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穏やかな毎日が途切れる日

 アーベル皇子暗殺事件で王宮のその中央で騒ぎとなっている頃、リッツァはその事件の際に足を負傷し、アルヴァー邸で静かな時間を過ごすことを余儀なくされている。

 都に来てからはアンドレアに連れられ、毎日のように外出し街を散策した。ヴァーリフェルト領にはない商店や公園、見る物すべてが新鮮で触れる物すべてに興奮した。

 足を負傷した後は外出を控え、苦手な刺繍やレース編みをラウラに習っていた。刺繍やレース編みをしながら、つい考えてしまう。考え事をしているうちに手が止まり、ラウラに優しく注意される。


 この日も白い布に刺繍をしていた。冬の陽光差し込む今の窓辺でラウラと2人、静かに針を進めていた。リッツァは白い布にいつになく真剣に刺繍していた。

 ふと手を止めるとクリストフェルのことを思う。アーベル皇子が襲われたあの夜、リッツァは賊を逃した悔しさと無鉄砲に飛び出した自分の浅慮さに自己嫌悪に陥ってた。その時に叱りつけてくれたクリストフェルに何故か胸が熱くなった。そのあと、優しく抱きしめられたときは胸が締め付けられるような感じであった。こんなことはリッツァの生涯で初めての出来事だ。リッツァはこんな自分の気持ちを持て余し気味であった。


「リッツァさん。手が止まってますよ」

 気が付くとラウラが微笑みながらリッツァのまったく動かない手を見つめていた。

「あ。」

 いつの間にか、自分の思考に囚われて手が止まっていたようだ。照れ隠しでにっこりほほ笑むとリッツァは刺繍に取り組み始める。本当に最近の自分はどうかしていると心の中で己を叱咤する。都に来てからというもの、アルヴァー家総出でリッツァを歓待してくれた。その厚意に甘え、気が緩んでいるのだとリッツァは反省する。

「若いうちはたくさん悩んで、考えて・・・大切なことよ。刺繍よりもね」

 ラウラは諭すようにリッツァに語りかける。

「事件のこともあったし、リッツァさん自身の今、そして将来のこともあるわ。どうしても、辛くなったり話したいことがあったら、何でも言ってちょうだい。これでも貴女よりうんと長いこと生きているんだから」

 椅子からすっと立ち上がったラウラはリッツァの目の前に立つと、優しくリッツァの頬をなでた。リッツァはラウラを見上げる。慈愛に満ちた表情のラウラがそこにいた。

「ラウラ様、ありがとうございます。こうしていただいているだけで心が落ち着きます。あの、いつか拙い相談に乗っていただけますか。」

「ええ。もちろんよ。さ、もう少しだけ手を動かしたら、お茶にしましょう」

 リッツァはその言葉にうなずくと、作業に没頭した。


 しばらくするとラウラ付きの侍女がお茶の支度を始める。ラウラとリッツァは脇机に刺繍をしていた布を置き、休憩をするとお茶の香りが部屋を漂う。

「さ、リッツァさん頂きましょう」

 支度が済んで、ラウラとリッツァにお茶が供される。お茶の優しい香りにほっと心が落ち着く。ラウラと他愛もない話をしながら、穏やかな時間を過ごす。ラウラから聞くクリストフェルやアンドレアの幼いころの様子などリッツァは興味深く聞いて、笑いをもらったりした。


「ずいぶん楽しそうですね、笑い声が玄関まで聞こえてきましたよ」

 騎士団で後進に稽古をつけるために王宮の兵舎に出かけていたクリストフェルが帰宅し、リッツァとラウラがお茶を楽しんでいる居間に顔を出した。

「おかえりなさい、クリス。お疲れ様。」

 ラウラが帰宅した息子を出迎える。

「おかえりなさい、クリス様。一緒にお茶をいかがですか?」

 椅子から立ち上がりクリストフェルを出迎え、空いている長椅子を勧める。ありがとう、と長椅子に腰を掛ける。侍女がすでにクリストフェルのためにお茶を淹れている。

「今日は何をして過ごしていたの?」

 クリストフェルはリッツァに話しかける。

「ラウラ様と一緒に刺繍をして、楽しくおしゃべりしていました」

「へぇ、リッツァはどんなのを作っているの」

 急にクリストフェルに刺繍のことを振られて、思わず自分にかけていたひざ掛けを取って先程まで刺繍を施していた布を隠す。

「なぜ、隠すの?」

 クリストフェルはちょっと意地悪な笑みを浮かべて、必死になって隠したがるリッツァのひざ掛けをめくろうとする。隠したいのには理由がある。拙いものであることはさることながら、アルヴァー邸にお世話になってそろそろひと月。レース編みや刺繍を施したハンカチなどをアルヴァー侯爵家族他に屋敷で働いている人たちにも贈ろうとリッツァは内緒で作成していた。

「詮索ご無用。隠したい気分なのでそっとしておいてくださいませ。クリス様はたまに意地悪ですね」

 唇を尖らせ、赤く染めた頬を膨らませてクリストフェルを威嚇する。そんな様子も可愛らしく、ついからかいたくなるクリストフェルにその威嚇は逆効果であった。

「クリス…あまり、リッツァさんに意地悪しないの。あんまり意地悪すると結婚前に逃げられちゃうわよ」

「それは困りますね、リッツァに逃げられたら、勘当されそうですから。ほどほどにします」

 ひざ掛けから手を離すとクリストフェルはお茶を一口含む。その様子を確認して、リッツァも椅子に腰を掛けた。

 3人で歓談していると、廊下の方がどうも騒がしい。様子を見に行くとリッツァとラウラに声をかけてクリストフェルが椅子から立ち上がり、部屋を出ようとしたその時に扉をたたく音がした。


「ハンスでございます。奥様、クリス様・・・少しよろしいでしょうか」

「入りなさい」

 ラウラが声をかけると、アルヴァー家の執事ハンスが3人のいる窓際の方までやってきた。

 いつも迷いもなく表情の読み取れないハンスの様子が普段と違う気がして、リッツァの胸に嫌な予感がよぎる。

「何かあったのか。」

 クリスはハンスに何があったのか確かめる。

「はい、実は」

 優秀な執事は表情も変えずにクリスの問いに答える。


「お忍びでアーベル殿下がお見えです」

 


後進が遅れましたが、ここまで読んでいただきありがとうございます。


誤字・脱字に気が付かれた方はご一報いただきたく

よろしくお願い申し上げます

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