巨人の庭
世界がどれだけ広いかは分からないが、ここにはタイタニア平原と呼ばれる広大な平原がある。
それはこの世界で他には類を見ないほどに広いと言われていた。少なくともタイタニア平原を越えるくらい広い平原というのは聞いたことがない。ここに来る人の中ではそれが当たり前だった。
その一画に遊牧を主体として生きている民族がいた。自然とその民族はタイタニア族と呼ばれる。文明が発達した地域からすると入り口とも言える場所に生活の場所を設定している彼らは平原の門番とも言われる存在であったのであるが、そんな彼らは場所を転々としながら生きる遊牧民と思っていた。
それだけ、タイタニア平原は広く、たしかに彼ら以外に人は住んでいなかった。
馬で1日中駆けても端まで届かないのである。それが2日目になっても3日目になっても平原であるという時点で平原の大きさを測ろうなんて暇な人物が現れるほどに世界に余裕があるわけでもなかった。
それにこの平原はすこし特殊である。
「ジル、羊を囲いの中に入れておいて」
「はい、母上」
ジルと呼ばれた少年は愛犬とともに羊を追いに行った。自分で走っても追いつかないから馬に乗るのである。すでに10歳になるジルは自分の手足のように裸馬に乗ることができた。
「さあ、急ぐよ。明日には神様が来そうだからね」
愛犬はそれに吠えて返す。本当に言葉が分かっているのだろうかともジルは思うが、どちらでも良かった。愛犬はジルの指示に良く従い、羊たちを固めて囲いの入り口へと誘導する。ジルの乗った馬も良く走った。太ももの力の込め方で馬はジルの思い通りの方向へと曲がってくれる。
羊たちからとれるのは羊のミルクと肉だけではなく毛などもある。この時期は毛を刈るわけにはいかないが、すでに十分な毛がテントの中には蓄えてあった。夜になり食事を済ませると家族総出で糸にする作業をするのである。タイタニア族の作った羊毛製品は行商人にはよく売れた。
「次に行商人のオウルさんが来るのはいつかしらね」
「明日あたりに神様がこの辺りを通るかもしれない。彼らは神様を恐れているから当分は来ないだろう」
両親の会話を聞きながらジルは残念に思った。行商人は沢山の珍しいものを持って来てくれる。それに月に一度の町への買い出しの時に買ったがもうなくなりそうなものなんかの補充もしてくれるのだ。代わりにタイタニア族の特産品と取引をするのである。
オウルさんはいつも金の方が取引しやすいって言っていたが、ジルには金にはあんまり価値がないと思っているからタイタニア族の作った羊毛製品の方がずっと便利なのにと思っていた。
「父上、今日のご飯はなんですか?」
「うーん、今日は肉は出せそうにないなあ。ヨーグルトとチーズじゃだめか」
年頃のジルがそれで満足するわけがなかった。弟や妹たちからも不満が出るだろう。一家の主である父親に文句を言うわけにいかないためにいつもジルに文句を言うのだ。他の食材というのはタイタニア平原では手に入りにくい野菜である。もちろん行商人や買い出しの時に特産物と引き換えに手に入れるのである。
「狩りに行ってもいいですか?」
言いたかったことはこれである。
タイタニア族は幼少期から馬を乗りこなす。更には弓矢の扱いはすでにジルの年齢では達人の域に入るといっていいほどに上達する者までいた。ジルもそうである。狩りに行けばジルの大好きな肉が手に入る。集落の仕事を手伝わなければいけないのでなければ狩りにはいけないが、そうでもなさそうだと思ってジルは言ってみた。
「あまり遅くなるなよ、それに東の道は神様の通り道になりそうだ。やめなさい」
ジルの頭をくしゃくしゃしながら破顔した父親は言った。父としてもジルが狩りに出て肉を取ってきてくれるのであれば食事が華やかになるのである。今月は羊を潰すわけにもいかなかったし、移動の準備があるから自分で狩りに出る余裕もなかった。
ダメだと言われると思っていたジルは嬉しかった。
「はいっ! 分かりました」
元気に返事をしたジルは弓矢を取りにテントへと戻る。愛犬も連れて行ってもらえることが分かっているためにその場でぐるぐると回りだし、喜びを表現していた。
「ジルが狩りに行ける年齢になってくれて助かるわね」
「ああ、そうだな」
その内、弟たちもつれて狩りに行くことになるだろう。そうすれば生活はもっと楽になるかもしれないと父親は思う。長男として、ジルは自慢の息子だった。
ジルは馬には乗れても、大きな獲物を担ぐことができるわけではない。
タイタニア平原は平原と言っても多少の起伏はある。あまり岩肌が露出している場所があるわけではないが、それでも所々にはそういった風景があった。
小動物を中心とした狩りである。
「兎がいたらいいね」
馬の背をポンポンと叩きながら疾走する。集落からそれなりに離れないと動物はいないのだ。後ろには愛犬がきちんと付いて来ている。そのくらいの速度で馬も走ってくれている。
ジルが持つ弓は子供用である。子供用と言っても、鹿を射抜いたことはある。大人でも使い勝手が良いという理由でジルが使うくらいの小さい弓を使っている人もいるのだ。10歳のジルとしては問題ないと思っているし、父親が使うような大きな弓では照準が合わない。特に馬の上からでは。
「兎だ!」
視界にぴょんぴょんと跳ねる動物が見えた。野兎である。それを馬上から射抜く。矢はジルが思った通りの所に吸い込まれるかのように刺さった。
動かない的ならば百発百中である。タイタニア族の男はそうである。ジルもタイタニア族に生まれているために小さい頃から弓の扱いには慣れている。弟たちでもそのくらいは問題なくできるだろう。
例え動いていようとも兎くらいなら十分当てることができた。自分が動いていたとしても同じである。
愛犬が射抜かれた兎をくわえて走ってきた。矢を抜いて、頭をなでてやる。ついでに馬もなでる。矢が痛んでなくて良かったとジルは思う。もう一度使うことができる。
「やったぁ、これで少なくとも今夜はお肉が食べられるね」
さっとナイフで首を斬って血抜きをした。終わると馬の首にかけておいた紐に縛る。
父親はこういった動物に対する処理に関してはかなり厳しく教えた。特に苦しまずにさせる方法に関しては徹底していた。タイタニア族の男ならばこうするのだと言われ、ジルは真面目にそれを守った。
あと2,3匹は狩りたいところである。ジルがお腹いっぱい食べるためにはそれくらい必要だった。家族全員で平等に分けるからである。それもタイタニア族の習わしだった。
いつだったか、行商人の人に鞍について言われたことがあったけど、ジルが鞍をつけると馬が窮屈になるのではないかと思っていた。鞍があれば馬から落ちにくいし、荷物も取り付けやすいと言うのだ。
確かに荷物は付けやすいけど馬から落ちたことなんてないし、何より馬が嫌がるからジルは鞍を付けるつもりなんてない。そう言ったら行商人にすごく驚かれたことがある。でも、周りのタイタニア族はそうだった。ジルは行商人の方がおかしいのだと思っている。
「神様はもっと東を歩くって父上が言ってたから、こっちに行こうか」
馬をなでて先に進む。馬と友達になっていると、何も問題なかった。次の狩猟場所へと行こうと思う。この場所はあまり来たことがないけど、それは今現在にジルたちの移動式の住居であるテントがあまり来たことのない場所に設置されているからだった。
「神様の歩く方角は邪魔しちゃいけないから」
これが伝統なのだという。伝統ということをジルはよく分からないけど、父親もよく分からないと言っていた。爺様はもう死んでしまっていないけど、爺様から厳しく言われたらしい。その爺様も爺様の父上から言われ、その爺様の父上もその父上から……という具合らしい。
そういうものだと言ったジルの父親は、理解できなくても祖先の言いつけを守ることに価値があるんだといってジルを困らせた。いつしか父親の言う事が分かる日がくるんだろうとジルは思う。
神様を見に行ったことがある。あまりしてはいけないらしいけど、父親は一度は神様は見ておくべきだと言っていた。実際に初めて会って、それが思いがけない時だったら神様の邪魔をして怒られてしまうからだという。それで神様に殺されてしまった知り合いもいるのだとか。
大人になれば神様の様子を見に行って、タイタニア族のテントが邪魔にならないかを確認しなければならないという。まわりの大人はそういった役割をきちんと果たしている。父親にその役目が回ってきた時に、ジルは一緒に連れて行ってもらった。貴重な体験だったけど父親はその時には、大人になればやりたくなくてもやらなければならない事なんだ、と言った。
父親が駆けさせる馬の後ろで神様を見て、その時にジルが思ったのは、神様は怖いという事だった。父親はそんなジルを見て、そうだと言った。
「神様は怒らせては駄目だよ」
力の限り頷いたジルはその後にその神様を見て、確かにそうだと思った。
それが昨年の事である。あれから一度も神様には会っていない。
「神様は怖いからね」
馬が少し怯えたようだった。言葉が分かるかどうかは知らない。だけど、ジルがぶるっと震えたのが伝わったのかもしれなかった。愛犬は相変わらず馬の後ろを走っている。
どうどう、と馬の背をなでながらジルはごめんごめんと声をかけた。
「神様は怒らせなきゃ僕たちには何もしないよ」
遠くからでも神様はどこにいるかが足音で分かる。近寄らなければ、大丈夫。父親はジルにそう言った。ジルもそれを信じている。
「それよりも今日の晩御飯を頑張ろう」
重ねて言うが、もうちょっと肉が欲しいのだ。長男であるジルが頑張ると弟たちも妹もお腹いっぱい肉を食べることができるのだ。それは幸せ以外のなにものでもない。
「父上も母上も喜ぶし」
父親はジルに平等に分けろと言う。その後に、いつも母親は肉を狩ってきてくれたジルに自分の分を分けてくれる。父親はそれに関しては何も言わない。ジルはそれが嬉しかった。それでもう一度頑張って狩りに行きたくなる。毎回そう思う。
視界の向こうに鹿の群れが見えた。
「父上と来てたら狩れたのに……」
鹿は重い。そのためにジルの力では馬の上に固定することができないのである。そのために鹿は狩っても一部しか持ち帰ることができないためにジル一人で来たときには狩ってはならない獲物だった。
それに、一度持ち帰ることのできるくらいの小鹿を狩ろうとしたことがあった。しかし、その時は父親とともに来ており、それは駄目だと教えられた。小鹿は狩ってはならないのである。
「どうして?」
純粋な疑問だった。小鹿であれば一人でも馬に乗せることができる。
「それは、動物であっても子供は大事だからだよ」
後になって色々と分かることがあった。小鹿ばかり狩ると群れが絶滅してしまうという事、親鹿が命を賭けて取り戻そうとすることがある事。
「ジルのためなら父も同じことをする」
親父かの話をした時に鼻息荒く言った父親を見て、当たり前すぎてジルは何も感じなかった。なんで父親がそう言う事を言ったのかは大人になったら分かるんだろうと、それ以上考えてない。多分、分かると思っている。ジルはそういう子供だった。
しかし鹿の肉は美味いというのはジルには分かっている。はやく親鹿を狩れる年齢になりたいと思うばかりである。あの肉は羊の次に美味しいのだ。
「やっぱり、兎が一番いいね」
野鼠とかも狩ることができるが肉が美味くない。狐も肉は美味しくなかったけど、その代わりに皮を使って母親が服を作ってくれる。狐でも良かったが、やっぱり野兎の肉は美味いし、いくらでも持ち帰ることができる。ジルにとって、兎は最も都合の良い獲物であった。
兎を探しながら馬を駆けさせる。もしジルが見落としていても愛犬が気づくはずだった。平原は場所を変えると風景も変わるために迷う事もない。
川があった。野生動物の多くが飲み場所として使っている川である。近くには小動物が沢山いるはずで、その近くでももう一匹の兎を射抜くことができた。
「鳥肉も食べたいんだよね」
調子に乗ったジルは馬と愛犬をなでながら言う。愛犬はウォン! とジルに賛同するかのように吠えた。彼女としても肉が多ければ食べ残しの肉が残った骨がもらえるのである。ジルも愛犬もニヤニヤとしてしまうのは仕方ないと思っている。馬だけが関係ないと尾っぽを振っている。
空にはジルの欲しがっている鳥は飛んでいないようだった。飛んでいれば射抜けたのにとジルは思う。それだけ、ジルの弓の技術は優れているが、タイタニア族の中では普通である。
ジルは帰ることにした。父親からは遅くなるなと言われている。兎も2羽獲れたので今夜の夕食は賑やかになるだろう。帰る最中にもう1羽とれたら幸運であると思ってあえてゆっくり帰ることにした。
テントがある方角は分かっている。ジグザグに馬を走らせながら、ジルは兎と鳥を探した。愛犬も多分ジルの考えてることを分かってくれてるんだと思っている。目を凝らしながら帰ったが、結局はそれから獲物は見かけなかった。
しかし狩りはこんなものである。兎すら狩れずに何も持ち帰らない日もあるのだ。今日は幸運だと思うことにした。少なくとも夕食には兎がでるのだから。
「美味しい!」
弟の一人が騒いでいるのを見てジルも満足だった。だけど、できればもう一匹欲しかった。乳製品だけではお腹がいっぱい満足にはならないのである。お肉が欲しい年ごろだった。
「ジルが兎を狩って来てくれて良かった」
母親がいつも褒めてくれる。父親もなにも言わないが頭もクシャクシャとなでてくれた。たしかにそれだけも十分嬉しいのだ。だけど、お腹一杯食べたかったジルが少し不満だった。自分に対してである。3羽の兎を狩ることができたら、多分お腹一杯食べることができたのだ。弟たちや妹にも肉をお腹一杯食べて欲しかった。いや、妹はお腹一杯みたいだとジルは苦笑いした。
もしくは鹿を狩ることができたらである。
早く、大きくなって鹿を狩って馬に乗せなければと思う。だから、今日の残りは乳製品を沢山食べるのだった。結局、それでお腹一杯になった。お腹一杯になったジルは他の誰よりも早めに寝てしまった。気が付いたら寝台で起きたのだから、父親が運んでくれたのだろう。
タイタニア族の男は放牧に関しても幼少期から行う。ジルは10歳ではあるが立派に弟たちの指導係だった。
「もっと早く馬を駆けさせるんだ!」
羊の囲い込みかたが甘いとジルは弟たちを叱る。愛犬が弟たちの開けた穴に陣取って羊がバラバラにならないようにしてくれている。それで群れはそのまま動いているのに弟たちは気づいていない。
「ジル兄は厳しいんだよ」
と一番下の弟が言ったとたんに真ん中の弟が馬を寄せてきて頭を殴った。
「お前はなまいきなんだ!」
そう言った真ん中の弟も生意気なんだとジルは思ったが、口に出して言うのをやめた。多分、それを言い出したら終わらない。それよりもはやく弟たちがジルが見てなくても羊たちの世話ができるようになればいいと思った。ジルが弟たちの年のころにはすでに両親から羊の世話を任されていたような気がする。それでも弟たちはまだ8歳と6歳だった。
「犬がもう1匹欲しいよ」
ジルには愛犬がいた。それは両親から与えられたからである。他にも父親の犬がいる。その犬はジルの愛犬よりも本当に良い動きをする。けれど、年をとっている。
ぜひとも弟たちにも犬を飼ってもらって放牧や狩りの手伝いをしてもらいたかった。犬はそんなに高い買い物でもないはずであるが躾けが大変である。ジルの愛犬は父親が一緒になって躾けをしてくれたので父親の言う事にもよく従う。
「そうだな、そろそろあいつらにも犬がいるか」
父親の反応も良好であった。長男として色々と仕事を押し付けられているとジルは少し不満に思っていた。弟たちも自分がそのくらいの年齢にやらされてきたことくらいやるべきだと思っている。弟たちがそれぞれ馬に乗って狩りに行けば毎日肉が食べれるんじゃないかと思っている。
「今日はさすがに肉は出ないよ」
基本的に肉とかのご馳走がでるのは夕食である。朝と昼は本当に簡単なもので終わりなのがタイタニア族の食生活だった。そしてこの日は特別である。
ジルの家族が持っている馬は8頭である。その8頭の内、家族が乗っているのは5頭であった。残りの3頭は家を曳いている。タイタニア族の家はテント状になっており、折りたたんで移動することができた。その大きな荷車になっているテントを曳いているのが3頭の馬である。他には沢山の羊を群れにしたまま回りを囲んで歩かせる役目が必要だった。それを家族の中の男が全員で行う。一番下の弟もその役割を担う。
他の家族もそれぞれの家と家畜を移動させていた。羊が混ざらないように距離をとって移動させる場合と、なにかしら印をつけて混ぜて一塊にして移動させる場合がある。今回は家族ごとに移動させていた。それでも混ざることがあるから羊の1頭1頭に印はつけている。ちなみにそれは外さずに次の移動の時にも付けていて、移動する時にその印が外れていないかどうかを確認するだけだった。ジルの家族の羊は全て耳の所の毛にに白い布切れが縫い付けられている。
「こっちに神様が来るんだってさ」
草を食べ切ったわけでもないのに移動するのはそれが理由だった。ジルの父親はむしろそのくらいで移動しなきゃならないからタイタニア平原はこのままでいることができるとか難しい事を言っている。ジルには分からなかったけど、父親がそう言っているのだから正しいのだろうなとは思っている。
取り分けられたチーズの塊を齧りながら馬を走らせる。昼の食事は馬上で摂ることになるのは事前から言われていた事であったし、いつも移動の時はこうだった。こうやって食べるチーズは意外と悪くない味がするとジルは思っている。馬の上で食べる食事は嫌いじゃなかった。それは自分がタイタニア族だからだと思っていて、父親はそれを誇りと言っている。まだジルには分かっていないのだけれども。
今回の神様の移動の方向はよく分かりにくいと集落の他の人間が言っていたらしい。ジルの父親はそれに対して、どうやっても神様の行く先に被らない方角に移動するべきだと主張して、族長も含めて皆がそれに賛同してくれたと言っていた。ジルはさすがは自分の父上だと思った。実際にジルの父親は集落の中ではそれなりに知恵者として一目置かれていた。
父親の予想の通りで、神様は当初決めていた道筋を通って歩いていたらしい。馬だけだったら距離をおくことができるだろうけど、テントと羊をバラバラにせずに逃げるというのは難しい。羊はそれこそ遊牧民族であるタイタニア族にとっては財産だった。
「もう大丈夫だぞー」
神様を見てきた大人が戻ってきた。それぞれの家族に神様の通り道からはずいぶん離れたという事も伝える。タイタニア族の男は大人になると定期的に神様の居場所を見に行く役割があった。まだジルには早いと言われている。
ずっと張り付いているわけじゃない。タイタニア族の長老は代々受け継がれたタイタニア平原の地図をもっている。神様がいる場所がある程度分かりさえすればかなり離れていても見えるからだ。
神様の通り道を邪魔して神様を怒らせなければ大丈夫だと、長老はジルたちが子供の時に教えてくれた。
文字を持たないタイタニア族の歴史は口伝という方法で語り継がれる。長老は時間がある時に子供たちを集めて、昔のタイタニア族の話をする。
ジルも沢山聞いた。それこそ飽きるほどに。長老の話をそらで言えるようになって初めて、長老の話を聞きに行かなくてもよくなる。長老の話の最中に大人たちが肉を食べていると知った時は衝撃だった。もちろん沢山ではないのだけども。
「一つ大人になったな」
そう言われて嬉しくなってしまい、両親を許してしまった。
そろそろ真ん中の弟がお話を暗記しだしたくらいかもしれない。
神様の場所が分かってタイタニア族の移動はゆっくりとなった。これならば少々気を抜いていても十分に羊たちを囲いながら移動することができる。
ジルは隠し持っていた干し肉を齧ると、愛犬にもその切れ端をあげた。
弟たちにばれるとめんどくさかったので、こっそりとである。もともとこの干し肉は平等に分配されたやつをとっておいたものだから文句を言われることではないのだけれども。
次の居住地は山の麓に近いところだった。タイタニア平原の西の端である。地図によると入り口に近い部分にあたる。
「平原の奥にはなにがあるの?」
いつだったか父親に聞いたことがある。父親は答えを持っていなかったらしく、何かごまかされた。後で長老に聞いておくといいながらそそくさと逃げてしまったのである。
だからジルは長老に聞いた。
「……内緒じゃぞ」
長老はこっそりとジルに教えた。平原の奥には他にも神様がいるのだと。だけどタイタニア族が知っている神様は一柱だけである。平原の奥には知らない世界が広がっていた。もちろん、平原の外にもだけど、ジルは平原の奥に憧れた。
移動を終えたタイタニア族の集落はそれぞれ食事になったようだった。食料はやはり乳製品と、買い出しで手に入れた保存の効く野菜や穀物である。干し肉を食べることのできる家族もいるようだったが、ジルの家族はそうではなかった。もともと、肉はご馳走なのである。
「お肉が食べたい」
一番下の弟がそう言っても、魔法のように肉が出てくるわけではない。
「明日は狩りに行く」
と父親が言って、ジルは嬉しくなった。肉が食べられるだけではなくて久々の父親と一緒の狩りなのである。しかし、次に続いた言葉でジルは逆に深く落ち込んだ。
「初めての狩りだ。父の傍を離れるなよ。ジルは他の弟や妹を連れて草木を取ってきてくれ」
真ん中の弟が初めて狩りに行くのである。その間に子守をしなくてはならないと言われてしまったのだ。母親は家の仕事があるし、ジルまで狩りについて行くと誰も押さない弟と妹をみる者がいなくなってしまう。
「はい……」
「そうがっかりするな。次はジルとも行くことになるし、そろそろきちんと鹿も狩らないとな」
父はジルの想いも分かっていたようである。大人とともに狩りに行って鹿などの大物を獲りたいという少年の気持ちも十分すぎるほどに分かっていた。父親もジルと同じ年の時代があったのである。
下の弟も、妹もすでに馬に乗ることができる。だが、妹はまだおぼつかないから大きな馬に一人で乗せることはない。ジルの馬に一緒に乗るのだ。弟の馬に採った草木を入れる容器を取り付けて、3人は東へと向かった。
「これを採るんだよ」
食料となる草というのは限られている。たまに薬にもしたりするそうだが、お茶にすることが多い。
慣れるまでは見分けることが難しいけど、すでに何回も採取に来ていたジルは手際よく草を見極めて採っていった。弟と妹はまだそこまでの速さで見分けることができないようだった。たまに妹が違う草を採ろうとするのを止めなければならない。
「この辺りはあんまり来たことがないなぁ」
普段はもっともっと東の辺りを居住地としている。ジルの記憶の中ではこの辺りにテントを移動させたことはなかった。
今回は神様の歩く方向は予想がつきにくい、と大人たちは言っている。中には不吉なことがなければいいがと子供たちを怖がらせている大人もいたが、そんな大人を長老が笑いもせずに見ていたのをジルは気づいていた。大人も不安なのかもしれない。
「ジル兄、あんまりないよ」
思ったよりもこの辺りに草が生えてない。このままだともう一回採取に来なければ十分な量は手に入りそうになかった。
「もうちょっと東に行ってみよう」
良く知らない土地なのだ。どこにどれだけ生えているかは行ってみないと分からない。ジルは弟たちをつれて東へと進むことにした。
川があった。休憩を兼ねて馬に水を飲ませる。周囲に何か食料となるものがないかも気を配っていた。馬に取り付けた紐には弓矢が入っている筒や、ちょっとした荷物もあるため狩りをすることもできる。
「兎がいないかなぁ」
「僕は鳥が好きだよ」
「私は兎」
弟も妹もジルが狩ってくる肉が好きだった。ジルは父親が狩ってくる鹿の肉がもっと好きだった。弟なんかは羊は美味しいけど、いなくなってしまうと悲しいと言うのだ。ジルも気持ちが分かる。
病気などでこれ以上生きていけなくなった羊の肉を食べる事はあるし、他に祝いの宴で羊の肉が出ることはある。だけど、それは特別な場合だけだった。やっぱり、狩りをして獲ってきた肉を家族全員で食べるのがいいとジルは思う。だからジルは狩りが好きだった。
鳥が飛んだ。渡り鳥の一種だと思われる。群れで水場にいたのだろう。ジルたちの気配を察して一羽を先頭に飛び立ったのだ。
弟が指を差したころにはジルの弓はいっぱいまで引き絞られていた。矢が飛ぶと、そのうちの一羽に刺さって落ちた。
「やったぁ!」
妹が叫んだ。今日は愛犬を連れてきていない。獲物は自分で取りに行かなければならなかった。
「ここで待ってて」
馬と弟たちにこの場で待つように行ったジルは鳥が落ちた方角へと走った。
その時である。
ズシィィン、ズシィィンという微かな音が聞こえたのは。
刺さった矢を抜いて鳥の血抜きをするかどうかを迷っている場合ではないとジルは思った。すぐさま矢を引き抜いて弟たちのところへと戻る。
「大変だ、神様が近くにいる」
北から、音が微かにする。地面に耳をつけてもう一度確かめたけど、神様の足音だった。
「先に帰るんだ。大人たちにこの事を伝えて」
弟と妹を馬に乗せる。もう一頭はジルの移動のために必要だった。頼んだよ、というと6歳の弟は妹の体をぎゅっと握って頷いた。二人だけでテントに帰ることができるかどうか心配だけど、神様がテントに近づいているならばなんとしても報せなくてはいけない。
2人を紐で縛って妹が落ちないようにして、他の荷物と共に送りだした。ジルが持っているのは弓矢と水筒、隠し持っている干し肉だけである。
「父上がいたら……」
すぐさまそんな考えを押し殺した。今は自分が一番年上なのだ。弟たちを守って尚且つタイタニア族の男の一人として役目を果たさなければならない。ジルは、自分は父上の息子なのだと自分に言い聞かせた。父上の息子がこんな時に、ふがいない事をしてはならない。ふがいない事というのがどういう事なのかをよく分かっていないのだけれども、とりあえずきちんとしなければならないと思った。
「とりあえず、神様が見えるところまで行くよ。大丈夫、神様は遠くだったら怒らないから」
馬をポンポンとなでて落ち着かせる。そんな事をしている間に神様の足音は耳を凝らさなくても聞こえるようになっていた。こっちに近づいていると、ジルは思う。
馬はゆっくりと走った。急がせなかったのはいざという時には全力疾走して逃げなくてはならないからだ。ズシィィン、ズシィィンという音は徐々にはっきりと大きくなっていく。
地平線の向こうに影が見えた。
「神様だ。こっちへ歩いて来る」
馬を止めた。まだ距離はある。神様が歩いている方角を見極めなければならない。
雲にも届きそうな巨体。
土と石でできている巨大な人型の右手には真っ黒な槍が握られている。左手には体と同じく茶褐色の土と石でできた大きな盾を持っていた。
いつだったか、神様の見た目を行商人に説明したら、まるで大きな土と石の巨人だと言った。
その通りだと思う。でも、巨人じゃなくて神様なんだと説明してあげたのだ。
頭と肩の部分には苔が生えている。もう何年もこの巨人の庭を歩き続けているのだ。それこそジルの爺様の爺様の爺様の頃も同じように歩いていたのだろう。
頭には目だとか耳だとか鼻のようなものは見えなかった。実はこんなにきちんと神様を見たのは初めてである。
「こっちに歩いて来る……」
テントの方角である。タイタニア平原の端であるためにどこかで方向転換するかもしれないけど、神様はあまり方向を変えないと長老が言っていた。このままだと神様の歩きを邪魔してしまって怒られる。
長老も見たことはないらしいけど、もっともっと古い時代に神様の邪魔をした人がいたらしい。神様は怒って、槍でその人を払った。その人がどうなったかは教えてもらわなかったけど、教えてもらわなくても分かる。
「帰るよ、急いで帰る」
馬を反転させてテントへ向かうことにした。はやく大人たちに言わなければならない。それに狩りに出た父親や弟の事も気にかかる。
最後に、ちらっとだけ神様を見た。そこで、ジルは神様が歩く以外の動きをしたのを見た。
「神様が槍を!?」
たしかに神様が槍を振るった。足元に向けて、である。だとしたら神様の邪魔をした何かが足元にいたのだ。また、振るった。槍が当たらなかったんだろう。今度はどうなんだろうか。
「遠すぎて見えない」
どうしようかと思う。ジルはタイタニア族の男としてこの事をすぐにでも帰って知らせないといけない。だけど、例えば神様の足元に馬をなくした父親や弟がいるのだとしたら。
「確認だけ」
少しだけ近づくことにした。馬が怯えてしまっているのをなだめる。ジルも怖かったけど、もし父上と弟がいるのならば助けなくてはならない。
神様がもう一度槍を振るった。ものすごい風が巻き起こっているのが見える。
神様の足元で馬が走っていた。人が乗っている。
「タイタニア族じゃないな」
着ている服が違った。もう一度槍が振るわれたのを何とかして避けている。
「こっち!」
神様は後ろを振り返らない。ジルはもし神様に出会ってしまったときの対処方法を思い出していた。これもタイタニア族に代々伝わる長老のお話の中にあるのである。
逃げてくる馬に乗った人が気づくように、手を振りながら神様から見て右側を駆け抜ける。
「神様はね、地面に足を付けて歩くんだ。走るんじゃないよ。つまりね、左足が上がってるときは右足は動かない。右足が上がっている時は左足は上がらない」
「そんなの当たり前じゃないかー」
「ほっほっほ、当たり前だね。神様も当たり前の事をするんだよ。さあ、おまじないも教えよう」
「おまじない?」
「そう、神様は目がないからね。耳で聞くんだよ。こう言うんだ……」
ズシィィンと右足が地に着いたばかりである。右足の近くを通れば、左足に潰されることはない。それに槍を持ってるのは右手だから、足元は狙いにくい。ジルは馬に言い聞かせるように長老に聞いたおまじないを繰り返しながら右足付近を駆け抜けた。こちらに来いという手ぶりをしながらである。
逃げている人もジルに気づいて誘導に従ってくれるようだった。神様の後ろに出ると、神様はもう槍を払わなくなった。
ぐるっっと大回りして神様の真横に来た。距離はずいぶんとってるから槍は届かない距離だ。少しだけ気が抜ける。馬の速さを落とした。
「命を、助けてくれてありがとう」
その人はジルに言った。
「僕はタイタニア族のジル。神様がテントの方角に歩いている。ごめんね、もう行かないと」
「あっ、私はアリス=ヴィクトリアです。お礼を、お礼もしていないのに……ついていってもよいでしょうか?」
「いいけど、遅れるようなら置いていくよ」
帽子をとったその人は意外にも女の人だった。20歳くらいだろうか。タイタニア平原に行商人以外が来たのをジルは初めてみた。丁寧な話し方をする人である。
アリスの馬は立派な大きさをしていた。だけど、アリスは重そうな鞍をつけて乗っている。これだと重くて馬はよく走れないのになあとジルは思った。だけど、アリスは軽い服を付けていただけだし、女性ということもあって体重が重いわけでもなく、ジルの馬になんとかついて来ることができた。アリスも馬も精一杯だったけど。
ジルはごめんねといいながらもテントに帰る速さを緩めるつもりはなかった。この速さじゃないと神様が来るまでに移動する時間がとれないかもしれないのだ。
「おぉーい!」
そんな時に前方にジルの父親が乗った馬が見えた。
「父上!」
「ジル、神様は!?」
「こっちに歩いてきます!」
「やっぱりか! 安心しろ、もう準備は始めてるからすぐにでも移動できるぞ!」
ほっとした。弟と妹は無事に帰りきちんと神様が来るかもしれないという事を伝えていたのだ。
「よくやった、さすがは俺の息子だ」
馬を隣につけて髪をくしゃくしゃとされた。汗ばんだ頭だったけど、父親はそんな事を気にもせずにジルを褒めた。ジルのおかげでタイタニア族が救われたのだ。ジルも嬉しかった。
「それで、こちらは?」
喋ることもできないくらいに疲れているアリスに気づいた父親はそのあとに言った。
***
あの後神様は北へ進路を変えた。タイタニア族は南に少しだけ移動して、そのまま留まることになったみたいだった。
移動でバタバタとしていたけれど、その日の夕食にはお肉が出た。ジルが獲った鳥と、父親と弟はなんと鹿を狩って来たのだ。
「息子さんに命を救われました」
アリスはジルの両親にそう説明をした。
「それでなんで神様の近くになんかにいたのでしょうか?」
父親の質問には少し苛立ちがあったのだろう。おそらくだけど、アリスたちのせいで神様の進路が変わってタイタニア族は連日の移動を余儀なくされた。
シュンとしてしまったアリスはぽつりぽつりと話始めた。
「私は南のオレガノーラ王国という所からやってきました」
その国の名前をジルは知らない。すぐ近くの国は何個か知っているけど、ずいぶん南の国のようだった。
「私の国は今、隣の国と戦争をしています。もう3年にもなっていて、どうにも決着がつきそうにありません」
国境の小競り合いがずっと続いている状態なんだとか、年に一度くらい沢山で戦い沢山の人が死ぬのだとか、ジルには少し難しい話をしていた。
「戦況の打破を考えていた王宮参謀は古代の力に目を付けました。私はその古代の力がどこにあるのかを調べる研究員の一人でした」
アリスは王宮の蔵書庫にこもって様々な本を読んだのだという。そこで一つの古文書を見つけた。
「古代における最強の魔術師タクエスの作り上げた巨人がこの地でまだ動いていたのです」
「それが神様だと?」
「そうです。あの力があれば我が国は隣国との戦争に勝利することができるのは確実です」
魔術というのは古代に使われていた不思議な力なのだという。今は魔術ができる人はいない。しかし、昔の魔術師が残したものというのはあって、今の人たちはそれを大切に使い続けているのだとか。
オレガノーラ王国の首都にはそういった魔法の道具が使われた噴水があるのだという。ジルには噴水の意味も分からないけど。
結局、護衛に付いて来てくれた兵士は全員神様の邪魔をして怒られて死んでしまった。それは仕方ないことだと思う。アリスだけはなんとか逃げ延びれたけど、神様の力を調べるまでは王国には帰ることはできないのだとか。
「私たちがそれを歓迎するとでも思っているのですか?」
「いえ、御迷惑をおかけした事は謝ります。すみませんでした」
父親も母親も難しい顔をしていた。
「明日、国に戻って下さい」
父親にそう言われたアリスは力なくうなずいた。
その日、一日だけアリスはジルのテントに泊まり、朝になると出て行った。
「ジル兄、あの人は神様のことを魔術師が作った巨人だって言ってたよ」
「そのことはもう話しちゃいけないよ」
翌日、ジルは真ん中の弟と狩りに出かけていた。移動続きでタイタニア族の皆は食料の調達が十分にできていないのだという。このままだと羊を潰す必要があると言うのを聞いて、男衆は狩りへ行くことになったのである。
ただし、ジルと弟の面倒を見る余裕がないために別行動だ。鹿の群れを狙わなければならないし、猪でもよい。ジルと弟は小動物を中心に東へ行くことにした。
昨日、神様が通った跡がある。
「ジル兄、鳥だよ」
アリスを助けた辺りだった。そこに群がっていた鳥を見て、ジルは顔をしかめた。
「あれは屍食いだよ。そうか、昨日のアリスさんの仲間の死体を食べてるんだな」
屍食いと言われている鳥はよく動物の死骸に群がると言われていた。そのためにタイタニア族では屍食いは狩って食べることはない。そういう習わしなのだという。
「ジル兄、あれ」
弟が指差した先には屍食いに向かって槍を振るう一人の女性がいた。
「アリスさんだ」
国に帰ったはずであるが、仲間の所へともどっていたようだ。昨日は槍なんてもってなかったはずなのにと思ったけど、死んだ仲間のものなのだろう。皮肉なことに屍食いがいたからこそ仲間を見つけることができたんだと思われた。
「父上が国に帰れって言ったのに」
弟がぼそっと言う。ジルも同じ気持ちだった。だけど、仲間の遺品を引き取りたいんだろうとも思う。手伝って、早めに帰ってもらうのが一番いいだろうとジルは思った。
「とりあえず手伝うよ、その後帰ってもらう」
ジルと弟は周囲の屍食いに射掛けた。2頭ほど仕留めると、彼らも危機を察知してどこかへと飛んでいく。アリスはすぐに気づいたようだった。ばつが悪そうにしていた。
「な、仲間の遺品だけでも持って帰ろうと思ったのよ……」
「埋めるのを手伝うよ」
アリスは国に帰っていなかったのを咎めなかったジルに少しだけ驚いた。この少年には助けられてばかりである。
結局、護衛で付いて来てくれた兵士たち4人を埋めた頃には昼がかなり過ぎていた。その間に弟には周辺で兎を狩るように言ってあり、実際に2羽ほど狩れたようでこれで自分たちが何も狩らずに帰るという事はなくなった。
「さすがに馬までは無理だよ」
死んだ馬はこのまま放置していれば屍食いが戻ってくるだろうと思う。遺品を整理しながらアリスはため息をついていた。これからの事を考えているのだろう。
「ジル君、やっぱり私は巨人を追うよ」
「父上はお前に帰れって言ったんだぞ!」
ジルが答えるよりも先に弟が叫んだ。もうそれ以上は言うなとジルは弟を制した。アリスが何でそういう事を言うのかが全く理解できなかったからである。神様を怒らせて、仲間が死んで、ジルたちに助けられながらもその恩を仇で返そうとする。
ジルにはどう見てもアリスが嫌な奴とは思えなかった。実際に、神様を追うことは黙っていればいいはずなのにジルたちに打ち明けている。
「私はね、巨人をどうにかしないと国に帰るところがないのよ」
あえてジルたちを見ずに悲しそうにアリスは言った。簡単に言うと、巨人を手に入れるまでは帰ってくるなと言われているのだという。
「なんで? 神様を手に入れるなんて無理だよ」
「無理だろうとしなきゃならないのよ。戦争なのよ」
「じゃあ、ここで暮らしなよ。そうしたら国には帰らなくていいよ」
ジルが言うとアリスはきょとんとしてジルを見つめ返した。今までそれを考えたことは一度もなかったのだろう。
「それはできないわ。私には国に家族がいるもの」
大切な家族が遠い地で神様をどうにかするまで帰ることができないなんて、ジルだったら考えられなかった。反対するに決まっているのだ。そもそもタイタニア族の大人たちがそんな事を言うはずがない。
「じゃあ、アリスさんは何のために死んでいくの?」
死んでいく、少年であるが故に直接的な表現しか使えなかったジルの言葉は、アリスの決断を揺るがした。
「タイタニア族はタイタニア族のために生き、タイタニア族のために死んでいくんだ。父上が言ってた。お互いを想うから、タイタニア族のために生きることが自分の誇りになるんだって」
おそらく、ジルはまだこの言葉を理解できていないのだろうとアリスでも分かる。
しかし、大人になっている自分にジルを通して伝わった意味はアリスをもう一度冷静にさせた。
国としても、この任務が成功するかどうかは分かってないだろう。捨て駒にされたというのは分かっていたが、本来の職が研究員であるアリスをこのような場所で野垂れ死にさせた所で国益に繋がるわけがなかった。であるならば自分のすべき事は何か。
「分かったわ、巨人を追いかけるのはやめる。その代わり、私達の国だけじゃなくて他の国も巨人をどうにもできないって事を調べさせて欲しいのよ。もちろん、もう巨人…………いえ、あなた達の神様の邪魔はしないわ」
「どういう事?」
弟がジルに聞いた。ジルも分かってないが。
「あなた達の歴史を調べさせてよって事。そのくらいならいいでしょ? それに私が帰らなかったら、また他の人が来るかもしれないし」
ジルはなるほど、と納得してしまった。だけど、タイタニア族に客をずっと受け入れる余裕があるわけではない。
「そこはお互い様よ!」
本来はこういう話し方なんだろう。アリスは元気よく言った。
アリスをつれてテントに戻ってきたジルは、まずは母親の所へ相談に言った。父親はまだ狩りから帰って来ていなかったし、アリスの事情を知ってるのは両親だけだったからである。
「状況は分かりました。あなたが神様を諦めてくれるというなら、確かに私たちにも益があります。ですが、家長である主人、そして族の長老の決定を仰がなければなりません」
それまではジルの家の客として扱うと母親は言った。
「ありがとうございます」
アリスは深々とお辞儀をした。タイタニア族にはない風習である。
アリスは長老の前で全てを包み隠さず話した。タイタニア族ではないアリスが神様の邪魔をしたという所でタイタニア族の掟に従って罰することはないと、長老は言った。
「ですが、他部族に神様の事をお話して、本当に他の方々が神様には手を出さない方が良いと、納得してくださるのですかな?」
この質問に、アリスは答える事ができなかった。ただ、説得しますというアリスに対して長老は言った。
「伝承を聞くくらいならばよろしいでしょう。今夜から子供たちに混ざってお聞きなさい」
「タイタニア族は誰を見捨てることもしない。ジルが見捨てなかったあなたを父親である私が見捨てるわけにはいかない。これから、私のテントにあなたの居場所を作ろう」
ジルの父親はそう言った。迷いなく生き続けるこの部族が、アリスにはたまらなく羨ましく見えた。
タイタニア族独自の羊の毛で作られた服に着替えたアリスは、肌の色合いが少し白いのと、髪の毛が金髪であるのに何とも言えない違和感を感じていた。
「そんな事ないよ、似合ってるよ」
ジルの妹は、アリスにすぐなついたようである。対して弟二人はまだアリスの事を受け入れられてないようだった。
肉が減る、とでも思ってるのかなとジルは考える。
父親はアリスを客としては扱わないと言った。アリスもそれを了承し、家の仕事を手伝うと言っている。
「一応は一通りの訓練は受けてるから、剣も槍も弓も使えるつもりでいたんだけどね」
洗濯物のために妹と川まで来ていたアリスはぼやいた。二人の護衛、もとい子守りとしてジルがついてきている。
「ジル君の弓を見た後じゃあ、使えるなんて軽々しく言えないわ」
「父上の弓はこんなものじゃないよ」
ちょうど視界に入った対岸の兎を射抜いて帰ってきたジルが言った。洗濯物をしている下流で血抜きをしている。
「そうなんでしょうね。それにタイタニア族を見てたら重たい剣や槍を振るうのが馬鹿らしくなるわ」
射程のはるか遠くから必殺の矢が飛んで来る状況で槍の長さは何の意味ももたない。タイタニア族の弓の前では接近しても同じだろう。矢が尽きるまでに生き延びられるのか。アリスはそんな事を考えていた。
「槍は神様の武器だからタイタニア族の男は使わないんだ」
「君たちとは戦争したくないなぁ」
「人と人で殺し会うなんてだめだよ。協力しあわないと、みんな死んじゃうんだよ」
食料の少ない過酷な環境だからこその教えだろう。
同じ土地に定住し続けるオレガノーラ王国では貴族が仕事もせずに搾取のみを続けている。そんな恩恵を受けた貴族であるアリスはまだ自分はまともな方だと思っていても、平民に比べたらかなり優雅な暮らしをしていた。
「ジル君、これをあげる」
アリスは自分が首からかけていた首飾りを外してジルに渡した。オレガノーラ王国に伝わっていたとされる首飾りである。
「詳しくは分からないんだけど、タクエスの巨人……神様を動かせるかもしれないものなの」
古文書を読み解くと、タクエスが巨人たちを操る際に道具を使っていたとされる記述がある。タクエスが死んでも動き続ける巨人が何かしらの方法で操ることができるのであれば、その首飾りではないかと思い、アリスはこれを持ってきた。
実際は巨人に出会って、兵士が近づいただけで攻撃され、混乱の中で逃げたわけで首飾りを使って何かを試せたわけではない。
「ありがとう」
あまり邪魔にならない装飾の首飾りは鎖を新しいものに入れ替えている。中心に宝石がついており、その周りを六角形に金属が囲んでいた。
ジルはこんなもので神様が動かせるとは思っていない。だけど、くれるのならばもらおうと思う。
「もし、神様を動かしたかったらこれを掴んで念じればいいらしいけど、私の時はさっぱりだったわ」
夜、子供たちに混ざって長老の伝承を聞くアリスは真剣だった。少しでも何かを知りたいのだろう。
聞いた伝承と、もともと知っていた知識はあまり乖離がなかったとアリスは思う。タイタニア族の伝承の中には神様を操る魔術師の話は出てこなかった。
アリスはタクエスの巨人が何かしらの法則にのっとって草原を徘徊しているのだと思っている。タイタニア族の中にもそういった事を思う人間が出てきてもおかしくないはずだった。だが、伝承では神様の歩く方向は気まぐれだという。
「もし……もし、さあ。神様が次にどっちに行くかがわかったら、恩返しになるかな?」
寝る前にアリスはジルに聞いた。
「アリスさんは、まだ神様がその魔術師が作った巨人だと思ってるんだね」
ジルには理解できない。神様は神様だ。だから、巨人と言われると少しだけ腹が立つ。それに気づいたアリスは小さくごめんといい、その日はそれから何も言わなかった。
アリスが帰っていったのはそれからだいたい1か月した頃だった。ジルたちの日常が戻ってくる。
帰り際に、アリスはジルに謝っていた。それは神様をタクエスの巨人だと思い続けてしまったという事だった。
「ジル君たちには納得しにくい事だと思うんだけど」
アリスの話ではやはり神様は一つの法則に則って歩いているという。嘘だと思っててもいいから聞いて欲しいと言ったアリスはこの1か月で神様の様子を見に行った大人に何回も同行していた。神様の足跡を調べたのだという。そのために何回も野営をしてテントにいない日もあった。
タイタニア族には文字がない。そのために全てのことは話して、それで覚える。ジルもそうだった。そのためにアリスは、文字ではなく図形を書いて説明した。タイタニア平原の地図と、アリスの書いた法則に従って今のところ神様は歩いている。
「アリスさんの言ってたことは本当だったのかな……」
一人狩りに来ていた時に神様を遠くから見た。やはり、アリスの言った通りの方角へと歩いている。神様の足跡には潰された草木や岩などがあり、平坦になっていた。この方角ならばテントの方角とは別である。ゆっくり帰っても問題ないはずで、予測ではテントと反対側に曲がるのではないかと思った。
「父上に相談しなきゃ……」
首飾りの事である。しかしジルはこの事を両親にも兄弟にも長老にも相談する事はなかった。首から吊るされた首飾りをそっと握りしめると、ジルは狩りの続きのために馬をすすめた。
***
ジルが17歳になる頃にはタイタニア族の人口は少し増えていた。もともと子供たちが多く、その子供たちが食料を獲得できる年齢になったこともある。羊を増やして遊牧を行う傍らで、狩猟や特産品の行商を行い外から物資を運び込むこともできるようになっていた。
何故、急にそのような発展が起こったかというと、神様の歩みが予想できるようになったからである。ジルは、これはアリスに教わった事だと正直に言った。そしてそれを聞く大人がいたのである。
以前より安全に方角と距離を決めることができるようになったタイタニア族には余裕ができたといってもよい。その結果が集落の発展につながった。
そして体格が大人に近づいたジルはすでに父親と同程度の弓を引く。安々と鹿を射抜いたジルは愛犬とともに狩猟から帰るところだった。鹿は獲りすぎてはいけない。小鹿も母鹿も獲ってはならない。これが父親がジルに教えたことだった。ジルはその教えを守って狩りを行っている。
「ジル、助かるよ」
集落のテントの近くでは他の家族も待っていた。家族構成から簡単には狩猟に出ることのできない人たちもいるのだ。そんな家族を助けるためにもジルは積極的に狩りに出るのである。多くの人間から頼りにされる存在へと成長していた。
狩ってきた鹿をその家族に任せて、ジルは自分のテントへと戻った。そこには父親と母親がいた。
「帰りました」
「早かったな。獲れたのか?」
「ええ、若い鹿の雄を一頭」
なんてことのないように言うが、鹿を狩りに行くのは本来は複数人で行くものである。父親に似て立派な体格になっていたジルは一人で十分だった。
「明日は神様の様子を見に行ってこい」
「はい、父上」
少し前からジルは一人前の大人と同等の仕事を任されている。神様の様子を見に行く者たちに加われるというのもそれだった。
翌日、神様の様子を見に行く一向にジルは加わった。一向と言っても3人である。最年長はバロウという男性であった。ジルの父親よりは若いが、それでも40台ではある。
「ついにジルも神様の様子を見に行く年になったか」
タイタニア族には珍しく、豊かな髭を蓄えている。その豪快な性格も見た目に合っていた。
「バロウさん、ジルが加わるって言われてから楽しみにしてたんだぜ。なんせジルのおかげで神様の行く方向がなんとなく分かるようになったしよ」
もう一人はフォンという青年だった。20代であり、この前待望の長男が生まれたばかりである。
「よろしくお願いします」
「ああ、こちらこそな」
バロウはそう言うと馬に跨った。他国の人間が見たら40代には思えない身のこなしである。ジルの父親も含めてそろそろ長老たちと言われてもよいくらいの年齢に差し掛かるはずである。バロウにはすでに孫がいる。
「さあ、行こう。ついでに途中で何かいたら狩るからな」
神様の様子を見に行くついでに狩猟も行うのである。
昔は神様がどこに歩いて行くのかが分からなかったから、それこそ1日中馬を走らせることもあったようだ。最近はジルが教えた法則に則って目ぼしがついているので簡単なんだとバロウは言う。フォンも初めての頃は本当に大変だったと言った。
フォンはタイタニア族の中でも弓が上手い。彼が的を外したのは見たことがないという人までいるくらいである。かなり遠くの兎を一矢で仕留めた時はジルもさすがにびっくりした。
「そろそろ神様が見えてもいいな」
地図を取り出してバロウが呟いた。フォンは仕留めた兎の血抜きをしていて今は小休止中である。
タイタニア平原の地図は未完成といってもいい。平原の南の部分しか書かれていないのである。それでもジルたちの集落が移動する範囲を大きく上回る範囲が書かれていた。
「その地図はだれが最初に書いたんですかね」
何気なくジルが言った。代々の長老たちから受け継いだ地図である。タイタニア平原は神様が歩くために山もなければ大きな木もない。ところどころに川が流れている以外は平坦である。地平線もよく見える。
そのために目印となるものは少ない。それでも川を中心として少ない目印がきちんと書き込まれている。
もちろんタイタニア族は文字をもたないために記号や絵で示してあるのだ。劣化と紛失を防ぐために複写が繰り返されている地図は、集落のどの家族も持っている。
「大昔にこの平原を歩き回ったご先祖様がいたんだろう」
「ほんと、広い範囲が書かれてるもんな」
「まるで神様の上に乗っかって書いたみたいですよね」
「そうかもしれないな、それくらい広い」
ジルの言葉を冗談と受け取って二人は笑った。ジルも最初は冗談のつもりだったが、なんとなくそんな気がしてきた。昔、アリスに言われた言葉がジルの中で燻っている。
馬を進めていると、かすかにズシィィン、ズシィィンという音が聞こえてきた。神様の足音である。
「いつみてもデカい」
フォンはそう言う。これだけ距離が離れていても見えるのである。足元は地平線に隠れていて見えないというのにだ。
「よし、予想通りの方角に歩いている。このままだとテントの方にはいかないな」
あとは日が暮れる前まで神様と距離を保ちながら様子を見るのである。たいてい、一人が神様を見ていて他の2人が周囲で狩りをする。
干し肉とチーズは持って来ているが、狩ったばかりの動物を焼いて食べてよい事になっていた。これも時間がなければできない。
「俺が見ているから2人で狩ってこい」
バロウは即席の竈を作ると言った。ここからなら数時間は神様が歩いているのを確認できる。バロウは途中でフォンが狩った兎をさばき始めた。
「よしジル。どっちが多く狩れるか競争な」
「そんな、フォンさんには勝てませんよ」
「分かんねえよ、獲物が見えなきゃ矢は当たらんしな」
首をコキコキと鳴らしながらフォンはニヤッと笑った。つられてジルも笑う。ジルは実は負けるつもりはない。目はジルの方がいいからだ。
二人は全く別方向に馬を走らせた。ジルは南に、フォンは北である。
ジルには作戦があった。それは南に向かったことで半ば達成されている。
「神様から逃げてきた動物がいるからな」
向かって左側に神様が見えていた。ジルと同じく南に向いて歩いている。その通り道から逃げてきた動物を狙うのだ。
ジルが帰ってきた時にはまだフォンはいなかった。
「おっ、鳥があるじゃないか」
ジルは3羽の渡り鳥を仕留めていた。3人で食べるのならば1羽だけでも十分であるが、後は集落へ持ち帰るのである。
フォンが帰って来るまで二人は鳥を1羽だけさばくことにした。すでに先ほどさばいた兎は後は焼くだけの状態となっている。
「これはジルの勝ちだな」
バロウの予想どおり、フォンは兎を1羽だけ狩って戻ってきた。これも血抜きだけして集落へ持ち帰ることにした。
「さあ、食おう」
タイタニア族は食を平等に分ける。綺麗に3つに分けられた肉にはバロウが行商人から買い取った岩塩と香草がかけられて焼かれていた。
「美味い」
負けて落ち込んでいたフォンも食べ始めると機嫌が治っている。ジルもバロウが持っていた香草は初めての味であり、美味いと思った。今度、行商人が来たら聞いてみようと思っている。
「さすがに食べたらもう少し近寄ろう」
あっという間に肉を食べてしまうとバロウは馬に水をやり、それから神様に接近すると言った。まだもう少し神様の様子を見ていても集落に帰るには十分な時間がある。
ゆっくりと馬を走らせた。
「今回も、問題なくできたな。ありがたい事だ」
夕日が見え始めた頃にバロウがいった。それから3人は帰路についた。
翌日、羊の放牧から帰ってきたジルは、集落の様子がおかしいことに気づいた。知らない人間がいる。
ちょうどフォンが集落の入り口のテントの所にいた。
「フォンさん、何かあったんですか?」
「ああ、南からの使者だとよ」
南にはクレアニア王国という国がある。タイタニア族との関係は悪くない。隣国とは名ばかりで、クレアニア王国の端までには馬でも数日の距離が開いていた。間の作物が育ちにくい荒れ地に住まう民族はほぼいない。
「いったい、何の用で?」
「さあ、分からん。今は長老たちと話し合ってるよ」
まだ年若い自分は、使者と長老たちが話し合っている内容を教えてもらうことなどできそうにない。フォンのように一家を支えているならまだしも、完全に両親のもとで暮らしていた。まだ妻を娶る年齢でもなければ、長男であるジルはこれから年老いていく両親の面倒をみる義務があるために家族を離れられない。そのために長男は出席できないが、新しく家を構えた次男がいる会合などもあったりする。
「いたいた。おい、ジル。長老たちがお呼びだ」
そんないじけに近いことを思っていたところ、父親が呼びにきたうしろにはバロウまでいる。
「何の御用でしょうか?」
「何年か前にきたアリスさんについて聞きたい事があるらしい」
その名を聞いて胸がドキンとなった。嫌な予感がする。それが何かは分からない。
「分かりました。すぐに向かいます」
急いでしていた仕事を片付けて長老のテントに向かうと言うと、父親とバロウは先に行くと言った。
ジルには胸騒ぎの原因が分からない。いつの間にか握りしめていた首飾りを見つめる。誰も、この首飾りをアリスからもらったことは知らないはずだ。他の人間には草原で拾ったと言ってある。
アリスとの繋がりともいってもよいものである。ジルはそっとその首飾りを外して寝台の下にしまいこんだ。
「ジルです。入ります」
父親のテントには数名ずつしかいなかった。タイタニア族は長老が3人に、ジルの父親、バロウのみである。クレアニア王国は4人だった。
一番偉そうな人がいきなり言った。
「アリス=ヴィクトリアを知ってるな?」
「はい、7年前にここに来ました」
「何か物を残していかなかったか? 宝石だとか、指輪、あるいは首飾りのようなものだ」
首飾り、と聞かれて鼓動が強く鳴った。ジルの直感が何かまずいことが起きていると訴えている。
「いえ、何も。お仲間の遺品の中にあった外套ならもらいました」
外套は事実である。大きさが合わなかったのと、タイタニア族の羊毛製ではないためにあまり着ないが、最近になってようやく着ても違和感がなくなってきていた。羊毛では暑すぎる日に着ているから、集落の中では有名な話ではある。
首飾りと聞いて、他の大人はどう思っただろうか。特にジルの父親はジルがその頃から首飾りをしているのを知っている。草原で拾ったのを嘘だと思ったかもしれない。
普段は服の下にあって見えない。今の服装ならば首もとが見えているが、外してきたために長老たちやバロウは何も感じなかった。
「使者どの、もう良いでしょう。これ以上は訳を説明していただけなければ協力したくともできないじゃないですか」
長老の発言に、使者はやむなしといった表情をした。
「我が国の南にオレガノーラ王国という国がある。そこの魔術研究所の長が先ほど言ったアリス=ヴィクトリアだ。我々はオレガノーラ王国を攻め、一部を占領したものの決め手に欠けている。既に4年になるがなかなか攻め込むことができていない。そんな時に占領した街の研究所から、アリス=ヴィクトリアが7年前にここにきて巨人の研究をしていたことが分かった。我が国に伝わる古文書にもタクエスの巨人についての記載がある「タイタンの手綱」と呼ばれる魔石さえあればタクエスの巨人は操ることができる。タイタニア族もあのような何の役にもたたない神などいなくなった方が自由に生きることができるだろう」
あの首飾りを探している。ジルが感じたのは不安だった。対して長老たちは怒りを覚える。
「我らから神を奪い取ろうと言うのか!?」
「その神とやらがお前らに何をしたという!」
「この地に住んでいないお前らに何が分かる!?」
完全な口論となってしまったが、ジルの父親だけは冷静であった。
「長老も使者どのも落ち着いてくだされ、我らが争っても何の益もない。特に使者どのは務めを果たせないのではないでしょうか」
冷や水を浴びせられたかのように静まる一同とは対照的に、ジルは自分の鼓動を抑えることができなかった。
「ジル、とりあえずはその外套を持ってきなさい。もしかしたらその中にその魔石とやらがあるかもしれない。ただし、タイタニアの神がそんなもので操られるとは思わないことですな」
使者を射殺すかのように鋭いジルの父親の視線で、クレアニア王国の一向はたじろいだ。ジルの父親は立って、ジルに近づき肩に手を置く。
「ほら、行ってこい」
父親の目が何かを言っているのはジルには完全に分かった。これは首飾りを決して渡してはならないという事だろう。そして、それは口に出してはならない。
「はい、父上」
長老のテントから出ることができたのは幸運だった。あれ以上あそこにいたならば、全てを放してしまいそうなほどに息苦しかった。
首飾りは寝台の下である。それを取り出してどこかに埋めるべきかとも思ったが集落のところどころには使者についてやってきたクレアニア王国の人間がいるようだった。それに、なにかしら不振な行動をしているとばれてしまいそうである。
隠したこと自体は良かったと思うしかない。父上も気づいていてあえて何も言わないのだと、ジルは思う事にした。それであれば今は早く外套を持っていくだけである。それも疑われないように。
ジルはテントへ戻るとアリスに仲間の外套を持ってすぐに長老のテントへと戻った。
外套をくまなく調べた使者たちは、何も見つけられなくてため息をついた。
「そもそもアリス=ヴィクトリアがそんな貴重な品をここに置いて帰るのでしょうか。他の誰かが持っていて、神様の邪魔をした時に失われたかもしれません」
「その場所は分かるか?」
「7年も前の事です。すでに何度神様に踏まれたかも分からない地で、我らでも正確な場所は分かりませんよ」
ジルの父親の主張は正しいと使者も思ったのだろう。態度が少し軟化しているようだった。
「数日、ここを拠点に情報を集める。滞在の用意を要求する」
使者はそういうと、長老たちのテントに滞在するようだった。長老たちも力の差からクレアニア王国には表立って逆らうことはできない。
「ジル、首飾りは?」
「寝台の下に隠してあります」
使者たちとの話し合いが終わり、ジルは父親と共にテントへ帰ることになった。その間もクレアニア王国の人がジルたちを監視するかのように付いて来ている。ジルの父親はジルにだけ聞こえるように話した。
「絶対に渡してはならん」
「分かりました」
首にかけるわけにはいかないが、どこかに忍ばせておいて集落の外に出る時に隠してしまうのがいいかもしれない。ただ、その現場を見られるわけにはいかないから焦りは禁物である。狩りに出る時がもっとも遠出できる。地図にある目印の近くならば、いつか取りに帰ることもできそうだった。どこかに埋めてしまわなければ、本当に神様が操られてしまうのではないかという不安がジルにはある。
それはアリスが神様の歩く方向を言い当てたことが根本にあった。神様は神様であって魔術師が作り上げた巨人ではないという思いが崩れていた。もしかしたら、いや、本当はアリスの言うことが正しいのだろう。だけど、戦争の道具にするという人間に神様をゆだねるわけにはいかない。
「いっその事、どこかに捨てるか壊すかしますか?」
ジルとしてはアリスとの思い出が詰まった物であり惜しい気もする。だがタイタニア族の将来とは比べようもなかった。そんなジルに対して父は意外な事を言った。
「持っておけ。お前ならば力を間違った方向に使うこともない。もし、それで神様を操ることができたとしても、悪いようにはならないだろう」
すでに父親はジルを認めていた。そしてアリスの話を完全に無視していたわけではなく、父親なりに考えていたという事だろう。神様が魔術師の作り上げた巨人であろうとも、タイタニアの神様だという信念は崩れなかった。
だが、この二人の思いは実ることはなかった。
「アギュレイ様! 見つけましたっ!」
「返してよ! それはジル兄のなんだからっ!」
アギュレイと呼ばれた使者はその声を聞き、長老のテントを出てきた。クレアニア王国の人間が握っているのはジルがアリスからもらった首飾りである。それを返すように訴えているのはジルの妹だった。ジルが首飾りを寝台の下に隠すのを見て、興味が沸いたのだろう。
11歳の少女が首飾りに興味を持つことはむしろ自然である。ジルが帰ってくるまでに戻しておくつもりだった妹は、それを付けて外に出た所をクレアニア王国の人間に見つかってしまったのだ。
「ほう、やはりあったか。よし、巨人の所まで行くぞ!」
すでにアギュレイはタイタニア族を無視して行動を開始していた。十数人いたクレアニア王国の集団は東へ向けて集落から出て行った。その方角はおそらくは神様の歩いている方角である。
何事かと出てきた他のタイタニア族や長老たちへジルの父親が簡単に説明をした。アギュレイは首飾りを隠し持っていた事を恨んでここを襲うだろうかといった意見が出ていた。
「あの首飾りで神様を操ることができると思うか?」
バロウが言った。彼もアリスが言い当てた神様の歩く方向が正しかったことを身をもって実感している一人である。そうでなくてもアギュレイがクレアニア王国へと帰ればタイタニア族との関係は悪くなってしまうだろう。さすがに報復に来るとまでは思わない者も多かったが、不安がある。
「長老、とりあえず様子を見に行かせて下さい」
バロウは馬を引いてきた。
「バロウよ、一人では危ない。何人か連れて行け」
「分かりました。フォン……あと、ジルを連れて行っていいか」
たまたま昨日神様の様子を見に行った面子である。弓の上手いフォンと、首飾りの持ち主だったジルを選んだ。ジルの父親もそれに許可を出した。
「バロウ、頼んだぞ」
ジルの父親はそう言ったあとにバロウに耳打ちをした。バロウはそれを真剣な顔をして聞いていた。
「父上はなんて…………?」
「よせ、まずは出てからだ」
バロウはジルとフォンと話そうとはしなかった。3人は馬を走らせて東へとアギュレイたちを追った。
集落のテントが見えなくなるくらいでバロウが馬の速さを弛めた。話があるようだ。
「フォン、ジル。多分、お前たちはこのまま行けば次の世代のタイタニア族を引っ張っていく立場だ」
何故今、このような事を言うのか、ジルには理解できない。フォンは黙って聞いている。
「お前の父も、俺もあの首飾りが神様を操る可能性があると考えている。もし、あのクレアニアのやつらが神様に何かしてしまえばタイタニア族が危険になるんだ。だから…………」
バロウは少しだけ声を落とした。
「だから、あいつらを生かして帰さない。もちろん、神様にはなにもさせない。この事を知るのは4人だけだ。分かったな」
フォンは頷くと無言で弓を持ち直した。
「待って下さい。殺すのですか?」
「ああ、殺す。全ては族のためだ」
ジルの知らないバロウがそこにいた。そしてその指示はジルの父親からだった。あの優しい父親がそんな事をと思うが、全ては族のためと言われて、納得しそうになる自分がいる。
「族の他の人間には絶対言ってはならない。長老にもだ」
温厚なタイタニア族らしくない考え方である。だが、族の率いるという事がいかに難しいかはなんとなく分かった。次世代の代表として、選ばれたはずであるが、嬉しさはほぼなかった。
「アギュレイだけじゃない、1人も生かしておいてはならない」
そう言うとバロウは馬の速度を上げた。鎧を着こんだクレアニア王国の使者たちにはいずれ追い付くだろうが、神様がどこを歩いているかが分からなかった。
「遠巻きに射てば奴らの弓は届かない。大丈夫だ、ほとんど俺がやってやるよ」
年下のジルを気遣ってフォンが馬を寄せた。狩りの時の飄々とした表情とは違い、フォンも真面目な顔をしている。
「いえ、これが必要な事だとは分かっています」
ジルは覚悟を決めた。人を射ったことはない。だが、タイタニア族のためにできる事をしなくてはならない。
「しかし、3人でやれるのでしょうか」
ジルの懸念はそれである。いくら他のタイタニア族に分からないようにと言っても達成できなければ意味がない。
「大丈夫だ、それは問題ない」
フォンは自信たっぷりに言った。それが自分を不安にさせないための虚勢だと、ジルは思った。実際にフォン自身も足の震えが治まっていない。だが、彼としては年下のジルという存在があった事でなんとか平常を保っていた。
「見えたぞ。……読まれていたか」
バロウが指差した先にはクレアニア王国の人間が10人ほど待っていた。
「集落に来たのは17人、まだ他にいる可能性を考えてもあれば我らの足止めだろう」
バロウが弓をつがえる。慌ててジルも弓を取り出した。フォンは、最初から弓を持ったまま疾駆させていた。射程に入ったために弓を引く。バロウが先頭の男を射抜いた。フォンの矢があとに続いた。
「ためらうな」
その言葉がなければ矢は飛ばなかったのではないだろうか。石のように硬直した指が何故離れたのか。感触はいつもと変わらなかった。そして矢の軌道もである。
ジルの矢は初めて人の命を奪った。
「近づきすぎるなっ!」
そのまま突っ込もうとしていた所をバロウに止められた。まだ、相手の射程ではなく、複数の矢がジルたちの前方の地面に突き刺さる。フォンの矢がもう一度放たれた。
タイタニア族の男は弓の名手である。それも幼少期から狩りで鍛えられ、遺伝的に弓に優れた者を多く輩出している。その中でも特に優れている方の3人であった。クレアニア王国の護衛ごときが束になっても敵うはずがないのである。劣勢を悟った護衛たちは盾を構えて防御の陣形を取った。
その盾にフォンの矢が突き刺さる。強弓とも言えるフォンの矢は金属であろうが貫き通した。前衛が崩れたのを見て、ジルもバロウも射掛けた。だが、致命傷とまではいかない。
それでも盾の隙間などから少しずつ急所に刺さる矢が増えていった。
「まずいな」
矢は有限である。いくら相手の矢が届かない距離から撃っていても矢が切れてしまったら近寄るしかない。タイタニア族は近接の武器はナイフ程度しか持たないのである。
それでもバロウが最後の10人目を射抜いた時にはまだ矢は残っていた。
「回収できる矢は回収するんだ」
「ジル、お前はいい。休んでろ」
初めて人を射抜いたジルを休ませてフォンが手早く矢を回収した。半数をジルへと渡す。
ジルは震えを止めることができなかった。殺すしかなかったのだろうか。覚悟を決めたはずなのに。だが、事態はそれを許してはくれない。
更に東へと進んだ。
「思ったよりも時間がかかった」
バロウが焦っている。昨日の神様の歩き方から予想すると、アギュレイたちはすでに神様の許へとたどり着いているかもしれない。あんな巨大な神様が操られるわけがないという思いと、もしかしたらという感情が3人をさらに焦らせた。だが、馬は焦ったからといって速くなるわけではない。
そのうち、神様の足音が聞こえてきた。更にはその巨体が遠くに歩いているのが見える。
「間に合え!」
まだアギュレイ達は見えない。神様の足元にまではたどり着いていないのだろう。
「ジル! 見えるか!?」
3人の中で最も目が良いのはジルである。
「ええ……、いました! まだ馬で走ってます! 数は……7!」
「よし、他の経路で南に向かった奴はいなさそうだな!」
集落に来ていたのは17人、先程射殺したのは10人だった。計算上の数は合う。
7人がこちらに気づいたようだった。3人が反転してくる。フォンはその先頭の男を真っ先に射抜いた。まだ向こうの矢は届く距離ではない。そのために3人は馬を進めずに矢を放つ。
もう1人がバロウの矢を受けて馬から落ちた。
ジルは迷っていた。矢を撃ちたくはないが、しなければならない事だと自分に言い聞かせる。
相手が射程に入ったようだった。矢が飛んでくる。まだ距離があるためにそれは見えていた。まっすぐ飛んでくる矢をなんとかかわす。そしてジルは矢を放った。
ジルの弓も強弓である。ほぼ父親のものと変わらないそれは、クレアニア王国の護衛の首に刺さった。
「よし、急ぐぞ!」
バロウとフォンが馬を駆けさせた。ジルも跡に続く。
吐き気がしそうだった。前の2人がいなかったらできなかったであろう事を自分はしている。
父上はこの事をどう思うだろうか。ジルはそっと首元の首飾りを触ろうとして、それがない事に気づいた。少年期からずっと身に着けていた首飾りである。ジルが集落の皆から認められているのも、アリスのおかげであると感謝をし、その繋がりを大事に生きて来た。
取り返したい。そう思った。首飾りはアギュレイが持っている。アリスはあれを握りしめて念じると言っていた。クレアニア王国には他にも必要なやり方が残っていたのかもしれない。アギュレイを神様に近づけては駄目だとはっきり感じた。
残りの4人のうち3人が反転した。先ほどまでの護衛とは違って立派な鎧を付けている。おそらくはアギュレイの精鋭だろう。アギュレイのみが神様へと馬を進めていく。
「行かせるな!」
フォンが矢を放った。しかし、それは精鋭の盾に防がれてしまった。続けざまに矢を放つが、どれも盾で防がれてしまう。先ほどまでの護衛とは実力が違った。
「どうします!?」
「馬が一番早いのはジルだ!」
フォンが言った。ジルは何を言われたかが分からなかった。
「ジル! 大きく迂回してアギュレイをやれ! それまでこいつらは俺たちで行かせないようにしておくからな」
「はい!」
返事をしてから気づいた。これから先は一人でやらなければならない。だが、身体は先に動いていた。指示通りに大きく迂回し始める。
護衛の一人がそんなジルを追おうとした。しかしフォンの矢がそれを阻んだ。
「行け! ジル!」
「よし、フォン。我々タイタニア族としては不本意だが、馬を射るぞ。俺たちが死んでも馬がなければこいつらはのたれ死ぬ」
「分かりました、バロウさん!」
ジルは大きく息を吸った。神様のかなり近くまで来ている。アギュレイはすでにもう少しで神様の所へと到達するだろう。
首飾りを握って、掲げるに違いない。その手を狙う。首飾りが壊れてしまっても構わないと思った。
「アギュレイ!」
アギュレイが振り返った。明らかに舌打ちをしている。
「さっきの餓鬼か! だが残念だったな! もう遅い!」
神様は見上げるほどの所にまで来ていた。動かない的であればすでに射程の中である。しかしアギュレイは立派な鎧を付けているし、馬はかなり大きな馬であった。どちらも一矢で倒せるとは思えない。
「さあ、タクエスの巨人よ! これがタイタンの手綱だ! 私の命令を聞くのだ!」
アギュレイが馬を駆けさせながら首飾りを掲げた。
ここしかない。ジルは矢を放った。
しかし、矢はそれた。それまで風が吹いていたのだ。神様が歩く足元には常に風が吹いていた。あれほどの巨体が動くためだった。
だが、神様は止まっていた。そのために風の向きが変わった。矢は外れた。
そして、神様の槍が振り払われた。
「馬鹿な!」
アギュレイの最期の言葉はそれだった。槍はアギュレイに直撃はしなかったが、近くの地面を抉った。石礫というにはあまりにも巨大な石がアギュレイの頭部をえぐった。馬ごと吹き飛ぶアギュレイはジルの近くにまで飛んできた。その右手の指には首飾りが絡まっている。
「神様が!」
吹き荒れる土煙の中、ジルは神様の動きが明らかにおかしいという事に気づいた。それはジルを邪魔だとして払おうというわけでもなければ、また歩みを始めようとする動きでもない。
「……なんで?」
『所定の回数以上の暗号の誤入力を検知。無資格者からの命令と判断。一次緊急防御態勢へ移行』
神様の声をはじめて聞いた。ジルには意味が分からなかった。誰に向けて発せられた言葉なのかも分からない。だが、何か恐ろしい事が起こったという事だけは直感していた。
地響きがする。神様の周りだけではなくタイタニア平原全体が揺れているようだった。
そして、それは例えではなかったのだろう。実際にタイタニア平原のいたるところで地震が起きていた。その正体はすぐに分かった。
ジルのいる場所からでも、2か所の土の盛り上がりが見える。それは神様と同程度の大きさの何かが地面から起き上がっている光景だった。至るところで何かが立ち上がる。
「こんなに沢山の神様が……」
足元が見えないほど遠くでも、神様が起き上がってきたのが見えた。その数は無数といってもいい。タイタニア平原全部に神様は埋まっていたのかもしれない。
『攻撃を検知もしくは資格者からの暗号入力がなく所定の時間を経過すると二次緊急防御態勢へと移行します』
あまりの異常事態にジルは考えがまとまらない。
この世の終わりなのかもしれない。これだけの神様がもし、暴れたりしたら。
そっと首元に手がいく。それがこの数年のジルの癖だった。
だが、そこに首飾りはない。
すぐ近くに、アギュレイだったものが転がっていた。馬から降りてそこに近づく。ジルはこの事態をどうにかできるなんて思ってもいなかった。
ただ、単純に心のよりどころが欲しかっただけである。
アギュレイの指から首飾りを取った。それを首にかけると数時間していなかっただけなのに、ずいぶんと久しぶりのような感触があった。首飾りを握る。こんな極限の状態でもひとつだけ思い出すことがあった。こんな状態だからこそ思い出したのかもしれない。
「ほっほっほ、当たり前だね。神様も当たり前の事をするんだよ。さあ、おまじないも教えよう」
「おまじない?」
「そう、神様は目がないからね。耳で聞くんだよ。こう言うんだ……」
「PASSWARD TITAN EMERGENCY SYSTEM RELEASE」
いつか神様の足元をすり抜けた際に唱えたおまじない。これは長老からの伝承でタイタニア族全てが言うことができる。と言っても意味など分からない。そしてそれを発音するだけだった。
タイタニア族に生まれたジルがこのような行動を取ったのは自然な事である。すでに、おまじないにすがるしか方法がなかった。
それまで直立していた神様たちが一斉に地へと戻っていく。それだけでもかなりの土埃が舞った。タイタニア平原は砂嵐に見舞われたかのようになっている。
ジルは馬とともにその砂嵐なのか土埃なのかが治まるまで耐えた。それしかできなかった。
***
「本当に久しぶりね。大きくなったわ。もう立派な大人ね」
「アリスさんの言ってたことは全部正しかったのかもね。あれが僕たちにとっての神様だという所も全部含めて」
タイタニア平原に出現した無数の巨人の噂はあっと言う間に世界を駆け巡った。タイタニア平原で歩行を止めないタクエスの巨人を操る事はすでに不可能であるとオレガノーラ王国魔術研究所長のアリス=ヴィクトリアが証明している。すでに「タイタンの手綱」に魔道具としての効力はなく、タクエスの巨人の前にそれを持って立っても敵と認識されるだけであるという実体験を発表したのだ。
その「タイタンの手綱」は世間的にはオレガノーラ王国で保管されているという。
ジルはオレガノーラ王国まで旅をしていた。表向きはクレアニア王国の使者であるアギュレイが神様の邪魔をして護衛16名とともに死んでしまったという報告をクレアニア王国に伝えるという役目の一人であったのだが、クレアニア王国まできたジルの父親はジルにこのままオレガノーラ王国まで行ってこいと言ったのである。見分を広めるという意味もあり、この騒動の幕引きをしてこいという意味もあったのだろう。ジルは一人で南へと向かった。
明らかに北の少数民族であるジルがアリスを訪ねてきたと言った時に、魔術研究所の門番は追い返そうとした。アリスにジルという名を言えば分かるといったところ、本当にアリスが出てきたために門番は驚きを隠せなかった。それほどにアリスはオレガノーラ王国ではなくてはならない存在とまでなっていたのだ。
この国は戦争が続いていると言う。
「7年前もどこかと戦争をしていたよね」
「そうなのよ、その次は4年前からクレアニア王国とよ。本当に嫌になるわ」
だが、休戦協定が結ばれる予定なのだという。お互いに疲弊していて戦争どころではないのだとか。
「僕には分からないよ。……いや、分かるかもしれない」
必要な事とは言え人を射抜いた感触はジルの手に残っていた。戦争をする人たちも同じ思いの人がいるに違いない。
「タイタニア族と戦争しようなんて国はないわよ」
アリスは笑った。
「その方がいいよ」
ジルも笑った。
「今度またタイタニア平原へ行っていいかしら。今は無数の神様が横たわっているんでしょう?」
「そうなんだよ、もう平原なんて言えない状態だよ」
一人だけ歩いている神様は他の神様の上を歩こうとはしなかった。だからタイタニア族は横になっている神様の近くにテントを張ることにした。土埃で放牧に使う草が少なくなったけれども季節が良かったのかすぐにそれは増えだした。今では神様の上に生えてくる不届きな草まである始末である。
もう昔のタイタニア平原に戻ることはないとジルは思う。それでもタイタニア族はそこで暮らし続ける。
神様を神様と思って敬いながら生きていくのだ。
だけど、とジルは思う。
「ぜひともタイタニア平原に来てよ。今度来た時には神様の上に乗せてあげる。眺めがいいんだ」
ジルは首飾りを持って、プラプラと振った。
もうあの巨人を神様と思う事はないのだろうな、と。




