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蛇印(じゃいん)  作者: 屯田 水鏡
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二十一、金印公園1

二十一、金印公園1


私が興味を持つ、残る疑念は唯一つ。

勝馬やその近郊に金印の匂いがしないのは何故なのだという疑問である。

いや、阿曇族と蛇印との接点はきっと何処かにあるはずだ。

それを、阿曇族自身が、或は他の誰かがその痕跡を跡形もなく拭いさったのではないか、という疑惑が私の脳裏に渦巻いている。

「もうすぐ『漢委奴国王金印発光之処』と書かれた石碑が見える。そこが金印公園だ。寄ってくれないかい?」

「いいわよ」

運転免許を持たない私はこんな時、妻に頭が上がらない。

金印公園に到着して道路沿いに駐車すると妻はまたシートを倒して『ライ麦畑でつかまえて』を取り出して読み始めた。

「何度読んでも理解できないのよね」と言いながら。

先日、「何か面白い小説を知らない?」という妻に「『ボヴァリー夫人の恋人』なんか良いかもね」と答えたことがある。

後日「あなたって、あんないやらしい本を読んでいるの?本当に下品な人ね」と散々に責められて閉口した。

金印公園の石段を上りながら、私はあるシンポジュウムでの出来事を思い出していた。

もう、随分昔のことである。

志賀島で発見された「漢委奴国王」印について、侃々諤々(かんかんがくがく)の議論が飛び交った後、シンポジュウムが終わりに差し掛かろうとしたとき、司会者が唐突に会場の隅にいた男性を指さして、発言するように促した。

その中年の男性は、はにかむ様に立ち上がり、訥々(とつとつ)と話し出した。

話は俄かには信じがたく、会場は何度も失笑の声でざわついた。

そんな雰囲気に構わず、彼は頬を紅潮させながら話し続けた。


昭和から平成へと元号の変わった一九八九年の夏でした。

福岡市ではアジア太平洋博覧会が催されて、開催に合わせて会場内には福岡タワーが建設され、博物館が開館しました。

その春、大学院を出て、博物館の学芸員として採用されたばかりでした。

私の仕事は博物館の来場者に展示物の説明をすることでした。

毎日が緊張の連続でしたが同時に新鮮でした。

博物館の二階には「漢委奴国王かんのわのなのこくおう」印と中国政府から博覧会開催を記念して貸し出された「広陵王璽こうりょうおうじ」印が並んで展示されていました。

皆さんもご存じの通り、「漢委奴国王」印は国宝で、高校の教科書にも掲載されています。

なぜ国宝かといいますと九州北部にあった奴国と中国の後漢との交流を示す決定的な証拠だからなのです。

「漢委奴国王」印は偽物だ、いや、本物だという論争が長い間続いたことをご存知の方も多いでしょう。

「広陵王璽」印の発見は偽物説を木っ端微塵に打ち砕き、真贋論争に決着をつけたのです。

それでも、未練がましく、偽物だと称える人は今もいますが。

広陵王とは、後漢の光武帝こうぶていの九番目の子劉荊りゅうけいの官職ですので彼の持つ印が「広陵王璽」なのです。

「漢委奴国王」印と「広陵王璽」印は、刻まれた文字は一方が「漢委奴国王」、方や「広陵王璽」で、ちゅうの形は、鈕とはつまみのことですが、「蛇」と「亀」で異なってはいますが、金の含有量、寸法、重量等は殆ど等しく、漢の印制度の規定によって作成されていて、しかも制作された時期は殆ど同じなのです。

ですから、二つの印は後漢の都、洛陽にあった同一工房で作成されたのだ、と言われるのです。

博物館に来場された方は幸運にも二つの宝を見ることが出来たのですが、それがどれ程幸せなことなのか理解していただけないのは、私の力不足だと恥じ入るばかりでした。

それでもなお、無上の幸せを感じながら毎日を過ごしておりました。

その日も私は博物館の一階の事務室で夜半まで翌日の準備作業をしておりました。

そして、その夜の、世にも不思議な体験は、私の一生の宝物となったのです。


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