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俺は何かを失う

 チリーンッと鈴が鳴った。そしてガチャンッと勢いよく扉が閉められる。総司さんと雪菜は事務所から出ていった。


「...なぜ依頼を取り下げた?」


 隣で滝川 総司の個人情報が書かれた紙を見つめている親父を睨みつけた。親父は悪気がないかのように、ニヤリと笑っている。


「そう怒るな。おかげであの男の個人情報が手に入った...前々から調べても調べてもまったく手に入らなかった貴重なもんだぜ?」


「たかがその程度のもので...」


「情報にたかがもクソもねぇよ。これは立派な情報だ。ほらこれ、見てみろよ」


 親父が手にしている紙をのぞき込む。ここだ、と恭治が指さした場所は、経歴の書かれた部分だ。そして、卒業した大学名を見た。


「...譚帝大学」


「そう。俺が卒業した大学だ。しかも、見てみろ」


 次に指を指したのは、年齢の部分。


「俺と同い年だ。しかし、二年目の時に辞めてる。調べればまだ何か出てくるかもしれない」


「...それで、調べてどうする? アイツに何がある?」


「俺は、大学じゃそこそこ有名だった。色々な人と話したさ。探し物だとか、そういった依頼もこなした。同じ学年の奴は、ほとんど知っていたと言っても過言ではない。前に話をしたな? 男共で同じ学年の連中で作られたグループラインがあった。だが、俺は滝川 総司なんて見た事も聞いたこともない」


「...大学には人が沢山いる。一人二人知らない人がいてもおかしくはないだろ」


「引っかかるんだよ」


「...またアンタのお得意の勘か? いい加減にしてくれ。そんな不確かなもんと彼女、等価だと思ってんのか?」


 彼にしては珍しく苛立たしげで、恭治に向かって反抗的だった。恭治は表情を崩さずに、晴大に告げる。


「何を焦る必要がある?」


「別に、焦ってなんかない」


「なら何故そこまで彼女に固執する? 気持ちはわかるが、今は落ち着け。お前の役目を忘れたか?」


 晴大の睨みつける目が更に鋭くなる。眼鏡の奥から覗く瞳が、力強く、それでいて鈍く光っているように思えた。彼は両手を握りしめながら答えた。


「...わかっている。だが、アイツは...雪菜は...」


「......忘れろ。仕事に戻れ。お前の役目はまだ終わっちゃいない。今日はもう寝て...明日、バイヤーの場所に行ってこい」


「..........」


 返事の言葉はなく、彼はその場から立ち上がって家の方へと向かう。苛立ちと、悲しみ。その両方が混ざっているように見えた。扉を開けて事務所から出ようとする晴大の背中に、恭治は言った。


「今日は出歩くなよ」


 返事はない。彼はそのまま奥へと消えていった。



〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜



 夜。表通りには沢山の人が出歩いている。電光掲示板が目を痛めそうなくらいに光っていた。スーツ姿の男性、老いた男性に腕を組んで歩く女。布面積が少ない服で宣伝をする女。車はさほど通らない。ただ...夜とは思えない明るさと五月蝿さだった。


「..........」


 彼は裏通りに向かって歩いていく。一度入ってしまうと、五月蝿かった表通りがどこか遠く感じてしまう。黒一色の服に身を包んだ彼は暗がりの奥へと進んでいく。


「止まれ」


「..........」


 不意に声をかけられて止められた。暗がりから三人の男が歩いてくる。図体がデカい。武器を持っている。様々だ。裏通り。裏路地とも言えるこの場所は、双方を壁に囲まれており、進むか戻るかの一本道しかない。必然的に、進むためにはこの男達を何とかするしかなくなった。


「何のようだ? てめぇみたいのが来る場所じゃねぇ。さっさと帰るんだな」


「..........そうか」


 ククッ...フククッ...と笑い声が漏れた。


「おい、何笑ってやがるんだ」


「いや...ね...」


 彼は笑った顔を浮かべたまま、男達を見て言った。


「今の俺は...ちょいと不機嫌でなぁ」


「むっ...!?」


 男が目を見開いた時には、目の前に既に彼がいた。すぐに後ろに下がろうとするが、男は腹部に熱いものを感じた。


「がぁっ...!?」


 熱いものが入ってきたと感じると、次に痛み。そして次は冷たく感じた。鉄だ。鉄が体を掻き回している。腹に突き刺されたそれは力づくで横に切り抜かれ、そのまま腕を切りつけられた。


「...俺のストレス発散のために、死ねよ」


 逆側の腕を斬られた。切る、ではなく斬る。切断された腕は地面に音を立てて落ち、断面からは止めどなく血が溢れ出る。


「うっ、あ...」


 後ろに控えていた男達は、逃げようとする。だが...


「どこに行こうとしている?」


 上から声が聞こえた。自分の体に重みを感じ、地面に叩きつけられた。そして、背中を一刺し。悲鳴をあげる。だが、その悲鳴は...夜でも五月蝿いこの場所では誰にも聞こえない。


「やめてくれ、謝る。謝るから命は...!!」


 腰を抜かした最後の一人。彼は、笑ったまま近づいていき...


「嫌だね」


 額から顎にかけて切り裂いた。悲鳴が上がる。謝る声が響く。助けてと叫ぶ声がする。


 肉が裂けた。骨が折られた。指を切り離された。腹を刺された。腕に切れ目が入った。目の前が暗くなる。それでも男は声を絞り出した。


「...死に...た...くな...い...」


「..........」


 蹴り飛ばした。男はもう動かない。血だらけのこの惨状。裏通り。佇む男は彼だけ。


「..........」


 彼は先へと進んでいく。暗がりの奥へと。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜



 裏通りを抜けてきた先にあったのは、とうに潰れたアパートのような場所。手入れなんてされてない。ただその一つだけがポツンと建っていた。クモの巣が張り、鉄の部分は酷くさびている。そんなアパートに一つだけ綺麗な場所があった。その生活感のある扉の前に立ち、コンッコンッとノックした。


「入りなよ」


「...失礼する」


 奥から聞こえてきた、低い女の声。彼は扉を開けて中に入っていく。進んでいき、部屋の奥には座布団と炬燵だけが置かれた部屋があった。その炬燵には女が一人入っている。茶色が明るくなったような、オレンジ。そんな髪色で、肩甲骨辺りにまで伸びていそうな長さの髪を持っている。顔立ちは、美人だろう。歳もまだ若い部類に入りそうだ。


「なんだ、まだ若いのにこんなのに手を出すの?」


 女は手に持った白い粉の入った袋をヒラヒラと見せるように降った。アンタもまだ若そうだが、という言葉を飲み込んだ。彼はそんなことを気にせず、とりあえず適当に座布団に座り込んだ。


「通り道、男共に護らせてたんだがね...アンタみたいなのが来ないように。ふらっと迷子が来ても追い返せるようにさ」


「...降り掛かった火の粉は振り払う質でね。多少乱暴ではあったが、鎮圧させてもらった」


 彼が持ってきていた鞄の中からあるものを取り出す。それを見た女は、へぇ...と声を出して目つきを鋭くした。


「何処でこれを?」


「以前に麻薬常習犯とやり合ってね。そん時くすねさせてもらった」


「これがどんなものかも知っていて?」


「まぁ...当時は知らなかったがね。今となっては...いざという時の対抗手段だ」


 女はふーんっとつまらなそうに声を出し、続いて質問をした。


「ここがどんな場所かもわかってて、私が誰かもわかって来たわけだ。じゃあ聞くけど...何をしにここに来たの?」


「買い物じゃない。ちょいと話を聞きたいだけだ」


 彼は手に持った白い紙、フォームを見せながら言った。


「これを売り込んだ、もしくは製造した奴を知っているか?」


「守秘義務ってのがあるんだけどね。それを話すわけにはいかないよ」


「......そこを、何とかならないか?」


「ダメだね」


 ダメで元々。それはまぁ仕方のないことだった。彼は鞄にフォームをしまい込んだ。


「君みたいのが麻薬に手を出したりするなんてね...世の中悪くなったもんだ」


「...いつの世も、だろう。平和な時なんてきっと...原始時代かそこいらだ」


「手と手を取り合ってマンモス狩ってる時の方がまだ平和か」


 女が笑う。彼はそれに苦笑いで答えた。


「君みたいな若い子に勧めてるのがあるんだけど、これとかどう?」


「いきなり商売を進めるのか...」


 女が取り出したのは、一枚の赤い紙。見てくれは、フォームの色違いといったところ。女はそれを彼に見せつけながら言った。


「買う? 今ならいい情報、つけちゃうけど」


「..........」


「きっと、あんたに有益な情報になりそうだけどねぇ」


「...チッ、商売人め......」


「ひひ、こうでもしなきゃやってられないからね」


 女はバイヤーと同時に情報を売る情報屋としても動いていた。だから彼はここにやってきたのだ。彼女の持っている情報には、確かに価値があるのだろう。


「...幾らだ?」


「1万5千よ」


「...安くないか?」


 麻薬はたったの1gで3万〜5万するものもある。それと比較したら、だいぶ安いものだろう。


「コレ一枚だけじゃあまり効果ないものだからね」


「ならなんで買わせようとするんだ...」


 財布を取り出して、なけなしのお小遣いを差し出した。それと引き換えにその赤い紙を受け取る。女は笑いながら言った。


「君みたいな子供が欲しがるんだよ」


「...効果は?」


「ダウン系...って言われちゃいるけどね。何かの効果を反転、もしくは変化させるのがコイツだ。名前は『バース』って呼ばれてる」


「...『birth(バース)』」


「んで、ここからはお客様特典。それね、フォームを作った奴と同じ奴が作ってんの。売り込みに来たのもそいつ」


「...んで、そいつは?」


「さぁ。顔隠してるし、わかんないかな」


 ...後一歩。そこまで来て情報がなくなってしまった。となると...あと一つだけ、やらなければならない事がある。


「なぁアンタ、パソコンはできるか?」


「アンタじゃなくて、隠者(ハーミット)。それが私の名前」


 彼女のバイヤーとしての名前。隠者、ハーミット。隠れる者。俗世から隠れて平穏な暮らしを望む者、といった意味だ。


「...ハーミット。先程の質問に答えてくれ」


「んー、まぁ一応できるよ。で、それがなに?」


「...こいつのプロテクトを解除できないか?」


「これは...どうだろうね...」


 彼が取り出したUSBをみた彼女はパソコンを持ってきて、USBを差して画面を睨みつけた。


「...ふーん。ま、出来なくもないかな」


「本当か!?」


「えぇ。けど...やるからには対価ってものが必要だって知ってる?」


「...まぁ、仕方がない。こっちとしても死活問題なんだ。幾らだ?」


「しめて五十万かな」


「はぁ!?」


 彼が素っ頓狂な声を上げる。女は不敵に笑いながら、当然でしょ? と彼に言った。


「私の仕事じゃないし、第一結構面倒なのよ、これ」


「ぐっ...」


 手持ちに五十万は流石に持ってきていない。これを解かなければならないのも事実。ここは一旦事務所に戻ってお金を調達するべきだろう。


「...一旦金を取りに戻る」


「まぁまぁちょいと待ちなよ」


 立ち上がって帰ろうとすると、女に呼び止められた。女は笑いながら彼の顔を見て言った。


「...君ってさ、案外悪くないよね?」


「...いきなり何を言う?」


「いやね...ちょっと試したいことがあるんだ」


 女が取り出したのはフォームとバース。その二つを重ねて、彼に差し出した。


「薬物相互作用。それを意図的に起こせるバース。じゃあ、この二つを同時に使ったらどうなるのか?」


「...実験体か?」


「そうなるかな」


 女が不敵に笑っている。フォーム...あの忌々しい痛みを思い出せずにはいられない。しかし、それを反転、変化させたとして...一体何の効果が予想される?


 ...それを服用するのは、少しばかり躊躇われた。


「知りたいんでしょ? けど、お金もない。なら...ね?」


「......わかった。その申し出を受けよう。ただし、それで解除できなければ...」


「大丈夫大丈夫。その点に関しては心配いらないよ。ささっ、それを同時にぐいっと」


 半ば押し付けられるように渡された、重ねられたフォームとバース。軽く一息吐ききってから、意を決して口の中に放り込み、飲み込んだ。


「..........?」


 特に、なんともない。少なくともフォームの効果は現れていない。


「ふふ...」


 目の前で女は笑っている。


「......ッ!?」


 突然、身体が熱くなってきた。燃えるように熱く、それでいて頭が軽くぼうっとする。感覚や神経といったものが研ぎ澄まされ、立っていることすら困難な状態に陥る。


「なん、だ...これ...」


「...まぁ、対価としては上等よね?」


「アンタ...何を...」


 女が近寄ってくる。しかし、身体に力は入らず、地面をスって移動することしか出来ない。女の手が身体に触れた。


「ぅくっ...!?」


 彼の口からあられもない声が漏れた。触られた途端、身体に電撃が走ったかのような感覚があった。自分の身体の一部が、酷く膨張を始めている。


「ふふ...お金もない。時間もない。なら...身体しかないよね?」


「────ッ!!」


 女が身体に乗っかり、彼の身体を舐め回す。身体に触れるだけで、酷く快楽的な刺激が走り抜けていく。


「それじゃあ...私も」


 彼女がポケットから取り出したのは、重ねたフォームとバース。それを何の躊躇いもなく飲み込んだ。



 彼は、ぼうっとする頭で、ある一つの話を導き出した。(foam)誕生(birth)。ギリシャ神話に登場する、泡から産まれたとされる神。名を、アフロディーテ。そして、そのアフロディーテが由来となった一つの薬


 ...(aphro)(disiac)だ。

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