空腹の技法 -tea time
「家内に先立たれたもので、行き届かなくて申し訳ありませんな」
長老の家は簡素な木造の平屋で、ところどころ隙間風が吹き込んでいた。それなりの広さがある割りに家具と呼べるものは少なく、全体として寒々しい印象を受けた。しかし、石造りの立派な暖炉が備え付けてあり、火が入ると身体を温めることは出来た。我々は小さなテーブルを囲んだ。
村人が入れ替わり立ち代わり玄関まで来たが、全てティトと長老が「ペルナ様はお疲れだ」と門前払いにした。
ティトが甲斐甲斐しくお茶を入れてくれた。ほのかな渋みのある、褐色の茶だった。軽く焙煎してあるのか焙じ茶のように香ばしく、中々に美味い。
「これは美味いよ、ありがとうティト」
「恐れ多いです、ペルナ様」
さて。どこから話を切り出すべきか。僕には尋ねるべきことが多すぎる。しかし、話の運び方次第ではどんな結果が待っているかわからない。
僕の脳裏には、女の子の首を覗き込んだあの時の恐怖が強く刻み込まれていた。ある種の熱狂が去った今となっては、ティトや長老にすら恐怖感が残る。
その一方で、彼らが善良な人間だということも僕は肌で感じていた。
ふと思い当たることがあって、僕はハーフパンツのポケットをあさってみた。手に当たる感触があり、僕は自分の記憶が間違っていなかったことに安堵した。
「長老、ティト。僕からちょっとだけプレゼントがあるんだ。でも、これはこれっきりなんだよ。この一個しかない。だから、このことは他の村人には絶対に内緒にして欲しい。出来るかな」
「もちろんです、ペルナ様!」
二人の声が重なった。
僕はポケットからそれを取り出した。日照りの中を歩き回ったせいで、すっかり妙な形にとろけていたが、包装のおかげで品質には問題ないだろう。
「ティト、ナイフがあったら持ってきてくれ」
ティトは立ち上がり、小ぶりなナイフを一本持ってきた。十センチほどの刀身、グリップの部分には細い麻のような紐が巻いてある。よく手入れされた良いナイフだった。包丁もそうだったが、この村の刃物はどれもとても大事に扱われている。それだけ貴重なのだろう。
僕は丁寧にそれを二つに切り、ティトと長老に手渡した。褐色の少しだけねばねばするものを二人はおっかなびっくり受け取る。
「見た目は悪いけど、とても美味しいものなんだ。このお茶にもよく合うから食べてみて。出来れば、よく舐めて口の中で溶かすといい」
長老は躊躇した。せめて溶けていなければ、と思ったが仕方ない。確かに見た目は美味そうには見えないだろう。ティトは少し匂いを嗅いだあと、臆せず口に放り込んだ。
彼女の目がまん丸に開いた。夢中になって口の中でそれを転がす彼女を見て、長老もそれに習う。彼の皴に埋もれた目がかっと開くのを見て、僕は含み笑いを抑え切れなかった。
「すごくあまい!すごくあまいのこれ!」
ティトがやっと子どもらしい言葉になった。思わず立ち上がってぴょんぴょん跳ねる。とても可愛らしい。
「これは…長く生きてきましたが…こんなものは初めてです」
長老は口元を抑えながら、丁寧に言葉を選んで話した。
「キャラメルって言うんだ。僕の生まれた国ではとても人気のあるお菓子だよ」
「ははあ…」
「お菓子ってなんですか、ペルナ様」
ティトは僕に尋ねた。どうやら、「お菓子」という言葉も彼女たちの辞書には存在しないらしい。
「うーん、このキャラメルみたいなとても甘くて美味しいものだよ」
「すごい!そんなのが食べられるんだ!」
「これ、ティト。口の利き方をわきまえなさい」
「いいんだ長老。これは僕と皆の友情の証だと思って欲しい。僕は二人を信頼する。だから、二人も僕を信じて欲しいんだ」
二人の返事が重なった。
「質問させて欲しい。僕はどうして自分がここに来たのかわからない。しかし、ここまでの流れを見ると、どうやらあなた達が僕を呼んだのは間違いないみたいだ。僕は、あなたたちにとって必要だからここに呼ばれた。それは間違いない。では、あなた達はどうやって僕を呼んだのか、教えて欲しい」
長老の表情が曇った。彼は一つ一つ言葉を丁寧に選びながら語り始めた。
「我々は、いのべたにエノを捧げて祈ったのです。この村を救うペルナ様をお招きするためにです」
「エノというのは、あの女の子だね?」
「その通りです。彼女は志願して捧げられたのです。彼女は足が悪く、独りでは生きていけませんでした。村が飢饉に襲われ、食物が尽きた時、彼女は『私をいのべたに捧げて欲しい』と願い出たのです」
「いのべた、というのは一体何なんだろうか」
「ペルナ様をお招きするためのあの場所です。我々の村に古くから言い伝えられているのです。ついに万策尽きた我々は、あの場所でエノを…捧げました。村人の代表が灯りを落とし、エノを…その、捧げたのです」
ある程度は予想の通りだった。人身御供の儀式。飢饉や水害なんかの災害には付き物と言っていいだろう。教科書でも見かける話だ。
「エノは…声も上げずに…その、捧げられました。我々はそれからどれだけ祈ったのかわかりません、その時突然ペルナ様のお声が聞こえたのです」
僕は言葉が出なかった。ここがどこか、彼らが何なのか。それを抜きにすれば、よくあるような話だった。貧困と飢饉に襲われた寒村、食料が尽きた時に起きる集団ヒステリー、すがりつけるのは胡散臭い伝承や信仰だけだ。
問題は、本当に僕が呼び寄せられたことだ。この、間違いなく地球ではない場所に。信じられない何かが本当に起きてしまった。
そして、もう一つ確かなことがある。そこには何かの意思が間違いなく働いているということだ。あの、子どもじみた不愉快な声。あれが「いのべた」の声だろう。では、何故僕なのか。それは、おそらく僕がここで必要とされる能力と物資を持っていたからだろう。
飢餓状態から人を救う術を知り、食料を持っていたということ。
「捧げられる者には、何かの条件があるのか?」
長老は目をそらした。ティトが代わりに答えた。
「村で一番小さい子どもを、その親が捧げること」
頭がかっと沸いた。ティトの目には何の感情もなかった。十歳やそこらの子がこんな表情をしているのを見るのはとても嫌なことだ。
「エノを捧げたのは父親です。フェという男です。働き者で、村でも信頼されている人間です」
「その彼は大丈夫なのか?自分の娘を…」
「彼は、ペルナ様のスープをいただいた後、村の男たちが付き添って家に帰っております。滅多なことは、少なくとも今夜はないと思います」
「…フェおじさんにはレジンがいるから」
ティトが口を開いた。その後を長老が引き継ぐ。
「エノには弟がおりまして、弟を育てるためにもフェに万が一があるわけにはいきませんゆえ、我々も気をつけていこうと思います」
エノの足を持って泣いていた男の子だろうと僕は当たりをつけた。
僕は黙り込んだ。言葉が次げなかった。家に帰ることは到底出来ないという事実だけが僕に圧し掛かった。そうだ、いのべたは僕に問うた。「ここじゃないところへ行きたいか」と。その挑発に僕は乗った。その結果がこれだ。
ふつふつと怒りが沸いた。いのべたという何か、神のような存在がいる。そしてそいつはクソ野郎だということ。
長老とティトは心配そうに僕を覗き込んだ。
「僕たちは生き延びなきゃいけない」
僕は言った。
ティトと長老は深く頷いた。
「二人とも、よく覚えていて欲しい。確かに、「いのべた」は僕をここに連れて来た。それは、君たちが呼んだからだ。しかし、僕は神様じゃない。君たちより腕力は少しあるし、ちょっとだけ違う世界のことを知っているけれど、それでも僕一人の力なんて高が知れている、わかってくれるか」
沈黙が流れた。
「生き残るためには皆で力を合わせなきゃいけないんだ。僕だって、この世界じゃ独りで生きていけないんだよ」
長老とティトの四つの目が、薄暗い家の中でじっと僕を見つめていた。それは揺らめく火の仄かな灯りを反射して、闇夜に浮かぶ四つの衛星みたいに見えた。
僕は、それがただただ恐ろしかった。泣き出したかった。でも、泣き出すわけにはいかない。僕はペルナ様であるしかない。
「僕たちは生き延びなきゃいけない」
僕はもう一度、そう繰り返した。