#1 雨の日の邂逅
しとしとと雨が降っている。傘を差すほどの雨でもないが、差さなければ鬱陶しい。そんな雨だ。
そんな中、一人のレインコートを着た青年が俯きながら歩いている。
俯いてはいるのだが、口元が凶悪に歪んでいる。もの凄く嬉しそうな、狂気的で、狂喜的な笑み。
その青年は、不気味な廃ビルに入って行く。
青年が入るにはいささか不自然なその廃ビルに、自然に、何の違和感もなく、入って行ったのだ。
青年はカツカツと足音を立てながら、ロビーを通って、階段を昇る。青年は踊り場で止まり、そこにある鏡に手をかざす。
すると、鏡が消えた。跡形もなく。その先には下り階段があり、青年は何の躊躇いもなく、足を踏み込んで行く。青年が通りきると、鏡はまた現れた。
何事もなかったかのように、何の変哲もない踊り場に戻った。
青年は暗闇の中、階段を下りて行く。時折、「ククク」と笑い声が口から漏れている。
階段を下りた先には扉があった。それを開けると、会議室があり、すでに三人が座っている。
青年は空いていた席、議長の席に座る。
彼は室内だというのに、レインコートを脱ぐ気配もなく、深々とフードを被っている。
そのため、顔も見えない。青年は誰とも言わず、問いかける。
「……。報告はあるかい?」
それに対して、スキンヘッドで筋肉質な男が応じる。
「キング様。幹部とはいえ、室内ではフードをっ……⁉︎」
が、途中で中断せざるを得なかった。
何故なら、それまで俯いていたキングと呼ばれた青年が、ガバッと、顔を上げたからだ。 殺気すら垣間見える。
しかし、目深にフードを被っているため、表情は分からない。そして、キングは続けた。
「報告は……あるかい?」
その声は無機質で、冷淡で、冷酷だった。
その声にスキンヘッドの筋肉質な男は固まってしまう。
代わりに、細身の男が口を開く。
「はっ。『奴』はっ……⁉︎」
またしても途切れてしまう。
キングは先程とは比べ物にならないほどの怒気を孕んだ声を出す。
「『奴』……だと? 貴様如きが……『奴』だと? ふざけるなよ……? 貴様程度の分際で『奴』などと呼んでいいはずがないだろうがぁッ! 何様のつもりなんだ? 僕の……僕の『夕』だぞ?」
「申し訳ございません。キング様」
キングに睨まれ、動けなくなっている細身の男に代わり、整った顔立ちの女が口をついだ。
「夕様は、『オルフェウス・リング』に高いレベルで適応出来ると思われます。素晴らしいことでございます」
女が言葉の紡ぎ終えると、キングが女を凝視していた。
今まで隠れていた両目には、歓喜の色がありありと浮かんでいる。
「本当……かい?」
「……はい」
女がたじろぎ、身震いするほどの眼力だった。
しかし、それも束の間。
キングは全身で喜びを表現する。
「ヒャハハハハハハハハハハハハハッッッ!!」
手で顔を覆い、身を捩らせて哄笑する。
「キタキタキタキタキタキタキタァァァッッ! ついに、ついにだぁーッ! あぁっ、天よぉ……。
いや、さすが、さすが僕の夕だ。
夕ウウゥゥゥーーーッッッ!
やっと……やっとだよ。ずっと……ずっと待ってたよ……。待ってたんだよ……。夕……」
青年は両手を広げ、天を仰いでいたが、ずるりと崩れ落ちた。手もだらりとしている。
「さすが……さすがだよ……。さすが僕の『夕』だ……。
素晴らしいじゃないか……。
このときを待っていたんだよ。
これでやっと僕らは……僕らは……。ウグアァ……。ウアアァ……。ウアアァァアァアアァ……」
キングの頰を一筋の涙が通る。
それを皮切りに、次から次へと涙が溢れ出す。とめどなく、歯止めもきかず、流れ続ける。
そのままゆらりと立ち上がり、口を開く。
しかし、涙は止まらない。
「泣いてばかりもいられない。居ても立っても居られない。だけど準備も必要だ。お前たち、受け取れ。戦利品だ」
キングは細身の男に袋を投げ渡す。
細身の男はその袋を開け、驚愕の表情をする。
「!? 九つ……ですか。リングが九つも……。素晴らしいです!! キング!!」
キングは止まらない涙を拭い、涙を止めようとする。
「当……然だ。適当に分配しておけ。計画に必要になる」
キングは三人に背を向ける。
「解散だ。散れ」
すると、三人は驚いた表情で、青年を見つめる。
「解散……でございますか?」
「あぁ、解散だ」
キングは背を向けたまま、短く答える。
「作戦はどういたしましょう……?」
「急いては事を仕損じると言うだろう? 作戦は追々通達する」
三人は納得したかのように頷き、会議室を後にする。
キングは三人の気配を感じなくなってからビルを出た。雨脚はかなり強くなっていた。
キングはやはり俯いていたが、笑っている。
凶悪で、獰猛で、残酷な笑み。
笑い声が漏れ始め、夜の街に響き渡る。
「ククク……。アハハハハハハハッッッ!! フハハハハハッッ!! ヒャアッハッハっハッハァァァッッ!! ハハハハッッ!! クハハハハハハハハッッ!!」
キングは手を広げ、空を仰ぎながら、聞かせるかのように高らかに笑う。
しかし、誰もキングの狂気に反応しない。
否、反応出来ない。
よく見ると、雨粒が空中で止まり、人々も微動だにしていない。
空恐ろしいまでの無音、静寂。この世界で動いているのはキングだけであった。
笑い続けるキング。
身を捩らせているせいで、フードが外れ、髪が振り乱される。
それは、くすんだ白色の髪。
そして、キングの黒かった左目の瞳は暗く、底なし沼のように深く深く濁りきってどんよりとした、赤い色となって鈍く光っていた。
紅とは言えない、淀みきった赤。
ひとしきり笑ったキングは裂けんばかりに口角を吊り上げる。
「待ってろよォ。夕ゥゥ……。ずっと待ってたんだァ……。僕と君は……、一つになるべきなんだよッ!!
二人で一人になるんだ。足りない部分を補い合うんだ。合わさって初めて完璧になるんだ。
そう、パーフェクト。
夕ゥゥ……。僕は、僕らはァッ!! あの時から、そうなる運命だったんだよォ。そう運命。ディスティニー。それが運命なんだ。夕ゥゥ…………。分かるだろう? 分かってくれるよなぁぁっっ! 僕たち、友達だろォォ……。夕ゥゥ。うぐあ。うぐああぁぁっっ!!」
支離滅裂な事を言い、キングは目をおさえてうずくまる。
悶え、地面を転がり、頭を何度も地面にぶつける。
額には血が滲み、くすんだ白色の髪がその動きに従い、なびく。
「まだだ……。まだ、まだ、僕だ……」
ブツブツ独り言を言い、少ししてから、ゆっくりと立ち上がる。
そして、フードを深々と被り直し、高らかに指を鳴らした。
世界に動きが取り戻される。キングは雑踏の中に紛れて消えた。
改稿作業が終わり次第順次出していきます。
よろしくお願いします