王女だけど悪役に目を付けられたのでヒーロー求む。
お姫様になりたい、などと身の程知らずに七夕の短冊に書いたのがいけなかったんだろうか。
だがしかし。その程度の誤ち――黒歴史とも言う――、誰だってあるだろう。しかも、その願い事を書いたのは幼稚園の年少さんの頃。直前に某アニメ映画を見たせいで多分に影響されて、あんな風になりたい!と思ったとして、何の罪があるだろう。いや、ない。
この際、転生云々に関してはサクッと脇に置いてくとしても、だ。
隣家に住んでいたお婆さんが大の猫好きで、猫屋敷状態だったお家に回覧板を届けに行った時、飛び出してきた猫に顔面べったり貼りつかれて以来、私は猫や犬といった愛玩動物がすごく苦手だ。視界に入るだけでピシリと緊張で硬直してしまう。
最早これは病気である。何せ、前世の死因は突然飛び出して来た野良猫に驚いて転倒、縁石に頭を強かに打ちつけてそのまま……という、間違っても大っぴらに言えないものなんだから。我ながら情けなさ過ぎて涙も出ない。
ところが私は、ギリシャ神話で言うレテの河を渡り忘れたらしい。
おぎゃあと生まれてみれば、入れ替わり立ち替わり常に周囲にさわさわといるお揃いの服を着た女性たち。一日の内夜ごはんの時にしか顔を合わせない母親らしき人と、父親っぽい人。
つかまり立ちができるくらいになって現れた家庭教師陣から「姫様」と呼ばれて、ようやく私は自分がどこぞの王国の王女として生まれたことを自覚した。
喜んだのは三日だけだった。だってなんだこのハードスケジュール。え? 外国語は最低でも五つは覚えてください、日常会話程度ならさらに三カ国語以上だって? ああ、将来どこの国に嫁ぐかわからないからね……ソレナンテ無茶ブリ?
泣いても喚いても無駄だった。国の威信がかかってる。晩にしか顔を出さない母親は私を気に入りの人形か何か程度の愛着しか持ってないみたいだし、父親は国王としての責任感が強すぎて自分の娘というよりも王国の王女としての私を優先するし。現代日本でぬくぬくと生きてきた私の根性は一度ぽっきり折れた。
兄弟がいないのも悪かったのかもしれない。私が生まれる三年前に生まれた王子は赤ん坊の頃に死んじゃったらしい。男子の乳幼児死亡率が高いのは、この世界でも同じらしい。瀉血文化がまだ残っているような医療状況じゃあ、さもあらん、って感じだけど。
末はマリア・テレジアかエリザベスか。女王として発つことがほぼ確実視されていた私は、毎日泣きながら家庭教師たちのしごきに堪えていた。
状況が一変したのは、旅先で母親が殺されてからだった。
犯人は十年前に併呑した都市国家出身の無政府主義者。捕らえられたその場で舌を噛み切って自害したせいで、単独犯なのか背後に誰かいたのかすら曖昧なまま事件は収束。色々ごたごたしている間に、父親の元にとある公爵家から新しいお嫁さんが来た。来てしまった、と言うべきか。
一年経たない内に懐妊の知らせが届いて、先の王妃――私の実母のことだ――の件もあり、国を挙げての厳戒態勢。後、無事に生まれたのは待望の男児だった。
この時点で私、五歳。よほどのことがない限りこのまま無事に成長するでしょうと王宮医師全員に太鼓判を押されるくらいの健康優良児。対して、義母が生んだ赤ん坊は肺の音が気になると医師全員が口をそろえ、呼吸器系統が不安視されていた。
正直、父親が新しい王妃を迎えるようだと聞いた時も、その結婚式の時もずうっと嫌な予感がしていたのだが、このことで私の立場は決定的に微妙で不安定なものになってしまった。
大病を患っていないのが不思議だと言われながら異母弟が一歳になり、三歳になり、五歳になり。運動らしい運動に堪えられないからとひょろひょろと背ばかり高い青白い肌の男の子になった異母弟は、それでも立派に大きくなった。……異母姉の存在が、目の上のたんこぶになるくらいに。
「異母弟が立太子した途端求婚者半減とか、みんな正直過ぎるわー」
あわよくば、と考えていた連中が多すぎる。テーブルに積まれた背の低い釣り書きの山に、乾いた笑いしか零れない。
私が女王になれば王配として、もしくは私を娶ることで自分が王にと。その可能性が断たれたのだ。無理もないのかもしれないが、ここまで正直に行動されると落ち込みもする。
それこそ王位を継ぐかもしれない身なら、もの心つく前に許婚や婚約者候補のひとりやふたり、いても不思議はないのだけれど、それは言い換えれば王女の私に後見人がつくということだ。それは国王の外戚という旨みの多い座を狙う公爵家と、息子を王にと望む義母によって全力で阻止されていた。その結果が、二十歳になっても年齢イコール恋人いない歴という、前世よりもハイスペックになった喪女である私、という。
ちなみに、結婚適齢期は大体の女の子に初潮が来る十三歳頃から十八歳まで。王女という身分だから表だって言われることはないか、二十歳の私はどこから見ても立派な嫁き遅れである。
こんなの、幼稚園のあの時に憧れたお姫様なんかじゃない。ぐったりと机に体を伏せる私を、乳姉妹のマグダが「姫様」と控え目に、しかし有無を言わせない声音で叱る。
「もういっそ出家した方が手っ取り早いと思うの」
「それで、この国をあのぼんくら王子に放り出すというのですか」
「ぼんくらって」
そんな、正直な。
苦笑する私に、マグダは「能無しの方がよろしいですか」とさらに辛辣だ。
「未だに属国であるカディラ国語すら覚束ず、都合の悪いことがあればすぐに具合の悪いフリをして逃げ出す根性無しなど、王子と呼ぶのも値しないくらいですのに」
なのに、どうして立太子など。
苦虫を噛みつぶしたような表情。似たような表情を、今日の立太子式で散々見て来た私は視線をそらすくらいしかできない。
そんなの、国王という立場の人が有能だと困る人達の思惑があってのことに決まっている。
わかりやすい傀儡の擁立。父親は歯痒い思いをしているようだが、異母弟の誕生と同時に離宮に追いやられ事実上の軟禁状態にある私に事態の打開などできようはずもない。
カディラ国は属国といえど、国力は無視できないほど強大だ。ほとんど同盟国と言っても過言ではない。この国にとって重要な国のひとつで、当然、その国の言葉を操れることは王位を継ぐ上での必須条件、なんだけど。
私が離宮に押し込められるのと同時に、それまで私に付いていた家庭教師たちは全員異母弟付きに変わったはず。
思い出すのはスパルタな勉強の日々。同じように教わっていたら、カディラ国語くらいはマスターしていてもおかしくないんだけど……まあ、義母はかなり異母弟に甘いらしいし、外祖父に当たる公爵も、傀儡の王さまの方が都合が良いんだから厳しく注意なんてしなかっただろう。
実にわかりやすく、面白いように公爵に掌握されていくこの国。物語ならばこの辺りで公爵の不正の証拠とか政をほしいままにしているとか、そういう悪事の尻尾を握って糾弾する主人公が登場するんだけどなー。
他力本願? 大いに結構! 何とでも言ってくれたまえ。私はこの国の行く末よりも、自分の身が心配なのだよ。主に貞操的な意味で。
「それで、マグダ。その花瓶の花は」
「いつものように、このようなカードと一緒に」
そう言ってマグダが差し出すのは薄絹と見紛うほど繊細で艶のある紙片。
一見すればただの無駄に高級そうな紙でしかない。ほんのり香るのは何かの花の匂い。生憎どの花かわかるような情緒の深さは私にない。
文字の書かれた側を表にする。そこには思わずげっそりするような文句が記されていた。敢えてこの国の言葉じゃないのはどういう意図があるんだろうか。
意訳すれば、『貴女の全ては私のもの』とかだろうか。五歳かそこらで家庭教師がいなくなって以来、細々と自学自習をしてきた私には細かなニュアンスはわからない。かろうじて、恋文や恋歌でよく聞くフレーズと同じだとわかる程度だ。
「そしていつものように差し出し人はなし、と」
「書かなくともわかると、そう思っているんでしょう。まったく、忌々しい」
「ああ、今度舞踏会があるからかなあ。またドレスと宝飾品攻勢が来るのか」
そのほとんどが箪笥のこやしになっているのだけれど。
そもそも着て行く場所がないのに新しいドレスも宝飾品も無駄なのだ。断っても意味がないことだから受け取っているが、いずれどこかに嫁ぐ時は、そのまままるっとこの離宮に置いて行くつもり満々である。
「離宮が後宮の一角に位置してて良かったと思わない日はないよ、私」
「本当ですわね」
隅っことはいえ、後宮は後宮。男子禁制の場だからこそ、被害も花とカードだけで済んでいる。
ドレス攻勢も私をどうにかしてここから出そうという意図が見え見え過ぎて嫌になる。別に私は着て行くものがないから外に出ないわけじゃないのだ。このカードの贈り主に会いたくないから、ここから出たら最後だとわかっているからでないのだ。
ため息をひとつ吐いて、バルコニーに出る。そこからは見事なイギリス式っぽい庭園と、――王宮警護の騎士と私兵が後宮と内宮の境界線で睨みあっている姿が見えた。
「執念深いわ、本当に」
――たとえば、物語のお姫様になったとして。
悪役とヒーロー、お姫様の三角関係なんて定番中の定番だろう。ラブロマンスであれファンタジーであれ、物語を盛り上げる絶好の演出だ。悪役兼当て馬なんて、少女漫画やハー○クインにはありふれた設定だろう。
だけど、現実はそううまくはいかない。お披露目も兼ねた社交デビューの夜会でうっかり悪役に見染められたらしい私の前に、ヒーローになりそうな相手は未だ影も形もない。
夜会に出れば当然のように隣に立ち、人気のない場所に連れ込まれそうになること片手の指の数以上。おかげで人混みなんて得意じゃないのに必死で会場の人混みに特攻しなきゃいけなくなるし、有無を言わさず手を引かれてダンスもしなきゃいけなくなるし。今じゃあの男が私に想いを寄せているのは公然の秘密状態になっている。
かく言う私も、あんなに熱っぽい瞳を向けられて背筋に怖気が走る程度には相手の本気を理解しているつもりだ。正直怖い。怖すぎる。油断したら、いや、しなくても、頭からパクリと喰われてしまいそうな危機感は常に持っている。
「義理の姪相手だという意識がないのかしら」
「あったら私兵まで持ち出しては来ないでしょう」
悪役は、義母の兄。義母の父でもある先代公爵が亡くなった今は彼が公爵であり、王太子の伯父、外戚というわけだ。
公爵家は元より、あの男自身についての黒い噂はこれでもかというほどたくさんある。その内の何割が事実なのか、はたまた全てか。生憎噂の全てが嘘だと思えるほどおめでたい頭はしていない。
だって、知っているのだ。
あの男が。先日ついに四十歳越えをしたにも関わらず、妻のひとりも迎えていない彼こそが、先代王妃を手にかけたのだと。
知ってしまったのは偶然だった。決定的な証拠も掴めていない。私の手元に残されていたのは、乳母に預けられていた先代王妃の手記だけ。
記されていたのは全て先代王妃が抱いていた「疑惑」について。どこどこで怪しい動きがある、だれだれのところにこんな人間が出入りしているらしい――それらはどこまでも「疑惑」でしかなくて、ただその中に、先代王妃を殺めた男が特別親しくしていた娼婦。彼女がいた娼館に、あの男の傘下の男爵が出資していたという記述があった。
その男爵は数年前に事故死している。領地視察中に土砂崩れに巻き込まれてという話だが、それも本当かどうか。問題の娼館はとっくに取り潰しにあい、主人も含め従業員も娼婦たちも数年の間に死ぬか行方がわからなくなっているのだから。
視線の先で、近衛騎士と公爵の私兵が揺れる。内宮の方から現れたのは、公爵だった。
遠目にも近衛騎士達が殺気だったのがわかる。彼女達は女性武官の中でもエリート中のエリートで、先代王妃に対する忠誠心が強い人達ばかり。なんでも、先代王妃は元々武官だったんだとか。それでなんで王妃になったのかはよくわからないけど、きっと頭脳労働が苦手な人だったんだろうなっていうのは彼女が遺した手記からもひしひしと伝わってきていたので意外ではない。
マグダが隣で顔を顰めている。室内に戻ろうと彼女が私に声をかけるより先に、公爵が私を見つけた。
「――姫!」
まるで、大切な宝物を呼ぶように。
距離があるから、細かな表情はわからない。声音に乗せられた感情は、理解したくない。私は瞳を伏せて踵を返した。
バルコニーに繋がる扉を閉めてようやく、公爵の視線が遮られた気がして、私はもう一度、今度は地を這うように重い重いため息を吐いた。
「……ちょっとバルコニー出ただけで来るとか」
権力のあるストーカーはこれだから嫌だ。
爵位を継いで、ついでに王宮の実権も握ったらしいあの男は、とうとう私の降嫁を父王に願い出た。この場合、一応お願いの形を取っているだけで実際は脅しに近かったってことは、言わなくてもわかってもらえると思う。
ところがどっこい。ここで意外な人が反対した。義母こと現王妃様だ。
公爵にとっては妹にあたる義母は、だからこそ兄のことを理解していたらしい。もし彼が私という正当な王家の姫を手に入れ、あまつさえ子どもなんてできてしまったら、今度は自分の息子の王位が危うくなる、と。
ボンクラ王子に対する貴族の支持は義母が望むほど多くない。対して、公爵はいわゆる悪役だからこそ従う人間は大勢いる。今はまだいい。だけど将来、ボンクラ王子がうっかり公爵にとって都合の悪い駒になってしまったら? 結果は火を見るよりも明らかだ。
王宮最大派閥の仲間割れ。一歩も引く気配のない両者に、国王はとうとう匙を投げた。事の当人に判断を丸投げしたのだ。丸投げされた私にとっては非常に、非っ常に不本意なことに。
『王女の嫁ぎ先は、王女自身に決めさせる』――年齢イコール恋人いない歴の私に、大いに喧嘩を売っている条件である。
公爵を筆頭に、下手な相手と結婚されては困る義母は私に夜会や舞踏会は愚か、昼間開かれる茶会にすら出席することを禁じた。対して、公爵はどうにかして私を離宮から引きずり出そうとあの手この手で画策してくる。私をここから引き離せば後はどうとでもなると思っているんだろうか。……思っているんだろうな。貞操観念の強いこの国じゃ、既成事実なんて作られた日にはそこで人生終了のお知らせになってしまうことだし。
おかげで結婚適齢期も華麗に過ぎて、最近巷じゃ私のことを「引きこもり王女」だなんて呼んでいるらしい。引きこもる以外に自衛の方法がないの! 察して! 別にお家大好きっ子じゃないんだから!
一度我慢の限界が来てお忍びで抜け出そうとした時なんてひどかった。後宮から数歩離れた程度の距離で公爵が廊下の向こうに見えた時のあの恐怖。ダッシュで離宮に逃げ込んだけど、振り返って見た公爵の顔ときたら。う、思い出しただけで寒気がしてきた。
「いっそ遠い国に嫁がれては?」
「それくらいであの公爵が諦める気が全くしない」
「……それもそうですわね」
このまま引き籠っているわけにはいかないのは重々承知している。
タイムリミットはストッパーになっている父王が崩御するまで。もしくは、公爵が完全にこの国の実権を掌握するまで。それ以降は、たとえどんなに義母が反対しても公爵は力づくで私を嫁にするだろう。
(いっそ公爵のことを好きになれれば……いや無理だ)
だって、あの男は先代王妃を――母を、殺したのだ。
恨みを抱いたり、憎んだりするには私は母に対して思い入れはない。だけど、それでもあの人は私の母だったのだ。気まぐれでも頭を撫でて、「わたしの子」と呼んでくれた。私は、その人を裏切りたくない。
ひどい話だろう。どうして自分が殺した相手の子どもに懸想できるのだ。私がなにも知らないと思っているのか。それとも、知られていても構わないとでも?
瞼を下ろす。もやもやとして掴みどころのない鬱屈をやり過ごして、拳を額に当てた。
「いっそ求人広告でも出してみるかな」
「王女殿下の嫁入り先募集、とでも書かれるんですの?」
「いいや、違うよ」
そうして私は、自分でもそうとはっきりわかるくらい、へたくそな笑みを浮かべた。
「ヒーロー求む、ってね」
できれば、勧善懲悪なハッピーエンド至上主義の人でお願いします。