【社説】選挙がなくなった社会
歴史を見ると、民主主義と独裁政治とは相容れないように見えるが、それは両方をこれまで人間がやっていたからだ。
社会に遍く普及したIoTが社会現象の多くをビックデータとして洗い出し、それら複数のデータからVGが視点・解釈の複合した立体的な仮説を立てる。
それを元に起こされた問題提起が、ネット上で不特定多数によって論議され、昇華されていく。その過程で十分話がまとまれば、喫緊の課題は施策立案に移る。
社会に与える影響が大きく、意見が対立する課題では住民投票が行われる。結構、頻繁に、同時並行的に。
その時点で論点はかなり絞られている上、複雑でややこしい議題は議論の過程で複数の議題に分解されている。ゆえに投票時点では2〜4択になっているのが常だ。
投票はネットで行われ、リアルタイムで公開される。ナギ・ナミによる音声入力で操作性が上がったため、年齢による得手不得手はほぼ解消された。また、一案件の投票期間は一週間ほどあるため、全年齢で有権者の投票率は高い。
その結果は直接、施策に反映される訳ではなくVGの参照データを補強するだけなのだが、過程と結果が公開されているデータが軽く扱われた事はない。
つまり、ネットによる直接民主制を、独裁官であるVGが取り仕切り、隙なく実現していく体制なのだ。
人間には不可能なレベルで行政・立法を掌握しているVGが、国民の要望を捉えて対策を作る過程に、もはや人間は必要ない。
むしろ判断ミスや遅延などのヒューマンエラー、自己保身や汚職などの迷走を始めとする「人間ならではの問題」が一掃された。
「一票の格差」とか「政党の離合集散」とか「論点の不明確な選挙で国民の信を問う」とか、「多数決ひとつ満足に実現できなかった過去」など、もはや悪い夢としか思えない。
無論、無制限に自由という訳ではないが、どうせなら納得できる内容で制限されたい。VG体制下での義務と権利は、今のところ納得いく内容だ。
のみならず、その判断も人間よりずっと信用できる。「住民投票の判断をVGに委任する設定」にしている有権者は半数を優に超えた。
過半数だからと言って強行採決したりはせず、大抵は対立者の気が済むまで議論を重ねる。無限の知力・体力を持つ超AIは我慢強さもつきあいの良さも超人級なのである。しかも、その日のうちに折り合いをつけてしまう事が多い。
心ある元政治家は熱心に住民投票へと参加し、支持者も彼一人支えればいいから社会的負担は極少化された。その負担にしても、心配性な人向けの保険みたいな物なのだが。
かくして、政治の話題がニュースを賑わす事はなくなった。
街頭演説や選挙カーの喧騒もない。政治のために公費が浪費される事も、汚職や保身絡みで予算を食い潰す事もない。選挙につきあっていた膨大な時間が建設的な議論や勉強に割り振られるようになり、有権者の当事者意識も高まったという。
「信用して裏切られる事」を心配するのなら、人工知能より人間の方がよほど信用できない。それは今や、国民の総意と言っても過言ではないだろう。
[済経新聞 二〇X七年九月三〇日朝刊]




