前編
昔々、魔族の王である魔王は世界を破滅させようとしていた。
魔物が人々を襲い、街を焼き、天変地異を起こす中、一人の勇者が現れた。
彼はたった一人で魔王を打ち倒し、世界に平和をもたらした。
その後彼は再び旅立ち、その後、彼の姿を見た者はいなかった。
名もなき勇者の英雄譚より
「なあ、知ってるか?英雄は必ず非業の死を遂げるものなんだ。または、『その後彼の姿を見た者はいなかった』……それが完璧な英雄譚の締めくくりだ」
玉座に座る若き王は不敵に笑った。
突然何を言い出すのか。伏せていた顔を上げて見上げると、王は機嫌良さげに微笑む。
「そう思うだろ?なあ……魔王を倒した英雄よ」
背後で兵士達が動く気配を感じた。
剣を引き抜く金属音。ゆっくりとにじり寄ってくる足音。
……状況が理解出来ない。
たった今聖騎士の称号と勲章を与えられたばかりだというのに、なぜ剣を向けられる必要がある?
俺の心を見透かしているかのように王は続けた。
「お前のおかげで、世界は平和になったんだ。平和な世界で、魔王を上回る力を持つ人間は脅威にしかならない。その意味、分かるよな?」
分からない。分かりたくない。
世界を護った俺が、人間にとっての脅威だというのか?
どうして。
魔王が倒され、戦う力を持つ必要のなくなったこの世界で……俺の存在は、この王にただの危険因子と見なされたのか。
いや、もしかしたら、ずっと以前から?
俺がこの王から魔王討伐の任を受けた、その時から?
「はじめから、そのつもりで……?」
「場合によっては、生かしておくつもりだったんだがな。だが、お前は力を持ちすぎた。仲間も作らずたった一人で魔王を倒すなんて、予想外だったよ」
誰も巻き込みたくなかった。魔王を倒すなんて無謀で過酷な旅をするのは、俺一人で十分だ。そのために誰よりも強くなろうと決めた。
その結果が……これ、か。
俺はなんのために世界を救った?
地位も名声も望んでいなかった。
俺はただこの世界を、人々を護りたかっただけなのに。
「お前の名は永遠に語り継がれるだろう。この世界の救世主として。世界の本当の平和のために、死んでくれ」
平和のために死ぬ。いや、殺される。それが真の英雄だというのか。
兵士の気配がすぐ背後に迫った。剣を振り上げる音。
――――考える前に身体が動いた。
剣を抜き、振り返りざまに横に薙ぐ。切り裂いた兵士の身体から生暖かい血が吹き出し、顔にかかった。
他の兵士達も動き出すが、遅い。俺とは実戦経験が違いすぎる。
襲いかかってくる兵士を次々と切り伏せ、気がつくと、この場にいた兵士は全員血の海に沈んでいた。
玉座を見やると、王は冷静にこちらを見ていた。ただ、先程の笑みは消えている。
「……俺はそんな勝手な都合で殺されてやるつもりはない」
「勝手じゃないさ。お前の力が必要とされる時代は終わった。それだけだ」
十分勝手な理由じゃないか。
罪のない人間の命を奪い、それを正当化する。それが真の平和だと言うのなら、俺はそんなものは望まない。
そして、俺の予想が正しければ……
「……一つ教えてくれ。今までの勇者も、同じように殺してきたのか?」
「さあな。公式の記録に残ってるわけないから、推測するしかない。ただ……過去に何人か存在した英雄の公式記録は、全て勲章の授与式で終わってる。英雄や勇者の子孫だと認められている人間も、現代にはいない。まあ、そういうことなんだろうな」
ああ、やはりな。
秘密裏に繰り返されてきた伝統。
世界の危機に立ち上がり、使い捨てられてきた勇者達。
そんな間違った残酷な伝統は……俺の手で打ち破ってみせる。
生き残ってやる。
こんな所で、殺されてたまるか。
踵を返して王に背を向ける。
これからどうするかなんて分からない。ただ、ここにいてはいけない。
誰もいない場所へ行こう。考えるのはそれからだ。
「どこに行くんだ?どこに逃げても追っ手はいるぞ。この国だけじゃなく、各国の王全員がお前の抹殺に賛同してるんだから」
「何百人兵を出しても、死人が増えるだけなのは分かってるだろ」
「なんだ、開き直ったのか?」
別にあんたの意見を肯定したわけじゃない。
だが俺は、なんとしても生き残ると決めたんだ。
人間を殺したくはないが、俺を狙って来るのなら容赦はしない。
「追われ続けるくらいなら、今ここで殺された方が楽だぞ?それに、逃げ続けて追っ手の兵を殺すほどお前は悪人になるんだ。今ならまだ間に合う。せめて最期まで英雄として死ぬ気はないのか?」
扉へと進む足に躊躇いなんてない。
俺は勇者として死ぬより、悪人として生きる道を選んだのだから。
最後に扉の前で振り返り、受け取ったばかりの勲章を投げ捨てる。
王は再び笑みを浮かべた。
「それがお前の回答なら、こっちも容赦しないぞ。お前の持つ力は世界の敵だ。強すぎる力はいつか破壊をもたらす。いつかお前自身がそれに気付くだろうさ」
例えそうだとしても、その時はその時だ。
この力が破壊するものは、世界か、俺自身か、そんなことは分からない。
だがそれが必要なことならば、俺はそれを受け入れる。
血に濡れた聖剣を片手に、ゆっくりと扉を開いた。