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恋が舞い降りる

 ミカルが探してきた宿屋は2階建てであり、1階は食堂兼酒場となっているようで宿泊客か旅の者で大いに賑わっている。リッツァはクリストフェルに付き添われて宿屋に足を踏み入れて、酒を酌み交わし談笑している人たちの様子を見て目を細める。活気にあふれる様子に心が少し明るくなった。

 2階に上がる手前に帳場があり、恰幅のいい女性がクリストフェルとリッツァの様子をつま先から頭までじっと眺めると、愛嬌のある笑顔を見せる。

「新婚さんかい?だから、この冬至の祭りに来たんだね!さっきの少年があんたたちのこと頼むってさ。私はここの宿の女将やってるんだ。ゆっくり休みなね。」

 新婚と言われてリッツァは頬が熱くなるのを感じる。クリストフェルは肩をすくめながらも笑顔を見せると宿帳にペンを走らせる。冬至の祭りとはなんだろうと宿のおかみにリッツァは尋ねた。

「いやだね、祭りできたんじゃないのかい?冬至を迎えるにあたってね、太陽の神様ソイルに感謝とこれからの安泰を願って、聖堂にある祭壇に1000年燃え続けている聖火をいただいて一軒一軒灯火をともすのさ。1年に1度だけ丘の上の聖堂でその聖火を拝めるんだよ。その聖火を拝んだものはソイルの加護を受けて幸せになれるってもっぱらの評判だよ。恋人や夫婦が一緒に拝むと末永く幸せなんだとかで聖火を拝みにこの町に遠方からも旅人が訪れるのさ」

 だからあんたたちも来たんだろう、とおかみさんはクリストフェルの肩をトンと叩く。

「可愛い奥さんじゃないか、泣かせるんじゃないよ」

 無論そのつもりですと、まじめに答えるクリストフェルと女将の会話を聞いてリッツァはますます上気する。

 夕食と朝食は1階の食堂で、湯を使いたかったら部屋に湯を持っていくと女将は言って部屋に二人を案内した。


 部屋は寝台が二つ並んでおり、小さな机と椅子が二つ。長椅子も一つ置かれた簡素でこぎれいな部屋であった。

「掃除が行き届いていて気持ちがいいね」

 クリストフェルが荷を下ろして、部屋を見回している。

「そうですね、寝具もふかふかです」

 寝具を一撫でしてリッツァはクリストフェルを見る。リッツァは急に意識をしてしまい、目を伏せる。

(・・・どうしよう、今晩ふたりきりなのよね)

 未婚の貴族の女性が同室で男性と2人きりになるなど、通常ではありえない。独身の貴族の女性にははしたないことであるし、そんなことが知られれば疵物だと結婚もできない。

 クリストフェルとは婚約が成立しているし、その婚約者と同室で一晩過ごすので問題ないのか、リッツァは考え込む。

「寝台の間に衝立を置こう、それで大丈夫かな?」

 部屋の隅に置いてあった衝立を寝台の間に置いて、クリストフェルはリッツァに確認するも、考え込んでいるリッツァにクリストフェルの声は届かない。

「リッツァ?」

 目の前でひらひらと手のひらを動かしているクリストフェルに気が付き、リッツァは驚きビクッと体を痙攣させる。

「今日はずっと考え事しているね、リッツァ」

 そう指摘されてリッツァは両手で自分の頬を包む。確かにおかしい。

「自分でもそう思います、ごめんなさい」

 大きなため息をついてリッツァは傍にある椅子に腰かける。クリストフェルがリッツァの腰かけた椅子の前で膝をつき、リッツァの頭を撫でる。その手の暖かさにホッとしながらも、恥ずかしくて顔から火が出そうである。今まで、何度となく頭を撫でられているのにも関わらず、今になってクリストフェルを強く意識してしまう。

(いやだ、心臓がどきどきしている、クリス様に聞こえちゃう)

「あ、あのっ」

 思いのほか自分の大きな声にリッツァは恥ずかしくなるが、心臓の音をごまかせるかと思うとつい声が大きくなった。

「ごめんなさい」

「うん」

「その、緊張しているのです。あの、男性と同室で一晩過ごすなんて初めてですし、当たり前ですけれど。」

「確かに、健全な貴族の娘がすることではないね。まぁ、私たちは婚約をしているのだし、お嫁にもらうから問題ないよ。」

 クリストフェルはリッツァの額に一つ口づけを落とすと、ご飯にしようとリッツァを食堂に誘った。額に口づけられたリッツァは心臓が跳ね上がり、なんて心臓に悪いとクリストフェルを軽くねめつけた。


 クリストフェルに頭を撫でられると、甘い痛みが胸を走り抜ける。頭からその温かい手が離れてしまうと、恋しさで寂しくなる。額に口づけされた時は心臓が飛び出そうなほど跳ねた。

 ミカルが話していたクリストフェルと噂のあった貴族の子女のことを考えれば、胸がもやもやして苦しくなる。

 食事を終えてからも、気が付けばクリストフェルのことを考えている。寝台に腰かけ、リッツァは衝立に目をやる。衝立の向こうでは紙をめくる音が聞こえてくる、きっと書物を読んでいるのだろう。その姿を想うと心が温かくなる。

 体を横にして、衝立の方を向いて目を閉じる。明日は年に1度公開される聖火をクリストフェルと見に行く約束を交わした。朝日が昇る時間から日没まで見られるとこの宿の女将がリッツァに教えてくれた。


 恋人や夫婦が一緒にその聖火を拝めば末永く幸せになると言う、まだ夫婦ではないがクリストフェルとずっと幸せで暮らしていきたいとリッツァは思う。あんなに結婚に後ろ向きであった自分の心境の変化にリッツァは気持ちが付いて行かない。

「リッツァ、そろそろ灯りを消すよ」

 衝立の向こうからクリストフェルが声をかけてきた。はい、とリッツァは答える。その返事を待って部屋の灯りが落とされた。

 部屋の中が闇に包まれる。隣の寝台ではギシッと木のきしむ音がする。リッツァは目を閉じて眠ろうと試みるも目が冴えて、眠気が全くやってこない。

 そうしてまた思考の檻にリッツァは囚われた。


 何度か寝返りを打ち、リッツァは深呼吸をする。明日は朝が早いのに眠れないことに少し焦りを感じる。

「眠れない?」

 クリストフェルがしばらくして声をかけてきた。

「なんだか眼が冴えてしまって…クリス様も?」

「いや、隣で悩ましいほどのため息が聞こえて。少し心配でね」

「ご心配をおかけしてすみません、おとなしくしますのでクリス様は休んでください」

 どうやら何度も深呼吸して、寝返りを打っているリッツァを心配してクリストフェルは声をかけてきたらしい。そんなクリストフェルの気遣いにリッツァは小さな喜びを感じた。

 私もね、とクリストフェルは突然語りかけてきた。

「リッツァのように自分の気持ちを持て余して、眠れないほど悩んだことがある。あれはリッツァと同じ年のころか、もう少し若かったかな」

 ゆっくり優しい声色でリッツァに聞かせるように語るその声は、リッツァの耳に心地よく響く。

「騎士学校に入ったばかりで、夜会やら何やら訳も分からず出ていたな。その頃にね、今のリッツァによく似た想いを抱えていたことがあった。ちょっと考える時間が出来れば、そのことばかり考えてしまって何をやるにも集中が出来なかったな」

 そう言ってクリストフェルは笑っている。

「クリス様が?私と同じ・・・」

 つぶやくようにリッツァの口が開く。

「そう、リッツァと同じ。こんな話面白くないってリッツァ思ったら、ちゃんと言うんだよ。中断するから。」

「わかりました」

 相手が見えてないとわかりながらもリッツァは首肯した。

「社交界でね、一人の女性と出会ったんだ。その女性は私よりもずっと大人で華やかな人だった。私は今まで自分の傍にはいない類のその女性に懸想した、所謂…初恋だ。子供で経験もない私はその感情の正体が恋であると気が付くまでに時間がかかってね。私は友人に指摘されたよ、それは恋だよってね」

「恋…」

「そう。それで腑に落ちた。ああ、そうかってね。自分の感情の正体が分かって正直安心したんだ。だから、リッツァがもし自分の感情の正体が分からないのなら、誰かに相談してごらん」

 そう言えばその女性とはうまくいかなかったよ、とクリストフェルは思い出したように付け加えた。


 クリストフェルの話を聞いていて、何となく自分のこの感情の答えが見つかった気がした。初恋の女性の話を聞いて面白くないと思いながらも、クリストフェルはリッツァのためを思って自身の経験を語ってくれていると思うと嬉しいのだ。

「クリス様、ありがとうございます」

 衝立の向こうにいるクリストフェルにリッツァは礼を述べた。

「いえ、どういたしまして。少しはリッツァの助けになれたかな。」

 少しおどけたようにクリストフェルの口調は砕けている。恥ずかしい話をしたな、などとクリストフェルはつぶやいている。

「クリス様のおかげで、私のこの胸にある得体のしれない感情の正体が分かりそうです。」

「それはよかった、これで眠れそう?」

 はい、とリッツァはクリストフェルに答える。

(きっとこれが私の初恋・・・)

 リッツァは自分の胸に手を当てる。恋を知って結婚したいと思っていた自分の願いがまさかこんな形で叶うとは想像もしていなかった。


「おやすみ、リッツァ」

「ええ、おやすみなさいませ。クリス様」

 安心したのか、リッツァは簡単に睡魔に襲われ、そのまま眠りについた。


ここまで読んでいただきありがとうございます。


誤字・脱字があるかと思いますので気が付きましたらご連絡ください。


お気に入りに登録いただいている方ありがとうございます。

更新が遅くて申し訳ないです。

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