#7 萌え出ずる悪意 (3)
男は空中で慌てふためいていた。当たり前だ。
物凄い速度で氷塊が迫って来ているのだから。
「なんかヤバイ系な感じだっ!! あれはマジでヤバイ系な感じだ!!アレでイケる系な感じかっ!? いやでも……。やっぱアレしかない系な感じだ!! クソッ! 男は度胸だぁっ!
炎の壁!! 三重壁!!」
男の目の前に、三つの炎の壁が現れる。赤々と、燃え立つ炎だ。
「これだけじゃねぇ系な感じだぜぇっ! これもだぁっ!
炎の弾丸!! いっけえぇぇぇっっっ!!」
男の背後に無数の炎弾が出来上がり、男が腕を振り下ろすと、全てが迫り来る氷塊に向かって行った。しかし、当たったは当たったのだが、軌道が少し右にずれただけだ。
「ふむ。ここからどうするのだ?」
ロングコートの男が面白いものを見るような目で、その光景を眺めている。
「よっし! 後はぁっ! もっと軌道をずらすだけだぁっ!」
そう、軌道をずらすだけ。それだけで避けることができる。
男は言うが早いか、壁の向きを変えた。右にずれるように設置し直したのだ。
「ふむ。受け流すとな。良い考え方だな。しかし、」
一つ目の壁。少し右にずれて、突破。
「それは如何せんつまらんなぁ。それに、」
二つ目の壁。もう少し右にずれて、突破。
「誰が操作出来んと言った?」
三つ目の壁。男の方に軌道修正されて、突破。
「ふふふ。信じてた系な感じだぜ? お前をなぁ! お前なら絶対そうするって思ってた系な感じだぜ? 当たり前系な感じだろ? だって、お前だぜ?」
その言葉にロングコートの男は楽しそうに笑う。
「ほほう? ならば、どうするのだ?」
ロングコートの男はさっきとは打って変わって面白そうだ。
「今までのは時間稼ぎ系な感じさ。魔力練成のな。だから、こうする系な感じだよ」
男は両手を左に向けた。
「今は左に傾いてる系な感じだ。右に傾いていた系な感じなのを無理に軌道修正した系な感じだから当然系な感じだな。つまり、右に避ければ全然余裕系な感じなんだよ!」
男は詠唱する必要のない初級魔術を放った。
男の体が右に傾いて、そのすぐ横を氷塊が通り過ぎて行った。少し、掠めてしまった。腹に少し血が滲む。
「ほほう。ふむ。やはり貴様は面白いぞ! 我の行動すらも想定済みで自らの作戦に組み込むとは!」
ロングコートの男は心底嬉しそうに、心底楽しそうに笑った。男はそれを見て、何か言い返してやろうかと思ったが、今の自分の状態を思い出し、どうしようかと考える。
「つーかしっかし高ぇなぁー」
男は下方に火を噴射しながら降りることにした。そして、地面に着地したときに、思いっきり踏み込んだ。
地面に印がついたのを確認し、ロングコートの男の方を向いた。
「なぁ、そろそろ決着をつけようと思う系な感じなんだが、どうだ? 俺の魔力も残り少ない系な感じだしよ」
「そうか。まぁ、よい」
「あぁ、そうか。なら!」
男は足元に捕縛魔方陣を形成する。男は右足を後ろに下げ、姿勢を低くした。
「行くぞ!」
左足を強く踏み込んだ瞬間、男の姿が消えた。
「ほう? 何処へ行った?」
男はロングコートの男の背後に居た。
そしてまた強く踏み込み、背中に掌底を叩き込む。
が、触れることが出来なかった。見えない何かに阻まれるように。
だがしかし、体勢を崩すことには成功した。
「んな?! まさか!? 何故に!?」
「チックショオがっ!! 吹っ飛びやがれ系な感じだぁ!!」
男は空中で一回転し、体重と、謎の技術を使った渾身の蹴りを放つ。ロングコートの男は倒れることはなかったものの、捕縛魔方陣に捕まってしまった。
「これまた小細工しおってからに」
ロングコートの男は言葉の割に楽しそうに捕縛魔方陣を引き千切ろうとしたが、意外とネチッこかった。
「まぁよい。今のはなんだ? 貴様、オルフェウス・リングを持っているわけではあるまいに。韋駄天並みの速度が出るのはおかしいだろう」
ロングコートの男は捕縛魔方陣を解こうとしながら尋ねた。
「瞬動だよ」
「ふむ。瞬動?」
「気術の一種系な感じだよ。俺の家は気術一族系な感じでね。俺もやらされたんだよ。まぁ、俺に気術の才能はない系な感じで、拙い瞬動しか出来ない系な感じなんだけどな。その代わり、魔術を頑張った系な感じなんだが、家族以外には一回も認めて貰えなかった系な感じだよ……」
「ふむ。面白い技術だな。よもや、我が寝ている間にこれほどまでに進むとは……」
「というわけで、折角の隙系な感じだ。有効活用する系な感じなのは、当然系な感じだよな?」
男は魔力回復薬を飲んだ。魔力が体に染み渡るのを感じる。男は両手をロングコートの男に向けた。
「我の求めに応じ給へ。求むるは五属性が一つ、火。
穢れを打ち祓う、聖なる炎。
万物を浄化せし、清浄なる炎。
我が求めに応じ、顕現せよ。
聖なる浄炎」
男が詠唱を終えると同時に、男の両手に火が集まり始め、少しずつ成長し、炎へと成長を遂げ、炎がギッチギチに凝縮されて、色が赤から紅、紅から橙、橙から青白い炎へと変化した。
だが、それで成長は止まらなかった。みるみるうちに巨大化し、直径三メートル程の青白い超高熱の炎が出来上がる。
「ほほう。時間稼ぎはやはり上手いな。まんまと引っかかってしまったよ」
ロングコートの男のその言葉に男は笑った。
「そうだな。魔術師の決闘はどっちがどっちを手玉に取れるかで勝負の殆どが決まると言っても過言じゃない系な感じだからな。よほどの実力差がない限り、勝負を掌の上で転がせられれば、勝てる系な感じだ。いっけえぇぇぇっっっ!!」
男は言い終わると同時に聖なる浄炎を放つ。それはロングコートの男に迫る。
「ふむ。まぁ、良いだろう。我も対抗してやろう」
ロングコートの男は左手を前に突き出す。
「術式・業火。禍々しき煉獄の闇炎」
ロングコートの男の左手に漆黒の炎が現れる。それは禍々しくうねりながら成長する。あっという間に巨大化し、それはブラックホールのようにも見える、禍々しい漆黒の炎となった。
「よし。捕縛も解けた。行くぞ」
ロングコートの男は真上に飛び上がり、炎を空中から放った。
「ちっ」
男は聖なる浄炎のの軌道を変えて、ロングコートの男に向け直した。
全く正反対の炎がぶつかり合うまで時間は掛からなかった。二つの炎はぶつかり合いながら、衝撃波を発生させている。
それにより、ただでさえ陥没していたボロボロの地面がさらに陥没し、土が、木が、何もかもが、玉ねぎの皮のようにベリベリと剥けていく。
クレーターの外ももちろん安全ではない。同じような状況だ。
二人の魔術は今のところはほぼ互角なのだが、ロングコートの男は微笑みを浮かべている。
「ふむ。素晴らしい。素晴らしいぞ。我を相手にここまで戦うとはなぁ。ふはは。賞賛に値する」
対する男の方は魔術の連続行使の上に、極大魔術に近しい魔術を行使していることで満身創痍だ。次第に皮膚が裂け、肉も裂け、血が舞い始める。服もボロボロだ。様々な攻撃を受けたから仕方がない。
「ちっ! まだ系な感じか! まだ系な感じなのか!」
「そうだな。まだ足りないなぁ。それじゃあ、我を押し切れないぞ?」
男は笑った。小さく、ニタリと。
「はは。お前、気づいてない系な感じなのか? やっとお待ちかねが来た系な感じだぜ!」
ロングコートの男は怪訝そうな顔をする。
「貴様、何を言っている?」
「お前の魔術は無茶苦茶強力系な感じだろ? ものすごく、な。だから、普通は忘れる系な感じなんだけど、」
ロングコートの男は視界が暗くなっているのに気がついた。
「お前の場合、それは禁物系な感じなんだよ。そりゃそうだろう?」
ロングコートの男は上を見た。
「お前の作った氷塊がそう簡単に溶ける系な感じなわけがないだろう?」
ロングコートの男の上から、先程の氷塊が迫って来ていた。威力も速度も尋常じゃない。ロングコートの男は迎撃しようとするが、如何せん、気付くのが遅すぎた。
「地に堕ちろ」
男のその言葉と同時に、氷塊が、浮遊していたロングコートの男を地面に叩きつけた。氷塊は粉々に砕け、冷気の霧が立ち込める。
男はありったけの魔力を炎に注ぎ込んだ。
青白い炎は漆黒の炎を飲み込んだ。
霧のせいで姿は見えないが、ロングコートの男はあそこはいる。そう思い、男は腕を振り下ろす。それに従い、聖なる浄炎は地面へと叩きつけられる。
「はぁっはぁっ」
その衝撃で起こった風に煽られ、フラフラとしたが、しっかりと足に力を入れて地を踏みしめる。二つ目のクレーターが出来上がったので、木が下に滑り落ちていっている。一緒に岩石なども落ちているようだ。
「ははは。ざまぁ、みろ、系な、感じだ、ぜ。俺の名前、は、天堂、出夢。お前が、聞こうとも、しなかった、男の名だぜ」
出夢はふらつきながらも勝鬨をあげていた。その時だ。
「ふむ。覚えておこう。その名。我が背に初めて土を付けた男としてな」
後ろから声が聞こえた。聞きたくない声だった。
「はぁっ?! うそ!? だろ!? マジ系な感じかよ!?」
出夢が振り向くと、そこにはロングコートの男がいた。しかも、その姿は無傷。汚れてすらいない。
そこまで分かった時、首を持たれて体を持ち上げられた。
「ぐ……がはっ……。どうして……な……んでっ……無傷系な……感じな……んだよっ……!! あれだ……けの……攻撃……を……受けて……なおっ……!!」
「ふむ。まぁ、あれは良かった。我は忘れていたよ。それもそうだな。魔人の術式なのだから魔術強度は高いに決まっているではないか」
魔術強度とは、魔術が現世に及ぼす影響の強さである。簡単に言うと、例えば、魔術で作った氷などが、どれだけ長く現世にとどまれるか、というものである。
ロングコートの男は言葉を続けた。
「いや、それを利用した貴様の計算高さは評価に値する。
それにしても、あれは良かった。あれは凄かったよ。氷塊でバリアに亀裂が走り、直す前に炎に襲われ、大爆発でバリアはついに壊れた。
そして、爆発の衝撃で地面に叩きつけられる。いやぁ、」
急にロングコートの男の声色が変わった。
「最悪だなぁ、オイ。
貴様が初めてだよ。我が術式を逆手に取ったのはなぁ。
貴様が初めてだよ。バリアを破られたのもなぁ。
貴様が初めてだよ。我が撃ち合いに負けたのもなぁ。
貴様が初めてだよ。我が背に土を付けたのもなぁ!
初めての体験だよ。怒りに、これほどまでに怒りに震えるのはねぇ。
貴様のせいだぜぇ。天堂出夢ぅ? 責任を取って貰うぜぇ。我の数多の初を奪った男としてなぁ」
「いや、それ、語弊が……」
「冥土の土産に教えてやるよぉ。我が名をなぁ」
ロングコートの男は、出夢の耳に口を寄せ、耳打ちした。その瞬間、出夢の顔は驚愕に染まる。
「うそ……だろ……? お前が? お前が?」
ーーあはは。そうか。そりゃそうだよな。確かにあいつなら、あいつなら魔人の術式だって使えるに違いない。いや、使いこなせるに違いない系な感じだよなぁ。
ロングコートの男の正体は、出夢が幼い頃に、憧れた人物だった。
ーーだけど、だけど!
「なんで……こんな……こんな……」
「言ったであろう? 目覚めたばかりだとなぁ」
ーーあぁ、なるほど、こいつは最初から最後まで本当のことしか言ってなかった系な感じなんだ。こいつなら、確かになんでもあり系な感じだよなぁ。うん。そう、納得してしまえる。
『だって、あいつなら仕方がない』
「褒美だ」
「な……んだ……よ」
「受け取れ」
そう言うが早いか、首を持っている手に力が込められる。出夢は呻くしかない。
「天堂出夢。貴様は我が手で、直接葬ってやる」
出夢の中にロングコートの男の魔力が流れ込んで来て、暴走する。それは、出夢の中で、縦横無尽に暴れ回る。
「うぐぁあああぁぁぁあああっっっっっ!!
あがあぁぁぁぁあああああァァぁっっっ!!」
体中に激痛が走る。いや、それはもう、激痛なんて言う生易しいものではない。
ミシリ。ミチリ。
骨が軋みを上げ、肉が嫌な音を立てる。
グチョ。グチュ。グチュリ。
何かが次々と潰れていく。
バギ、ボギ、べギン。
骨が軋みに耐えられなくなる。
ゴボ、ゴボ、ゴボ。
ミンチになった体内が、口から、耳から、肛門から、体中の穴という穴から滲み出てくる。
もうここまでくると、何かを考える余裕すら出てくる。
出夢の心に浮かぶのは、家族。
気術の才能が無くても魔術の方を育ててくれた両親。
ー一族の爪弾きな自分をそれでも慕ってくれた弟と妹たち。
ーーあぁ、弟と妹に良い兄でいられたかなぁ。
出夢の体は、全てが有り得ない方向に曲がっていた。絞り上げられた雑巾のように。そして、絞られた雑巾から滴るように、ボタボタと出夢のミンチが垂れていた。
出夢は視界が反転しているのに気がついた。今も、ジリジリと、少しずつ回っている。
ーーはは。さよなら。皆。さよなら、さよなら。
ブツリ。
決定的な何かが切れる音がした。
出夢は視界が低くなっているのに気がついた。上を見ると、首のない体がある。
ーーあぁ、俺だ。
次の瞬間、振り下ろされる足を見た。
ドパン。
到底、人が出せる音とは思えない音とともに、出夢の頭と意識は潰れた。
「くはは」
ロングコートの男体を震わせる。
「あははははははっ! はははははははっ!かははははははははっ!」
ロングコートの男は思う存分笑った。全てを吐き出すが如く笑った。ロングコートの男の笑い声が、ノーマニア大森林に空虚に響く。空虚に響いていく。
「ははは。それにしても、いやぁ、天堂出夢か。素晴らしい男だった。久々に遊べる相手だったよ。うむ。久々に遊べる戦いだった」
ロングコートの男は笑うのをやめ、盛大に指を鳴らした。
「響け、届け、共鳴せよ。
最奥の秘宝よ、目覚めよ。
迷宮よ、顕現せよ」
ロングコートの男は目を閉じ、耳を澄ます。
「ほう。思いのほか少ないな。もともと顕現していたのも多いようだな。面白い。オルフェウス・リングの適合者は、幾つだろうなぁ。ククク」
ロングコートの男はそう言い、ふと、体を見た。出夢のミンチで汚れている。
「これはいかんな。非常にいかん」
ロングコートの男はパチンと指を鳴らし、異空間へと手を伸ばす。
そこから、全く同じ服を取り出した。
「さて、最後に天堂出夢の死体だが、放置しても良いのだが……。アンテッドになられるのは、我が少々不快だな。我が背に土を付けた男として、魔物に堕ちられるのは、我が尊厳が許さん」
ロングコートの男は出夢に手を向ける。
「術式・念道力」
ロングコートの男はクレーターの外に出夢の死体を持って行った。
「術式・切断。術式・念動力。術式・錬金」
ロングコートの男は墓標を錬金した後、手を四回振り、地面を手頃に切り裂き、土を持ち上げた。そこに出夢を入れ、埋める。
「安らかに眠れ。天堂出夢。貴様は我が糧となったのだ」
そう言って、ロングコートの男は消えた。そして、翌日の明朝、数多の迷宮が出現したのだった。