都の市場にて
アルヴァー邸に着いた時、ベルトルドをはじめラウラとアンドレアが歓待してくれた。クリストフェルの兄レオナルドはスヴェン=エリク帝の宮殿に詰めていて、その日は会うことはかなわなかった。
リッツァは初めての騎乗の旅に疲れも峠を迎えており、湯で身を清め、食事を終えると歓談中に眠ってしまった。
翌朝、リッツァが目を覚ました時、寝台でふかふかの寝具にくるまり守られるように体を休めていた。
(一生の不覚・・・最初から大失敗だわ)
リッツァは心の中でつぶやいた。
たぶん、ここまでリッツァを運んだのはクリストフェルだろう。上半身を起こすとリッツァは自身の頭を抱える。疲れていたとはいえ、話の途中に眠ってしまうとは貴族の子女らしからぬ振る舞いだ。
深く息を吸うと気合を入れるために自分の頬を両手ではたく。身支度をしようと部屋を見回すとリッツァの荷物はきちんと部屋に運ばれ、衣服は衣装用の戸棚に仕舞われていた。
自分が眠っている間に片付けまで終わっていて、リッツァはまたも頭を抱えたくなった。失敗は取り戻さなくては、早朝からリッツァは決心した。
アルヴァー邸に着いて数日。クリストフェルの妹アンドレアが都を案内してくれた。クリストフェルが護衛としてリッツァとアンドレアのそばに着かず離れず寄り添っている。
リッツァよりも2つ年上のアンドレアは快活で聡明な美人であった。クリストフェルと同じブラウンの髪に瞳は明るい鳶色、白磁のような肌の持ち主で、人目を引く容貌ながらそれを鼻にかけない。優しいアンドレアにリッツァはこんな姉がほしかったとひそかに思っていた。
「明朝、リッツァ様をソイル広場の朝市へ案内しようかと思うのだけど、いかがかしら?」
リッツァが一度見てみたいと言っていた市場を案内するとリッツァに伝えたのはのんびりと家族だんらんを過ごしていた夕食後。
その提案に目を輝かせたのはもちろんリッツァである。
皇都パーヴェルの中央に太陽神ソイルをまつる聖堂があり、その前に広がる円形広場に毎朝市が立つ。太陽神ソイルの加護のもと、色とりどりの旬の食材に主食の麦。日用品から装身具まで円形の広場に所狭しと100軒近くの露店が並ぶ。「朝市によらねば、パーヴェルのよさの半分を知らないことになる」とまで、言わしめた皇都の名物でもある。
お目当ての品を求めて、遠方からも多くの人が集まってくる。
「アンドレア様!連れてきてくださってありがとうございます!」
目を輝かせてアンドレアの手を握る。ヴァーリフェルト領に戻ったら、こんなにぎやかな市場を開きたいと思う。規模も集まる人も都よりも劣るかもしれないが、それでも領内が少しでも活気あふれる場所になればいいととみに願う。
露店で珍しい野菜や果物を手に取り、リッツァは熱心にその農法や調理方法を店主に聞いて回っていた。
その様子をアンドレアとクリストフェルは好ましげに観察していた。
「リッツァ様って、本当に一生懸命で可愛らしい方ね、お兄様」
「一生懸命になるのはヴァーリフェルト伯爵のこととか領地の人、その土地のことだね。かわいらしいのはその通りだ」
隣で微笑むアンドレアにクリストフェルはそう答える。
「あら、お兄様のことでは一生懸命になって下さらないの?」
兄妹で軽口をたたきあいながら市場の人波をかき分けて歩む。
夢中になって市場を巡っていて、ふと気が付くとアンドレアとクリストフェルの姿が見えないことにリッツァは気が付いた。
(はぐれちゃったかしら・・・)
リッツァはあたりを見回すが、二人の姿は見当たらない。朝市は通常貴族の子女が来るところではないため、今日はリッツァを含め、アンドレアもクリストフェルも貴族の服ではなく、民に扮していた。
それでも、クリストフェルとアンドレアは人目を引く容姿の持ち主なので、目立つはずだ。
リッツァは不安になって二人を探す。人の多さにリッツァは飲みこまれそうになる。やみくもに動いてもますます二人と離れ離れになってしまうかもしれない。
(どうしよう・・・)
一度、市場を抜けてソイルの聖堂前に言ってみようと思い立ち、くるりと踵を返し聖堂へ向かった。
聖堂前についても二人の姿は確認できず、リッツァは項垂れた。そして、聖堂の入り口に続く階段に腰を下ろした。勝手のわからない都で迷子とはなんと心細いことかと、リッツァは思った。
「お嬢さん、何か困りごとですか?」
突然、声をかけられてリッツァは一瞬身を固くした。都には軽薄で軟派な男性も多いから、気を付けるようにと耳が痛くなるほど言われていたため、声をかけてきた男性に警戒する。
男性は二人組で声をかけてきたのは、黄金色の髪が風にそよぎ、空色の瞳がリッツァをとらえている。長身でやや痩身、年のころはクリストフェルと同年あたりか。一見したところ分からないが、裾や袖の細やかな刺繍が施された服を身にまとっているところを見ると、上流貴族か裕福な商人の息子といったところかもしれない。なかなかの美形であるが、油断ならない。
もう一人は赤銅色の髪に褐色の瞳、強く引き結ばれた唇。帯剣をして声をかけてきた男のそばにそっと控えているところを見ると、声をかけてきた男の護衛といったところだろう。かなりの長身なうえ、逞しい体躯の持ち主でそこにいるだけで他者に威圧感を与える。おそらくかなりの剣の使い手だろう。護衛役としてはもってこいの人物なのだろうと思った。
「別に困ってなど。少し休んでいるだけですから、どうぞお構いなく」
平静を保って答えるが、本当は非常に困っている。しかし、目の前のこの人物が信用に足るかわからない以上助けてもらう訳にもいかない。
「お構いなくと言われても、構いたくなるのはなぜだろう。」
「それはあなたがへそ曲がりだからでしょう。」
護衛と思われる男がリッツァの返答を聞いて、吹き出した。商人の息子と思しき男性は肩をすくめて「ひどいなぁ」といいながら苦笑する。
リッツァも失礼なことを口にしているのは承知していたし、心苦しかった。ただ、相手の正体がしれない以上、警戒を解くわけにもいかない。
「でも、本当に困っているなら助けてあげるよ、お嬢さん」
リッツァの瞳を覗き込んで、商人の息子と思しき男は尋ねる。
「ご心配なく。本当に結構です。でも、ご厚意には感謝いたします」
軽く頭を下げてリッツァは二人に礼をする。彼らの厚意は嬉しかったが、丁重にお断りした。
結局、アンドレアが聖堂前にいたリッツァを見つけてくれるまで、その二人組はリッツァの話し相手になってくれていた。
リッツァが迷子であったと判明したときに二人の男性は大いに笑い、今後は迷子にならぬよう助言を残して去って行った。
「クリス様、アンドレア様。心配かけてごめんなさい」
クリストフェルと合流できた時に、リッツァは目に涙を浮かべながら謝罪した。
「いいえ、こちらこそごめんなさいね。リッツァ様が夢中になっていたのは分かっていたのに、目を離してしまったのは私たちよ。リッツァ様が見えなくなったときは本当に胸がつぶれそうでしたわ」
アンドレアはそういいながら、リッツァを引き寄せ抱きしめる。
「それから、私のことはアンでいいわ。お兄様もクリスって呼んでいるみたいだし」
「アン様・・・私もリッツァと呼び捨てで構いません。アン様は私のお姉さまみたいな方だから」
そういうと、リッツァもまたアンドレアを抱きしめた。
「お兄様もこんな感じで気安く呼び合うようになったの?」
朝市の帰り道の馬車の中。アンドレアの膝の上ですやすやと眠るリッツァの頭をそっと撫でながら、向かいに座るクリストフェルに話しかける。
「ま、似たようなものだ。でも、クリスと呼んでくれるまで結構時間がかかったのになぁ。」
クリストフェルは手を伸ばし眠るリッツァの頬を優しくつついて、目を細める。
「ふふ、それにしても本当に可愛らしいですね、リッツァ様。私の可愛い妹みたいな方」
アンドレアは優しくリッツァの頭をなで続けた。
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