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伊邪那美はそれを恨み、
「愛我那勢命、縁を切ると言うのならば私は汝の国の人草を一日に千頭絞め殺していくことでしょう」
と宣言した。
伊邪那岐はそれに答え
「愛我那邇妹命、それならば私は一日に千五百を産むまでだ」
と宣言した。
このやり取り故に命を失う数よりも産まれる数のほうが多くなったのだと言われている。
伊邪那岐と縁の切れた伊邪那美は、その後、黄泉津大神と言われるようになった。
また、その道を追い斯伎斯ことから、道敷大神とも呼ばれる。
※追い斯伎斯:追いし来し?
黄泉の坂【境】を塞いだ石は、塞坐黄泉戸大神と言われ、またの名を道反大神と呼ばている。
【注釈:黄泉比良坂とは出雲国の伊賦夜坂のことだと言われている。】
※伊賦夜:意宇野【出雲の意宇:揖夜、揖屋、言屋とも書く。 その平野な地形から、大野(意富野)の訛り?】