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蛇印(じゃいん)  作者: 屯田 水鏡
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堂山古墳2

堂山古墳2

堂山古墳は「箱式石棺はこしきせっかん」という種類のひつぎで、四辺を板状の石で囲み、伸展葬しんてんそうで埋葬する方式だという。

弥生時代に半島から伝わったものと歴史の教科書には書いてあるが、実際に見ると、何とも簡素なつくりで、貧相だと言っても過言ではなさそうだ。

しかし、考えてみると千数百年前、こんな山の上まで材料の石を運び上げるだけでも大変な労力と大勢の手を必要であっただろうから、やはり、権力者のものであると考えて良さそうだ。

貧相だと見えたのは、円墳とか前方後円墳とかいった、古墳時代の大王の巨大な墓を高校などの日本史の教科書に掲載されたカラー写真などで見慣れている所為であって、実際に地方の豪族の墓はこんなものなのかもしれない。

縄文時代までは身体を折り曲げて埋葬する屈葬という方式が一般的であった。

その理由は、「死霊が迷い出ることを防ぐため」などと物の本には書いてあるが、諸説あってはっきりしないのが実情のようだ。

弥生時代以降になると伸展葬といって、体を伸ばした状態で埋葬する方法に変化していると語られているが、多分そうなのだろう。

我々庶民の墓は、すぐに忘れ去られてしまうのに、古代の首長の墓は千年以上も残るのかと思うとき、少しばかり、羨望とジェラシイを感じてしまう。

だが、悠久の時の流れはそれさも消し去ろうとしている。

石棺の内部は空で、ただ、底に病葉が積み重なり、小石が幾つか転がっているばかりであった。

ひび割れた蓋が、石棺のそばに、打ち捨てられたように、無造作に放置されていた。

副葬品や遺骨は何も残っておらず、残らず盗掘されたか、あるいは、博物館などに持ち込まれたのだろう。

風が吹いて頭上の小枝が騒ぎ、病葉の上で木漏れ日が跳ねるように踊っていた。

「堂山古墳」は何もなかった。

空疎な古墳を眺めていると、なぜか、胸ふさがる心地して、寂しさを感じた。

背中にうすら寒さを覚えて、ぞくっと、体が震えた。

なぜか、目眩がして、危うく石棺の中に滑り落ちそうになった。

踏み留まって石棺の中を覗くと、そこに横たわる男女の姿があった。

勿論、実際に男女が横たわっていた訳ではなく、私の空想が勝手に生み出した産物である。

それは、古墳には男女二人が埋葬されていた、と記された発掘資料の文面が私の頭の片隅に記憶されていたことが原因なのだ。


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