我が主の悩み事
アーベルは今日、何度吐いたかわからないため息を吐いた。
文机には市民の訴状や騎士団の下部組織である自警団の予算や組織改編の書類など、アーベルがやるべき仕事が山積していた。しかし、頬杖をついて仕事に身が入らないような皇子に、オーヴェは活を入れる。しかし、心ここに非ずといった風で書類に少し目を通しては遠くを見てため息をつく。
主のこの腑抜け様にオーヴェは何とかしたいと思うが、こうなったと思われる原因を思うと主を何とかするのはなかなかの難題であることは間違いない。
主をこのようにした原因…それは先日、皇妃主催の夜会でのアーベル皇子暗殺未遂のことだろう。
第二皇子であるアーベル皇子は臣籍降下をスヴェン=エリク帝に直訴していた。第一皇子は側室の子であるが、聡明で優しい皇子であった。少々、体の弱いところもあったが政務も精力的に行い、皇帝の覚えもよかった。アーベル皇子は兄皇子が帝位を継げばよいと考えていたが、アーベルが正妃の子であったが故にそう簡単には行かないのが後継問題である。
アーベルは異母兄を慕っていたし、兄もまたアーベルとは幼いころから仲良くしていた。しかし、大人の事情がそれを許さないことも聡い兄弟は感じ取っていた。
貴族の間でも第一皇子派と第二皇子派で派閥が出来ており、アーベルはこの状況が兄弟にとって悪しき状況だということを承知していた。そこで臣籍降下を父スヴェン=エリク帝に申し出た。それを知ったアーベルの母は激怒したのは言うまでもない。
王宮内で軋轢を生んでいた後継ぎ問題。そこにあの夜会での事件だ。
第一皇子派の仕業ではないかとまことしやかに噂が広がる。アーベルは兄皇子がその噂を耳にしないことを願い、心無いうわさに心を痛めていた。
そして、もう一つ、アーベル皇子の心を乱している原因はヴァーリフェルト伯の娘リッツァの存在である。むしろ、数多いため息と悩みはこちらの方が大半を占めているのではないかとオーヴェは分析する。
もともと、自分が気に入った女性はまず間違いなく自分になびくことを皇子は知っていた。女性がなびくのはその容姿と家柄だ。そんな関係が続き、恋だの愛だのに幻想も理想もなかっただろう。
ところがそんなアーベル皇子の思想をいともたやすく破壊する者が現れた。それがリッツァという少女であった。
そんなリッツァとの出会いは太陽神ソイルをまつる聖堂の前であった。階段に腰を掛け、頬杖をついて市場の方を不安げに眺める少女。町娘の姿をしていたが、月の女神ルミナが主神ソイルのもとにやってきたのかと思うほど美しい容姿をした少女であった。事実オーヴェも彼女を目にしたときに一瞬目を奪われた。
ところがアーベルが声をかけてもけんもほろろ。自分に興味を持たない娘などいなかったアーベルは強い衝撃を受けていた。へそ曲がりと言われた時には呆然としていた。オーヴェはそんなやり取りに吹き出していた。こんな風に相手にされない主を初めて見たからだ。
それからリッツァの連れであったアンドレアが迎えに来るまで、何とか自分の方に振り向かせようと話しかけていたが、リッツァは一切取り合うこともなかった。
宮殿の一室にある自室に戻ったアーベルは寝台に倒れこむと名前を聞きそびれたことを後悔していた。もう一度会いたいなどとつぶやく主を見たのも初めてであり、アーベルが女性関係を見直すいいきっかけになるのではとオーヴェは思っていた。
翌日も早朝から市場に繰り出し、少女を探し回ったが結局会うことはなかった。アーベル皇子はどのような方法を用いたら彼女の身元を知りうるのかそればかり考えていた。
ところが少女の身元を知る好機はすぐにやってきた。皇妃主催の夜会で愛想笑いを浮かべて女性たちに声をかけていたアーベルの前にその少女は姿を現した。
ほんのりと化粧を施し、髪を結いあげ、薄桜色のドレスという彼女の美しさを引き立たせる装い。アーベルはオーヴェに距離を取るように指示するといそいそと少女のもとに向かった。
その後、無理やり少女を露台へ引っ張っていき、会話をしていたその時に異変が起きた。
アーベルが矢で射られそうになったところをかの少女がアーベルをかばい、さらにはオーヴェを見つけると目くばせをして、アーベルを狙った賊を追いかけていった。
露台に行くとアーベルから事情を聴く。そのうち、近衛たちと半年ほど前に近衛を辞したクリストフェル達が集まってきた。
結局、クリストフェル達に少女の探索を任せ、オーヴェはアーベルに付き添い自室に連れてきた。
それからしばらくして、少女が無事であったこと。犯人を取り逃がしてしまったことなどを宰相自らが報告にやってきた。少女の無事を聞き心から安心したアーベルは少女にすぐに会いたがったが、宰相は陛下への報告が先であるとアーベルに進言すると、承知してオーヴェに少女の様子を見てくるように頼んだ。
オーヴェが騎士団長と合流して医務室に入ると傷だらけの少女が寝台に横になっていた。少女はかのヴァーリフェルト伯の娘だといい、名をリッツァと名乗った。なるほど、一人で賊を追いかけるわけだとオーヴェは一人納得していた。主から渡されていたドレスを渡し、医務室を退室した。
何とか医務室に残ってほしい旨伝えたのは主が会いたがっていたからである。
しかし、主を連れて兵舎にある医務室に行ったときにはすでにリッツァ達は帰った後であった。
主に少女の名を告げると大いに喜んだが、クリストフェルとリッツァの関係を語るとひどく落ち込み、物思いにふけることが多くなった。
暗殺未遂事件の翌日、賊に関することで協議が開かれたがめぼしい情報はなく、リッツァの母「マーレ」について語られることとなった。
リッツァの母は亡国ティオーダの王女であったそうだ。先帝ペール=エリクがマーレに懸想をし、小国であったマーレの国を滅ぼした。ところが、ペール=エリクの正妃は大層な癇癪持ちでマーレを側室に迎えるならば自害すると泣き叫んだ。正妃が自害となれば、皇族の面目も丸つぶれである。
そこで王女をもっとも武勲を挙げたヴァーリフェルト伯に与えることが決まった。マーレは素直に従い、ヴァーリフェルト伯の妻として余生を送った。
リッツァの姿を見て「マーレ様」とつぶやいた賊はティオーダの残党である公算が高い。だが、なぜ今になって動いているのか。ヴァルフォニアに対抗する力があるとも考えられない。
すると後継問題に絡んで利用されていると考えるのが自然である。
面倒くさいことになったものだと宰相レオナルドはつぶやいた。
アーベル皇子はそれからというもの抜け殻のようになっている。いわゆる失恋を味わい、後継問題も絡んで心が悲鳴を上げているのかもしれない。
そんな主の姿を見て、少し同情する。
「なぁ。オーヴェ。僕がリッツァを嫁に迎えたいって言ったら、クリスとの婚約は解消になるのかな。」
「殿下…今なんとおっしゃいました?」
さっき一瞬でも同情したオーヴェは、主を同情した自分を恥じ、主の不毛な考えにあきれる。
「いや、皇族・・・それも皇子に嫁に迎えたいと言われたら、断れないよな。断ったら不敬罪に当たるよなと。」
オーヴェは不毛な主の思考を吹き飛ばすべく、軽く頭をアーベルの頭をはたいた。痛いなと文句を言いながらたたかれた頭を手で押さえている。
歴代の王が懸想した女性を後宮に召した例は何度もある、それも人妻や婚約していた女性を。しかし、そんなことをしていては人心はついてこない。
「そのような真似はなさらないで下さいよ、殿下」
「・・・それは確約できない、僕はリッツァがほしい。最初は好奇心だったけど、僕を人として付き合ってくれる人だよ。皇族じゃない僕を見て、話してくれる貴重な人なんだ。」
オーヴェは天を仰ぐ。恋の病か愛という名の熱病か、皇子のかかった病は長期化しそうである。
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