第二話 新たな職場は森の古屋敷
そして訪れた、初出勤当日。
ヴィクトリアから渡された地図とにらめっこしつつ辿り着いたのは、若干古びてはいるが貴族の館と見紛うほど重厚かつ大きな建物の前だった。
見上げつつエマは、緊張に逸る胸を押さえていた。
町外れの森の中にこんな立派な建物があるなんて知らなかった。ここまで来る道中、何度も地図を見返しては首を傾げたものだ。
幾つものクエストをこなしそれなりに苦難も超えてきたエマではあるが、特定の仕事に就くというのは今回が初めてだった。これまでの経験が生かせるかわからない以上、やはり緊張だってする。
流れの仕事とは違って、これから出会う人達とは単発クエストのように一度きりの付き合いという訳ではない。これから先ずっと共に働いていくのだ。
それを思えば、プレッシャーにはそれなりに強い筈の胸もドキドキと煩くなっていくのだった。
同僚になる人達は、どんな人達だろう。果たして上手くやっていけるだろうか。
いや、やっていけるかじゃない。やっていかなければならないのだ。
勇者さま達の円滑な冒険の旅のため、引いては世界の平和のため。身を粉にして働く所存でいかなくては。ぐっと握り拳でエマは奮起する。
「時間良ーし、服装も良し! よね」
そして深呼吸しつつ、自分の様子に不備がないか最終確認する。
エマの若木のようなしなやかな肢体を包んでいるのは、着慣れた盗賊の装備だった。風に靡く短い外套の下は、身軽に動くことを重視して鎧の類いは付けず、袖の短い布の服の上に急所を覆う程度の軽量の革の胸当てをつけている。
腰のベルトには長年愛用している短剣を差し、隣には薬草などを入れた小さな巾着袋が下がっていた。
下はごく短い下袴を履き、惜しげも無く太股から下の足をさらけ出している。足元を覆うのは、これまた丈夫ではあるが軽い革のブーツだ。
人によっては若い娘がはしたないと見る向きもありそうだが、エマにとって素早く駆け抜けられる足は何よりの商売道具だ。この足によって命を守られ、幾つもの戦いを切り抜けてきた。だから、この格好で出向くことに何ら恥じる気持ちはない。
そもそもヴィクトリアからは、冒険に適していて身軽に動ける服装であれば何でも良いとの言葉を貰っていたので、特に問題はない筈だった。
そしてその上にあるエマの髪型は、やや特殊だった。橙色に近い明るい栗毛を耳の下の両サイドで三つ編みにし、さらにそれを結い上げ耳の脇で輪になるように結んでいる。
盗賊だからこうしているという訳ではなく、これはエマの故郷の部族に代々伝わる髪型だった。本当は髪は短ければ短いほど動きやすいが、こればかりは物心ついた頃からずっと根付いていた習慣だったので変えられなかった。
切り揃えられた前髪の下に覗くのは、猫のようにほんの少しだけ吊り上がったの形の良い緑の瞳。注意深く辺りを見回し、敵や財宝のありかを逃さないその瞳は、持ち前の好奇心と快活さを表したかのように光を受けてキラキラと輝いていた。
彼女を見た者は、一瞬なんとも元気な少年だと勘違いし、もう一度見ていややはり少女だったと気づき、最後に見返してどうにも不思議な少女だと心の隅に留め置くことだろう。
盗賊の抜け目のなさと、それに相反する子どものような純粋さ。それを合わせ持つのがエマという少女だった。
見上げた先には、特定非営利活動法人ゆうしゃと看板が掲げられた三階建ての大きな建物。
「今日からここがあたしの職場……いいわ、どんな仕事だってやってやろうじゃないの!」
高く昇った太陽がさんさんと、拳を握り締め新たなる一歩を踏み出したエマを照らしていた。
※
「失礼します」
きぃと貴族の館並みに重厚な押し扉を開くと、そこには広めの玄関ホールがあった。
天井には上品なシャンデリアが下がり、一瞬本当に貴族の屋敷に迷いこんでしまったのかと勘違いしそうになるが、壁際にある受付カウンターがここは職場なのだと何とか思い出させる。
受付カウンターの前に姿勢良く佇んでいたのは、先日でお馴染みのヴィクトリアだった。エマの方を振り向くと、ゆったりと微笑む。
「ようこそ。お待ち申し上げておりました、エマさん」
今日の彼女は濃紺の制服に身を包んでいた。細いながら女性らしい凹凸のある肢体に、緩やかなラインを描くその制服はよく似合っている。
「ヴィクトリアさん! こんにちは、今日からよろしくお願いします」
まだ一度しか会ったことはないが、それでも見知った顔があると精神的にだいぶ違う。ほっと息を吐いて挨拶したエマに、ヴィクトリアは流れるような所作で受付を通り過ぎた先にある扉を指し示した。
「こちらこそ。それでは早速ですが、エマさんの職場にご案内いたしますね」
優雅ではあるが無駄のない流れで事を運ぶヴィクトリアに、エマは頷いて付いて行った。
ヴィクトリアがエマを連れて行ったのは、二階にある剣士の訓練部屋のような所だった。大きめの居室の壁を取り払い、二つ繋げたくらいの広さだろうか。結構広い。
壁には剣や槍、斧など様々な種類の武器が立て掛けられ、その横には騎士が着るような鎧も鎮座している。武器を振るう練習に使うのだろう、人間実寸大の藁人形なども木の棒に刺されて置かれている。
奥では一人、戦士と見られる大柄な男性が藁人形を相手に鍛錬に励んでいた。素振りの音や、はっと短く叫ぶ掛け声がここまで聞こえて来る。
「あの、ここは……?」
確か職場に連れて行ってくれるのではなかっただろうか。
不思議に思う気持ちを隠さず辺りを眺めるエマに、ヴィクトリアが静かに微笑む。
「こちらが、エマさんに所属して頂くことになるアイテム支援班の鍛錬部屋になります」
「アイテム支援班?」
「はい。基本的に彼らはダンジョンなど屋外で活動を行うことが多いため、他の班のように作業部屋のようなものは特にございません。この本拠地に戻った際彼らが集うのが、実質的にこの鍛錬部屋となります」
「えっ、仕事って外でするんですか?」
この建物の中で行うのだとばかり思っていた。
「ええ。室内で作業する班もございますが、アイテム支援班においては外が基本となります。それゆえ危険も多く、時には魔物との戦闘を行うこともあるため、エマさんのような盗賊の他、戦士や剣士といった腕に覚えのある者が多く在籍しております」
「そうなんだ……」
思わず素の喋りに戻ってエマは息を吐く。ちょっと意外だったけれど、ほっとする向きもあった。それなら、ギルドでやっていたこととそう変わりはないかもしれない。
魔物と戦うことも、あえて戦わず危険を回避して行動することも、すばしこいエマならお手の物だ。
「わかった! じゃあアイテム支援班って、危険な場所にいる勇者様に回復アイテムを届けるとか、そんな感じですか?」
ぽんと手を打ったエマに、ヴィクトリアがふふっと微笑む。
「そうですね。エマさんの仰っているお言葉は近いのですが、若干の相違があります」
どうも微妙に違うらしい。
首を傾げたエマにそれ以上の説明はせず、代わりにヴィクトリアは向こうで鍛錬に勤しんでいた男性に呼びかけた。
「そちらは追々説明させて頂きますね。まずは一緒に行動することになるメンバーをご紹介いたしましょう。……バレリオさん、少々こちらへ来て頂けませんか」
向こうから、おーうと野太い声が返って来る。そしてすぐにこちらへ歩いて来た男性は、ちょっと驚くほどの巨体だった。遠目に見ても大きい人だなと思ったが、実際近くで見ると迫力がある。
「よぉ、嬢ちゃん。新人かい? 俺はバレリオだ。よろしくな」
陽気に手を差し出すバレリオは、三十代後半と言ったところか。それなりに年を重ねているが、屈託のない様子と鍛えられた肉体が若々しさを感じさせる。
右目の瞼に刀傷があり、その下の目はどうも潰れているらしい。見れば顔中と言わず体中に無数の傷跡が盛り上がっていたが、筋骨逞しい体に刻まれたそれらは、痛々しさは感じさせず逆に勲章のような誇り高さを纏いそこにあった。
「エマさん、こちらが戦士をしておりますバレリオと申します。剣も使いますが、特に得手なのは大槍。大きな魔物や獣にこそ真価を発揮する猛者にございます」
「よ、よろしくお願いします!」
バレリオの陽気な挨拶と、ヴィクトリアの流れるような説明に目を白黒させつつ、差し出された大きく武骨な手を握り返す。このバレリオの逞しく傷だらけの手に比べると、エマの白く小さな手などまるで赤子のようだ。
大槍を使うと言っていたが、きっとさぞかし見事に振るい上げることだろう。そこまで考えて、ふとエマは心の端に何かが引っ掛かかった。
そういえばバレリオという名前も、どこかで聞いたことがある気がする。
「バレリオさん……大槍……って、あっ! も、もしかして、大槍使いの『迅雷のバレリオ』!?」
目の前がはっと開けて、エマは思わず大声を上げていた。そうだ、迅雷のバレリオだ。
大槍を握らせたら右に出る者がいないと言われた伝説の片目の傭兵、それが『迅雷のバレリオ』だ。
ギルドでも長年どの冒険者も倒せなかった鷲頭獅子討伐を果たし、数々の名声を欲しいままにしながら、いつの間にかひっそりと表舞台から消えていた謎の多い人物でもあった。まさかこんな所で働いていたとは……。
驚きに目を見開いてまじまじと見つめるエマに、バレリオが豪快に笑う。
「なんだ、知ってたのかい嬢ちゃん。まあそう呼ばれた時もあったが、今の俺はこの法人に勤めるただのバレリオさ」
「あっ、ご、ごめんなさい! 思わず呼び捨てにしちゃって。あたしは元盗賊のエマって言います。これからどうぞよろしくお願いします、バレリオさん」
憧れの人物を前に驚いたとはいえ、上司もしくは先輩となるだろう相手に流石に非礼だ。顔を赤らめて頭を下げたエマに、バレリオは鷹揚に片手を振る。
「いいってことよ。そうか、嬢ちゃん……エマは盗賊なんだな。そりゃあ助かる。俺達の仕事はとにかく素早さが必要なもんでな」
「えっ? 力の方が必要なんじゃないんですか?」
魔物を倒すこともあるとヴィクトリアは言っていた。その為、不思議に思いエマが問い返す。
「いや、力もあるに越したことはないが、身軽さや素早さほどじゃない。俺達の仕事は、出来る限り戦わないようにすることが何より大切だからな」
「戦わないように?」
ますます意味がわからない。思わず頭を抱えたエマに、ヴィクトリアがくすりと小さく微笑む。
「先程はきちんと説明せず、混乱させてしまい申し訳ありません。ですが、アイテム支援班の業務内容を説明することは、引いてはこの特定非営利活動法人ゆうしゃの成り立ちとも関わってきますので。……お茶をお淹れしますので、その先は向こうの談話室でゆっくりお話しましょう」
どうぞこちらに、と優雅に一礼すると、ヴィクトリアは廊下を挟んで向かいの部屋へと二人を誘導した。
誘導された談話室は、まさしく貴族の館のティールームといった風情の部屋だった。床には蔓草模様が編まれた落ち着いた深紅の絨毯が敷かれ、瀟洒な家具がその上に品良く並んでいる。
本当にここは、どういった建物なのだろうか。
さっきの鍛錬部屋は逆に武骨で荒っぽい雰囲気だったし、自分がいるのは果して軍事施設なのか貴族の屋敷なのか、エマにはわからなくなってくる。
ヴィクトリアの手が、部屋の中央にある四人掛けの白い丸テーブルと椅子を指し示した。
「どうぞお掛けになってください。エマさんは紅茶でよろしかったでしょうか?」
「あ、はい。ありがとうございます」
ヴィクトリアはバレリオには尋ねなかった。バレリオも特に気にした風もなく、上品な飾りのついた椅子に巨体を腰掛けている。
気心知れた者同士飲み者の趣味は聞かずともわかるのだろう。事実、一度退室し少ししてから戻ってきたヴィクトリアの持つトレイには、二人分の紅茶が入ったカップと、琥珀色の液体が入った酒杯が置かれていた。
「おっ、わかってるじゃねえか。ヴィクトリア」
エマの隣で瀟洒な椅子にはみ出しそうな巨体を座らせていたバレリオが、酒杯を目にして相好を崩す。
それにちらりと視線を返した後、ヴィクトリアが音を立てぬ静かな動きで飲み物を各々の前に並べていく。
「勤務中ではございますが、これから貴方に出動して頂く予定はございませんので本日は特別です。それに、お酒が入った方が貴方の説明にも熱が入るでしょうから」
「ちっ、やーな部分まで把握しやがって」
顔を顰めたバレリオにふふっと微笑んで、ヴィクトリアも椅子に腰を下ろした。エマの向かいの位置だ。
「エマさんも、どうぞお飲みになりながらお聞きくださいね」
「はい、頂きます」
そしてすっと姿勢を正し、そのままエマに向き直る。
「お話は戻りますが……エマさんに所属して頂くことになるアイテム支援班。こちらは現在このバレリオを入れて五名の者が在籍しております。――つまりエマさんをお入れして、この度よりメンバーは六名ということになります」
「六人……」
それが多いのか少ないのか、エマにはわからない。だから、残りの人達もバレリオのように気さくな人だといいな、と思うぐらいだ。
そのバレリオが、酒杯を口に運びながらゆったりと口を開く。
「俺は今日は本拠地待機でな。一人は休み、残り三人は仕事で外に出てる。こんな風に、外に出て仕事する奴と本拠地に残って鍛錬を積む奴と、日によって交代で分けてるんだ」
「他のメンバーにつきましては、戻りましたら追々ご紹介させて頂きますね。そして、肝心のアイテム支援班の業務なのですが……」
「は、はい」
ごくりとエマが唾を飲み込む。それが一番聞きたかったことだ。
すっと息をひとつ吸うと、ヴィクトリアが厳かに口を開く。
「アイテム支援班の仕事は――勇者パーティーの入るダンジョンに先回りし、宝箱を置くことです」
「……へ?」
エマはぽかんとした。
何それ、何でまたそんなことを。色々な何でが、瞬く間に頭の中を交錯する。
だが冗談では無いらしい。ヴィクトリアの表情はあくまで真面目で落ち着いている。
「戸惑われるお気持ちはよく判ります。何故そのような回りくどいことを……そう思われていることでしょう。ですが、わたくし共がこういったやり方に至ったのは、それ相応の理由があるのです」
そしてヴィクトリアは、声の調子を静かなものに変えた。
「わたくし共の代表――理事長の名をヘルマンと申します。ヘルマンは、貴族の中でもそれなりの有力者であったため、初め勇者パーティーが世に現れた際、彼らの冒険に対する志しに打たれ、金銭や高価なアイテムを贈ることで彼らを援助しようとしました。……ですが」
「もしかして、受け取って貰えなかった?」
続く言葉を予測して、遠慮がちに尋ねたエマにヴィクトリアが小さく首を振る。
「いいえ。最初の数度は、勇者様方も喜んで受け取ってくださいました。ヘルマンも喜びました。これで彼らの、引いては世界の平和のため役立つことが出来ると」
静かに耳を傾けるエマの心の中では、初めて耳にする話に新鮮な気持ちと、その奥に妙に腑に落ちる気持ちも湧いていた。
そうか、やっぱり代表の人は貴族だったのか。それに貴族間でもそれなりに力の強い人らしい。それなら、このやたらに大きな屋敷も品の良い丁度品の数々も頷ける。
うんうんと頷くエマを見ながら、ヴィクトリアは静かに話を続けていく。
「……ですが、四度目以降は、勇者様方は贈り物の受け取りを拒むようになりました。――何故かは判りますか?」
「ええと……うーん。貰ってばかりで気遅れしたから?」
「ええ。彼らの心理としては、それに近かったのではないかと思います。今までごく普通の村の青年として暮らしていた彼らが、急に与えられ受け取ることになった高価な品の数々。戸惑うこともあったでしょう」
それまで腕組みして黙って聞いていたバレリオが口を開く。
「聖剣を抜いて勇者と呼ばれるようになったからって、奴らはまだまだレベルも低いひよっ子だ。そんな奴らに不相応に貴重な武器やアイテムなんかを贈っても、大抵はびびるし重荷に感じるわな。――貰ったからには一刻も早く魔王を倒さなければならない、期待に応えなきゃならない。そう思うのが人情だろうよ」
「ああ、そっか……そうかもしれませんね」
それならエマもちょっとわかる気がした。
贈り物は確かに嬉しい。それが自分では買えないような高価な品だったり貴重な物だったら、尚更だ。
だがその裏に、何か見返りを求められていたら? 相手にそんな気持ちは無かったとしても、そう思わずにいられない程自分には不相応な品だったら?
きっと自分なら、嬉しい気持ちよりも只ただプレッシャーに感じてしまうことだろう。受け取りを拒みたくなる気持ちもわかる気がした。
「もちろん我らが代表のヘルマンは、勇者様方へ死地に急げと仕向けたかった訳ではございません。只ただ勇気ある若者達の支援をしたかった、それだけにございます。――ですが、勇者様方も世間もそうは思わなかった」
ヴィクトリアが目を伏せて顔を横に振る。
「ヘルマンの行為を模倣し、我先にと勇者パーティーに贈りものを贈り、未来の英雄となるだろう彼らと繋ぎを得ようとする貴族が数多現れました。その度に足止めをされ、精神的にも疲弊していく勇者達……これでは駄目だと、ヘルマンは思いました」
そして顔を上げ、菫色の瞳がエマをひたと見つめる。
「そして作り上げたのが……この『特定非営利活動法人ゆうしゃ』なのです」
≪特定非営利活動法人ゆうしゃ職員名簿≫
【登録名】エマ(18歳)
【レベル】38
【所属班】アイテム支援班
【称号】 なし
【前職】傭兵(盗賊)
【愛用武器】短剣
【所持スキル・アビリティ】
『鍵開け』……鍵を持っていない時でも、一定の扉や宝箱の鍵を開けることが出来る。
『盗む』……戦闘時、敵からアイテムを盗むことがある。
『忍び足』……敵に気付かれずに移動(戦闘回避)することが出来る。
『風の谷の守護』……風の谷の部族固有の特殊アビリティ。
レベルアップ時、素早さと風耐性にボーナス値が付く。