第六話 碧い目の小鹿亭にて
エマとアニタが一緒にお風呂に入り、時折アニタのスキルが発動して姿が消えては大騒ぎするというハプニングを繰り返していた頃。
特定非営利活動法人ゆうしゃの職員用宿舎から馬で少し駆けた所にある町――ギルネドにある『碧い目の小鹿亭』では、フレデリカが一人静かな晩餐を過ごしていた。
『碧い目の小鹿亭』は、冒険者に好まれる酒場兼料理屋だが、酒を扱っている多くの店に見られるような猥雑さが無かった。
木調の卓と椅子が並ぶ店内はそれなりに綺麗に整えられ、鹿を模した形の燭台が照らす店内は、特に女性が好みそうな内装で小洒落ていた。
その為、職場からほど近いこともあり、フレデリカ達特定非営利活動法人の女性職員たちにとってここは馴染みの食事処になっている。
フレデリカが座っているのは、窓際にあるカウンター席だった。卓の前には赤葡萄酒が注がれた酒杯が置かれ、その脇には白い皿に乗った山羊乳のチーズが置かれていた。
酒の味と香りを楽しめればそれで良く、食事はそんなに豪勢なものが必要ないフレデリカにとって、ほんの少し酒のあてがあればそれで十分だった。
そんな彼女に近付いて来る影があった。
今し方入口から入店した一人客だ。その客は静かに品の良い足取りで真っ直ぐにフレデリカの背中に近付いて来る。
彼女は背を向けたまま、窓の外を眺めながらゆっくりと酒を口に運んでいた。近付く人影に気付いたそぶりもない。
――と、そのフレデリカが振り向かずに背後へ声を掛けた。
「漸く仕事が終わったか。お疲れだったな、ヴィクトリア」
「いいえ、お待たせして申し訳ありません。フレデリカ」
背後を見ずとも気配で同僚と察知したフレデリカがフレデリカなら、それに驚いた様子も見せずおっとりと微笑んで返すヴィクトリアもヴィクトリアだった。
彼女達にとって、視線を向けずとも共に過ごし慣れた仲間の気配を察知するのは当然のことで、さして反応することでもない。
何事も無かったかのようにフレデリカの隣の席に着くと、栗色の髪の美女は店主に山桃酒の注文を通す。食事を摂ることが目的では無いヴィクトリアは、料理は何も注文しなかった。
そして僅かに顔を傾けてフレデリカに向き直る。
「それで、わたくしにお話というのは?」
来るや否や早速本題に入ったヴィクトリアに、フレデリカがくくっと小さく笑う。
「たおやかそうに見えて、一切の無駄を省く効率的な所が実に君らしいな。悪くない。――話というのは今日のことだ」
同僚であり同い年の友人の軽口を軽く聞き流し、ヴィクトリアはゆっくりと問い返す。
「今日と申しますと……エマさんと出会い、お二人でオークの討伐に行かれた時のことでしょうか?」
「ああ、そうだ」
「それが何か?」
「あのオークの出現……あれは君の差しがねだろう」
そう言ったフレデリカの青碧の瞳は、鋭く友人を見据えていた。
ヴィクトリアは一度目を瞬いた後、おっとりと微笑む。その様子に動揺は微塵も見られなかった。
「まあ……どうしてそのように?」
「明らかにタイミングが良過ぎる。エマ殿が出勤して、私と知り合った直後にオークが現れ、私達に討伐要請が来た」
「確かに丁度良いタイミングではありましたが、魔物の出現はそう読めるものではありませんから」
「そうだな。それは偶然としてもあり得るだろう。だが、それならエマ殿がオークと対峙している時に丸腰になり、それに加勢しようとした私の前に計ったようにオークの援軍が現れたのは何故だ? それも偶然か?」
それに、そもそもオークの存在を先に魔法補佐班が察知したのに、その彼らが行かずわざわざアイテム支援班に要請が来たのもおかしかった。
魔法が効かない魔物だというなら話は別だが、相手は所詮オーク。魔法補佐班が転移魔法を使いオークの前に跳び、全体魔法で退治すればそれまでの筈だ。わざわざ自分達アイテム支援班を動かす道理が無い。
だが、その通常外の指図を魔法補佐班が勝手に判断して行ったとは考えられなかった。
あくまで自分達アイテム支援班も彼らも、作戦参謀班の指示に乗っとって動くことが基本となっている。そして今日、あの時刻屋敷にいた作戦参謀班の人間は、ヴィクトリアただ一人の筈だった。
ヴィクトリアはその能力と初期メンバーと言う立場もあって人事の一切も受け持ってはいるが、本来の彼女の職務は作戦参謀班においての作戦立案である。
フレデリカの瞳は、少しの感情の機微も見逃さないというかのように、友人を静かに見据えていた。
尋ね口調ではあるが、その瞳には疑問も怒りも無かった。そこにあるのはただ確信だった。それを読み取って、ヴィクトリアはふっと目を伏せると首を振る。
「……どうやら貴女には隠せないようですね」
「今更だろう。伊達にここに来てからずっと君の友人はしていない。……何故こんなことをした?」
今フレデリカの瞳にあるのは、疑問と僅かな非難だった。エマは勿論のこと、村人の親子を危険な目に合わせたことを思い浮かべているのだろう。
ヴィクトリアはそれに静かな口調で返す。
「村人のお二人のことは、想定外でした。魔法補佐班には人のいない場所を見計らいオークを数体呼び寄せるよう頼んであったのです。実際、呼んだ当初は誰もいなかったのですが……」
「運悪く、そこに出会ってしまったということだな」
それはフレデリカも理解していた。魔法補佐班の当初の出動要請でそんな大事な情報が省かれる筈も無いし、本当に彼の親子は不運だったのだろう。
だが、そこは仕方ないとしても、引っかかるのはオークの援軍を呼びフレデリカを足止めしたことだ。
エマの機転で親子は無事逃れ、エマ自身も危ない所ではあったが何とか怪我無く済んだが、一歩間違えれば危険な状態だった。
あえてそんな状態を作り上げたということは――つまり。
「エマ殿の実際の能力を、測りたかったということか?」
「ええ。……わたくしの鑑定眼スキルで見ることが出来るのは、所詮数値のみです。攻撃力や防御力は覗けても、その方の本質までは見抜けない」
「本当にこの業務に合う人物か、人柄を見定める必要がある。……故に、出勤二日目に試験したという訳か」
「そういうことになります。勿論、最悪の事態を想定して、森の中には魔法補佐班を一人忍ばせておりました。いざという時には魔法でエマさんや村人のお二人の危機を防御するよう。本当に限界の部分で動くよう、彼には見定めさせておりましたが」
「なるほどな……。それならばこの件はそれで良いことにしよう」
例え非情に見える作戦でも、その裏にきちんと対策を取っていたのなら、それ以上フレデリカは何か言うつもりはなかった。
そもそもフレデリカは、この友人が理由もなく非情な行いが取れる人間だとは思っていない。彼女が動く時、そこにはそれ相応の理由がある。ならばこれ以上、自分があれこれいうのは無駄だと思った。
そんな彼女を見つめるヴィクトリアの菫色の瞳は静かだった。
「貴女はエマさんを見て、どうお感じになられましたか?」
「元気でお転婆そうに見えてその実、頭の回転が速く咄嗟の機転の利く子だ。――それに何より、彼女にはどんな状況でも諦めないしぶとさがある」
思い浮かぶのは、爛々とした緑の眼差しでオークを見据えるエマの姿。身体中土に汚れ、みすぼらしい格好になっても、彼女の瞳の光は依然輝きが褪せていなかった。
「彼女ならきっと、アイテム支援班の仕事も難なくこなせるようになるだろう」
「ええ……わたくしもそう思います」
答える菫色の瞳も、件の少女の姿を思い浮かべたのか和やかな色を浮かべている。と、何を思い出したか、ヴィクトリアが楽しげにくすりと微笑んだ。
「そういえば、あの後も楽しいことがあったのですよ」
「私がエマ殿と別れた後か?」
「ええ、宿舎で情報偵察班のアニタ・ララジャとお知り合いになられていました」
「ほう……入ってすぐにあのアニタの姿が見えるとは」
「いえ、実際には声だけしか聞こえなかったようなのですけれど、その後スキルを解いて姿を現したアニタさんとご友人になられたようで」
やりとりを思い出しているのか、ふふっとヴィクトリアがなおも微笑む。
「友人か、それはまた驚きだな。アニタと同じ情報偵察班のイサークでさえ、今までに三度しか彼女の姿を見たことがないと嘆いていたものだが」
僅かにでも緊張すると、アニタは無意識に隠密スキルを発動してしまうらしかった。恐れ緊張し、消え入りたいという思いがスキルと言う形で彼女の姿を消してしまうのか。
通常隠密スキルは、暗殺者を職業として極めると身に付く後天性スキルの筈なのだが、彼女の場合は珍しくも生まれた時から身に備わっていた先天性の自動発生スキルだった。
故に、自動発生スキルとは言っても心持ち次第で多少の制御が出来るので、緊張せず穏やかな心持ちでいればアニタの姿も常に万人に見える筈なのだが、少し気弱な所がある彼女はなかなかそうもいかないようだった。
一度スキルを解いても、また委縮してすぐに消えてしまうことが大半だった。
――だが、エマの前ではどうも違っているらしい。
「エマさんはどうも、色々な方々の心を良い方向へと動かす方のようです。……本人が意識されているかどうかは不明ですが」
ヴィクトリアの脳裏には、エマに逃された親子の姿も映っていた。母親である女性は、しきりにエマの心配をし、彼女に感謝の念を述べていた。
エマの言葉が無ければきっと、自分はただ怯えているだけだった。そう幾度も言葉にして。
怯えるだけの彼女を担いで逃げることなら、ある程度力があれば誰でも出来るだろう。だがエマは、彼女に生きる活力を思い出させ、その足で走らせた。それは誰にでも出来ることではないと、ヴィクトリアには思えた。
友人のそんな様子に、フレデリカが片眉を上げる。
「どうやらエマ殿は、ヴィクトリアの厳しいお眼鏡にも叶ったようだな」
「あら、厳しいだなんてそんな」
「厳しいだろうよ。――そういえば思い出したぞ、私がここに来た初日の日にもコボルト討伐に行かされていた。確か7体、偶然にも西の森に現れてな」
「ふふっ、そういえばいきなりの腕試しでしたね」
あくまで微笑んでとぼけるヴィクトリアに、フレデリカはふんと鼻を鳴らしそれ以上は追及しなかった。これ以上突いた所で、ヴィクトリアからは何も得られないだろう。それに、フレデリカの中には聞かずとも確信がある。
代わりに呆れたようにぼやく。
「……全く、本当に君は謎が多い人物だ」
「まあ、そのようなことはございませんよ」
「どうだか。この職場で君ほど経歴が不明な人間も珍しいぞ」
フレデリカの視線にはじとっと僅かに責める色が覗く。
「過去は過去に過ぎませんから。現在のわたくしが、貴女の目に映るわたくし。それでよろしいのでは?」
「……まあ、そうだな。謎が多いし腹の底も読めないが、そこも含めて君は私の頼れる友人だ。それでいいことにしよう」
若干の嫌味を含めつつも友人を認めたフレデリカに、ヴィクトリアがくすりと微笑む。
「ええ。それでは久し振りに食事を御一緒する友人同士、乾杯でもいたしましょうか」
そして漸くヴィクトリアは手つかずだった酒杯に手を添える。フレデリカも肩を竦めるとそれに乗った。
「ああ、たまには仕事を除いて語り合うのも悪くない」
二つの酒杯が軽くぶつかり、高い硬質な音色を響かせる。
そうして、二人の美女の晩餐の時はゆるやかに更けていくのだった。
≪特定非営利活動法人ゆうしゃ職員名簿≫
【登録名】ヴィクトリア・シメネス(26歳)
【レベル】?
【所属班】作戦参謀班、及び人事部
【称号】?・?・?
【前職】?
【愛用武器】?
【所持スキル・アビリティ】
『?』……???
『?』……???
『?』……???
・
・
・
(以下、スキル欄が延々と続いている。名前と所属班以外の部分はセキュリティロックが掛けられ特殊文字で記入されている為、高位解読スキルを持つ者で無ければ読み解けそうにない)