黒樹の執事
貧民街の外れに、ギルドの人間御用達の宿屋がある。
その宿屋の主が一階で切り盛りしている飲み屋は今日もガタイの良い男達で大変盛況であり、そんな飲み屋の一角にフードを被った男二人がひっそりと飲んでいた。
フードから覗く髪色は金と茶。どちらも高貴な家の出身であるような雰囲気を醸し出しており、近づき難い空気をまとっていた。
茶髪の比較的軽薄な様子の男が、向かいに座る真面目そうな金髪の男に向かって問う。
「俺らの魔王討伐の旅も随分長くなってきたが……漸く明日、『黒樹の執事』とご対面か。 おい、アレク。 執事サマを旅の同行人に勧誘する自信のほどはどんなもんよ?」
アレクと金髪の相方を呼んだ茶髪の男、ジルはグイッとジョッキを傾け豪快に酒を飲む。そんなジルの様子を眺めながら、物思いに耽るようにアレクは顎に手を当て少し俯いた。
「……正直、自信はあまりないな。 今日一日街中を歩き回ってみたが……あまり役に立ちそうな情報は得られなかった」
困り果てた表情のアレクに、ジルはやれやれと肩をすくめてジョッキを机に置いた。
「あーあー、聞いて正解だったぜ。 お前、ホント情報収集へたくそだよなぁ」
「……む」
「そんなこったろうと思ったから、俺様がしっかり勇者様のために情報仕入れてきてやったぜ。 ……というわけで、今日の酒はお前の奢りな?」
「……お前――」
相棒の真意に気付いたアレクは目を据わらせるが、そんな彼の様子は意に介さずジルはケラケラと笑った。
「心配しなくても、今日はそんなに飲まねぇよ」
「どうだか」
「信じろって。
なんたって……『一般人には姿が見えない』はずの、『今は亡き』執事様の姿を見たことがあるって女からの情報だ」
「っ、それはつまり――」
「ああ……俺達が探している、『黒樹』の宿主の居場所がわかるかもしれねぇ」
「お手柄じゃないか!」
「まぁ待て、その女の話の前に……執事サマを勧誘するにしても、彼自身の過去を知っておく必要があるだろ? それに関して耳よりの情報がある。 心して聞けよ?」
その言葉を皮切りに真顔に戻ったジルは、その男の逸話を話し始めた――
― - - - - - - - -
ゼアノスの人生は貧民街の教会で始まった。
孤児院も経営している教会に生後間もなく預けられたらしく、両親の顔も覚えていない。
物心つく前からいなかった両親など彼にとっては何の意味もなく、金の無い教会でできることも多くなく、やりたいことも特にないままただただ惰性で生きていた。
漫然と生きていたゼアノスはやがて11歳を迎え、孤児院の中でも年長者となった頃、突発的にあちこちの町で流行ることになった感染病に罹患する。
特にやることもなかったため、手が空いたら教会の仕事だけでなく近隣住民の手伝いも行っていたゼアノスが病で倒れてしまったという情報は人々を悲しませた。
感染病は貴族貧民関係なく流行ったため、当然のごとく特効薬は上流階級の者達に買い占められてしまう。僅かに流れてきた薬も値段が高騰してしまっているので、とてもではないが貧しい教会で薬を買える額ではない。
自分の人生も、いよいよここまでか。結局、何のために生まれてきたのだろう。
そんな虚無感と共に、ただ死を待つだけだった時。
貧民街の隣町の統治を任されていた男爵家の長女、マリアベルが教会にやってきた。
神を思う気持ちに富める者も貧しい者も変わりない、と言って貧しい者達にも目を向ける奇特な貴族である男爵の言いつけで、マリアベルは寄付のため貧民街の教会まで足を延ばしていたのだ。
マリアベルは長くうねった赤髪を靡かせながら毅然とした態度で教会にやってきた。勝気そうなその目には、貴族による見る貧しい者に対する蔑みの色はない。真摯に、出迎えた神父と対応した。
男爵邸からの寄付をありがたく受け取りながらも、貴族のご息女に感染病を移すわけにはいかない、と神父が教会の奥にある孤児院へ向かうマリアベルを止めるも、彼女は意に介した様子もなく進む。
「ここに来る前に予防薬を飲んでいるから問題ないわ」
齢10歳そこそこの少女の堂々とした気迫に神父が思わず飲まれてしまった隙に、マリアベルはさっさと孤児院の扉を開けていた。
そこには、布団に横たわる少年の周りを囲む少年少女達の姿があった。
「あ、マリアベルさま!」
「マリアベルさまだ!」
たまにしかやって来ないが、美味しいお菓子を持ってきてくれて、いつも優しくしてくれる貴族の少女のことを、孤児院の子供達はとても好いていた。
喜びに湧き立つ子供達を少し離れたところから穏やかな眼差しで見守る彼の姿がなく、違和感を覚えた時、布団の方に視線を向けてマリアベルは事態を理解した。
マリアベルの登場に喜んでいた子供達だったが、彼女の視線の先の存在を思い出し、途端に不安げな表情を浮かべて布団の方に戻っていく。
子供達の流れに乗って彼の側に近寄って容体を診る。
彼の身体には既に、末期の症状が出てきていた。
子供達が騒いでも見知った少女が訪れても、深い眠りについて目を覚まさない。
そんな彼の様子に対し、少女は暫く黙り込んだ後、何かを決断したような眼差しをして教会の入り口で待機している使用人の元に赴いた。
(随分眠っていたような気がする――)
重い瞼を上げた先には、見覚えのない天井。
ふいっとベッド横を見ると、そこには身分は違えど幼馴染といえる少女の姿があった。
「マリア……?」
呆然とした様子で声を掛けると、窓の外に向けていた視線がパッとこちらを振り返る。
その視線と目が合った瞬間、彼女の表情がパッと華やいだ。
しかし、そんな可愛らしい表情も束の間に消え、ニヤッと勝気な笑みが浮かぶ。何かを企むような幼馴染のその表情に、嫌な予感がした。
「毎日毎日つまらなそうに生きていた貴方の大切な命を救ったのは、この私。
つまり、貴方の今後の人生に残された時間は、私が全て、自由に使わせてもらうわよ」
意味を感じることができなかった人生とはいえ……曲がりなりにも己の命運を、気が付いたら勝手に他人に掌握されていた瞬間であった。
いつの間にか孤児院から男爵邸の執事長に引き取られることになっており、義理の父親となった執事長によって男爵邸に仕える執事にさせるべく厳しく教育される日々が幕を開けた。
これまで孤児院で教育という教育を受けてこなかったゼアノスだったが、素質があったのかスポンジが水を吸うようにあらゆる知識や技術を身につけ始めた。
相変わらず自発的に何かをしたいという気は起きなかったが、マリアベルや執事長に言われるがままに働いていると、少しずつ自分が生きている世界が見えてくるようになる。
執事としての振る舞いも少しずつ板につき始めた頃、マリアベルはゼアノスを連れて男爵邸の中庭に来た。
連れてこられたところには、しなやかな黒い幹の、まだ若い木が植えられていた。
「綺麗な樹でしょ? まだこの樹は若いから花はつけないけれど、私達がおばあさんやおじいさんになる頃には春に美しい白い花を咲かせるようになるわ」
愛しいものに触れるように、マリアベルはそっと樹を撫でた。
「貴方を引き取った時に買ってきて植えたのよ。 貴方も私も立派な人間になって、再びここに来た時には……一緒にお花見しましょう。
この樹は、約束を叶える樹だと言われているの。 人間の強い思いをエネルギーに、育つ樹なのよ。
きっと、立派な美しい樹に育つわ――」
――なんたって、優秀な私達が直々に育てるんですもの。
そんな彼女の誇らしげで優しい声を、今でも覚えている。
引き取られてから5年。
マリアベルが15歳、ゼアノスが16歳になった年。
マリアベルは主に魔術の素養を持つ貴族達が通う全寮制の学園に通うことになった。
通常、魔術の素養は血統を守り継いできた貴族にあらわれるが、一般市民で魔術の素養に目覚める者も少なくはない。
しかし、魔術を教える唯一といっていいその学園は学費が高く、一般市民が通える額ではない。特待生で入学するしか、一般市民には魔術を学ぶチャンスは与えられないのだ。
その事実を知っていたため、魔術の素養を義父の執事長に見出されたゼアノスは学園に行く気はさらさらなく、学園入学年齢の15歳を過ぎても男爵邸で働いていた。
マリアベルの入学は当然のことだと思っていたし、学園は全寮制だから暫くお嬢様の面倒を見る必要はなくなるな。と執事失格の感想を抱いていた時。
マリアベルと義父からまたしても衝撃の事実を知らされることになる。
「はぁ? 何言ってるの? 貴方も通うのよ、私の付き人としてね」
「ゼアノス、お前は既に1学年目の教養は身についている。
2学年目の学生として編入して、学園に通いながらお嬢様をお守りなさい」
学園はハッキリ言って面倒だった。
これまでマリアベルが呼ばれたパーティーに付き人として同行する時以外は特に気を遣わなくて良かった貴族間の人間関係に気を回さなければならない。
特に面倒臭いのが、気に入られてしまったのかやたらと付き纏ってくる3人組である。
この国の第1王子である俺様タイプのルースベルト、代々宰相を務めている公爵家嫡男であり腹黒眼鏡なクルツレイン、そして代々近衛隊隊長を務めている侯爵家嫡男であり食えない遊び人なバルバトーレ。
3人はお互いが幼馴染であり、同い年の16歳。
しかも、ルースベルトが金髪、クルツレインが蒼みがかった銀髪、バルバトーレが赤茶の髪をしているため、非常に目立つ。
まさに人気者の3人組はあらゆる少年少女から慕われており、学園内で独裁国家でも開けそうなほど絶大な発言力を有していた。
姿を現すだけで黄色い悲鳴が上がり、モーゼのように彼らの進路が確保される。ウインクや投げキッスでも飛ばそうものなら(主にバルバトーレによるもの)、死人(意識不明者)が発生する。
可能な限り面倒事は避けたいゼアノスだったが、この国では珍しい艶やかな黒髪を有するクールビューティー枠を欲しいままにする彼が、厄介な3人組に目を付けられ仲良しグループに強引に引き込まれるのはもはや必然だった。
学園に編入してから1年。
マリアベルの世話や学園行事をそれなりにこなしつつ、3人組を適度にあしらっているつもりでも付き纏われながら(周りにはイケメングループが4人に増えたと思われている)、漸く生活にも慣れてきた頃。
ゼアノスと同じく珍しい編入生がマリアベルと同じ2学年に入ってきた。
どんなエリートだ?と騒がれていたが、蓋を開けてみると、そこにいたのは爵位を持たぬ平民の少女。
貴族の子供達からの視線に怯えた様子で校門をくぐる少女はいかにも気弱そうだったが、その目には狡猾な光が宿っていることに、ゼアノスとマリアベルはいち早く気が付いた。
金髪の可愛らしい平民の少女はそんなゼアノスとマリアベルが近くにいることに気付くことなく、ゼアノスの方へ向かってくる例3人組の方へ向かっていく。
「あ、あの、すみません! 私、今日この学園に編入してきました、リリスフィールと申します。 教室に行く前に教員室に向かうように言われているのですが、初めてで……道がわからないんです」
教えていただけませんか?と物怖じすることなく学園のトップとも言える3人に話しかける少女に、生徒達が不穏にざわめく。
気軽に話しかけて良い存在ではない3人に対して向かっていく不届き者が現れたのだ。
しかし、当の3人は顔を見合わせたかと思うと笑い出す。
「なんだ、気に入ったぞ。 お前」
「へぇ、面白い人ですね」
「なぁなぁ、君、今日は僕の部屋に来なよ」
予想していたリアクションとは真逆のリアクションを返し、気分良さげに少女の肩を抱いて去っていく3人組に、生徒達、マリアベル、そしてゼアノスは困惑する。
4人の後ろ姿を見送っていたマリアベルが、ひっそりと呟いた。
「これは、嫌な予感がするわね……」
そして、その嫌な予感は的中する。
リリスフィールが編入してきてから1ヵ月。
彼女も3人組も当然のように食事や休憩、プライベートといったほとんどの時間に共にいることが多くなっていた。
少女編入時の学園の不穏な空気を気にしながらも、急な男爵邸の仕事で暫く学園を離れていたゼアノスが1ヵ月経った後に再び学園に戻ってきた時には、生徒達の不満が目に見える形で膨れ上がってくるようになっていた。
予想はできていたが、マリアベルの情報によると既に小さな虐めが起こっているらしい。
彼女に対して小さな虐めで済んでいる内に、早く自分達の学園での立場を考慮して適切な関係に戻れ、と3人組に注意するもゼアノスの言葉を真面目にとらえることはなく、彼女に対する態度も変わることはなかった。
この学園には守るべき主であるマリアベルも通っている。一刻も早く事態を収束させたい。
歯がゆい思いをポーカーフェイスの下で隠しつつ対策を考えながら廊下を歩いていると、角から突然人影が飛び出てきた。
「っ!」
「きゃッ」
思わず手を伸ばし、身体に当たって倒れかけた相手を支える。
ハッとして腕の中を見ると、そこには悩みの原因である金髪の少女がいた。
「大丈夫ですか?」
何てタイミングだ……と複雑な思いを抱きながらも、取り敢えず無事か問い掛ける。
すると、リリスフィールはゼアノスの制服の胸元をキュッと握りしめ、青い瞳を潤ませながら上目遣いで見上げてきた。
「やっと会えたわ、私の推し……ゼアノス様」
「推し……?」
彼女の意味がわからない言葉に首を傾げると、そんな彼に対して意に介する様子もなくリリスフィールは夢見心地に彼に話しかける。
「私は知っているの、貴方が主人から酷い扱いを受けているってこと」
「何……?」
「ああ、不安に思わないで。 大丈夫よ、私を信じて。
私だけは、貴方の味方だから」
ゼアノスの胸にしな垂れかかりながら、リリスフィールは言葉を続ける。
「私は選んだりしないけれど……貴方のことも、必ず助けるわ。
貴方が今の主人から解放されたら、私達と一緒に幸せに暮らしましょう?」
「何を言って――」
あまりにも意図が読めなく、それでいて不穏な言葉に、ゼアノスは気味が悪くなりリリスフィールを押しのけようとした。その時。
「よぉ。 こんなところにいたのか、ゼノ」
「おや、リリもここにいたのですね」
「ひっさしぶりに戻ってきたんだし、外の話聞かせろよゼノー。
んでもって飯食おーぜー」
しがみついてきていたのが嘘のように、スッとリリスフィールがゼアノスに離れると、次はバルバトーレが慣れ慣れしく彼の肩を組んでくる。
「やめろ。 暑苦しい」
「相変わらずつれねーのなー。 1ヵ月も俺らに会えなくて実はちょっと寂しかったんじゃねーのー?」
「ない」
「またまたー」
じゃれついてくるバルバトーレを引き剥がそうと必死になっているゼアノスの隣で、ルースベルトはリリスフィールの肩を抱きながら促す。
「ほら行くぞ、リリ」
「はい」
「今日の手作りお菓子は何でしょうか?」
「ふふ、内緒よ」
女性ならクラッとくるような甘い笑みを浮かべながら尋ねるクルツレインに対して、可憐に微笑んで秋波を受け流すリリスフィール。
そんな2人のやり取りを見ていたゼアノスは、やはりこれは天然のものではない、とどこか薄ら寒い予感を抱いていた。
そんな邂逅から1ヵ月以上が経つ今でも、露骨に邪険に扱われながらもゼアノスに纏わりついてくることをやめないリリスフィール。
他の3人のように自分を好きになるに決まっている、とどこか確信しているような態度に、ゼアノスは恐怖すら抱き始めていた。
そんな時、彼はマリアベルの自室に呼ばれた。
学園において例の3人ほどではないにしても、強い発言権を持つ主人たるマリアベルには、3人組とリリスフィールがよく行動を共にするようになってから定期的に連絡と報告は行っていた。
生徒達からのリリスフィールに対する不満が爆発寸前なことを察してか、マリアベルは行動に移すようだ。
「ゼノ、貴方はあの女に取り入りなさい。 内通者になるのよ」
「スパイですか」
「ええ。 どうやらあの女は私が貴方に虐待していると思っているようだから、それを逆に利用してやるわ」
「ですが、それではお嬢様はどうするつもりです?
私が貴方に反目している振りをするとなると、貴女を守る人がいなくなる」
ゼアノスの心配に対して、マリアベルは毅然とした態度で首を横に振った。
「不要よ。 ここは最高峰の警備が行き届いた学園。
外部からの襲撃は皆無に等しいわ。 私はあの女から身を守るだけでいい」
そう言って、ゼアノスにいれさせた紅茶を口に含む。
「私は……男爵家の娘として、『相応しい方法』でこの国を守るわ」
ゼアノスが内通者として3人と1人と常に行動を共にするようになって暫く経った。
邪険に扱っていたが少しずつ絆されてきたかのように振る舞い、態度を優しいものに変えていくと、あっという間にリリスフィールは喜んでこちらを信頼してくるようになった。
変わったことといえば、リリスフィールに対する虐めが過激になってきたこともある。
机の中に刃物が入れられていたり、私物がズタズタに裂かれて捨てられていたりするだけでなく、呼び出して暴力沙汰まで発展するようになった。
学園の教師は権力者の子息子女である生徒に強く出られないため、虐めは見て見ぬしている。止める者がいないため、その虐めは加速していった。
良くなるどころか悪くなる学園の雰囲気に、内通者となってからめっきり会って話す時間が少なくなってしまった主人を思うと、ゼアノスはいつも嫌な予感に苛まれていた。
そして、その予感は的中する。
虐めを行っていた貴族の子供達が、ルースベルト・クルツレイン・バルバトーレによって一斉に摘発された。
その子供達が退学すると同時に、ダメ押しとばかりに貴族である親の不正も発覚し、一族諸共処刑される運びとなった。国の3大貴族が動いたのだ。
虐める側・虐められる側といった学園内の勢力は、逆転した。
王都の中央広場で公開処刑が行われた。
そして、その中には、マリアベルとその両親の姿もあった。
勝ち誇った笑みを浮かべるルースベルトに肩を抱かれながら、不安そうな表情のリリスフィール。だが、その瞳にはマリアベルに対する嘲りの色が確かに存在した。
ゼアノスは、失意のまま呆然と……恩を感じ、慕い、いつの間にか、心より仕えることに喜びを覚えるようになった主人が殺される様を見ることしかできない。
昨夜、牢に入れられたマリアベルとの鉄格子越しの会話を思い出した。
「どうしてっ……どうしてお前が処刑されなければいけないんだ、マリア!」
鉄格子に掴みかかり、叫ぶようにして悲痛に問うゼアノスに、マリアベルは穏やかに微笑んだ。
「貴方も知っているでしょう?
私たち男爵家は、国の暗部を担う。
貴方も、男爵家の人間として殺してきたでしょう……何人も」
「……」
よく知っていた。
リリスフィールが編入してきた年の初め、ゼアノスが1ヵ月学園を休んでいたのは大きな暗殺の依頼が国から入ってきたからである。
誰にも理解されることなく、国のために献身する男爵家を支えるために必要な教育も技術も経験も積んできた。
彼女の言っていることはよくわかっていた。
しかし、この彼女の言い分だけでは何も彼の疑問に答えられていない。
「そうだ、俺もマリアも……何度も罪を犯してきた。
それは国のためだ。 全ては国を守ることに繋がってきた。
……だが、今回はどうだ? 何も変わっていないじゃないか!
ルースベルト、クルツレイン、バルバトーレ……そしてリリスフィール!
国の安寧を脅かす諸悪の根源が、全員生き残っている!」
ゼアノスはズルズルと鉄格子にもたれかかるようにして座り込んだ。
公開処刑が行われるようになってからここ数日で、第1王子は婚約者の存在を無視し、リリスフィールに正式に求婚した。
国民は荒れた。婚約者は階級的にも人格的にも国民から愛され、支持されてきた女性だったからだ。学園を引っ掻き回し大量の死者を生み出した女が将来の王妃になるなんて祝福できるわけがない。
一部の国民は暴動を起こした。その暴動に対して武力制圧を行ったのがバルバトーレ、そして、その一団に過剰過ぎる罪状を下し処刑にまで追い込んだのがクルツレインである。
あっという間の出来事であった。
4人は一瞬にして、大量の死者をこの国から出したのだ。
「あいつらこそが……殺されなければいけない人間だろう……」
力なく、ゼアノスは鉄格子の中の主人に向かって呟く。
そんな従者の力の抜けた手に、マリアベルは己の手を重ねた。
「その通りよ、ゼノ」
「……!」
思わぬ肯定の言葉に、ゼアノスは顔を上げる。
目の前には力強く輝く、美しい主人の碧い瞳があった。
肯定の言葉の理由を、鉄格子の中の彼女は決して語らなかった。
だが、その瞳が告げていた。
今、絞首台に立つ彼女がゼアノスに向ける、その瞳が告げていた。
――私は、あなたの生きる意味になれたかしら?
と。
― - - - - - - - -
「――ってな感じだ。 ここからは歴史の通りさ。
国民に対して暴虐を尽くした4人は、全員何者かによって暗殺された。
男爵家は表向き国に反目したから処刑されたことになってはいるが、その実、国の面汚しだった第一王子達を含めた不正貴族及びその子息子女達と平和を脅かす存在たる女を、一族の命をもって排除することで証拠を隠滅し、国の体裁を守ったってわけだ」
「……マリアベルは、男爵家一の腕を持つ暗殺者たるゼアノスの生きる目的になることで、彼に男爵家の人間として任務を遂行させるだけでなく、自らの命と引き換えに、彼自身も殺させたんだな」
「そういうこと。
今はもう行方知れずとなった原種を残して絶滅してしまったが……マリアベルと共に育てていた、魔王の封印に使用される『祈りの樹』の一種たる『黒樹』前で、ゼアノスは自害した。
一度死んで命を失ったゼアノスだが、『黒樹』が彼の血と身体、そして強い思いを対価として取り込むことで、ゼアノス自身は『黒樹』の宿主として魔王封印の運命からは逃れられないが、思いを叶えるための仮初の命を彼に与えた」
「……なるほど、彼ほどの暗殺者が味方についてくれれば、魔王によって支配された今の王政に対する抑止力となるだろう。 是非とも、力を貸して欲しいところだ」
ジルが復讐に人生を捧げた男の話を終え、来るべき交渉に備えて二人で打ち合わせている内に、外は白み始めていた。
飲み屋で起きているのは厨房で洗い物をしている宿屋の主人とアレクとジルの三人だけであり、いつの間にか周りでどんちゃん騒ぎをしていた屈強な男達は飲み過ぎで全滅していた。
死屍累々という表現がしっくりくるような様子で地に倒れ伏している男共を避けながら支払いを済ませた二人は酒を抜くためにも早朝の街を散歩することに決める。
貧民街であるため活気はさほど無いが、水商売帰りの疲れた風貌の男女が大勢よろよろと朝帰りしている姿を見かける。
そんな中、朝早くから営業している小さな花屋があった。
爽やかな朝陽を浴びている街角の花屋は、店頭が色とりどりの花々が彩っているだけあって、そこだけ世界が切り取られたかのように暖かな雰囲気を醸し出していた。
思わず引き寄せられるように足を運ぶ二人は、ふっとお互いに顔を見合わせる。
「……昨夜は飲み過ぎて散財したからな。 女性陣に怒られる前に花を送ってご機嫌取りでもしよう」
アレクの言葉に、ぶはっと吹き出しながらもジルは同意する。
「それもそうだ。 叱られる未来が待っている不憫な勇者様のために、ここは俺様が買ってあげようかね」
「恩着せがましく言うじゃないか」
「こんな時くらいしか貸し作れねぇからなー」
和気藹々と言葉の応酬をしながら花屋に着くと、奥から出てきた優しそうな小綺麗な女性が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ」
「おはようさん。 女にプレゼントしたいんだが、これで適当に見繕ってくれねぇか? 二人分頼むわ」
「はい、承知しました。 こちらでお待ちくださいね」
促された小さなベンチで座り、店頭に並ぶ美しい花々で花束を作る女性店員の姿を眺めていると、視界の端に、街角の路地裏からボーッと花屋を見つめるクルクルと巻いた可愛らしい赤毛の少女の姿が入ってきた。
欲しい花でもあるのか、店頭の花々の片隅をじっと見つめている。
そんな少女の様子を観察している内に、花束が出来上がってきた。
華やかな花束と、小さな包みを差し出される。
「お待たせしました、こちらが花束とお釣りでございます」
「ああ、ありがとな。 それと、釣りはいらねぇよ。
その釣りであの嬢ちゃんに何か花をやってやってくれや」
今初めて少女の姿に気が付いたのか、女性店員は少女に向かって柔らかく微笑んだ。
「あら、いらっしゃいませ。 このお兄さんがお花を買ってくれるそうですよ」
優しく手招きする女性店員につられるように少女がおずおずと路地裏から出てきた。
そんな健気な少女の様子に微笑みを浮かべたアレクは、少女と視線を合わせるようにしゃがみ、少女を店頭の花の方へ促す。
「好きなものをもらいなさい。 君のような可愛い子に金を使った方が、余程こいつのためにもなる」
「おい、俺の金遣いが酷いかのように言うんじゃねぇよ」
「事実だろう」
「なにぃ?」
「ふふふ、仲がよろしいんですね」
思わず笑みを浮かべる女性店員と、笑われている当の二人が気安い関係の掛け合いを繰り広げている間に、少女は欲しい花を決めたようだ。
「……これ、病気の友達に」
身体の前に差し出された植木鉢には、可愛らしい赤い花が咲いていた。
少女の燃えるような赤毛と同じ色だったため、惹かれたのだろう。
上目遣いで不安そうにこちらを見上げてくる少女に、女性店員は柔らかく微笑む。
「大丈夫よ、どうぞ持って帰ってください。 お友達もきっと喜んでくれるわ。
最後に、お兄さんにお礼を言おうね」
「……ありがとう」
「おう、ちゃんと育てろよ」
「……――ええ、もちろんよ」
こくりと頷き顔を上げた少女の力強い光を宿す碧い瞳に一瞬魅入られる。
が、声を掛ける前に少女はくるりと踵を返しており、自宅があるであろう方向に向かって駆け出していた。
植木鉢を大切そうに抱えた小さな姿は、やがて人込みに紛れるように消えた。
店員に礼を言って花屋を後にした二人は、宿屋に向かって歩き出す。
数日後、二人には赤い花にしか見えなかった植木鉢の中身が、少女には白い花をつけた黒い若木に見えていたことに気付かされるとは知らずに――
執筆 by 連盟者B