おまけ話「酸っぱいレモンイエロー」
ふあああと大欠伸しながら顔を洗って。
望は鏡に映る自分の首元を確認する。
(だいじょうぶやんな~?見えるトコ付いてへんよなあ)
そして昨日のコトを思い出すと。
胸の底がざわざわするし。身体の真ん中が熱くなってしまう。
健文の家で一緒に夕飯を食べた後、たくさんたくさんキスをした。
(普段はめちゃめちゃ気ぃ遣いで優しいて。
オレんこと初恋やとか大好きや言うて、にこにこしとるだけのクセに)
「どスケベ」
むうっと頬を膨らませて、望は唇を尖らす。
末っ子で。果樹園を営む大家族ではいつも可愛がられてたし。
島で生活してた頃は、近い年齢には女の子ばかりだからチヤホヤされて。
興味としてのキスやボディタッチも、相手には困らない立場。
そして引越して出会った健文から告られ、付き合い始めたばかり。
姉の育は「ぼーちゃんはモテ男やなあ。まあ顔も性格もカワイイもんな」
なんてニヤニヤ笑いで小突かれたりする。
だから。
兄の活が事件に巻き込まれ、周りの空気が一変した時は特に深い傷になった。
いつも好意の笑顔や言葉を向けてた昔からの知り合い達が。
冷たい「無関係」の壁を立てて、そおっと自分を避けて。
誰も「本当は何かあったんやろ?」と近付いて来るヒトは居なくて。
「知る」よりも「知らん」方がエエと思われてるのを感じて。
自分は変らずソコに居るのに。誰からも「知らん奴」と思われてる気がして。
どうしたらイイのか判らなくて。
もう存在そのものも無いことにしたくて。
育と活にくっついて、島を逃げ出した。
ジェラード店が人気になって、たくさんお客さんが来てくれるのは嬉しいし。助かった。
たくさん過ぎて、誰もがまるっと「お客さん」で。自分は「店の人」。
その関係性だけで良かったから。
それ以上「知る」も「知られる」も要らなかったから。
けど。
そのもわんとした空気から「オレんこと覚えてへん?」とぐいぐい来るのが1人居て。
ちょっと顔を赤くして、自分をじーっと見つめてくる。
イイ奴そうだけれど。そー言う奴だからこそ。
仲良くなって。そこから「知らん」顔されるのはもうイヤだった。
だから、自分が先に「知らん」フリしてたのに。
教室の席は前後で。クラスでは、編入生2人セットで扱われて。
部活も一緒で、いつもダベリながら帰宅して。店も手伝ってくれるし。
トラブルがあって涙が止まらなかった時は、ぎゅうっと抱きしめてくれた。
「そんなんやから。
仲良うならんとか好きにならんとか、もお無理やんなっ」
鏡の中で不本意そうに顔をしかめてる自分に、望はアカンベをした。
健文が説明してくれた香港民主化デモとか中国返還とか、望にはピンと来ない。
ただ重い空気に覆われた中にヒトの暮らしがあると。
お互いの間に在るのは、知らんフリばかりになるのは何処でもいつでも同じらしい。
望は島でソレを感じたし。
健文は家族の中でそれを感じながらも、暮らして行く日々を経験していて。
それで健文は、望が「無視」と「知らんフリ」で身構えてても。
優しい笑顔で近付いて来てくれた。
部活の先輩や、育と活からは。
「暴君のぼーくんの下僕みたいな健文」と言う関係図が出来上がってるみたいで。
そう冷やかされたりするけれど。
(オレ別に威張ってへんし。健文が気ぃ遣いなダケや)望はそう思ってる。
そもそも。付き合うてもエエでと応えた途端。
母親の帰宅が遅くなる日には、一緒に夕飯食べよと望を誘って。
食事以上にハグとキスでお腹いっぱいになってしまう程、健文は望にベタベタ。
される方は初めてなので。さすがに初めはちょっと慌てたけれど。
「平気?イヤやない?
ぼーくん、めっちゃカワイイて。オレすぐ夢中になってまうから。
イヤな時は、殴ってでもオレんことストップかけてな」
そう大真面目な顔で健文は言う。おまけに。
「カワイイて、可愛いて書くやん?
ぼーくんのコトをカワイイて思うオレは、ぼーくんを愛してまうしかナイやんなっ」
と激照顔で言い放ったりする。
(やっぱり。どすけべや)
またまた胸がむずむずしてきて、望はもう一度ばしゃばしゃと顔を洗った。
「ぼーちゃあん。朝ごはん冷めてまうでー?」
キッチンから育の声が響く。
「すぐ行くー」
テーブルには焼き立ての分厚い食パン。切れ込みの上にバターがでんと乗っかって。
鮮やかなイエローと赤茶色の瓶が2つ。
「島から届いたレモンジャムと。こっちは楠くんがくれたメープルシロップ。
カナダに居るお父さんが送ってくれたホンマモンのシロップやで。
さっき味見したけど、濃厚やのに軽い甘さで美味しかったわあ。
島レモンはいつも以上に酸っぱあて目ぇ覚めるで。
ぼーちゃん、どっち使う?」
望はイスに座ると。食パンをむしーっと2つ割って。
「どっちも」
「あはは確かに。選べんわなあ」
「私もそおしよ」
育も活も笑う。
もっちりしたパン生地にじわーっとジャムとシロップが滲んで行く。
それをじっと見ながら。望は決心した。
(夏休みに島行く前に。
健文にさせたろ。挿れる方やりたさそーやモンな。
上手く出来るか判らんけど。
もし全然ムリやったら。健文なら、まあまた今度て言うてくれそおやし。
もしちゃんと出来たら。島のみんなに健文をカレシやてはっきり言えるし。
島のみんなに知らせたるンや。活ちゃんもオレも変らずやっとるって)
もう一度2つ並ぶ綺麗な色で透明感のある瓶を、望はじっと見る。
(生まれ育った島も。この新しい居場所も。どっちも大事やもんな)
無視も知らんフリも、もう止めて。ちゃんと美味しく味わうつもり。
望は、ばくん!と。芳ばしくて甘くて酸っぱい蜜味のパンに齧り付いた。




