省文二十枚程度で済めばラッキーだろう。

「今日もご苦労じゃのう。」

 毒づくユキの隣で、ウォルトはすいすいと最新の携帯電話を操作している。

「さすがはガルム先生。呼び出しから現場に駆けつけるまでが早いですね。」

「ふふふ。そうじゃなきゃ、わしの駒に使わんよ。」

 この場にガルムを呼び出した本人であるウォルトは、それはもう機嫌がよさそうだ。

「……あなたが理事長だって知ったら、全校生徒がひっくり返るでしょうねぇ。」

 肩がずん、と重くなる気がする。

 神出鬼没な理事長ことレードル。諜報技術に長けているという彼は、たまにこうして清掃員のウォルトとして校内に潜んでいる。その他にもいくつか変装のレパートリーを持っているようで、いつどこで彼が目を光らせているか分かったもんじゃない。さすがに学校外のバイト先にまで潜伏されていたと知った時は引いた。

 自分が知らない内に至る所で彼と接触、挙げ句彼が変装する場面に出くわしてしまったのが運のツキ。不本意ながら、今では立派に自分も理事長の駒扱いである。

 後から変装の場面を見せたのも策略の内と知った時はさすがに殴ろうかと思ったが、その時にはすでに色んな面で世話になりすぎていて、もはや逆らいようなどなかった。

「やっぱり生徒の中に一人囮を作っておくと、振り分けが大いに捗るのぉ。くくく。」

「もうオレの前では本性を隠さない辺り、逆の意味で脱帽しますよ。人をなんだと思ってるんですか。」

「まあまあ、そう言わんで。ほれ、お前さんに届け物じゃ。」

 彼が差し出してきたのは四つに折り畳まれた紙切れ。

 それを開き、ユキはまた思い切り息を吐き出すことになった。

「あのですね、ルキア目的で勝手に人の家に出入りしないでくれません? いくら子供も孫もいなくて幼子に飢えてるからって。」

「ルキアも懐いてくれておるからいいではないか。お前さんがきつく言うから、必要以上の贈り物もしとらん。それに、今回はサヤさんに相談されたんじゃ。どこぞの馬鹿息子が帰省申請書を送ってこないとな!」

 そう言われると胸に痛い。

「…………だって今年は帰らない予定だったし。」

 苦し紛れに言い返すと、ウォルトが途端に半目でこちらを睨んできた。

「ほんで? 家に帰らずに何するつもりだったんじゃ?」

「……バイト。」

「やっぱりのぉ。なんのために学校でこき使ってやっとるんじゃ。」

「それだけじゃ三年の教材費が足りないんですよ。仕方ないじゃないですか。」

「けしからん。いいから一週間だけでも帰ってこい。孝行せんか。」

 わりと真面目に怒っている様子のウォルト。ユキはそれに戸惑い、母のサインが入った申請書とウォルトを交互に見る。

「なんでウォルトさんがそこまで怒るんですか…?」

 妙に思って訊いてみると、途端に彼は顔面を崩壊させた。

「だって、ルキアがにぃにに会えなくて寂しいって泣くんじゃ!「じぃじ、にぃにのとこに連れてってー」ってお願いしてくるんじゃ! いいのか⁉ その内わしがルキアを学校に連れてきても!」

「マジでやめてください‼」

 なんという脅し文句だ。

 ただでさえ学校関係者と親しくてやっかみを受けているのに、それが個人だけじゃなくて家族ぐるみだと知られた日にはその後が怖い。自分だけに災難が降りかかるならまだしも、家族に火の粉が飛ぶのは自分の望むところではないのだ。

「なら帰ってやらんか。教材費のことならちょっとくらい免除してやる。」

 ウォルトの言葉に抱いたのは不快感。

 ユキはむすっと顔をしかめた。

「……分かりましたよ。帰ります。でも教材費については何も免除しないでください。何度も言ってますけど、コネだと思われるような類いの免除や優遇は一切受けません。」

 はっきりと断りを入れ、ユキは渡された書類をポケットの中にしまった。

「頭の硬い奴じゃのう。別にバレなきゃよいではないか。」

「そういう問題じゃないんですよ。」

 ユキは首を振る。

「オレはルキアにとっていい見本でありたい。確かにオレが進む道は、綺麗事だけじゃ突き進めない。いずれ、オレ一人じゃ立ち向かえないような場面に出くわすでしょう。だからこそ、オレは汚いことはせずに堂々と前を向きます。誰かの手を借りなきゃいけない時、相手が心から助けたいと思えるような人間になれるように。どんな壁に当たっても、その時に自分だけは自分のことを嫌いにならないように。だって、ルキアがオレを追いかけてきた時、オレは立派な兄ちゃんだって、そう認めてもらえるような人間になっておきたいじゃないですか。」

 理想論なのは重々分かっている。

 でも幼いルキアが自分の背中を見ているのだと思ったら、どうしても曲がったことはできなくて。

「本当に、お前さんはその信念だけは曲げたことがないのぉ。いいことじゃが、時には溜め込まずに肩の力を抜くんじゃぞ? お前さん、根が真面目すぎて時々妙な暴走をしたりするからのぉ。」

 溜め息混じりのウォルトの指摘。

 これがこの後自分に降りかかる事件を予言していたなんて、この時の自分には想像もつかなかった。

 

 ★

 

 それから小一時間ほど。

「ほっほっほ。そこそこ釣れたのぉ。」

 携帯電話を操作しているウォルトの隣で。

「お盛んなことで…。」

 生徒指導室へと連行される生徒たちを見送りながら、ユキは顔をしかめる。

 うちの高校は男女交際禁止というわけではないのだが、互いの校舎や寮には入れないので、外ではこういうことがままある。特に期末テストも終わってあとは休みを待つだけという今は、生徒たちが羽目を外しがちのようだ。そうでなくとも、こういったいかがわしい行為の裏には薄汚い背景があったりなかったりするそうなので、ウォルトは些か神経質にこの手の問題を扱っている。

 次世代の国政を担う人材の選定は、自分たちの知らないところですでに始まっている。

 ウォルトに使われるようになって察したことだ。幸運にも自分は彼のお眼鏡にかなったようだが、果たしてそれが幸運なことなのか不運なことなのか。

 いずれ自分も、多少なりとも関わるようになる世界だ。人脈を広げながら情報を仕入れ、清濁合わさったこの世界のことを少しずつ把握はしてきた。とはいえ、その実情を割り切れるほど大人ではないので、やはり心境は複雑にならざるを得ない。

「そういえば、ユキ。お前さん、来週の日曜日は空けておけ。」

 携帯電話から顔を上げないまま、ふとウォルトがそんなことを言ってくる。

「え…なんでまた?」

 ユキは歯切れ悪くそう返した。

 別に元から予定を入れるつもりはなかったのだが、彼の口からこう言われる時は大抵面倒なことが待ち構えているわけで…。

「ちょいと大学の方へ行ってもらいたい。ダニーがお呼びだ。」

 ほら見ろ。言わんこっちゃない。

「バイト代がこの間の三倍になるなら考えます。」

 素直に頷きはせず、半ば無茶ともいえる注文をしておくことにする。

 忘れるものか。以前ウォルトとの付き合いでダニーの研究室へ手伝いに行かされた時はひどい目に遭ったのだ。簡単な資料整理だというから軽い気持ちで請け負ったのに、いざ研究室へ向かうとこれがまあひどい有り様で…。書類整理に加えて大掃除、食事におやつの用意から、各種事務処理作業までついてくるなんて聞いてない。

 一度ならず二度までもいいように使われて、それが定着化しても困る。ここは丁重にお断りしていただきたい。

 そう思ったのだが。

「三倍でいいのか? あの平和ボケなら、五倍くらい吹っかけても払うと思うがの。お前さんのこと、いたく気に入っておったようじゃし。」

 しまった。想定が甘かった。

 頭を抱えるユキの隣で、ウォルトが歌うように続ける。

「掃除、洗濯、庶務作業。果てには注文どおりのお菓子が三食ついてくる。一年次の課題の着目点も悪くない。あの変人がここまで他人を褒めるのも珍しい。いっそこのまま、大学を卒業したら助手として永久就職したらどうじゃ?」

「やめてくださいよ。研究室のドア開ける度にぶっ倒れられてたら、オレの精神がもちません。初めて会った時、本気でビビったんですよ?」

 なかなか助手を取らないことで有名なダニーの研究室はもはや魔窟だ。数少ない彼の助手たちがなんとか世話を焼いているらしいのだが、彼らも忙しい身が故に研究室の整理が追いつかないらしいのだ。

半ばキレながら雑務をこなし、真っ青な顔をしていたダニーに食事をさせている場面を見られた時、助手の人に土下座の勢いで頭を下げられたことは、今でも鮮やかに脳裏によみがえってくる。

 あの事件から約三ヶ月。きっとまた研究室が魔窟と化しているのだろう。何度か助手の人々に手伝いを頼まれていたのをバイトと勉強を理由に断り続けてきたので、とうとうウォルトを使っての強硬手段に出てきたと見える。

 だがはっきり言おう。

 自分に金を払う余裕があるなら家政婦でも雇ってくれ。

「つれないのぅ。ある意味敵の少ない、お前さんの理想の就職先ではないのか?」

 言葉の内容に反して、さして残念そうでもないウォルト。だがこちらを意味ありげに見つけてくるその視線は、この後の自分の答えを聞きたくて仕方ないと語っているように見えた。

 答えもその理由も分かっているくせに、彼は時々こんな風にあえてそれを自分の口から直接聞きたがる。

 何かと人を試したがる彼だが、正直対応に疲れることも少なくない。入学してから将来のために人脈を広げようとはしてきたが、彼と下手に親しくなってしまったのは誤算だったと思う。

 それも今となっては後の祭り。

 ユキは観念して口を開いた。

「情報は仕入れてます。あの研究室、ダニー教授が研究費にありえない金額つぎ込むことがよくあるそうじゃないですか。給料が突然泡になって消えることもあるって話を聞きましたよ。そうでなくともあの業界は稼ぎが安定しないでしょう。オレには無理です。オレは学生の内に足場をしっかりと固めて、卒業したら堅実で地味だけど安定した裏方に徹するんです。」

 この高校を目指すと決めた時から曲げたことはない将来設計だ。

 自分には守らなきゃいけない家族がいる。そのためには収入が安定した職に就くことが第一だ。だから就職先がほぼ約束されているセントラル大学の卒業を目指した。

 しかし、後ろ盾も何もない自分がこの道を突き進もうとすれば、いずれ煙たがられて潰されることも目に見える未来。故に今の内から下地固めをしておくのが大事なのだ。

 傍目から見れば、自分は学校関係者に媚を売っている卑怯者に見えているのかもしれない。だが自分は、こうして獲得した人脈を汚いことに使うつもりはない。社会人になってくだらない権力争いに巻き込まれて使い捨てられるのはごめんなのだ。今の内から多くの人と懇意にしておくのは、そういった卑劣な悪意から自分と家族の身を守るため。

 あくまでも、自分が進む道はちゃんと自分の力で切り開く。

 ここぞという時に他人の力には頼らない。

 それが自分なりの信念だ。

 そしてそれをきちんと貫いているからこそ、ウォルトを始めたくさんの人に認めてもらえているのだと自負もしている。

「やはりお前さんはぶれないのぅ。」

 やっと満足したらしい。ウォルトが盛大に息を吐いた。

「しかし、もったいないのぅ。それだけの能力を持ちながら、将来頂点に上り詰める気はなしとは。」

「何を言われたって嫌ですよ。今は、特待生でいるために仕方なく成績取って悪目立ちしてるだけなんですからね。」

「ふーむ…。まあ、目立ちたくないならそれなりの使い道もあるというものよ。」

「……せめて、オレがいない所で言ってくださいませんか。」

 この性悪じいさんめ。

 何故自分はこんな深みにハマるまでウォルトの正体に気づけなかったのだろう。どこかの省庁の庶務にでも就いて細々と確実に安定した生活を送るという計画が、このお方と関わっていたらどんどん遠のいていくような気がしてならない。

「ふぉふぉふぉ。隠しても意味がないからの。お前さんとナギの二人は、すでに大学側で争奪戦が起こっておる。いいように利用されないよう、入ってくる情報の精査はしっかりするのだぞ。」

「………」

 一気に気分が沈んだ。

「あいつの名前を出すのはやめてくれって、何度も言ってますよね。」

 自分の口から、普段よりかなり低い声が出ていくのが分かった。

 一瞬の内に機嫌を悪くしてしまったユキに、ウォルトはやれやれと肩を落とす。

「まったく…お前さんのナギ嫌いも変わらんのぉ。別に本人が目の前にいるわけでもあるまいに。」

「違います。いや、嫌いなのは嫌いなんですけど、違うんです。」

 考えただけで頭痛がしてきた。

 ユキはげっそりとぼやく。

「他人の口からあいつの名前を何回も聞く時は、大抵あいつがひょっこりと出てくるんですよ。」

「あいつって、俺のこと?」

「………………ほらぁ…」

 さりげなく隣に並んだ影。

 次いで耳朶を叩いた無邪気な声。

 詰んだ。

 ごく自然に膝が砕けてしまい、ユキはその場にしゃがんで悲嘆を滲ませた息を漏らした。

 小柄な体に茶色の癖っ毛とビー玉のように丸い赤茶色の瞳。幼子のように無垢な雰囲気を醸し出す彼には、どんな堅物も気を許してしまうことだろう。

 誰が思うだろうか。

 こんな幼子のように見える彼が、世界的に有名な天才だなんて。

 勉強をさせればたちまち学者レベルでものを語り、武器を持たせれば一人で軍隊をも潰すほど。その能力は最新鋭のパソコンに匹敵するとかしないとか。

「何の用だ。」

 ユキはじろりとナギを睨む。

 確か彼は、研究への協力で海外に出ていたはず。いつの間に帰ってきていたのだ。こんな時にまでフラグを回収しなくてもいいのに。

「ううん? たまたま見かけたから。」

 ナギはあっさりとそう返してくる。

 なるほど。タイミングが悪かっただけか。待ち構えられていたわけではなかったようなので安心した。

「あっそ。じゃあさっさと部屋にでも帰れ。オレはまだ仕事あんの。」

 さりげなく肩に置かれたナギの手を払いのけ、ユキは立ち上がってすたすたと先を進む。

「えー、待ってよー。」

 はっきり帰れと言ったはずなのに、ナギはちょこまかと後ろから追いかけてくる。

「ねぇねぇ、ユキって夏休み帰らないってほんと?」

「近寄るな。触るな。くっつくな。」

「俺も帰る予定ないんだー。寮に残るの俺たちくらいだし、どっか遊びに行こうよー。」

 こいつはさっきから話もろくに聞かないで…

「悪いな。」

 大きく顔を歪めたユキはふと立ち止まり、ナギにポケットにしまっていた帰省申請書を突き出した。

「ついさっき親からこれが届いてな。強制的に帰ることになったよ。ついでに実家近くでバイトしてくるから、新学期始まるまで学校には戻らない。」

 誰が貴重な夏休みをこんな奴と過ごしてやるものか。

 そんな自分の気持ちが伝わったらしい。途端にナギがぷぅと頬を膨らませた。

「えー。ユキの意地悪。なんでいっつも俺に冷たいのさ?」

「何度も言わなかったか? オレはお前のことが嫌いだって。分かったらいい加減オレに関わるな。お前には構ってくれる奴らがごまんといるだろ。」

 腕に絡められていたナギの両手を振りほどき、ユキは今度そこ振り返らずにそこを去った。

「もう…ユキってばー……」

 残念がるナギの言葉が背中越しに聞こえてきたが、ユキはそれに頑として無視を決め込む。

 ナギのことは、高校で実際に出会う前から大嫌いだった。これでも、入学当時はできるだけ偏見を持たないように努力はしたのだ。

 でも実際のナギを見れば見るほどに、自分の中にくすぶっていた彼への怒りは募るばかりだった。

 なんでも持っている彼は、身の回りにあるものがいかに尊いものかを知らない。その幸せがいつ消えてもおかしくないものなのだと知らず、その無邪気な笑顔で平然とそれらを踏み潰すのだ。

 だから彼の笑顔は嫌いだ。

 彼が笑うのはそれが一番めんどくさくないから。でも本当は特に周りに興味もないから、その笑顔はとても空虚。その証拠に彼はクラスメイトの名前も、先生の名前ですらろくに覚えていない。さっきもウォルトのことなど完全に眼中にないようだった。

 そんなナギの興味は今、どうしてか自分に向いているらしい。一年生の時は他のクラスだったから話す機会もなかったが、今年に入って同じクラスになってからはとにかくしつこい。

 世界がナギの能力を買って、彼を持ち上げるならそれは構わない。それも一種の世界の道理だ。さすがの自分も彼には敵わないと理解している。

 だが能力はともかく、人間性では彼に負けたくはない。彼が天性で他人から必要とされるなら、自分は努力で他人から必要とされる人間になってやる。

 無謀だと陰口を叩かれながらも必死にナギの成績に食らいついてやっているのは、それだけの意地がなせる技だった。

『もう…ユキってばー……』

 ふと脳裏をよぎるのは、先ほどのナギの残念そうな声。

 不思議なのだが、ナギは自分が邪険に扱う時だけ、少しはまともな反応を見せる気がする。

 それは今、ナギの興味の対象が自分だからなのだろうか。

 理由はともあれいい気味だ。

 これを機に才能だけで何もかも手に入るわけじゃないと学んで、少しは今ある恵みを大事にするといい。

 そう思えたことで多少は溜飲も下がり、ユキは意識を切り替えて仕事に戻っていった。


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