蝶と夕方
夕方ごろ、家を出てバス停に向い歩いている途中だった。歩道端の植え込み周りに、蝶が無数に飛んでいた。薄紫の空と植え込みの緑の上を飛ぶ蝶はひどく非現実的だった。
白黒の翅をもったそれらは、ばたばたと十数匹ほどが一箇所に固まって飛んでいた。その固まり方は、どこにでも現れる、小さな虫玉のように密集した飛び方だった。美しいというより生々しく、嫌悪のような感情すら抱かせた。
あまり気は進まないが蝶たちの横を通るしか道はなく、なるべく離れて通り過ぎることことしかできなかった。
私が蝶の一行の前に差し掛かった頃、一匹の蝶がゆらゆらとこちらに近づいてきた。その飛び方を見ていると、なんともばたついていて、上下左右に揺れながらこちらに向かってくる。その力ない飛び方を前にすると、最初は気味悪かった蝶が弱いもののような、可哀想なものに思えてきた。嫌悪は直ぐに霧散し哀れみが心を占める。
憐憫が生まれると、この蝶はいつまで生きるのか心配になってきた。少しの距離を進むにも、頼りない羽ばたきで苦労をしながら飛んでいる。鳥に狙われたら、一瞬で小さな胴体は腹の中へ、翅は地面に落ちるだろう。もし、何者にも襲われなくても一月も生きられるとは思わない。そんなふうに考えてみるとなんと儚い生き物だろうと思えて嫌悪した自分が恥ずかしくなった。
気味悪さが消え、改めて蝶を見てみると、必死に飛ぶ姿に可愛らしさすら覚える。立ち止まって蝶を眺めていると、翅に対して胴が大きいことに気がついた。オレンジの下地に黒の点が等間隔に描かれた胴は重すぎるらしい。
しげしげと見つめていると、これは蝶ではないのでは、という考えがふと湧いた。蛾なのではないか?なぜかは全く分からないのだが、蝶ではないと言う心の囁きは強くなる。
気がつくと、目の前の蝶に手を伸ばしていた。しかし蝶はするりと手から零れ落ちていく。それでも蝶は遠くへは行かず周りをひらひら漂っている。おや、と思いまた手を伸ばすのだが、結局飛んで行ってしまう。そのまま蝶は手の届かぬところまで行ってしまった。私はひどく裏切られたような気がした。
悔しくて別の蝶に狙いを定めた。数匹がまたふらふらと腰ほどの高さを飛んでいた。ゆっくりと近づいてどれが取りやすいか吟味する。
獲物を決め、がばりと思い切り手を伸ばすと、一度で掌の中へ包むことができた。思いのほか簡単に捕まえられたことに驚いたが、それ以上に喜びが大きかった。笑みすら漏れそうになりながら、翅が痛まないように拳を開き親指と人差し指でつまむように持ち替えた。
捕まった蝶は翅を動かそうと、微かに体を震わせるが指先には何も伝わらない。蝶は諦めたのか、すぐに身動きを止めた。おかげで私は観察がしやすくなり、ゆっくりと全身を見つめることができる。まずは蝶の顔を見た。私は昆虫の専門家でも何でもないので、蛾と蝶の見分け方は分らない。おぼろげな知識で、蝶と蛾は触角の形が違うことを思い出した。たしか蛾は触角が木ノ葉のような形になっていて、蝶は直線のはずだ。目の前の蝶の触角はすらり一本だけ伸びていた。
つまり、私の見分け方で行くと、この虫は蝶ということになる。しかし私には、どうにも確信が持てなかった。
唯一の手掛かりを失った私は、、もうこの虫を蛾か蝶か見分けることができなくなっていた。学者のような人なら一目でわかる特徴が他にもあるのかもしれない。しかしもう私にはまったく分からなくなってしまった。それにもかかわらず、私は蝶を観察することを止められなかった。
黒地に白の斑が入った翅を、小さく丸まった口を、ふっくらとした胴体が震えるのを、翅のつけ根の間の獣のようなオレンジの毛を、私は惹きつけられるように眺めていた。
時を忘れ私はその翅のある虫を眺めていた。
意味のない捕獲、意味のない観察だった。それでも私はなぜか満足した。一見すると無駄ともいえるこの行為に、真理を見つけたようにひどく興奮していた。この生物が蛾でも蝶でもどうでもよくなった。この生物がなんであろうと、私の生には何の関係も生まれない。
一時は恐れ、惹かれ、憎んだそれをあっさりと私は手放した。蝶はとらわれる前より大きく揺れながら去っていった。指に残った鱗粉が少し嫌だった。