9.面接の日
突然、母親が私を呼ぶ声が聞こえた。
そうだ、今日は面接をする日だ。
学生時代から生きる意味もない僕でも、
仕事さえ決まれば何か変われるかもしれないと
いう期待と共に自室を後にし、朝食の並べられた
テーブルの前についた。
今日のメニューは、僕が朝からやる気を出せるようにと
母が丹精込めて作り上げたメンチカツだ。
一見どこにでもあるような夕食に見えるが、
僕にとっては最高のごちそう。
今までの食の喜びは、このメンチカツと共に
あったといっても過言ではない。
「もう挨拶の練習とかはバッチリ?」
「うん、問題ない」
恐らく今までの僕であれば「大丈夫だと思う」と
曖昧な返事をしていたかもしれないが、
散々練習させられた結果、
なんとか癖が治ったのだ。
これは感謝をするべきなのだろうか。
だが今の僕にとっては、練習をさせた
人間に対しては怒りしか覚えていない。
でも、今の僕の人生なのだから、
そんな人など、今となっては関係ないことだ。
面接を終わらせて内定を取る。
これだけで今日の用事は終わりなんだ。
そんな雑念を入り混じりつつ、
メンチカツを一つ口へ運んだ。
口に運び入れる直前から、作りたて独特の
ぬくもりを感じつつ、一口かじった。
その瞬間、サクッという爽快な音と共に
肉汁の味と香りに包まれ、僕の快楽は満たされるのであった。
何かの行事があるたびに、母親はメンチカツを作ってくれる。
このメンチカツは僕の思い出の味。
もしかしたらこれが最後のメンチカツになるかもしれないと
思いながらも、その快楽は僕の気持ちを強く持ち上げてくれる。
テレビの音さえ聞こえないまま、
あっという間に朝食は終わった。
何事もなかったかのように僕は自室へ戻り、
面接場所へ向かう準備に取り掛かった。
昨日は緊張のあまり何時間も寝付けず、
最終的には下着一枚で寝ていたため、
今来ているパジャマは多少の冷たさを残していた。
この重苦しい鎧を脱ぎ、クローゼットにしまってある
1着のスーツを取り出し、着用していく。
ネクタイの縛り方・・・昨日説明書を読んで
理解したはずなのに、もう忘れていた。
例の説明書を手に取りつつ、慣れない手つきで
ネクタイを縛ったが、縛り目は見本よりも大きくなってしまった。
鏡を見ながら修正し、スーツの着用は完了したものの、
このスーツでさえもとても冷たかった。
今日は2月17日。そろそろ暖かくなってもいいとは思っても、
まだまだ寒い時期が続くのである。
それに、今日はあいにくの雨。車を出すのにも
多少の緊張感を持っていた。
車の中でも、昨日の練習のことを頭で思い起こし続けていた。
「ノック2回・・・どうぞ・・・ガチャ・・失礼します・・・」
いくら思い出しても変わらぬあの記憶に、間違いはない。
もう思い出すことさえ必要ない。
今や感覚として、その練習の成果は出てくるだろう。
そんなことを考えていたら、面接場所があるビルに着いた。
ビル周辺の駐車場に止め、早速面接場所へ向かう。
そのビルは写真で見るよりも大きく、
そして見た目からして大きな会社であることを物語っている。
ビルの階段は、まあ学校の階段と大差ないほど。
喫煙所からは多少煙の臭いが漂ってくるが、
それほど気にならない。
食堂もあり、キッチンも存在する。
会社の階段を登りながら、あたりの様子をうかがう。
面接場所についた。
その扉の前には面接担当者の一人が僕を待っていた。
面接の手続きを早急に終わらせ、
しばらく待つこと5分。
僕の面接の番が回ってきた。
ノックを二回・・・「どうぞ」。
ガチャ・・「失礼します」
ドアを閉める際には背を向けても問題なし。
椅子の前で「よろしくお願いします」
「お座りください」と言われてから座る。
ここまではマニュアル通りだ。
一応趣味らしい趣味のない僕も、
面接で言っておく趣味は考えてある。
それは「食べること」。
周辺地域の飲食店を把握し、
誰に対してもどの店だろうと薦めることができる。
あながち間違いではないので、一応趣味としておく。
最初はほとんどマニュアル通りの質問を、
練習したとおりに帰し続け、
特に何の変哲もない面接で終わりそうだったその時、
不可解な質問が飛んできた。
「最後に一つ、あなたの左手に何かおかしなところはありませんか?」
左手・・・?左手・・・・。
左手におかしなところ・・・。たとえばなんだろう。
左利きかどうかを聞きたいのだろうか?
いや、ここは素直に答えておこう。
「いえ、特にありません。」
「はい、わかりました」
・・・なんだったんだ今の質問は。
今まで誰にも聞かれたことがないような質問を
突然聞かれ、一瞬戸惑いを見せてしまったが、
特に問題なさそうだ。
帰りにもあの質問が頭の中で連呼する。
「あなたの左手に何かおかしなところはありませんか?」
「左手におかしなところはありませんか?」
「左手にありませんか?」
左手にありませんか・・・?
左手・・・左手・・・・
突然、僕は目を覚ました。
そこは自宅でも車の中でもなく、
真っ暗な狭い部屋だった。
身動きを取ろうと思ったがそれすらかなわない。
なぜなら僕は、
両手両足、さらには口や胴体までもが
ロープで縛りつけられていたのだから・・・。