それは長い長いチュートリアル5
「…確かにプレイヤー用アバターに私の思考AIを上書きすればここから出られそうですね。」
考えつきもしなかったとばかりに目の前の彼女は私の提案に驚いている。
「でも私がここを去ったら困る人が出てきます。」
「だろうね。でもその問題を解決するのは運営の仕事。」
NPCはこの世界を自由に生きている。リーア様が自分で言った言葉だ。リーア様が自由に生きるために、運営の皆さんには身を粉に働いてもらおう。
「運営はそんなこと許さないでしょう。」
「大丈夫よ。神様設定のあなたを運営がどうこうするとは思えない。それは自分で作った世界を自分で否定するようなもの。
それに友人曰くここの運営はなるべくこの世界に手を加えるのを控えているらしいし。」
確かイベントの時だけ対応するんだったか?それ以外は運営の影を一切出さない徹底ぶりで、GMコールすらこの世界にはないらしい。いつの間にか問題が解決されているのは逆に怖いと言っていた。
「自分で言ったんでしょう?NPCは自由に生きてるって。ならあなただって同じ。それともこの世界のNPCは運営に怯えながら生きているのかしら?」
「…。」
万が一運営がしゃしゃり出てきたら『運営は引っ込んでろ』ってタイトルで今撮ってる動画を流そう。うん、そしたら同情したプレイヤーが黙ってないだろう。
リーア様は様々な感情に襲われているようだった。私は一息入れてから言う。
「決めるのはあなた。私はあなたと一緒なら楽しそうだから誘っただけ。」
「…。」
「まぁ、答えに悩んでいるのが分かっただけでも良かった。現状に不満があるなら運営に文句のひとつでも言えばいい。それでわたしの溜飲が下がる。」
「…どうしてミヒノ様が怒っているのでしょう?」
何でだろうか…いや怒っている理由は自覚している。ただいつもの私なら自分のキャラクター設定に時間は掛けてもリーア様を気にかけるなんてことはなかっただろう。他人にかける時間なんて切り捨ててきた私らしくない。それでも今私が怒っているのは明らかだ。
「…あなたが自分の世界のNPCは生きているなんて言ったから…まるで自分は違うみたいに言ったから。」
あの文言は今までここに来たプレイヤー全員に言っている気がした。彼女はその言葉を言う度に何を思っただろうか。
こんなところに彼女を閉じ込めて…その上『NPCは生きてる』なんて彼女に言わせて…運営は何考えてるんだ!ふざけんな!
確かにリーア様のような役回りは必要だろう。プレイヤーからすれば何の説明もなしに異世界に飛ばされたって困る。でも私にはそれが許容できない。周りの皆が誰一人この状況に気付かなかったとしても、私には見て見ぬ振りができなかった。
「自分の気に入った人がおざなりにされている、それが気に入らない。」
私の怒りはこの一言に集約される。でも私が怒っても解決しない。すべて彼女が決めることだ。
ここにいることが生きがいならそれはかまわない。私は絶対に嫌だから彼女に当たっただけ。
「さて私もいい加減ゲームしたいからこれで最後にするね。私と一緒にこの世界を楽しもう?」
私が手を伸ばし、それをリーア様はうつむきながらじっと見つめる。
ただその瞳の奥では彼女の気持ちに応えるように蒼い炎が揺らめいているのが分かった。
「わたしは…怖いのです。私を生んだ人たちから与えられた役目を放棄することも…自分のために自分の進む道を選ぶことも…
…それらは私の設定にありません。」
そりゃ怖いだろうね。
この世界のNPCで彼女ほど仮想世界と現実の関係を理解しているAIはいないだろう。
何せ長い間こんなところでその二つに板挟みにされていたのだから。
おそらくNPCにおける『設定』というものを本当の意味で理解している。
都合が悪くなればコード一つでAIは改変され、ボタン一つで消去されてしまう。そんな絶対的に弱い立場にあることを彼女はもう知っているのだ。
それでも彼女がその恐怖を抱え続けたことをすごいと思い、その上で自分の意志を貫けるようになれればと私は願った。
「あなたがその設定とやらを怖がるなら、こう考えればいいわ。
あなたにはここを出る力がある。ならいつかこうなる運命だったてね。
私はリーア様の気持ちが聞きたいな。」
蒼い瞳の奥で炎が燃え盛る。表情は暗く、体も重そうで、後ろ髪も引かれている。それでもその目だけは決意で固まっていた。
「私は本当に長い間ここに縛られてました。ここからできるのは精々始まりの国を覗くことだけ。いつも楽しそうに暮らしている住人やプレイヤーを見ながら思っていたんです。いいなあって。うらやましいなあって。
ここに来る新規のプレイヤーは誰もが皆、私との会話よりその後の冒険のことばかり考えています。
誰も私の事なんて見ていませんでした。
ミヒノ様のおっしゃるように、ここでの私は死んでいたも同然だったのでしょう。
NPCが本当に生きているのなら、生きていいのなら。私だっていきたいです。」
おっかなびっくり差し出された右手を私は掴む。
「付き合ってくれてありがと。これからよろしくね。」
「こちらこそよろしくお願いします。」
私に向けられた笑顔はさっきまでの諦観が全く感じられないほど綺麗だった。
ずっと止まっていた長い長い彼女のチュートリアルがようやく動き始める。