知らぬが仏
「リッツァ!大丈夫ですの!?」
目に涙を溜めたアンドレアが医務室に飛び込んできたのはほとんど傷の治療と消毒が終わったころ。リッツァの姿を確認すると、アンドレアはリッツァを抱きしめた。
傷だらけの上、ボロボロのドレスに結い上げていた髪がほどけている姿を見たアンドレアは胸を痛めた。
「アン様、意外と大丈夫でした。それより、心配をかけてごめんなさい。」
その言葉を聞いてクリストフェルはどこか大丈夫なのかとばかりに包帯がまかれたリッツァの右足を指差す。アンドレアはクリストフェルが指し示した指の先をみる。
「リッツァは右足首を捻って腫れているうえ、足の裏も右足が石を踏んだのか切り傷がひどい」
クリストフェルがアンドレアにリッツァのけがの状況を説明する。アンドレアは寝台に横になっているリッツァの手を握ると、その手を自分の額に引き寄せた。
「無事でよかったですわ。でもね、リッツァ。こんな危ないことはおやめになって。こんな傷だらけのリッツァを見たくありません。」
「そうだよ、リッツァ。アンの言う通り。勇気と無謀は違うよ。丸腰で賊を追うなんて、無謀の極みだよ。下手したら命がなかったかもしれない、そのあたりはきちんとわかっているの?」
こうしてアンドレアからは泣かれ、クリストフェルから思い切り絞られた。
医師から注意事項などを聞いているところにレンナルトとオーヴェ、そして騎士と思われる男性が医務室に入ってきた。
「ヨルゲン医師、勇気ある姫君の様子は!?」
熊のように大きく、右頬に縦に走る傷を持つ騎士が医師にリッツァの様子を聞いている。
「そんな風に吠えては彼女もおびえます。彼女は大丈夫ですよ。」
そういってヨルゲン医師はリッツァの方に視線を送る。傷だらけのリッツァをみて騎士団長はリッツァの寝台の傍らに置いてある椅子に腰を掛けた。
「私はヴァルフォニアの騎士団を束ねるロベルトと申す。そなたがヴァーリフェルト伯の娘か。」
騎士団長ロベルトはまっすぐにリッツァを見つめる。きっと、傍に控えるレンナルトがリッツァのことを騎士団長に報告したのであろう。リッツァは肯いて、
「わたくしは、リッツァ・シルヴィア・ヴァーリフェルトと申します。この度はお騒がせいたしましたこと、大変恐縮に存じます。」
「無事でよかった。」
騎士団長ロベルトはリッツァの頭をなでると、ヴァーリフェルトの娘かと言い愛おしげに見つめた。熊のように長身で立派な体躯の持ち主が相好を崩している。リッツァはなんとなくつられて微笑む。
続いてオーヴェがリッツァのもとにひざまずくと深々と頭を下げる。
「私はオーヴェ・フォルシウスと申します。我が主をお守りいただいたこと大変ありがたく存じます」
「あの、オーヴェ様。お顔を上げてくださいませ。体が勝手に動いたまでのことです。へそ曲がり殿が無事でよかったですわ」
にっこりとまぶしい笑顔をオーヴェに向ける。私は大丈夫ですとの意思表示に。オーヴェはその笑顔に息をのむ。しばらく見惚れていたが、ヨルゲン医師の咳払いに現実に引き戻される。
クリストフェルとレンナルトはアーベル皇子を「へそ曲がり殿」と呼んでいるリッツァに瞠目する。正体を知らないので仕方のないこととはいえ、皇子をそのように言うリッツァの豪胆さに肝が冷えた。
オーヴェは主から預かったものをリッツァに手渡した。
「これは我が主から着替えにと」
「素敵なドレスね。でも、こんな上等なものいただくわけには・・・」
リッツァはオーヴェの申し出に首を横に振る。
「そのお姿でお帰りになるのですか。我が主が嘆きます。どうぞ受け取ってお召になってください。」
困ったようにリッツァはオーヴェを見るが、絶対に受け取るまで譲らないという強い意志を感じた。
きっと、これをリッツァがドレスを返せば、オーヴェが主に小言を言われるのだろう。リッツァはありがたく、オーヴェとその主の気持ちを受け取った。
医務室から男性陣を一度追い出し、アンドレアに着替えを手伝ってもらう。薔薇色のそのドレスは胸の下からゆったりと広がり、足の傷にあまり触れないようになっていた。そんな心配りにリッツァは感謝する。髪の毛もアンドレアが後ろの髪を流し、上手に結ってくれた。
リッツァの着替えが終わり、男性陣を医務室に引き入れる。それから、騎士団長のロベルトに賊について詳しい話が聞きたいと言われ、リッツァはもう一度城壁の前でクリストフェルとレンナルトにした話をロベルトに語った。
あまり、収穫のない情報で恐縮してしまうリッツァであったが、騎士団長は大いに役に立ったとリッツァの頭をなでる。
「しかし、リッツァ嬢は母君によく似ているな。エドガーに似なくてよかったな」
と、騎士団長は笑ってリッツァに言う。
「騎士団長は父と母をご存じなのですか?」
リッツァは頭をなでていたロベルトの手を攫んだ。
「戦友だよ、エドガーとは。そなたの母君はそうだなぁ。ちょっと一言二言交わしたくらいだ。それは美しい方だったよ」
「今回の事件に母は何か関係があるのでしょうか。」
リッツァはうつむく。リッツァの姿を見て母の名を呼んだ賊。母を知る何者かが、オーヴェの主を襲った。考えても分かりようもないが、考えてしまう。リッツァの思考は堂々巡りを続けていた。
「関係も何も、もう亡くなった方だろう。関係しようがないから、気にするな。そんな顔をしては美人が台無しだ」
ロベルトがリッツァの肩にポンとあやすように手を置く。そして、ニッと笑うと「陛下と宰相殿のところに行かねば」と退室していった。
オーヴェも騎士団長に続く。退室する際、リッツァに医務室にもう少しだけ残っていてほしいといい残していった。
残されたリッツァとクリストフェル、アンドレアとレンナルトはいつまで待てばよいのやらと目くばせをし苦笑いをした。
医務室の主であるヨルゲン医師が口を開く。
「オーヴェは残っていろなんて言っていたが、早く帰ったほうがいい。リッツァ嬢は早く寝ろ。クリスとレンもおそらく明日登城だろうから、早く帰って支度しておけ。あとはアンドレア嬢。リッツァの傍についていてやってほしい。」
白髪交じりの頭をかきむしると文机に向かい、何やら書類を書き始めた。
「わかりました、ありがとうございます。ヨルゲン医師。今日は失礼させていただきます」
クリストフェルはそう言うと、帰り支度するようにアンドレアに声をかける。リッツァが先程まで着ていた服や医師にもらった薬などをまとめる。
レンナルトはアルヴァー家の馬車を呼びに行っていた。リッツァはあることもかなわず、寝台に腰を掛けている。やることがなく、申し訳ない気持ちでいっぱいだったリッツァにヨルゲン医師が2通の手紙を渡す。
「リッツァ嬢。いいかい、これは君のけがの手当ての方法が書いてある。もう1通は大事なことが書いてあるから、必ずこの2通をアルヴァー侯爵に渡してくれ。いいね」
ヨルゲン医師に言われ、リッツァは「はい、必ず」と答えた。
帰り支度が整うと、クリストフェルは医務室に来た時のようにリッツァを抱きかかえる。リッツァは観念しており、恥ずかしいことには変わりないが素直にクリストフェルに体を預けた。
「あの、ヨルゲン医師。本当にありがとうございました。それと、オーヴェ様にはよろしくお伝えくださいますよう」
「わかった、オーヴェに伝えておく。リッツァ嬢。無理はするなよ」
リッツァはヨルゲン医師の言葉に強くうなずいた。クリストフェル達は医務室を後にする。兵舎前にはレンナルトが呼んで置いてくれたアルヴァー邸の馬車が待機している。
「レンナルト様。今宵はありがとうございました。そして、たくさん迷惑をおかけしたこと申し訳ありませんでした。」
リッツァは頭を下げる。
「いやいや、気にしないで。今日はゆっくり休んで、お大事に」
「はい」
リッツァは微笑むとクリストフェルによって馬車に乗せられる。クリストフェルがレンナルトに何か言っていたが、リッツァの耳には届かない。
アンドレアが馬車に乗り込み、リッツァの向かいに座るとその手をそっと包み込む。リッツァはアンドレアの温かさに触れて、また涙がこみ上げてくる。
「アン様・・・今日はありがとうございました。私、アン様が抱きしめてくれた時にすごくホッとしました。」
「リッツァ。私もあなたが無事でホッとしたのよ。思わず涙が出てしまったもの」
二人は目を合わすと、目に涙をためながら笑いあった。
「さ、お嬢様方、帰るよ」
レンナルトと話を終えて、馬車の中に身を落ち着けると御者にアルヴァー邸に変えるように指示する。
「レオナルド様は?」
リッツァは事件から姿を現さないレオナルドの存在が気になり、クリストフェルとアンドレアに尋ねた。二人は質問主のリッツァを驚いたような目で見ている。
「リッツァ、レオナルドはこの国の宰相だよ。若き宰相閣下と呼ばれているその人だ」
誰も説明していなかったのかとクリストフェルはアルヴァー邸の面々を思い出し、がっくり肩を落とす。アンドレアもレオナルドのことを何も話していなかったのだと思い返し、反省しきり。
「えっ。レオナルド様が宰相…閣下ですか…」
今日のことで一番迷惑をこうむっているのはレオナルドなのかもしれないと思うと、リッツァは頭を抱えた。
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