第一話 世界って素晴らしい!
目が覚めたら、辺りは真っ暗だった。
私はベッドに横になっていて、少し頭痛がした。
夜か。
いきなり記憶が蘇ってきたから、刺激が強かったんだと思う。
気を失って、こんな時間に意識が戻ったんだ。
ゆっくりと体を起こしたら、誰かがベッドにもたれているのに気がついた。
柔らかな亜麻色の髪。
お母さまだ。
目を閉じてる。
ずっと、ついていてくれたんだ。
どうしよう。このままだと、お母さまが風邪引いちゃう!
何か肩に掛けるものがないか、きょろきょろしていたら、お母さまのまぶたがぴくりと動いた。
そして、ゆっくりと空色の目が現れる。
「アリシア……?」
「お、おかあさま」
そうだ。私、倒れちゃったんだ。
心配かけちゃったんだ。
お母さま、ごめんなさい……!
体を起こしたお母さまは、ふわりと安堵の笑みを浮かべた。
「ああ、良かった……。目が覚めたのね」
そして、抱きしめられる。
温かい抱擁に、視界がゆらゆらと揺れた。
「おかあさま、ごめん、なさい……!」
「何を謝るの? お母さまは、アリシアが無事で嬉しいわ」
頭を撫でられ、ぽろぽろと涙がこぼれていく。
優しいお母さま。大好き。
良かった。記憶が戻ったら、お母さまをゲームの主人公として見てしまうかと思ってた。
でも、お母さまはお母さまだ。
すりすりと頬を寄せる。
「お医者さまは、頭を打った様子はないから、あとは意識が戻るのを待つだけだとおっしゃっていたの」
それでも心配だったとお母さまは、抱きしめる力を強くした。
「アリシア。気持ち悪いとかはない?」
心配そうに顔を覗き込まれ、私は頷いた。
頭痛はいつの間にか消えている。
「良かった」
お母さまは、ほっと息をはく。
本当に心配かけて、ごめんなさい。
「おかあさま、おとうさまは……」
「ラティスも凄く心配していたわ。今は、お仕事でいないけれど。アリシアの身を本当に案じてた」
「うん……」
お父さま、ごめんなさい。
昼間は、休憩時間で帰ってただけなんだよね。
少しでもお母さまと過ごしたくて、時間を作ったのに。
邪魔をしてしまった……。
落ち込みが伝わってしまったのか、お母さまが私の頭を撫でた。
「アリシア、大好きよ。私もラティスも、あなたが大事よ」
お母さまの言葉は温かくて、心に染み込んでいく。
深い愛情が伝わり、私はまた泣いた。
「おかあさま、だいすき」
「ありがとう、アリシア。さあ、お腹はすいているかしら? 食べられそう?」
尋ねられたら、お腹がくうっと鳴いた。
恥ずかしくない。お母さまの前だし、何より私は三歳だ。正直ないい子でいたい。
「おなか、すいたの……」
「お昼食べてなかったものね。お腹がすくのは良いことよ。体が元気な証拠だもの」
「うん!」
お母さまは微笑んで私の頭を撫でると、立ち上がった。
「今日は大事を取って、お部屋で食べましょうね」
「おかあさまは……?」
一人でご飯を食べるのは、初めてだ。
これまでの私は病気一つしたことない、健康優良児なのだ。まだ、生まれて三年だけども。
寂しくてお母さまを見れば、柔らかく笑っている。
「ちゃんとそばにいるわ。少しの間待っていてね」
「うん」
お母さまは部屋を出ていった。メイドさんや執事さんに、私のご飯を伝えに行ったんだ。
一人になり、きょろきょろと部屋を見渡す。
ピンク色が詰まった可愛い部屋。お気に入りのぬいぐるみ。大好きな部屋。
日本人の記憶が戻ったけど、特に内面に変化はないみたい。
お母さま大好き。お父さまも大好き。
そこ重要。
主人公の娘という立場に生まれ変わったけれど、私は私。甘えん坊のアリシアだ。
それにしても、お母さま綺麗だったなあ。
亜麻色の絹糸のような髪に、空色の目。
柔和な顔立ち。優しくて、でも芯は強い。お母さま、素敵。
お母さまの娘で、本当に幸せだ。
お父さまも優しい。でも、私が間違うとちゃんと叱ってくれるの。
なんて、素晴らしい両親だろうか。
顔がニヤけてしまう。
その時だった。
『お前に何が分かる!!』
突然頭に響いた声に、体が震えた。
『お前のような、恵まれた女に、俺の何が分かるというのだ……!』
それは悲痛な声だった。
激しい憎しみがあるのに、深い悲哀の込められた声。
私は知っている。この声の持ち主を。
ずきんと、頭が痛む。
両手で頭を押さえるけれど、声の再生はやまない。
『生まれた時から、憎悪に晒されてきた!! 俺は、俺は、何のために、いるのだ!!!』
悲鳴に近い叫びに、胸が痛む。
この声は……彼の……!
「ロジオン……!」
ゲームで暗躍した、主人公……いや、お母さまの敵。
どの攻略対象でも、大なり小なり関ってくる彼は、とても悲しい存在だった。
ロジオン。人ならざる者。
人々の悪意から生まれた存在。
それゆえ世界を憎み、破滅をもたらそうとした。
人々を慈しむお母さまの前に幾度となく立ちはだかり、でも、最後には消えるしかない絶望に嘆いていた。
私は知っていた。
世界を憎んでいたロジオンは、でも、愛に飢えていたのだと。
『なぜ……お前たちだけ……愛を知るのだ』
涙をこぼしたのは、ラティス……つまり、お父さまルートでのこと。
ロジオンは、お互いに愛し合い、絆の力で立ち向かうお母さまたちに向け、静かに涙を流し、そして……。
なぜ、忘れていたのか。
あんなに必死になって、ロジオンルートを探したのに。
どこかの選択肢にないか、全て確認したというのに。
今まで忘れていたなんて……!
ロジオン。
彼は、私の心を奪ったのだ。
大好きな、愛しいロジオン。
痛みが治まり、私は顔を上げた。
涙はない。
あるのは、輝かしい笑顔のみ。
両手を天に伸ばし、私は叫ぶ。
「ありがとう、おかあさま!」
お父さまという素晴らしい人と恋に落ちてくれて!
「ありがとう、お父さま!」
お母さまと一緒に、絶望を希望に変えてくれて!
私、本当に、二人の娘で良かった!
ああ、世界が輝いて見える!
いや、世界は輝いているのだ!
ありがとう、世界!
全身で感謝を捧げる。
何故なら。
ゲームのラティスルートは、ロジオンが生存しているのだ!
今、私はロジオンと同じ時間を過ごしている。
「とうとい……」
両手を組み、感謝を捧げた。
本当にありがとう!
感謝の祈りは、お母さまが来るまで続けたのであった。