繋がる思索の糸3
十四、繋がる思索の糸3
しかし、ここでまた、新たな疑問が脳裏を過ぎる。
玄界灘という外海の荒波に曝される入り江が、果たして安全な港として機能するのかという疑惑である。
そんな危惧に阿曇族の男らは胸を張ってきっとこう答えたであろう。
「我らは海神の神威によって守られているのだ」と。
また、彼らは言う。
「何故ならば、我ら阿曇族は、その昔、イザナギノミコトが黄泉国から帰られて筑紫の日向の檍原で、海に沈没して禊を行なわれた際に生まれた、底津・仲津・表津の綿津見三神の子、宇津志日金析命の子孫であるぞ。綿津見の神々は、屹度、我らをお守りくださるに違いないのだ」
そう、彼らは「沖津宮」「仲津宮」「表津宮」の三宮で斎祀る守護神、綿津見三神の神通力によって守られていたのである。
勿論、それはあくまでも精神的な支えであって、現実的に入り江を外海の波から守るのは、「沖津宮」から沖に向かって白波を立てて広がる明神の瀬である。
いかな激しい波も明神の瀬を形成する頑強な岩々によって砕かれ、遮られて入り江の白砂に達する頃は、穏やかな波と化したのだ。
そして、明神の瀬は大人にとっては魚や貝類や海藻などを得る漁場であり、子供たちにとっては格好の遊び場であった。
勿論、海と戯れることで、時には、潮流に呑まれて溺れ、或は、飛び込んだ際に頭を隠れた岩にぶつけて命を落とすこともあるが、大人の仲間入りする頃には、怒涛逆巻く明神の瀬を魚のように泳ぎ、舟を操っては大海へ漕ぎ出す技を身に付け、屈強な海人族に成長するのである。
もしも、海から夷荻の侵入があっても、明神の瀬が自然の要塞となって立ちはだかる。
それでも攻め込む敵あれば舟は座礁して、兵士は荒海に放り出される。
そこへ屈強な海人族が海神の化身のように次々と情け容赦なく襲い掛かる。
外敵は悉く屍となって累々と玄界灘に浮かび、魚群の餌となるのである。
戦い終えて、平和を取り戻すと、何事もなかったように、豊饒な玄界灘に、海の幸を求めて、あるいは、大陸との交易に嬉々として、男達は漕ぎ出す。
このように、東アジアに雄飛する阿曇族にとって勝馬はその拠点とするには最適の地だったのである。




