おまけ話「エスプレッソにパールシュガー」
羽比良はコートとバッグを手に廊下へ出る。
濃い茶色に薄いグレーのラインが入ったオシャレなコート。
ツテで大学院講座に潜り込ませて貰うので、オトナぽいのをセレクトした。
豪奢な造りの実家には3ヶ所駐車場があって。羽比良が使うのはいつも北側。
北側と言っても別に暗いワケでも冷えるコトも無いのだけど。
何んとなくヒンヤリした空気を感じて、ガレージを開けるタロウに声を掛けた。
「やっぱマフラー持って来てくれるか?」
「あ、はい。すぐ取って来ますワ」
もう1人の付き人ジロウがそう応えて、振り返り。裏返った声をあげてしまう。
「わ!奥様。ど、どないしたんですか?」
それも仕方ない。栄家の女主人とこんなトコで出くわすなんて滅多に無いから。
栄家は、今では関西エリア随一の多角経営商事グループ。
一人娘の久良愛が優秀な婿を取ってグループは一気に成り上がった。
と言われているけれど。
グループ会長から突然引っこ抜かれた婿、昇も。息子の羽比良も。栄家の使用人達も。
久良愛が単なるお嬢様ではナイと、よくよく解っている。
優秀とは言え、叩き上げサラリーマンの昇を補佐して。
人脈や政治絡みをコントロールして来たプロデューサーなのだから。
「羽比良さんとお話したいコトあってなあ」
香染の渋い絹にクリーム色の帯が華やぐ着物姿の母親は、笑顔で息子を見つめる。
こうなると逃げ場は無い。
舌打ちみたいな小さいタメ息を付くと、羽比良は母親の方へ向き直る。
「世田谷のマンションのことやろか?」
「あらまあ。そんな怖い顔せんでも。
私は全然聞いてへんお話やったから、ちょおっと驚いて貰うて」
「べつに。条件揃うとおのがあったダケや」
「条件て?ホテル暮らしでもええて言うとったのに。
まるで東京で所帯持つよおな物件やンなあ」
母親の表情は静かでにこやかだけど。
さっきヒンヤリした空気を感じた原因が判ったような気がしてしまう。
でも。
だったら猶更。その冷気に怯むワケには行かない。
羽比良は薄い唇をきゅっと噛んで、母親を真正面から見返した。
「大事なコが居るんや。何ンも不自由させんで、その子と暮らす為や。
でも会社継ぐンも本気やから。一緒に戻って来るし。
今のオレに、遊びのつもりはいっこも無いンで。邪魔はせんといてくれ」
その言葉に母親は目を見開くし。
タロジロ2人は青ざめる。
色んな意味でネットワークの要に位置する女主人に、こんな口をきく者は居ない。
「そおなん?まあ2人で暮らすンなら丁度ええかもねえ」
母親はヒンヤリした笑みを、息子に返した。
ここはショッピングモールのフードコート。
出来立て熱々の明石焼きをトレイに乗せて雉場はテーブルに戻る。
それを見て鬼島は苦い顔。
「まだ喰う気なんか。買い物んしたらすぐ帰るで」
「オレここで喰うとるから。迎え来てや」
「何ンでオレが売場とココを往復せんならんねんっ。
フードと猫砂で荷物めっちゃ重いんや。5分後に駐輪場来い」
「えー5分て。早喰いはよお無いんやでー」
「知らんワ」
それ以上の返事は待たずに、売場へ向かう鬼島の背中を雉場はぼーと見送る。
目の前の明石焼きは出汁の良い香りが漂って。
ここへ来ると必ず食べるお気に入りのメニューだけど。
何故か食べる気が無くなって、あげ板に並ぶ丸い卵色をただ眺めてしまう。
「それ美味そおやねえ。何処で買えるンやろ?」
雉場の向かい席に、ニットワンピース姿の女性が座っていた。
物音を立てない静かで上品な仕草。
雉場は黒目がちな瞳で、その女性を不躾なくらい見つめてしまう。
その雉場のクセは。睨んでるみたいで生意気だと、よく怒られたけれど。
目の前の女性は気にするコト無く凛とした佇まいを崩さない。
それどころか、にこりと微笑むから。
つられて雉場もにへっと笑う。
「明石焼き知らんの?」
「そおやねえ初めて見るわあ」
「ほんなら一緒に食べよ」
「まあええの?」
雉場は、女性が食べやすいようにトレイの位置を動かす。
「うん。おねーさんがソコ座ってくれたンで。思い出したんや」
「何んやろ?」
「あんな、美味しいモンてな。
何んを食べるか言うンや無うて。誰と食べるかが大事なんや」
「そおなん?」
「そおやで」
割り箸を取ったり、出汁の器を渡したり。雉場はご機嫌で世話を焼く。
「オレな、いっつも「アカン」て怒られるばっかりやって。
それが初めて「ソコに居ってもええで」て言うてくれるヒトに会うたらな。
すごいンやあ。もお毎日全部が変って貰うた。
何処居っても明るうて温ったかで。
何食べても。嫌いやったキノコもな、旨あて食べれるよおになったんや。
羽比良と一緒やったら何ンかいっつもほわほわして。ええカンジなんや。
子供ン時みたいに、もお頭や腹が痛あなったりせえへんもん」
「そお…」
ちょっと頬を染めて、雉場はにこおっとツヤめく真珠みたいな笑顔。
今度は女性の方がじいっと雉場を見つめてしまった。
「きじばっ、もお行くで」
大きく重そうにふくらむエコバッグを肩に掛けた鬼島が戻って来た。
どーせ雉場は待ち合わせなんて気にしないから。迎えに来るしかナイ。
「あ。そおや5分やった」
雉場がそんな今更の言葉を言うと。
女性は綺麗な箸仕草で明石焼きをひとつ口に運んだ。
「お裾分けありがとお。ごちそうさま。
思うとったより美味しいわあ。あなたも早お食べて、お友達んとこ行ってな」
「うん」
雉場は急いで残りをぱくぱく頬張って。
「なあなあ。おねーさん。
次は、おねーさんがスキな人と一緒に食べてみてや。
きっと今日より100倍美味しいで。オレの言うたコトがホンマやて判るで」
「そおやね。試してみるワ」
「うん!ばいばいっ」
もぐもぐ口を動かしながら、席を立つなんて行儀悪いけれど。
話をすると改めて「スキなヒト」のことで胸がいっぱいになって。
ご機嫌ステップで、雉場は鬼島を追いかけて行った。
雉場を見送る女性のそばに、スーツ姿の秘書がそっと控えると。
女性の口元には、堪えていた笑みが漏れている。
「ふふふっ。良え子やねえ。
羽比良さんが甘あなるのも判るわあ。ああ楽し。
なあ昇さん呼び出してみてや。今晩一緒に食事しましょて。
100倍美味しなるか、試してみんとなあ」
スマホを操作する秘書の顔には。
社長を気の毒に思う憂いさが滲んでしまっていた。




