2人の誓い
しばらくすると衝立の向こう側から規則正しいリッツァの寝息が聞こえてきた。先程まで答えを導き出すことに苦労していた難題に、クリストフェルとの会話において一筋の光明を見たのか、思考の檻に囚われることなく、リッツァは夢の中の住人となっていた。
クリストフェルから見れば、リッツァの抱えていた感情は分かりやすく愛おしいものであった。衝立の向こうで眠るリッツァを思うと、思わず笑みが零れてしまう。
目を閉じて隣の寝台で眠るリッツァのことを思い返す。初めて出会ったときはカーテンにくるまっていた少し幼い印象だがその容姿は目を釘付けにするほどの稀有な美しさを持つ少女であった。それからリッツァとの時を重ねるうちにその印象は大きく変化した。まるで騎士のごとく馬を駆る活発な娘であり、好奇心に溢れ、賢く、心優しき少女であり、時折大人びた女性にも見えた。時にクリストフェルの想像をはるかに上回るほどの蛮勇をみせ、放っておけない行動を見せた。アーベル皇子襲撃時には賊を単身追いかけるという離れ業を見せた時は肝が潰れるかと思うほど心配したのは言うまでもない。
放っておけないから、目が離せなくなり、リッツァを傍に置きたいと願ったのはいつからであったろう。クリストフェルは指を組み、その掌を己の後頭部に添える。
リッツァに対する感情が激しく燃え上がるようなものかと言えば、そうではない。どちらかと言えば、穏やかで暖かで深い。同じ時を過ごし、同じものを見聞し、同じようなことを感じる。クリストフェルの経験してきたどの感情とも違うものであった。
(こういうのも悪くない)
クリストフェルはリッツァの想いがどう育つか見守り、大切に二人の関係をはぐくもうと考えていた。
そんな折、リッツァに芽生えた幼く純真な想いを感じ取った。自惚れかとも思ったがここ数日のリッツァの言動を観察していれば、相当鈍感な男でもない限り気が付く。
「んん・・・」
衣擦れの音とリッツァの声が聞こえてきた。衝立を少しずらしてクリストフェルが覗いてみると、寝返りを打ったようで上掛けが肩から落ちかかっている。
クリストフェルは立ち上がり上掛けをそっとリッツァの方まで引き上げる。頬にかかる髪を掬い取り、背中の方へ流してやる。穢れのない雪のようなリッツァの白い頬をそっと指の背で撫でる。
「おやすみ、リッツァ」
瞼にそっと口づけてから、クリストフェルは自分の寝台に戻り、そっと衝立を元の位置に戻した。
窓の方を見やると、雲が空を覆っている。その雲が白み始めている、夜明けが近い。騎士団に所属していたころからの習慣で夜明け前に起床し、隣で休むリッツァを起こさないように音をたてないように身支度を整える。
朝日が顔を出す頃、リッツァを起こそうと思っていた。
「クリス様?起きてらっしゃる?」
寝起きのかすれ声でリッツァが話しかけてきた。
「起きているが、起こしてしまったか?」
「いいえ、いま目が覚めました。クリス様よりも早く起きるつもりでしたのに」
最後の方は小さくつぶやき、着替えるので覗かないでくださいねと言い、リッツァも手早く身支度を整えている。今日は一段と冷えるようで部屋の中だというのに吐息が白い。暖かい格好をするようにリッツァに言い添える。
「クリス様も暖かくしてくださいね。」
襟巻をまき綿入れを身に着けたリッツァがクリストフェルにも襟巻を差し出す。ありがとうと受け取り、首に巻いた。
早々に宿を後にする。昨晩頼んでおいた弁当を女将から受け取り、宿代を支払う。
「そろそろ夜明けだ。今日は雪雲が出ているし、冷えるから、あったかくしてお行き」
「はい、お世話になりました。」
リッツァが女将に頭を下げる。
「また、来ておくれ。子供でも連れてね」
そう言いながら、女将は肩目を瞑ってリッツァを見る。リッツァは顔を赤くして、小さくうなずいている。そして、人差し指でクリストフェルに自分の傍に来るように合図して、女将は耳打ちをする。
「幸せにしておやり、女は旦那が誠実であれば幸せだ。また、連れておいで」
人のよさそうな笑顔を浮かべた女将はクリストフェルの背中をトンと叩く。わかりました、と返事をして宿を出た。
宿の傍に控えている馬車をそっと覗くとダグとミカルは毛布にくるまって眠っている。クリストフェルは2人を起こさないようにその場を離れる。万が一、二人が起きた時に心配させないよう、リッツァと共に聖堂に行く旨をしたためた紙片を馬車の扉の隙間に挟む。
宿の前でリッツァが手を揉んで、クリストフェルを待っていた。
「では、聖堂に向かおう。歩いてそれほどかからないだろう。あれが聖堂だね」
宿の前から丘の上の聖堂をクリストフェルは指をさす。
「そんなに遠くなくってよかったですね。それにしても寒いですね」
雪が降るのかな、と言いながらリッツァがその身を震わせながら、クリストフェルの方に笑顔向ける。寒さのせいか、リッツァの鼻の頭と頬にほんのり赤みがさしている。
「鼻の頭が赤くなっているよ、襟巻をもう少し引き上げるといい」
そう言って、リッツァの襟巻を顔の半分隠れるくらいまでクリストフェルがくるりと巻きなおす。
「では、聖堂に向かいましょう、お嬢様」
おどけてクリストフェルがリッツァの皮の手袋に守られたその手を取る。
リッツァと歩いて聖堂に向かう。寒いだろうとクリストフェルはリッツァの腰に手を添え、自分の方に引き寄せる。リッツァは一瞬恥ずかしそうにうつむきながらも、その身をクリストフェルに寄せてくる。そんな自分を頼るリッツァの姿に心が温かくなる。
今まで、社交界に出てからリッツァと同じ年のころに恋に落ちたこともある、貴族の女性たちと割り切った付き合いをしたこともある。しかし、リッツァと共にいる時間はそのどれとも違う、こんなに優しく温かな気持ちになれることを知る。それと同時に庇護欲と独占欲にも駆られるので厄介な感情でもある。
聖堂に着くころ、ちょうど夜が明けたのか聖堂の入り口の扉の閂を外す音がし、神官が入口にかがり火を灯した。朝が早いのか、参詣者はクリストフェルとリッツァのみであった。クリストフェルは火をともし終えた神官に声をかけた。
「聖火を見に来たのですが、拝見できますか」
「ええ、どうぞ。お二方に主神ソイルと女神ルミナのご加護がありますよう」
神官は小さくお辞儀をして聖殿の中へ戻っていく。クリストフェルとリッツァは手袋と外套とを脱ぎ聖殿の中へ入る。こじんまりとした小さな石造りの聖堂であった。
クリストフェルはリッツァの手を取り聖堂の広間に出る。主神ソイルと月の女神ルミナの木像が祭壇に祭られていた。その前に置かれた一つの燭台に灯された小さく揺らめく火が聖火だと、先程の神官が言っていた。
「これが聖火・・・」
そうリッツァはつぶやくと手を取っていたリッツァの手に力が少しこもったのを感じる。一度リッツァの手を離し、クリストフェルは胸に手を当て国とヴァーリフェルト領の安寧を願う。クリストフェルが隣に立つリッツァを見遣ると目を閉じ、何か願をかけているようであった。
しばらくして閉じていた瞼を開くとリッツァは来てよかったと零れるような笑顔を見せる。
クリストフェルはリッツァの両肩を攫んで自分の方に向けて、二人は向かい合わせとなる。クリストフェルが優しく微笑むと、リッツァは緊張した面持ちでクリストフェルを見上げた。
「リッツァ。貴女にとって不本意な結婚にならないよう、努めたい。二人で共に末永く幸せに暮らしたいと思っている。私と結婚してほしい」
許婚であり、結婚が決まっているのにもかかわらずクリストフェルはリッツァに結婚を申し込んだ。許婚だから結婚する、それでもクリストフェルはリッツァにきちんと自分の想いを伝えたかったし、これが好機だと思っていた。目の前のリッツァは一瞬驚いたように動きを止めていたが、その美しい双眸に見る見るうちに大粒の涙がたまっていく。瞬きをすると真珠のような涙の粒がはらはらとリッツァの頬を転がっていく。
「わたしもクリス様と共に幸せに、父と母やクリス様のような素敵な家族を築きたいです。今が、幸せすぎて、嬉しすぎて・・・クリス様、私と結婚してください」
「聖火への誓いだ、リッツァと共に幸せに、苦労は分かち合って半分、喜び共に喜び倍に感じよう。貴女をこの世で一番大切にする」
「はい、わたしもクリス様を何者をからも守ります」
「守るのは私の役目なのだが…」
クリストフェルは破顔するとリッツァを優しく抱きしめた。リッツァがその胸の中からクリストフェルを見つめて、幸せの涙をこぼした。リッツァの濡れた瞼にそっと唇を落とすクリストフェル。
リッツァはクリストフェルに身を任せて、瞼に受けた口づけに頬を染め、目を閉じている。優しくリッツァの顎に手を添えたクリストフェルはリッツァのその唇にそっと口づけを落とした。
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