【こらむ】シェアリング社会
「所有すること」
それ自体、財産や地位の証しであり、
喜びや価値そのものである…
という考え方は、今も根強いようです。
しかし、何が起こるかわからない、
「致命傷が多発する時代」には、
それが最良とは言いがたいのではないでしょうか?
日本のどこに住んでいても、
さまざまな天災や人災から逃れられず、
最悪、所有財産すべてを失うかもしれません。
それに対して、
個人があらゆるリスクに備える事などできませんし、
一般市民が「所有につきまとうリスク」を負うのは、
荷が重過ぎはしないでしょうか?
そこで、考えてもらいたいのです。
人生の豊かさに、
「モノを持つ事」が必要なのか?
成熟した消費社会では、
必要に応じてコスパを調整できる「シェア」の方が、
有利なのではないか?
ヒトが一番重要なのは疑いないとして、
それ以外のモノ、カネ…
仕事、預金、車、家などの財産が固定せず、
「流動性を持つ事→シェア」は、
リスク管理上の大きな利点となります。
貸し手または経営者となる国や富裕層が
一括してリスクを負う方が、
全体的な損傷を減らし、
結果的に社会のダメージ耐性が増し…
立ち直りが早くなるのです。
VGの施政下では、流動性の広域化…
言い換えれば「シェアリングの発達」によって、
社会の効率化を図る試みが進んでいます。
職業は経営と中間管理のAI化によって、
高い流動性と公平性を確保し、
要望に応じて融通が効くようになりました。
交通はRATを初めとするシェアリングが一般化し、
安全性向上と規模縮小による無駄の削減、
ひいては環境負荷の低減まで実現しつつあります。
住居も、管理しきれずに放棄された廃墟が没収され、
国によって多数処分されたあと、
再開発は所有でなく賃貸志向で進んでいます。
これは災害復興の個人負担軽減にも大きく貢献しています。
食、教育、医療は基礎支援となり、
民配によって国富を再配分する事も、
ある意味、社会資産のシェアと言えるでしょう。
昔、江戸時代には、
多くの財産が「シェアリング」されていたそうです。
貧しさからの必要だったとも言えますが、
意外なほど、豊かな暮らしぶりだったとも
伝えられています。
それが資本主義、市場経済の発展で
大きく変化した。
しかし、一回りしてまた、
「シェアリング」が有効な時代が訪れています。
これも、ひとつの
「温故知新」なのかもしれません。
社会の進歩や状況の変化が、
解決策を過去に求める事は多々あります。
新しい事に必ず解決策があるとは限らず、
むしろ過去の事例がヒントになる事は良くあります。
「古きを温ね、新しきを知る」
勇気を持って行ってほしいと願います。
AIの力を活かして、
世界に羽ばたきつつある今こそ、
古き良き伝統や考え方を学び直す時です。
自国の伝統を良く知り、お国自慢くらいできないと、
国際化の時代、真に世界とは渡り合えないのですから。
[中2副読本
「フリーライフの基礎知識」6章より抜粋]




