二十四、志賀海神社(しかうみじんじゃ)と「漢委奴国王」印
二十四、志賀海神社と「漢委奴国王」印
先日、志賀海神社に参拝をしたとき、社務所の周りを掃除している女性に気が付いた。
彼女は神職の装束をしていた。
「こんにちは、神社の略歴を頂けますか」
「え、はい御参拝ありがとうございます、ちょっと待ってください」
掃除の手を止めて社務所に駆け寄り略歴を取り出して私に手渡してくれた。
中年のその女性にどういう訳か興味を感じた。
志賀海神社の宮司家は阿曇姓を名乗っていると聞いていたので、もしかしたらこの女性もそうなのかなと思いながら尋ねた。
「私は歴史に興味がありましてね、この志賀海神社についても調べているのですが、本殿左手奥の今宮に祭られているのが長野県の安曇野に遠征して穂高神社の祭神、穂高見命になったという宇津志日金析命ですね」
「まあ、良くご存知ですね」
彼女の頬に微かな笑みが浮かんだ。
「『古事記』や『日本書紀』に宇津志日金析命が登場しますからね」
「あら、歴史の勉強をされているのですか」
「ええ、素人の横好きなのです。でも、歴史にはロマンがあって、わくわくして、心が弾むのです。ところで、金印についてですが・・」
百姓甚兵衛は金印を掘り出すとすぐに志賀島村の庄屋、武蔵と相談して、「この金の印判の様成物」が一体何なのか、「兄の喜兵衛が以前奉公していた福岡町の商家で、見てもらおう」と福岡町へ持参した。
金印を実際に鑑定したのは藩校甘棠館の祭主亀井南冥という儒学者である。
その当時、福岡藩には藩校が二つあって、一つは修猷館、もう一つが甘棠館であった。
そこで「これは大切なものである」と言われたので家に仕舞っていた、と「甚兵衛口上書」で述べている。
天明二年に奥羽地方で始まった天候不順は、翌年の浅間山の噴火による日照不足も重なり、ついには大飢饉となった。
農村では一揆が発生し、町では打ちこわしが頻発した。
世にいう「天明の飢饉」である。
その頃、志賀島近郊では疫病が流行っていたというから、天明四年は、飢饉の影響が九州にも広がり始めた頃であったのだろう。
そんな中、金印を鋳潰して売り、村の財政を潤そうという話が持ち上がったのではないかという疑念がある。
なぜかと言えば、「甚兵衛口上書」は、天明四年三月十六日に郡役所に提出されたのだが、金印が甚兵衛の抱田地から発見したのは前月の二月二十三日である。
その間、二十日以上経過している。
甚兵衛と庄屋の武蔵を始めとする村方三役との間で密談があったことは十分考えられる。
そうこうするうちに、金印発掘の話がどうやら城下で噂になったようだ。
そんな中、金印を勝手に処分すれば、お上から、お咎めを受ける恐れがあるため、今度は、志賀海神社に奉納しようという案が出たようだ。
ところが、宮司が籤による神意を窺ったところ、奉納はまかりならぬという神託が出たことで、それも取り止めになったという。
「金印を奉納しようという話が持ち上がって綿津見三神の神意を占ったところ、罷り成らぬという籤の結果が出たとのことですが、それは本当ですか」
「本当です。でも、実は『漢委奴国王』の「奴」という文字が奴婢の「奴」であったことから、神国日本を卑しめるものなどを神社へ奉納することは相成らぬ、と神官が判断したためだ、と聞いています」
「そうですか。大変参考になりました。ありがとうございます。ところで、金印を後漢の光武帝から賜ったとき、使者を楽浪郡まで案内したのは阿曇族であった、或は使者そのものが阿雲族であったとかいう、そんな話が伝わっているということはありませんか?」
「さあ、それはどうでしょうか」
「そうですか、大いに勉強になりました。有難うございます」
私は気になっていることを思い切って訪ねてみた。
「ところで、あなたは阿曇さんですか」
「ええ、旧姓は阿曇です。」
「旧姓?」
「ええ、結婚してしばらくこの地を離れていましたが、事情があって今は実家に帰ってきて手伝いをしているのですよ」
「そうですか」
もう少し踏み込んで尋ねたいという衝動に駆られたが、これ以上踏み込めば、プライバシーの領域を犯しかねないという思いがして話はそこで滞ってしまった。
阿曇氏と金印の関わりについて、もっと掘り下げて聴きたかったのだが、何となく聞きそびれたままその場を離れた。
数歩行ったところで、やはりこの際、聞いておこうと思い直して振り返った。
彼女が阿曇族の後裔だとしたら、尋ねれば、私の知らない、一族の起源と盛衰に関わる物語の一端を吐露してくれるのではないか、という気がしたからである。
あるいはまた、後漢の光武帝から下賜された蛇印を、後漢が滅亡した後、彼らが祀る磐座で密かに祭祀の道具として使っていたという、言い伝えがあるのではないか等聞きたいことは、山ほどあった。
だが、振り返った時に彼女の姿は既に消え、何所にも見当たらなかった。
妻は志賀海神社の長い石段を降り切ったすぐそばの広い駐車スペースでシートを倒して本を読んでいた。
「お待たせ」
「あら、案外早かったのね」
「うん、何の本?外国小説かい?」
「ええ、クローニンの『孤独と純潔の歌』よ。原題は『ザ・グリーンイヤーズ』ていうの」
「へえ、そうそう、その作者って、なかなかの苦労人だったっていうじゃないか」
と、言ってにやにやする私を、妻はしばらく眺めていたが、急にそっぽを向いて黙った。
どうやら機嫌を損ねたらしい。
「くだらない、おやじギャグなんか、やめてよ」と笑ってくれることを期待したのだが。




