4.遠ざかる病院
何も考えず、何も感じない時間。
この時間は途方もなく長かった。
あまりにも長く、気が遠くなり、
左手が無意識のうちに力を入れ続けていた。
全く疲れを感じないその左手からは、
今まで感じたことのない何かの力を
宿し続けているように感じた。
そして今、その力は動き出したのであった。
廊下を見たその瞬間、
あの時のワーウルフがこちらへ走ってきて、
窓から外へ飛び出していったのだ。
ここは2階のため、飛び降りても軽傷で済みそうだが、
ワーウルフはそんなことを気にも留めずに、
着地後、そのまま走り去っていったのであった。
それに連動するかのように、体が激しく力を籠め始めた。
勝手に立ち上がる体。
勝手に窓に向かう足。
勝手に窓にそえる手。
そして体は無意識のうちに、
窓から飛び降りた。
体は思った以上に完璧に着地をして見せた。
まるで飛び降りることに慣れているかのように。
でも僕は今まで、高いところから飛び降りたことなんて
一度もないし、そもそも僕は高所恐怖症だ。
これもウルフハンドによるものか・・・。
心ではそう思っても、体はそうもいっていられない状況に
追い込まれていた。
先ほどのワーウルフを追いかけていた警備員がこちらに気づき、
2手にわかれて今度はこちらを追ってきたのだった。
それを見てあわてて逃げる。
体は思った以上に柔軟に動き、
とても速い速度で病院の中庭を走り抜けていた。
視線の先にはフェンスがある。
あれを乗り越えればこの病院から抜け出せる。
そんな期待を胸に、足はさらに速くなっていった。
何のためらいもなくフェンスへ飛び移り、
急いでよじ登ろうとしたが、
フェンスを登る速度は思った以上に遅く、
かなりの苦戦を強いられていた。
そんなことをしている間に警備員はこちらへたどり着き、
僕の足を掴んだ。
僕の足を掴む手を必死に振り払おうと、
僕は必死に足を揺らした。
それでもその手はなかなか離れない。
すると突然、足から激痛が走った。
靴が破れ、ズボンが引き裂かれ、
その中から出てきたのは「狼の足」
その足は素早く警備員の腕を引っ掻き、
警備員の手から逃れることに成功した。
心では激痛に耐えていながらも、
体は必死にここから抜け出そうとしていた。
なんとかフェンスを乗り越え、狼と化した足を使って
全速力で病院を後にした。
もうどれくらい走ったのだろうか。
既にあの街から遠く離れ、人通りの少ない集落へ
たどり着いていた。
何も考えずに走っていたが、体はその場所へたどり着くように
導いていたかのように走っていたのだ。
体の感覚を頼りにその集落の奥へ足を踏み入れた。
薄暗く、湿気の強い道。
多くの建物によって密集したこの町には、
日光という概念から遠くかけ離れていた。
それでも体は、この集落のさらに奥を目指していた。
心の奥底で恐怖を感じていたが、今の心は、
すでにこの体を止める術を持っていなかった。
さらに奥へ・・さらに奥へ・・・
暗さと不気味さが増しつづけ、
もはや後戻りできないような領域へ向かっているかのような、
そんな気がしていた。
ようやく足が止まった。
その目の前にあったのは、ゴミ捨て場。
この集落から出るゴミがここに集結しているようだ。
その中からとてもいい匂いが立ち込めていた。
体はその匂いにつられ、ゴミの山へ向かおうとしていた。
すると突然、体は別の方向を向いていた。
その目線の先には、
2人のウルフハンドを持つ人間が立っていた。
2人はこちらをじっと睨み、隠された鋭い八重歯をむき出しにして、
威嚇をするような声でこちらに呼びかけた。
すると僕の体は、それに答えるかのように
威嚇をし返した。
もはや止めることさえままならないこの体は、
野生の本能のままに動くことしかできなかった。
こちらから先に飛びかかり、まずは
左手で相手の肩を掴んだ。
相手は必死に抵抗するものの、
力ではこちらのほうが上なのか、
全く意味をなしていなかった。
そのままその左手は、相手を引っ掻き続け、
体中を傷だらけにしていった。
こちらも多少攻撃を受けたものの、
大したものではなく、
相手はすぐに僕を恐れて
逃げて行った。
ひと時の安息を得た僕の体は、
すぐにゴミ捨て場を漁り、
お目当ての食糧を見つけ出した。
ゴミの山から取り出した食糧とは、
給食の残りの焼きそばパン。
軽く酸味を覚えながらも口にしたその日の夜、
激しい腹痛にもだえ苦しんだのは言うまでもない・・・。