貴方へ綴る手紙
アルヴァー侯爵邸で行われた許婚と家族の顔合わせが済んで、早半月。リッツァとエドガーはその後三日ほど皇都に滞在して、ヴァーリフェルト伯の領地に帰ってきた。
国境に面したこの領地は葡萄畑が広大に広がり、ヴァルフォニア皇国内でも有数の葡萄酒の産地であった。
ぶどうの花が咲くころになり、余分な花を取り除くために領地にいる女子供たちが集まる。すべての花に葡萄房がなると、立派な房が出来ないため、余分な花を摘むのである。
リッツァも花摘みに参加するために作業に適したひざが隠れるくらいのスカートとブラウスを身に着けた。肩甲骨を隠すほどに伸びた髪の毛をねじりあげて、簪で一つにまとめる。
リッツァ付きの侍女のベリトは着替えを片付け、リッツァに話しかける。
「リッツァ様が何でもお一人で仕度なさるので、私の仕事がなくなってしまいます。」
「ふふ、作業の時だけよ。何かのお呼ばれの時はベリトに手伝ってもらわないと。私の髪を綺麗に結いあげてくれるのはベリトだけよ」
「ありがたいお言葉です、リッツァ様。さぁ、葡萄の花を摘みに行きましょう」
ベリトとともにリッツァは屋敷を出て、葡萄畑に向かう。父エドガーをはじめ葡萄畑の主たちが花摘みの指示をしている。
花摘みの作業時期はヴァーリフェルト伯爵邸の広場に領地内の住民が集まり、伯爵が用意した昼食とお茶を楽しみに住民たちが一斉に集まり、今年の葡萄の出来を祈念しながら盛り上がる、そんなお祭りのような日でもあった。
さっそく葡萄畑に足を踏み入れるとリッツァは花摘みを始める。毎年の作業で手慣れたもので次々と花を摘む。
花摘みをしながら、ふとリッツァは先日アルヴァー邸で行われた晩餐を思い起こしていた。
アルヴァー邸の晩餐でリッツァとクリストフェルの結婚は喜ばれ、特にアルヴァー候の妻女ラウラと長女アンドレアはリッツァを気に入ってくれたようで、結婚の相手がクリストフェルで本当にいいのかと念押しされた。
クリストフェルよりも素敵な殿方はたくさんいるだの、年齢も離れているが気にならないかなど、いろいろと言われもしたが、いいのかと言われたらリッツァは肯定せざるを得なかった。
クリストフェルをリッツァの結婚相手として考えるならば、家柄的にももったいなく、会話も普通に楽しめた。しかし、近衛騎士団に所属する彼が、ここの領主となり田舎暮らしに耐えられるのだろうかと思う。陛下の傍に仕えるという、名誉ある仕事を手放して、リッツァの婿となり、ヴァーリフェルトの名を継ぐのを納得してくれるのだろうか。
クリストフェルから見たら7つも年下の小娘だろうリッツァと結婚することにためらいはないのか。
そして、何よりクリストフェルに想う人はいないのだろうかと。
花を摘む手を動かしながら、リッツァはあれこれ考えをめぐらした。
晩餐の席で両家の話し合いの結果、結婚の日取りはリッツァが17歳を迎える年、1年後がいいであろうと具体的な日取りが決まった。これはクリストフェルが近衛騎士団を辞めて、ヴァーリフェルト伯爵の後継となる手続きなどもあるため、それくらいの余裕があったほうがいいとの見解であった。
自分の意見などそこにはなく、リッツァには反対することなどできなかった。その時のクリストフェルの様子をそっと窺ったとき、リッツァを安心させるかのような笑顔でリッツァに向かって一つ肯いた。
(クリストフェル様はこの結婚に納得されているのかしら)
否が応でも結婚の話は進んでいく、リッツァも覚悟を決めなくてはならないのだと、その席で悟った。
「リッツァ様、今年もいい香りですね」
近くで花を摘んでいたベリトがリッツァに声をかけた。葡萄の甘い香りを発した小さな花を落としていく。
「そうね、今年も味のいい葡萄がなるといいわね。」
「手をかけて、愛情をかければきっとなります。天候に恵まれればよいですね。」
汗をぬぐい、ベリトはまた作業に戻った。リッツァもまた黙々と作業に戻る。
領内総出で早朝より作業を続け、正午を一刻ばかり過ぎたころ、昼食の準備が整ったと声がかかる。額に浮かんだ汗をぬぐうとリッツァはベリトに声をかけて、屋敷に戻る。
すでに集まっていた領民たちは用意された軽食をほおばり、リッツァを見かけると気軽に声をかけてくる。リッツァも笑顔で答えるとそこに人が集まってくる。
先日まで領地を離れ都に言っていたリッツァに都の様子を尋ねてきて、リッツァもまた都で見聞きしたことをみんなに伝えていた。
リッツァが昼食にありつけたのは、すでに食事のほとんどが領民にいきわたり、食べるものがほとんどなくなってからであった。
「今日も一日無事に終わったわね」
リッツァは作業を終えると、畑の傍らに腰を下ろした。ベリトがリッツァの傍に控えている。
「リッツァ様もお疲れ様でした。それにしても、領主のお嬢様が花摘みに参加されるなんて、前の領主様を考えると想像できませんでしたわ。」
葡萄畑を見やりながらベリトは言う。
「そうなの?お父様が自ら畑に出て働いでいるでしょう。だから、私もお手伝いしなくちゃって、何もしないでのんびりしていられないもの。」
立ち上がってスカートについた草を払うと、リッツァは笑顔で伸びをした。
「さ、リッツァ様お屋敷に戻りましょう。あまり遅いと旦那様に叱られます。」
「ええ、帰りましょう。なんだか、体を動かすと疲れるわね。」
ベリトを伴い、リッツァは帰途についた。
屋敷に戻り、父エドガーと夕食を済ませると、リッツァは自室に戻り、机に向かい手紙を書く。手紙を送る相手は皇都にいる許婚クリストフェルである。
アルヴァー侯爵家での晩餐後にクリストフェルがリッツァに声をかけてきた。お互いに離れて暮らしており、会話などままならないだろうから、お互いに手紙を綴り送ろうと、クリストフェルが提案してきた。
その心配りにリッツァは感謝した。許婚であるクリストフェルのことを何も知らないで結婚するより、少しでも知っていた方がいい。きっと手紙は雄弁にその人柄を語るであろう。
クリストフェルは日常の何でもないことでもいいから、手紙を書こうと言って笑っていた。
父親同士が決めた結婚であり、愛のない結婚だということは承知している。初恋も経験しないまま結婚することにためらいはあったが、貴族の子女として生まれた以上我儘は言えない。
リッツァの両親もまた最初の出会いは前皇帝の命を受けたものだと生前のリッツァの母は語っていた。詳しくは聞かなかったが、母は異国で生まれ育ち、国が滅びてヴァルフォニア皇国にやってきたのだと。
先の皇帝ペール=エリクは紛争の絶えなかったこの地に己が軍を派遣し、リッツァの母の生国を滅ぼした。母は王族に連なるものだったと言う。
父エドガーは武勲をたたえられ、リッツァの母を与えられたのだと誰かがリッツァに教えてくれた。
幼心ながらリッツァから見る両親は仲が良く、お互いを慈しみ合っていたと思う。
いつだったか、リッツァは母親に恋をしたことがあるかと聞いたことがある。儚げで美しかった母は優しくリッツァの頭をなでながら、結婚した父エドガーが初恋の人だと言って笑っていた。結婚してからでも生まれる想いもあるのよと生前の母はリッツァに語ってくれた。
仲睦まじかった両親を見て育ったリッツァにとって、その夫婦の形は憧れであった。許婚であるクリストフェルともそんな夫婦の形を作り上げることが出来ればいいと思う。リッツァ一人で思っても仕方のないことも理解している。
リッツァは手紙に葡萄の花摘みに参加したこと、花摘みの時期は領民みんなで昼食をとること、領地はいま葡萄の花が咲きほのかな甘い香りが領地を包んでいること、最後にクリストフェルとアルヴァー侯爵家に変わりがないかをしたためて封をする。
(こんなに普通のことでいいのかしら・・・)
封筒に入れた手紙をそっと胸に抱きしめて、リッツァはその送り先である相手に思いを馳せた。
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