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第七話 初仕事は転移魔法陣で

 翌日、エマが出勤すると、アイテム支援班の鍛錬部屋にはバレリオの大柄な姿があった。昨日勇者パーティーの入るダンジョン近くに行っていたと聞いていたが、どうやら無事にその仕事も終え戻って来れたようだ。

 出会った日と同じように彼は今、藁人形に向かい木刀を素振りしている。


 ちなみに昨日共に戦ったフレデリカは、情報偵察班より応援要請があり、また別の仕事で近隣の村に向かっているとのことだった。

 なかなか一堂に介せないが、職務ならば仕方がない。

 また明日か明後日にでも会えるだろうと気持ちを切り替え、エマは目の前の隻眼の戦士に歩み寄る。


「バレリオさん、おはようございます!」

「おう、おはようさん、エマ。今日も元気そうだな」

「はい! あたしはいつでも元気です」


 一日振りに見る大柄な隻眼の戦士の挨拶に、エマは緑の瞳を細めて朗らかに答える。

 バレリオの気さくな人柄が好ましいのもあったし、今は同僚とはいえやはり元傭兵としては憧れの人物でもあるので、こうして会えるだけでちょっと胸が熱くなる。

 本当はまだ昨日の疲れがほんの少し残っていたが、彼に情けない所など見せたくはなかった。


「そりゃあ良いこった。だが、精々無理はしないことだな」


 素振りの手を止めてバレリオが、幼子にするようにぽんぽんとエマの頭を軽く叩く。父のような兄のようなあたたかな仕草に、エマはくすぐったそうに首を竦めた。

 その明るい栗色の髪から手を離すと、バレリオが思い出したように告げる。


「そういやエマ、今日は俺とお前の二人でダンジョンに行くことになったからな」

「えっ、あたしも一緒に行っていいんですか?」


 一緒に行けるとしても、まだ先だと思っていた。驚いてエマは目を見開く。


「おうよ。ま、昨日のオーク退治は別として、エマにとっちゃ今回がアイテム支援班の初仕事ってことになるな」

「初仕事……」


 ドキドキとエマの胸が高鳴る。

 とうとうダンジョンに宝箱を置きに行くのだ。勇者に先回りして、彼らに気付かれないように行動しなければならない。難しいだろうけれど、だからこそやりがいも感じる。またこの足に頑張って貰わなければだ。


 そんなエマを、木刀を下ろしたバレリオが静かに見据えて言葉を紡ぐ。それは先程までとは違う、真剣な色を乗せた眼差しだった。


「言っとくが、この職場じゃギルドの初心者演習みたいに優しく練習から始めたりはしない。――初めから本番だ。その場の空気に触れて、出来るだけ早く業務に慣れて貰う形になる。ま、習うより慣れろってこったな」

「はい、覚悟は出来てます」


 エマとしても、その方が逆に有難かった。冒険初心者とは違い、エマはそれなりの戦闘経験がある。どんなに戦いの現場を想像して安全な場所で練習しても、本番の緊迫した空気から学べるものとは雲泥の差があることを知っていた。

 学ぶなら、出来るだけ実に即した形で学び、形にしていきたい。だからバレリオの提案は望む所だ。


 エマの真剣な面構えにその気持ちを読みとったのか、バレリオがどこか満足げに頷く。


「――よし。なら、装備と持ち物の確認が終わったら早速出発するぞ。俺は作戦参謀班と技術開発班の所に行って来る。作戦を聞くのと、今回設置するアイテムを受け取って来るのと用事があるからな。エマはここで装備と持ち物を身繕っててくれ。ここにあるのはどれも、自由に持って行って構わない品だ」

「はい、わかりました」


 バレリオの大きな背中を見送ると、エマは室内を見渡してよーしと奮起して品定めを始めた。





 そして装備と持ち物を整え、半刻後には出発の運びとなった。

 エマは基本、武器や防具は慣れ親しんだものだけ使いたい性質だったので、防御力は高そうだが見慣れないそれらには手をつけず、薬草や麻痺消しなどの回復アイテム、それにダンジョン探検用の松明だけ拝借した。


 そして今背中には、設置するための宝箱を布袋に入れ背負っていた。その箱は想像していたよりもずっと軽く、これなら背負ったままでもある程度戦闘が出来そうだとエマはほっと息を吐く。


 聞けば今日行くダンジョンも、昨日戦ったオークに近い、火や風を起こす訳でもない物理攻撃のみの下等種の魔物しか現れないそうなので、装備や持ち物はそれで十分とのことだった。


 同じく身繕いを終えたバレリオが、エマにこれからの流れを説明する。彼の背にも宝箱が入った布袋があったが、巨体の為とても小さく見える。


「まず肝心のダンジョンに行く為の移動方法だが、今回は転移魔法陣を使うことにする」

「転移魔法陣?」


 聞いたことのない単語にエマがきょとんとする。


「そうだな、話すより見て貰った方が早いだろう。――こっちだ」


 言ってバレリオが歩き出すのに、訳もわからずエマは着いていく。バレリオが向かった先は、アイテム支援班の鍛錬部屋の更に上の階にある部屋だった。

 階段を上り、東の端の部屋に辿り着くと、そのまま武骨な手が扉を開ける。

 そこはがらんと広い部屋に幾つもの書棚が置かれた部屋だった。


 奥にはみっしりと書棚が並んでいるが、扉の前の少し開けた空間だけ、何も物が置かれていない。ただ床に複雑な紋様の魔法陣が大きく描かれているだけだ。


「ええと、バレリオさん。ここは?」


 人が四人ほど乗れそうな、とても大きな魔法陣だ。エマには読めそうもない古代語のような文字が、陣の円紋様の中に描かれている。

 冷たい石の床に青紫の文字で描かれたそれは、良く見ると僅かに発光しているように見えた。見つめるほどに、ぼんやりと浮き上がって見える不思議な色合いだ。


「この魔法陣がこれから俺達が移動する手段って訳だ」

「あの、本当にこれで移動出来るんですか?」


 エマも傭兵時代には数度魔法使いとパーティーを組んだことがある。中には転移魔法を唱えることが出来る者もいた。瞬時に移動出来るそれらは便利で感心したものだが、しかし魔法使いはおらず既に床に描かれた魔法陣だけを使って移動するというのは聞いたことがない。

 自分は勿論のこと、バレリオだって魔法が使えない所かMP自体ほぼ無いだろうに、ちゃんと移動出来るのだろうか。


「まあ不思議に感じるだろうがな、これはこれで問題無く移動出来る。つっても、魔法使いの転移魔法みたいに細かく場所を指定して移動出来る訳じゃねえけどな」


 やはりそれと同じ精度ではないらしい。しかしならば何故こんなものをというエマの疑問は、すぐに説明によって消化された。


「この魔法陣で行けるのは、同じ魔法陣が描かれているこの世界でも八つ程の決まった場所だけだ。まあ言ってみりゃ、予め魔法陣が描かれている場所と場所とを繋ぐ、簡易移動結界みたいなものだな」


 今回行くダンジョンは、どうやら運良くその魔法陣の側にある洞窟らしいとエマは理解する。


「なるほど。どこでも好きな場所に行けるって訳じゃないんですね」

「どこそこの洞窟の前に行きたい、とか細かい指定がある時は魔法補佐班に頼んで転移魔法で跳ばせて貰うことになるがな。けど、あいつらも人手が少ないもんだからいつもフル回転でな。出来るだけ奴らの力を煩わせないよう、こんな移動手段も作ってみたって訳だ」

「はぁ、色々考えてあるんですねぇ」


 この職場の様々なアイディアに、エマは感心するばかりだ。

 よくこんな色々思いつくなと思う。というか、思いつきはしても普通の人なら形にする前に諦めてしまいそうだが、そこを努力でちゃんと結実させてしまう所が凄い。

 魔法補佐班にも開発技術班にもまだ一人も会ったことはないが、どちらも職人気質の人達なのかなと、エマは何となくまだ見ぬ人達を想像してしまう。


「さて、説明は終わりだ。行くぞ」

「あ、はい!」


 先に魔法陣の中に足を踏み入れたバレリオに続き、エマもおそるおそる足を踏み入れる。

 すると、描かれた魔法陣が淡く発光し出した。最初はごく淡かった青紫の光が、徐々に眩しい程に強くなっていく。

 その光が最大限に大きくなった頃を見計らい、バレリオが力強い声で叫ぶ。


「『シルドの町』へ俺達を連れていけ!」


 その途端、ひゅっと風を切るような音がした。あ、引っ張られる。そう思った時には、エマはバレリオと共に突風に攫われ、部屋の中から姿を消していた。


 人っ子ひとりいなくなった静かな室内には、魔法陣が残り香のように、ごく淡い青紫色の光を今も床に立ち上らせていた。






「いったぁ!」


 どすんと、エマは地面に尻もちをついた。横を見ればバレリオは揺らぐ様子も見せず、しっかりと地を足で踏んで立っている。

 すぐに大きな掌がエマに差し出された。


「大丈夫か?」

「は、はい……。ちょっとバランスを取るのが難しかったです」


 バレリオの手によってすぐに立ち上がると、エマは服に着いた汚れを叩き落とす。


「まあ、これも慣れだ。次にはエマもしゃんと立ってるだろうさ」

「だといいんですけど」


 天の方向から強い風に引っ張られたかと思ったら、次の瞬間には着いていた。魔法使いの転移魔法だと、結構緩やかに到着するからそれと同じ感じかと思っていたら、こちらは結構激しい。人の手を介しての移動でない分、強弱と言うか緩急がつけ難いのかなとエマは思った。

 だがそれも、慣れればいずれ気にならなくなるだろう。今はちょっと無様な格好を晒してしまったが、失敗は成功の元だ。前向きなエマはそう考えて気にしないことにした。


 二人が降り立ったのは、町の外れにあるらしい石碑の前だった。

 見下ろせば下も石面で、そこに本拠地で見たのと同じような魔法陣が刻まれていた。

 淡く青紫色に発光していた魔法陣の光は見る間に薄くなり、すぐに何事も無かったかのように、ただの文字の刻まれた灰色の石床へと変わっていく。

 不思議な光景に見惚れそうになりつつ、エマは顔を上げる。


「それで、これから向かうのはどこのダンジョンなんですか?」

「俺達が向かうのは、このシルドの町から馬で半刻駆けた先にある洞窟だ。そこに勇者達が向かってるって情報が来てる」

「ここから少し距離があるんですね……。えっと、勇者様達が到着する時刻はいつ頃なんですか?」

「情報偵察班からの話だと、今日の昼過ぎって話だな。だからまあ時間は、十分とは言えねえがそれなりにはある」


 今はまだ午前の早い時間だ。それならやや余裕を持って行動出来そうだ。エマは胸を撫で下ろす。


「まずは厩舎で馬を借りて来よう」

「はい!」





 そして厩舎で馬を借り、馬の背に揺られること半刻。エマとバレリオは洞窟の前に辿り着いていた。

 馬は途中、人や魔物に見つからないよう安全そうな森の木に繋いで来た。ここからは徒歩で向かう形になる。


 ごつごつとした岩肌の中に真っ黒い空洞が覗くダンジョンの入口の前で、バレリオが腕まくりする。


「さぁて、いっちょ行くか」

「はい、行きましょう!……って、あれ?」


 意気込んだ矢先のことだった。

 洞窟から、冒険者らしき男が一人転びそうになりながら走り出て来る。服はボロボロで、どうも火傷をしているようだ。案の定彼は、足をまろばせて地面に倒れ込んだ。

 エマは気付くや、彼に走り寄る。


「大丈夫ですか?」

「あ、ああ……だ、大丈夫だ」


 がちがちと歯の音が合っていない。身に受けた火傷の痛みよりも、今転んだ足の痛みよりも、未だ全身を襲う恐怖に震えているらしかった。


「おいあんた、どうした。運悪く大物にでもぶち当たったか?」


 バレリオが地面に座り込んで怯えている様子の壮年の冒険者に合わせ、しゃがみこんで片膝をつく。


「そう、そうなんだ……まさかあんなのがいるなんて……お、おれは、おれは……」


 話す言葉が意味を成していない。

 それに、バレリオは静かに力強い声で語り掛ける。


「落ち着いて話せ。なんなら俺達が力になれるかもしれねえ」

「あ、ああ……」


 頼れる太い声音に、漸く男の目に焦点が戻る。そしてやや高い位置にあるバレリオの顔を見上げると、縋るように話し出した。


火蜥蜴(サラマンダー)だ。火蜥蜴(サラマンダー)が出たんだ!」

「ああ? 火蜥蜴(サラマンダー)だぁ?」


 バレリオが思わず顔を顰める。というのも、ここに出現する筈のない魔物だからだ。

 火蜥蜴は、身体自体はそう大きくないが、性質が厄介だった。全身に炎を纏い、皮膚は灼熱の炎で焼かれているかの如く熱い。

 口からは身体の大きさからは想像できないような巨大な炎を吐き、近付くのも大変な魔物だった。

 例え近づけたとしても、その皮膚に僅かにでも触れればその瞬間火傷で覆われてしまうだろう。本当ならば溶岩地帯にしか生息しない筈の魔物だった。


「ちっ、変則発生種(イレギュラー)か。厄介だな」


 バレリオと冒険者の男が話している間、エマはせっせと男の腕に傷薬を塗り包帯を巻いていた。その手を休めず、二人の会話に耳を傾ける。変則発生種なんて厄介だなと、心配げにやや眉を寄せながら。


 変則発生種(イレギュラー)というのは、本来現れる筈のない場所に変則突発的に魔物が生まれ出現することを指していた。

 しかもそれは中位以上の魔物に現れる傾向が強いため、尚更厄介だった。


「本来ならこの洞窟に炎属性の魔物は現れねえ筈だから、俺達の装備に耐炎は考慮されてねえ。今し方寄ったシルドの村でも、そんなもんは売ってねぇしな。しかし、かと言ってまた馬を駆って転移魔法陣の所に行き本拠地に戻るのも、無駄に時間が押しちまうだけだな……」


 顎に手を当ててバレリオは唸る。戻るべきが得策なのは判るが、だがそうこうしている内に勇者達の方が辿り着くだろう。


「……駄目だ、勇者達が今火蜥蜴に会っても、奴らに倒せる可能性は微塵もねぇ。全滅するのがおちだ」


 エマがその言葉に驚く。


「勇者様達って、まだそんなにレベルが低いんですか?」

「まだまだだぞ、あいつらは。いいかエマ。今回の火蜥蜴に関しては、倒さないようにしなきゃならないとか、そんなことは考えなくていい。俺達が今駆逐しておかないと、勇者達はもちろん悪戯に命を落とす冒険者どもが増えるだろうよ」


 冒険者達は元々、自分のレベルに見合ったダンジョンに潜るものだ。だとすれば、本来下等種の魔物しか現れないこのダンジョンに訪れる者達もそれ相応の能力ということだ。

 知らず潜れば、それら多くの者達が空しく死んでいくだろう。それは阻止しなければならない。


「よし、決めた。――魔法補佐班の耐炎魔法の得意な奴に一人、応援要請を頼む。そいつと組んで今回は三人一組(スリーマンセル)で行くぜ」

「は、はい、わかりました!」


 頷いたエマを確認すると、バレリオは壮年の冒険者の肩をそっと叩いた。火傷していない、無事な部分だ。


「ありがとよ、とっつぁん。あんたのお陰で俺達も悪戯に怪我をしないで済んだ。その礼に、あいつの首はおれ達が必ず取ってきてやるよ」

「ほ、本当かい」

「ああ、戦士の言葉に二言はねぇ。あんたは早くシルドの町に行って怪我を回復してきな。あそこには回復魔法の使える僧侶が聖堂にいる」

「あっ、ありがとう! そうさせてもらうよ。嬢ちゃんもありがとうな、手当してくれて」


 エマの手を握ってお礼を言うと、壮年の男は多少足を引きずりながらもしっかりとした足取りで町の方向へと歩いていった。


 それを見送ると、バレリオは服の内側、胸元の辺りから何枚もの小さな紙が綴られた紙の束を出す。その紙の色は、赤、青、緑、黄色とどうやら四色あるようだ。

 パラパラとめくりながら、バレリオが小さく舌打ちをする。


「ちっ、流石に耐炎魔法要請って細かい指定までは出来ねぇか……仕方ねぇな」

「バレリオさん、それは?」

「これは応援要請をする時に使う札だ。赤が俺達アイテム支援班、青が情報偵察班、緑が魔法補佐班。黄色はまあ、それ以外の時の緊急の報せ用に使ってるな」


 バレリオが見せた一枚の緑色の紙には、小さな中に魔方陣に書かれていたような古代語がびっしりと書き連ねてあった。

 その緑色の紙を、大きな手がぎゅっと握って見せる。


「よく見てろよ。これを丸めて強く握り締めると――ほらな、こんな風に光に包まれて紙が消える」

「あっ……無くなってる」


 エマが瞠目する。

 言葉通り、握り拳の内側から不意に発光が起こったかと思うと、掌を開いた時には握っていた筈の紙がどこかへと消えていた。


「無くなってるように見えて、それが実は向こうの本拠地に行ってるって寸法だ。まあ、転移魔法陣の簡易紙版だと思って貰えればいい。この紙自体に持ち主――俺の名前と、特定の行動をすると紙が本拠地に戻る呪文が書き込まれてるんだ」

「へぇ、すごい! 便利ですね」

「けどな、今みたいに耐炎魔法が使える奴を寄こせとか、そこまで細かい指定は出来ねぇんだ。一枚送ることで、『その班の人間を一人応援で寄こせ』――あくまで伝えられるのはそれだけだ。変にこの紙に文字を書き込むと、おかしくなって上手く機能しない場合があるからな」


 便利だが万能ではないらしい。エマがやや不安げに見上げる。


「それじゃ、もしかしたら全く耐炎魔法が使えない人が来る可能性も?」

「ないとは言い切れねえ。だが、それでも代わりに別の魔法が得意だったりすれば、ある程度の力にはなる。来てからじゃねぇとわからねぇが、ともかく物理攻撃しか使えない俺達二人でいるよりは勝機が見える」

「そう、ですね。もうそれしか……」


 確かにそれしか手はないだろう。もし耐炎魔法も水の攻撃魔法も使えなかったとしても、魔法使いの初歩技能とされている防御力や攻撃力をアップする補助魔法は少なくとも使える筈だ。最悪、それでバレリオとエマの能力値を上げて立ち向かうしかない。


「とりあえず、だ。そいつが駆けつけるまで深くは潜らないとしても、ちょいとばかし入口近くの様子ぐらいは覗いておくぞ」

「はい! 行ってみましょう」


 そして二人は顔を見合わせ頷き合うと、洞窟へと入って行った。





 持って来た松明に火を灯して入る。中は、思った通り薄暗かった。ごつごつとした岩肌を片手で触りながら、石の階段を下りて行く。

 火が照らすのはほんの先までだから、急に魔物が目の前に現れても、すぐには気付けない。慎重に進んでいかなければならない。

 こういう時、『梟の眼』スキルが欲しくなる。言葉通り、真っ暗闇でも夜目が利くスキルだ。


「なぁエマ、今梟の眼が欲しいって思わなかったか?」


 今まさに思っていることをバレリオに問われ、思わずエマは状況にも関わらずははっと笑ってしまう。


「すっごく思いました。なんで取っておかなかったんだろうって」

「まあ、一つのスキルを取得するのもそれなりに時間がかかるからな。これを取ろうとすると、その間他のスキルはなかなか取りにくくなるし」

「そうなんです。それで結局、あたしは忍び足スキルの方を取得しました。色々考えたけど、こっちは暗い明るい関係無く使えるから」

「そういうもんだ。俺も梟の眼は四度ほど欲しいと思ったが、結局まだ取ってない。そうやって、死ぬまで取らねぇんじゃねぇかと思うぜ」

「そういうものかもしれませんね」


 のんびりと話しつつも、二人の眼は油断なく辺りを見回すことはやめなかった。

 暗闇の中にほんの僅かにでも動く影がないか眼を凝らす。それとは別に肌で感じる気配にも神経を張り巡らせていた。低地や天井それに真後ろなど、視界に入らない場所から急に襲ってくる敵もいるからだ。


「……バレリオさん」

「ああ」


 エマが足を止め、押し殺した声で同僚を呼ぶ。バレリオも低く小さな声で答える。

 少し先の、開けた空間に何かがいた。

 ぼうっと明るい何かが見える。誰かが置いていった松明だろうか。

 それにしては、動いているようにも見える。まだここは入口近くだ。火蜥蜴の筈はなかった。突然変異であったとしても、あの魔物はその火の性質から岩場の奥を好む。入口近くの雨風が入って来るこの辺りに現れよう筈もなかった。


「エマ、俺が合図したら松明を奴らの方向へ投げてくれ。それと同時に俺が、突進してあれに一度斬りかかる。そうしたらきっと、斬り逃した奴がいればすぐこっちに向かってくる可能性もある。それはお前が対処してくれ」

「わかりました」

「よし、行くぞ。いち、にい……今だ!」


 バレリオの声に合わせて、出来るだけ敵がいる方角に向かって遠く松明を投げる。

 その明るい炎に照らされ、一瞬魔物の姿が鮮やかに見える。

 それは、深層部にしかいない筈の火蜥蜴だった。まだ幼生らしく、とても小さい。だが、その身体は既に灼熱の炎に包まれていた。


「ちっ、こんな所にまで来やがってるのかよ!!」


 唸りつつ、バレリオが剣を振るう。まだ幼生で動きがそう早くないことと隙をつけたのもあった為、二匹はぎゃっと鳴き声を上げてバレリオの剣の露と消えた。だが残り一匹はそうもいかなかった。

 ぎぎ……と蛙のような低い鳴き声を上げると、その小さな身体に見合わない大きな炎を見る見る口内から生み出していく。


 その炎がバレリオ、そしてそのやや後ろにいるエマのいる方向に向けて今、直線状に放たれようとしていた。


「くそっ、エマ、出来る限り離れてろ!!」

「バレリオさん!!」


 受けるとしても少しでもダメージを少なくしようと、バレリオがやや離れた場所にいるエマを背に庇う形で、剣を眼前に掲げ防御の体勢を取る。

 いくらエマがすばしこい足を持っていたとしても、急いで敵の元へ走り討ち取れるだけの時間は無かった。今下手に行けば、眼前に炎を浴びるだけだ。ゆえに為す術もなく先輩の背に守られるしかなかった。

 来る、そう思った時だった。


「えっ?」


 不意に二人の後ろから迸る水流が放たれる。濁流と言って良い程の、それは強く激しい水の流れだった。エマは驚きに眼を見開く。

 どこからか現れたその太い水の柱は、二人を焼くかと思った子火蜥蜴(ベビーサラマンダー)の炎を見る見る内に打ち消していく。そしてそれに留まらずそのまま子火蜥蜴自体を覆い、じゅっとその皮を覆う灼熱の炎を鎮火していく。

 子火蜥蜴も反撃しようと足掻いていたようだが、水圧に押され上手く動けず、ぎぎ……と鳴き声が次第に弱くなっていく。

 そして後には、炎が消えてただの蜥蜴のようになった黒い死骸だけが残された。


「なにぃ……!?」


 バレリオも受け止める筈だった炎が消え、驚いて剣を眼前から下ろす。

 そんな二人の目の前に現れたのは。


「やほやほー、お待たせ二人とも! みんなのアイドル、メルリンだよっ。気軽にメルって呼んでね」


 淡い色彩の衣服に包まれた細く華奢な身体が、くるりと身軽に回転する。

 両耳の上で二つに結われた長い髪は、人間では通常あり得ない筈の澄んだ水色。服もまた、髪に合わせたかのように白地に淡い水色と薄桃色ののフリルがついていた。


 下半身を覆うふわふわしたスカートはごく短い。

 太もも半ばから下の細い足をすらりと出していた。だが、素肌をそのまま晒さず太ももの半ばまでを覆う長い縞々の靴下を履いている為、その姿は決してはしたなくは映らない。どちらかと言うと、元気で愛らしい印象だ。


 そして手に持っているのは、先端に宝石のような飾りのついた細い杖。これでちゃんと戦えるのだろうかと思うような繊細かつ宝飾品のような見た目だが、さっきまで見事な水流を出していたのはまさしくその杖だったから、エマの心配は紀憂に終わっていた。


 その少女の服装は愛らしさと元気さと、そこから僅かに覗く少女特有の色気と。絶妙なバランスで保たれているかのような格好だった。

 顔立ちを見れば人形のように小作りに整っている。紫色の瞳が、茫然と見つめるエマを見とめてにこっと笑む。


「やだー、メルが可愛いからって、そんなに見つめられると照れちゃうよぅ」

「えっと……」


 エマはなんと言っていいやらわからなかった。

 勿論助けて貰った感謝の念もある。すぐに駆けつけてくれたことへの安堵の気持ちも胸に湧いていた。

 だが、それをさておいても困惑の方が勝った。


 そこに立っているのは、この薄暗い洞窟に見事にそぐわない格好をした、一人の美少女だった。

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