我思う故に我あり
アルヴァー邸に第二皇子アーベルが訪れた翌日、リッツァは発熱し寝台に横になっていた。物心ついてから風邪などひいたことがなかったリッツァにとって、発熱による倦怠感は煩わしく不快以外の何物でもなかった。
本来であればバーリフェルト領に帰る準備を始めなくてはいけない時期であったが大事を取って、リッツァがアルヴァー邸にもうしばらく滞在する旨を当主であるベルトルドが手紙にしたため、早馬に乗せた。
リッツァの傍らには心配そうに見守るクリストフェルの姿がある。額に浮かぶ玉のような汗をクリストフェルは優しく拭う。看病など男性ましてや貴族に名を連ねる者がすることではなく、リッツァは恐縮する。これでは熱が下がるどころか、ますます悪化しそうな勢いである。
たまにリッツァの熱を計るように、額や首筋に手を当てる。それだけでもいたたまれない気持ちでいっぱいになる。
瞼を閉じて眠ろうとするとアーベル皇子の全身全霊を込めた哀しい告白を思い出す。アーベル皇子は使おうと思えばいくらでも使えた、皇子の特権を使わずリッツァの幸せを望んでくれた。
(なぜ私だったのだろう。)
ヴァルフォニアの第二皇子といえば、娘をとつがせたい有力な貴族たちも数多くいただろうに。ただ、皇子の周囲に人はいても信頼できる人は一握りで孤独でもあったのだろう。皇子としての地位や価値を見出した貴族たちは皇子を利用することしか考えないものも多かったはずだ。
「リッツァ、大丈夫か?あまり考え事をしないほうがいい。今はゆっくり休みなさい」
汗のために額に張り付いたリッツァの髪の毛をそっと取り払うクリストフェルが優しく囁く。リッツァはゆっくりとクリストフェルの方を見上げて、軽くうなずく。
傍にいて看病してくれるクリストフェルにお礼が言いたくて声を発する。
「クリス様、ありがとうございます」
のどに潤いがなく、リッツァの声がかすれてしまう。
「しゃべらなくていいから。のどが渇いているのかな、水を飲む?」
水を飲みたくて、リッツァは小さくうなずく。水を飲むために体を起こそうとすると、クリストフェルが背中を支える。その大きくてたくましい腕にリッツァは安心感を覚えた。
クリストフェルに支えられながら水を飲み終えると、リッツァはまた寝台にその体を横たえる。
水差しの水が残り少ないため、クリストフェルは補充しようと席を立つ。その時、リッツァの手がクリストフェルの服の裾を軽くつかんだ。1人にしてほしくなかったのだ。
「あの、どちらへ?」
とっさに服を攫んでしまったリッツァはクリストフェルに尋ねる。
「水を入れてくるだけだから、すぐに戻るよ」
リッツァの額に優しく口づけるとクリストフェルは水差しを持って部屋を出て行った。口づけされた額が熱を持ったように熱い。また熱が上がったような気がする。
体が弱っているせいか一人になるとさびしい、クリストフェルが傍にいると安心する。額への口づけはなんだか照れくさい。散漫とした思いの中、リッツァはようやく浅い眠りについた。
リッツァが全快したのは発熱してから3日後のこと。クリストフェルがずっとそばで看病してくれていたことにリッツァは身が縮まる思いである。
結局、ヴァーリフェルト領に帰るのはひと月延長となり、アルヴァー邸でもう少しだけお世話になることになった。
それからしばらく、王立図書館に足を運んで貴重な書物を読みふけったり、アンドレアと2人で観劇をしたり、刺繍やレース編みをしたりとリッツァはアルヴァー邸でのんびりと時を過ごしていた。
そんなときに結婚式の衣装をこちらで誂えようベルトルドとラウラが提案し、都でも皇族御用達の腕のいい仕立て屋に頼むことになった。ラウラとアンドレアが付き添って仕立て屋に向かう。
仕立て屋へ入ると店主が出迎える。ラウラがリッツァの花嫁衣装を誂えたいと店主に伝え、リッツァを店主に紹介する。
「ブルーノ、こちらはヴァーリフェルト伯爵の娘でリッツァ嬢よ。クリスのお嫁さんになる方。リッツァ、この方が都で一番の仕立て屋でブルーノよ」
「リッツァと申します。この度はよろしくお願い申し上げます」
「まぁ!なんて美しい姫君ですこと。私はブルーノ・エリと申します。美の女神ルミナも嫉妬しそうなお姿ね」
ブルーノは目の前にいるリッツァの美しさに興奮していた。早速、リッツァの体を採寸し始める。採寸が終われば布を選びだ。
花嫁衣装は穢れのない娘であるという意味合いもあり白か貴族であれば自分の家の紋章を入れる旗色を使用する。ヴァーリフェルト伯爵家は鉄紺色が旗色である。ラウラとアンドレアは白と鉄紺色どちらも誂えようとブルーノに注文している。ブルーノも喜色満面で布を用意する。
白と言っても生成り色から象牙色と何種類もの色味があり、また生地も正絹とはいえ平織や朱子織と織が違う生地が色々と用意される。
ラウラとアンドレアは一つ一つ生地を吟味し、リッツァにあてていく。リッツァは心ここに非ずといった体である。アーベル皇子からの告白を受け、自分だけが幸せをつかんでいいのかと考えてしまう。告白されたことについてはアーベルとオーヴェ、そしてリッツァの3人しか知らないこと。
アーベル皇子がアルヴァー邸から去って、ベルトルドやクリストフェルからアーベル皇子の用事はなんだったのか尋ねられたが、リッツァは口をつぐんで答えることはしなかった。アーベル皇子個人の気持ちを曝すつもりはなかった、それはアーベル皇子にとって大切な想いだったから。
「この生地にしましょう。リッツァさんの魅力を引き立ててくれるわ。」
「そうね、お母様。これがいいわよ、リッツァ!」
ラウラとアンドレアが満足げに肯いていた。正絹の朱子織、色味は月白。少しずつだが、クリストフェルとの結婚が近づいてきているのを実感する。
結婚が近づいていながら、リッツァの気持ちが結婚することに戸惑いを覚えている。クリストフェルに対する自分の気持ちがよくわからないからだ。アーベル皇子がリッツァの内に誰かへの想いが芽生えていると言われた。たぶん、それはクリストフェルのことだとリッツァは思う。
リッツァと近く結婚するならと騎士団に所属するものが憧れる近衛騎士の職を辞し、ヴァーリフェルト領に単身乗り込んできたクリストフェル。半年近くその人柄に触れ、好ましい方だとリッツァは思っていた。リッツァより大人で剣の腕もたつ自立した男性が、まだ子供で半人前のリッツァの婿になる。クリストフェルはそのことをどう考えているのだろう、クリストフェルの心を知りたいと思うと同時に知るのが怖い。
なぜ怖いのかと自分に問えば、頭に霧がかかる。憎からず思っている人に何も思われていなかったら、傷つく。たぶん、リッツァはほのかにクリストフェルを想っているのだ。これが恋という感情の始まりかもしれない、そんな予感もあった。
「リッツァさん、この意匠はいかがかしら。すこし胸のところが開きすぎかしらね」
ラウラに話しかけられて、リッツァはハッとする。自分の思考の海に漂い、まったく衣装選びに心が入っていなかった。
「こっちの方がいいのではなくて、ねぇリッツァ」
ブルーノの描いた衣装の絵をめくりながら、あれやこれやと相談する。ブルーノはリッツァの姿を眺めて、長考している。
「どれも素敵で選べません・・・どうしたらいいのでしょう」
リッツァは困ったように笑って、アンドレアがめくる絵を1枚ずつ見ていく。すると、考え込んでいたブルーノが突然声を上げた。
「奥様、アンドレアお嬢様。新たな意匠が頭に浮かびました!リッツァお嬢様だけの花嫁衣装をこのブルーノに作らせていただけませんか。」
ああ、これぞ天啓!と胸の前で手を合わせてブルーノはまたも興奮している。
「リッツァお嬢様を見ていると、次々と頭の中で閃くのです。このブルーノ、出しうる力をすべて使って完成させますゆえ」
ラウラとアンドレアはリッツァとブルーノを交互に見て、ブルーノの提案にうなずいた。
「出来上がりがすごく楽しみだわ。ね、リッツァ」
「ラウラ様とアン様のおかげで素敵な衣装が出来そうで嬉しいです」
仕立て屋からの帰り道、素敵な衣装が出来そうだと女3人、馬車の中で感慨にふけっている。ブルーノによると花嫁衣裳完成までに半年ほど時間を要すのと、何度か仮縫いで来店も必要なので必ず来てほしいと念を押された。
ラウラとアンドレアはリッツァが何度か都に来る機会が出来たと喜んでいた。ヴァーリフェルト領から皇都パーヴェルまでの道のりを考えると簡単に来られる距離でもなかったが、花嫁衣装を贈ってくれたアルヴァー侯爵家の人たちの厚意を考えれば、なんてことないのかもしれないとリッツァは思った。
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