宇津志日金析命の東征と阿雲族
四、宇津志日金析命の東征と阿曇族に
綿津見三神の子、宇津志日金析命は、志賀島を根拠とする海人族、阿曇氏を率いて各地へ遠征した。
その足跡は滋賀県の安曇川や愛知県の渥美半島などの地名として今も残っている。
宇津志日金析命の最後の冒険の旅は、志賀島を出て、出雲に立ち寄り、さらに、山陰の沿岸伝いに蜻蛉洲を東に向かう旅となった。
あるいは戦い、あるいは好を通じながら北陸に入ると、能登半島をぐるりと巡って、糸魚川近くのヒスイ海岸に上陸した。
其の足で姫川を遡り、山岳地帯に分け入ると、山の神々を言向け、まつろはぬ者どもを悉く滅ぼして、踏み平らげた地を、安住の地と定め、一族の名に因み安曇野と名付けた。
神の子、宇津志日金析命は恐れられ、崇められ、その威力は山々にこだまして広がり、誰もがその威厳に平伏した。
安曇野の地を長く支配し、平和をもたらした、この神の子は、年老いた後、山に入り、北アルプスの主峰、奥穂高の頂上に留まり、山々の守り神となった。穂高神社の祭神、穂高見命である。
安曇野の人々は、海を守り且つ支配した海神が遥々この地に来て山の大神になったのだと今に語り継ぎ、神社の例祭には、「御船」と呼ばれる、舟の形をした山車が引き出される。
また、神社の本殿の屋根の最上部にある鰹木は釣竿をさしかけたような形をしているが、これを「穂高造り」と呼び、あたかも、海の記憶を留めんとしているようだ。
さらに、穂高神社の氏子を始めとする安曇野の人々は、数年に一度、大挙して、彼らの先祖の地、志賀島を訪れるという。