村での一幕
「ミカル、戻ってきませんね」
リッツァは窓の向こう、集落の入り口付近をじっとうかがう。自警団を呼びに宿場町へとミカルが向かってから二刻程だっている。陽もとっぷりと暮れてあたりは夜のとばりが下り始める。
「今日は新月だ。夜道を照らすものがないし、ミカルも戻ってこないだろう」
常緑樹の森にひっそりと生活を営む集落であり、月の明かりがない以上、ミカルがこの集落に戻ってくるのは非常に困難であろう。
「無事だとよいのですが」
「ミカルは大丈夫。従騎士としての訓練も積んでいる。それに私が別に鍛えたし、エドガー様も筋がいいと褒めておられた。その上、ミカルは賢いしね」
ずいぶんとミカルを買っているものだと、リッツァは思う。自分もクリストフェルからこれほどの信頼を勝ち得ているのだろうか。リッツァが一人悶々としていると、クリストフェルは今夜ここで宿泊するための準備に取り掛かっていた。あわてて、リッツァもクリストフェルを手伝った。
リッツァ達一行は宿場町での宿泊をあきらめ、焼け残った民家の内、空家であった家を借り受けそこで一夜を過ごすことに決めた。連れてきた馬は家の傍に括り付け、水を与える。御者のダグは馬たちの世話をしていた。夕食時になると村の者たちが盗賊たちの略奪から逃れたわずかばかりの食糧をリッツァ達へと村に残された女たちが持ってきてくれた。
「大切な食糧なのでは…皆さんが召し上がる分はあるのですか?」
女たちから食糧を受け取ると、リッツァは村の人たちが心配で尋ねた。もし村人たちの食べる物がないようなら自分たちが受け取るわけにはいかないのである。
「大丈夫です。少しなら貯えもありますので遠慮なさらずに召し上がってください」
「ありがとうございます、大切にいただきますね」
満面の笑顔でリッツァが微笑むと食事を届けに来た女たちは一斉に見とれた。女神様の笑顔が見られたと、嬉しそうにしながら帰って行った。
集落では焼け出された者たちが豊穣の女神エローラをまつった小さな聖堂に集まっていると聞いたリッツァは、食事を終えると聖堂に足を向けた。ヴァーリフェルト領の侍女たちにと都で買った飴玉を携えて。
聖堂の扉をそっと開いて覗いてみると、そこには何名かの村人たちが疲れ切ったように床に座り込んでいたり、神に祈りをささげていたり様々な過ごし方をしていた。中には小さな子供の姿も見える。
「女神のお姉ちゃん?」
扉からのぞいていたリッツァを目ざとく見つけた子供たちが何人か集まってきた。
「私は残念だけど女神じゃないの。今はこれをみんなに持ってきたのよ」
子供たちに手を出させると、リッツァは色とりどりの飴玉を一つずつ手に乗せてやる。ありがとうと、子供たちは喜んでほおばる。リッツァはそこにいる大人たちにも飴玉を配る。子供だましでも少しは心と体の慰めになるはずだと。
「これしかないのですが、召し上がってくださいね」
リッツァは一人一人に配り終えると祭壇に目をやる。
エローラの像がまつられていたであろう場所には何もなかった。盗賊たちが信仰のシンボルですらも持ち去ったのだ。村人の命がただの一つも散っていないことは幸いだが、攫われた女子供が心配である。
「リッツァ。そろそろ、帰るよ」
気が付くと聖堂に入り口にクリストフェルが立っている。飴玉を配るだけと出てきたが、子供たちと遊んで寝かしつけているうちにだいぶ時間が過ぎてしまったようだ。なかなか戻らないリッツァを心配してクリストフェルが迎えに来たのだろう。リッツァは聖堂にいる人たちに声をかけて、聖堂を後にした。
「明日、ミカルが戻ってきたら今後の対応を決めよう」
片手に手燭を片手にリッツァの手をとり、暗闇を進むクリストフェルが口を開いた。
「ええ、自警団の方々が来てくださればいいのですが。」
リッツァは願う、どうかクリストフェルを失望させないでほしいと。ミカルが自警団を引き連れてこの集落に戻って来てくれれば、現状は一変するはず。訓練を受けた人間が多ければ、攫われた女子供を救う作戦も立てやすくなるであろう。
「そうだね。明日を待とう。今日は早く寝て、明日に備えよう」
翌朝、小鳥のさえずりでリッツァは目を覚ました。隣にはクリストフェルが横になっていたはずだが、寝袋は片付けられ、その姿はすでになかった。次の間には御者のダグが休んでいたはずだったが、彼もすでに起床し、部屋には誰も居ないようだった。
リッツァは寝袋から抜け出ると、素早く身支度をする。長い髪をひとまとめにくくり、何事かあってもいいように乗馬服に身を包む。窓の外からは美味しそうな匂いが漂い、リッツァの鼻先をくすぐる。ダグが朝食の支度をしているのだろう。耳を澄ませば、シュッと冬のとがった風を切る音がする。基本の型をなぞり、突きや払いなど一連の動作をクリストフェルは繰り返している。
「おはよう、リッツァ。よく眠れたかい」
そっと庭先に出てクリストフェルを観察していたリッツァに気が付き、声をかけた。
「ええ。よく眠れました。クリス様もダグも早起きですね」
普段通りだよ、と笑いながら剣を鞘におさめてクリストフェルは汗をぬぐっていた。クリストフェルの体からは湯気が立ち上っている。
「ダグが朝食を用意してくれているから、いただくとしよう」
はい、と一つ肯きリッツァはダグのもとへ足早に向かう。手伝おうと声をかけたが、すでに家の表にあった竈で干し肉と干しキノコのスープを作り終えていた。三人は玄関近くに転がっていた丸太に各々腰を掛けて食事をとった。出来上がったばかりのスープに干したパンを浸して食べる。
「美味しいわ、ダグは何でも作ってしまうのね」
感心しきりのリッツァは料理の手ほどきをお願いしたいと、本気で頭を下げていた。つかの間の穏やかな時間にリッツァは身を置いていた。
朝食を終えると、ダグに留守を託してリッツァはクリストフェルと共に集落の入り口でミカルを待った。集落の人たちが起床し、家の煙突から煙が吐き出される頃にミカルと二つの騎馬が姿を現した。
「ミカル!」
クリストフェルはミカルの姿を認めると大きな声をかける。ミカルも主人の声を耳にして、クリストフェルとリッツァのもとにはせ参じた。
「遅くなりまして申し訳ありません」
ひらりと馬上から降りたミカルは膝をついて、リッツァとクリストフェルに詫びを入れる
「詫びなどいらない。それよりも首尾は」
膝をついているミカルの両肩を掴んで、クリストフェルは宿場町の自警団との話がどうなっているのかその報告を待った。ミカルから告げられた報告に一同は一喜一憂することになった。
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