伝えたい想いされど叶わぬ想い
ヴァルフォニア皇国の第二皇子の突然の来訪はアルヴァー家の人々を驚愕させた。王宮にて暗殺目的で襲撃されたのは記憶に新しい。暗殺未遂事件として王宮をにぎわせている渦中の人物がオーヴェ一人を共に連れ一貴族の邸宅に現れるなど冷静な執事もさすがに動揺を隠せなかったのだろう。それでも、長年執事を務めてきた優秀な執事はその動揺をある一握りの者以外の周囲のものに悟らせなかった。
招かれざる客であるヴァルフォニア皇国の第二皇子であるアーベルは執事に案内された客室の長椅子に身を投げ出していた。部屋に置かれた調度品はその持ち主の趣味のよさを感じさせる。アーベルがくつろいでいる長椅子の手すりの部分も皇国でも特に高級木材として取引されている黒木を用い、細部まで彫刻が施されている。 皇子の護衛として1人傍についていたオーヴェは主の傍に控え、一人掛けの椅子に腰を掛け、その手を組んでいる。自分の主がアルヴァー侯爵家にいらぬ混乱を招いたことを反省していた。
ほどなく客室の扉をたたく音がアーベルが待つ人物の来訪を告げる。
「執事のハンスですが、リッツァ様をお連れいたしました。こちらへお通ししてよろしいでしょうか」
先程までだらしなく長椅子に体を預けていたアーベルがすっと立ち上がり、扉に向かいその扉を開いた。
「さあ、リッツァこちらへ。ハンス、ありがとう。君は下がっていいよ。用があったら、呼ぶから。」
そういわれたハンスはアーベルに深々と一礼すると扉を閉めて、客室から離れた。優しく腰に手を添えられて部屋に招き入れられたリッツァは、アーベルに誘導されるがまま長椅子に腰を下ろす。アーベルもリッツァの隣にその腰を下ろすとリッツァの手を恐る恐る取り、口づけを落としたままその手を自らの手の中に閉じ込めた。リッツァは手を引っ込めようとしたが、アーベルがそれを許さなかった。
男女2人きりで部屋で過ごすというのは貴族の子女としてあるまじき行為ではないかとひそかにあせっていると、部屋の片隅に控えたオーヴェの姿に気が付き、リッツァはほっと胸をなでおろした。
アーベルの護衛であるオーヴェは気配を消し、客室の隅にその身を寄せながらアーベルとリッツァを見守っていた。
「久しぶりだね、迷子姫。いや、リッツァ…君にどうしても会いたくて来てしまった」
空色の透き通った瞳に見つめられ、リッツァは居心地が悪くなる。クリストフェルに見つめられるときの居心地の悪さとまた種が違う気がする。
「殿下、ごきげんよう・・・と、挨拶をしたいのですが、そんな悠長なことも言っていられませんので失礼を承知で申し上げます。共の者はオーヴェ様お一人のみでここまでいらっしゃるなんて何を考えていらっしゃるの?先日、襲われたばかりで自覚がないのでは」
居心地の悪さを払拭したくて、つい強めの口調になってしまう。目の前は皇子殿下であるのに何とも無礼な態度である。ため息をつきながら「へそ曲がり殿とはもう呼んでくれないのか」とアーベルは残念そうにつぶやく。
そんなアーベルに気配を消し、部屋の調度品と同化していたオーヴェがリッツァの言葉に賛同し、小言を言う。
「リッツァ嬢の言う通りです。殿下はご自分の立場が分かっておられない」
2人に叱咤され黄金色に輝く頭を掻いて、アーベルは困った表情を浮かべる。
「わかっているよ、後できちんと説教でもなんでもしてくれ。でもリッツァに会いたかったんだ。だから、オーヴェ少しだけ静かにしていて、頼む」
アーベルにいつも寄り添い助けてくれる相棒であり友人であり、部下で護衛のオーヴェの口を封じる。オーヴェは主の言葉に従い、口を閉じた。
いつも口うるさいオーヴェが黙って見守ってくれることに感謝し、アーベルはリッツァに告げる。
「僕はね、直接君に感謝の言葉を伝えたかったんだ。リッツァがいなければ、あの事件で僕は怪我していた。その上、僕を狙った矢は毒矢だったから当たっていたら命を落としていた可能性もある。僕は君に助けられたんだ」
リッツァの手を握るアーベルの手に少し力がこもった。
「ありがとう、リッツァ。君は僕の恩人だ。君に直接お礼を言いたかったんだ。」
「・・・それだけのために、殿下はここへいらっしゃったのですか?」
暗殺未遂事件が未解決なので、また命が狙われるとも限らないアーベルがお礼を言うためだけにアルヴァー邸にいるリッツァを訪ねてきたという。目の前にいるアーベルはその空色の澄んだ瞳に優しさをたたえて「それだけじゃないかな」と冗談めかした返答をした。
「それだけじゃないとは?ベルトルド様かクリス様に大事な御用があるのではありませんか?」
「それはない、用があるのは君だけだよ」
楽しそうに笑うアーベルに翻弄されているようで、リッツァはまるで面白くない。
「では殿下、他の用向きとはなんです?」
「簡単に言えることではないのだ。少し勇気がいるのでしばし待て」
「?」
急に隣に座るアーベルの緊張が、横にいるリッツァにも伝わってきた。アーベルがここまで緊張するとは。そう思うとリッツァの胸に不安がよぎる。この皇子の用向きを聞いてはならないような気がする、リッツァの心に警鐘が鳴った。
「あの殿下、言いにくいことでしたら、またの機会に伺います。」
リッツァは逃げ腰になっていた。
「またの機会なんてきっと訪れないと思うから、今日言いたいんだ。でも、心の準備もできていないから、少し違う話をしよう」
突然雑談をしようと言いだし、王宮での失敗談や美談などを隣で滔々と語るアーベルから逃れたい。リッツァは人質のように握られた手をそっと引く、しかし逃すものかとアーベルはリッツァのその手を握りしめている。
オーヴェに救いを求める視線を送ったが、首を横に振りすまなさそうにするオーヴェをみてこの線もダメだとリッツァはあきらめる。
王宮で語られる王女とある騎士の物語をアーベルはリッツァに聞かせ始めた。身分の違いから2人は結ばれることのない悲恋で終わるこの物語だが、二人の思いは生涯消えることはなく、その生涯を終えるまでその親交を深めたという。リッツァがまだ幼かった頃、父であるエドガーにこの話をよく聞かせてもらった物語。
「僕はこの物語の王女と同じだ。命の恩人である騎士のような人に恋焦がれて、その恋が実ることのない現実も分かっているんだ。でも出会ってしまった、たった一人特別な存在に」
「殿下・・・」
いくら鈍いリッツァでも何となくアーベルの言わんとしていることが伝わってきた。
「僕はその地位を利用して命の恩人を僕の傍に置くこともできた。ま、オーヴェにその構想を話したら、頭に拳骨が降ってきたけれどね」
アーベルは肩をすくめて笑いながら話を続ける。隣で笑いながら語るアーベルの悲しい告白にリッツァは泣きそうになる。しかし、本当に泣きたいのはアーベルであろうから、双眸に溢れそうな涙をそっと指で拭う。
「僕は考えた。僕の望みはなんなのか。結果、僕はどんな形であれ命の恩人である彼女をを失いたくなかった。彼女とたくさん語り合いたいし、何より幸せでいてもらいたい。僕の傍でなくても笑っていてくれればそれでいい。彼女の笑顔を曇らせたくないんだ、彼女が万が一不幸になろうものなら、僕が攫いに行く。」
そういうとアーベルは澄んだ空色の瞳でリッツァをとらえる。
「最初はね、自信があったんだよ。彼女を傍に置いたらきっと幸せにできると。でも、大きな間違いだった。彼女の心の中には特別な誰かを想う気持ちが芽生えているのに気が付いた。だから僕はいったん身をひく。でも、この想いが消えるわけじゃない。この想いを消したいとも思わない。僕が息絶えるまで彼女は僕の特別であり続けるんだ。あの物語のように」
この物語を聞かせるのが僕の用向きだったんだとアーベルは哀しげに笑った。
こういう時にどうすればよいのかリッツァにその難問は解けそうもない。どうすればよいのかわからなかったし、きっとその行動をとるのは間違いであろうと思ったが、リッツァはアーベルに握られていた手をそっと握り返した。謝罪と感謝と祈りを込めて。
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