2.シロクロ
ジェラードメーカーを分解洗浄するンで手伝わんと、そう言って望は急いで下校したので。
部室棟の前で、健文は鬼島を待ち伏せすることにした。
入部届を出してから1か月。望と一緒に楽しく高校生活を過ごせている。
母親はアレ以上何も言わなかったので。とりあえず望のコトは話題にしない。
家の中ではいつもの通り、深いトコロまでは話さず。程良い空気をキープ。
それなら別にもう望の家族のコトを探らなくても。このままでイイ気もするのだけれど。
どーしても見過ごせないコトが有る。
部活の合間とか、昼休み部室に寄った時とか。望と鬼島が意味有り気な視線を交わすコト。
そもそも鬼島は身体がゴツイせいか、同好会内でも妙に存在感があって視界に入ってしまうし。
部長の猿橋と、サブの犬塚そしてムードメーカーの雉場。この3人は幼馴染。
鬼島は健文と同じ編入生なのに。時々誰も意見出来ない程ビシっとその場を采配してしまう。
(練習場所を貸しとお強みがあるンで威張っとるんかな)とも思ったけれど、ちょっと違う。
何んとなく、他の3人は鬼島のことを認めてる感があって。
「あの大っきい背中のラスボス的オーラがなあ…モヤるんよなあ」
空気読みな性格なので『悪口は言わない』が信条の健文だけど、つい言葉が零れ落ちる。
「おっきいせなかて、コイツんこと?」
笑い声混じりで猿橋がひょこっと登場。その後ろには鬼島も居る。
「えっ!うわわわっすンません!」
「ははは。そんなビビらんでも。キーパーには誉め言葉やんな。
この背中のお陰で、ゴールが守られとるんやからなあ」
「そ、そおですよね…」
猿橋の執り成しに助けられ、健文は誤魔化し笑いでその場をクリア。
とする訳には行かなかった。
と言うか、そうしたく無かった。
自分をじっと見下ろす鬼島の姿に怯んでる限り、何も解らないままだと思うから。
(オレ軽いキモチでぼーくんのコト想うとるんちゃう。
もっと仲良おなりたいし。部活や学校以外んコトも知りたいし。
今度こそ、隠し事せんと付き合える一番の友達になりたいんや)
健文の言葉を気にする風でも無く、鬼島は淡々と訊いてきた。
「ひとりなんか?」
「あ、ぼーくんは店の手伝い有る日なんで」
「そおや木曜や。つーコトは明日フレーバー入替やんな。今週は何ンやろなあ♪」
甘党の猿橋はウキウキ顔。
電車通学なので駅前通りの店は毎日覗けるし。体育館練習日ならギリ営業時間に間に合うし。
オープン日に手伝っていたのも、自分でジェラードを盛り付けてみたあて♪が理由。
逆に鬼島の方はスイーツには興味無し。
(鬼島先輩は、似古さんの追っかけやろお?
せやったら、何ンもぼーくんのコトをあんなチラ見せんでもなあ)
そんなモヤモヤが健文の中で増殖していて。少しでも解消する為の情報が欲しくて。
「あの、ボールの手入れ。オレもします」
「今週はオレらの当番やで?」
「先輩が入っとおクラブチームの話聞きたいんで」
「お。入部希望か?」
「オレん家、母親と2人なんで。あんま金掛かるコトは無理なんですけど」
「あー…」
いきなり家事情を話すと引かれるやろか?と健文はちょっと心配したけれど。
猿橋はにこおっと笑う。
「ははは、この同好会所属なら丁度エエ。入部テストさえクリアしたら会費割引価格や。
オレらの1つ上の先輩のツテでな。部員は特別扱いやねん。
因みに鬼島と雉場は選抜メンバーなってからは会費無料やんな」
「いやオレさすがに、鬼島先輩や雉場先輩みたいには成れへんし」
単に話題のひとつのつもりだったのに。話が勝手に進んでしまいそうで健文は焦る。
「楠は読みが冴えとるし、視野が広い。キーパー出来ると思うで」
いきなり鬼島が真っすぐに健文を見て言う。
「そおやんな。自転車もかっこええロードバイク乗っとるやん?
あれて下半身強おなるし。バイクコントロールで体幹鍛えられとる。
パス練見とっても、身体の使い方出来とるし。基礎は十分や、なあ」
うんうんと相槌を打ちながら、猿橋まで賛同するから。
そんな不意打ちに健文は顔が赤くなる。
「そ、それは。どおも…」
いつも空気を読む側にばかり居るせいか。こんな風に自分が見られてると知ると。
(うわあ。何ンや恥ずううう)
動揺してしまって、健文は言葉が出て来なくなってしまう。
「クリーナー使うやろ。ニオイするし、外でやろや」
「そおやな。外練の土も落とさんとな」
鬼島と猿橋はいつもの調子でボール手入れの準備に取り掛かる。
健文は慌てて後を付いて行った。
「こおんな風に後輩と並んでボール手入れとか。青春の1ページみたいやんなっ」
「フツーの部活やろ」
「ツマランなあ、たまには先輩らしー顔せえよ。
なあ楠くん。クラスの方どおや?困ったコトあったら犬塚弟に助けて貰いや」
ボールに付いた土を布で拭き、専用のクリーナーで磨いて行く。
特にパネルの凸凹は汚れが溜まり易いので注意して。それから空気圧を確認。
丁寧に作業しながら、猿橋はお喋りを続ける。
「今は中等部員の方が多いんでな、部活はこの2号を使うとるけど。高校男子は3号や。
ウチの備品は天然皮革か人工皮革のエエヤツなんやで。すごいやろー」
初心者の健文でさえ、ボールの大きさや重さが少し違うことに気付いていたけれど。
その意味までは判っていなかったので、猿橋の開設をふんふん頷きながら聴く。
「ボールが悪うなり易い外練でもゴム製は使わんねん。持ち感が全然ちゃうんや。
雉場は特にこだわり有るんで、パス練ん時は絶対こっちのボール使いや」
「はい。わかりました」
運動神経抜群の雉場は左右どっちのサイドも出来る点取り屋。
小柄なのにジャンプは高いし、スタミナもあって試合中跳ぶように走り回ってる。
しかも黒目勝ちで大きな瞳がハムスターかリスみたいだし、よく笑ってよく喋って。
第一印象では健文も(元気良うてカワイイ先輩やなあ)なんて思っていたけれど。
今ではちょっと苦手に思う時もある。
大事な場面でパスやシュートをミスると、自分を許せなくて地団駄踏んだり唸ったり。
ほんとにコドモっぽくて、考えてるコトが読みにくいし合わせにくい。
猿橋と犬塚は慣れてる風で、雉場の気が済むままに放置して。
そして雉場がどーにもヘソ曲げて。コートに大の字にひっくり返った時は鬼島の出番。
むくれる雉場を乱暴に持ち上げてブン投げて、コートに立たせると。
腹めがけて強烈ロングパス、からの延々シュート練。そして疲れ切って再びコートに大の字。
シンプルにひっくり返るまで発散させる作戦だけれど。
その現場を初めて見た時は、健文も望も驚き呆れて声も出なかった。
でも望はすぐ、ぷっくくくくっと顔をくしゃっと崩して笑いだした。
「ええなああ。兄弟喧嘩みたいやあ」
そんなシーンを思い出して。
つい健文は呟いてしまった。
「雉場先輩と鬼島先輩て何んや兄弟みたいですよね」
「そおやろー。一緒に住んどるせいか、付き合い長いオレらより鬼島に懐いとるよな」
「えっ」
「あれ?知らんかった?畑練の後、雉場はそのまんま家上がって行くやん」
「そお言えば…」
畑練の最中は水を貰ったりトイレを借りるので、部員は自由に鬼島の祖父宅に上がらせて貰う。
だから部員は鬼島祖父とも飼い猫2匹ともすっかり馴染んでいて遠慮無用だし。
時には一緒に衛星CHで海外試合を観たり。雨天中止になったら家の掃除を手伝ったり。
それがいつもの状況なので、ユルイ服装の雉場が居間をウロウロしていても違和感無くて。
まさかあの家で暮らしてるとは思っても無かった。
でも知ってしまうと、その理由が気になってしまう。
そんな健文のモヤモヤを解ってるかのように、猿橋は変わらない表情で話す。
「雉場の家族は福岡に引っ越したんや。
せやけど学校も生活もココのんがエエからな。あいつだけ残って鬼島ん家に居候しとるんや」
「へええ」
頷きながら健文は、猿橋の言う『エエ』の意味がなんとなく理解出来て。猿橋もにやっと笑う。
「あいつ、ちょお癖強いからなあ。近くにソレ解っとお奴が居らんとな」
(あれ?)と健文の妄想が始まってしまう。
(何んや意味深な言い方やんな…)そしてちらりと鬼島を見る。
(もしかして。鬼島先輩と雉場先輩て…)心臓が走り出す。
「そン役はオレや無いやろ」
「栄先輩の受験が終わるまでの代役やんか」
「じょおおだんやろ!1年先やないかっ」
普段は不機嫌そうにむっつりしている鬼島が焦った顔になる。
「あの雉場が自分から言うたんやで。先輩の邪魔せんよおに、会うンは週1にするて。
よお我慢しとるよなあ」
「お蔭で週6オレの邪魔しとるワ」
「邪魔て。工務店の手伝いもしとるやん。似古さんも雉場ンこと可愛がってくれとおし」
「おまえ判っとって言うとおやろ。面白がるトコちゃうでホンマ」
いつの間にか2人は健文抜きで盛り上がっている。
だから健文は黙々と手を動かしながら、頭の中では10倍速で情報整理。
(サカエセンパイて部活の先輩言うコトやろ?つまり男やんな?
そんで雉場先輩のカレシさんで?そんで鬼島先輩は、似古さんがスキなんやろ?
ええええ?何んやココ、男同士アリなん??)
自分がゲイだと自覚してから、ずっとずっとずっとひたすら隠して。
友達にも気付かれないようにいつも一線引いて過ごす付き合いだったし。
そしてまだ誰にも言えないで居るのに。
(なんやねん。このフツー扱いはっ!)心の中で最大ボリュームでツッコんでしまう。
猿橋が思い出したように健文を振り返って、軽く笑う。
「ははは。楠が固まっとる。
共学からの編入やもんな。男子校のノリにビビってもたか」
「あ、いえ。あの、その」
(今なら、この2人になら。言えるやろか…)心臓が緊張する。
「あの、オレ。中学は共学やったけど、その。いつも男友とツルむ方が楽しいて。
だから全然その…何ンとも無いです。そーゆーの」
顔は上げられず。覚悟を決め切れず。無難でどっちつかずな言葉しか選べなかくて。
(あかん。オレ結局、前のまんまで変れてへん。中途半端で嘘つきや…)
健文の体温は冷えるのに。
「へえ。ほんならヨカッタ」
猿橋の言葉は変わらず優しくて柔らか。
「まあこーゆーコトて、別に良し悪しとか白黒付けるモンちゃうしな。
とにかくなあ常識とか普通とか考える前に、目の前で2人分の良え結果見て貰うたからな。
ハッピー万歳。男同士やからて、アカン理由を探さんでもエエやんな」
いつの間にか鬼島もいつも通りの淡々とした表情に戻っていて。独り言のように呟く。
「惚れたンは似古さん丸ごと全部や。アカン理由なんて探しても無いワ」
「ほんまになあ。鬼島も雉場も良かったやんなあ。
スキなヒト出来たお陰で一人前のニンゲンに成れたつーか。変われたモンなあ」
「そおなんですか…。
確かに似古さんて、めっちゃキレイやし。話し方も笑顔もめっちゃステキで。
順番待ちのお客さんも楽しそーに会話しとって」
「おい。ライバル宣言か?」
春の爽やかな風が吹き抜け、青空に白い雲。そんな放課後の風景が一転して。
暗雲立ち込め、鬼島が仁王像みたいに眉吊り上げて健文を睨みつけている。
ぎゃーーーっ!と言う悲鳴を必死に飲み込んで、健文は千切れんばかりに首を振る。
「いえいえいえいえいえっ!ちゃいますっそーゆー意味ちゃいますっ!
それにっオレはぼーくんの方が」
猿橋も鬼島も健文までもが『あ』と言う顔になって。ぴたりと空気が止まったけれど。
ごくりと唾を飲み込んだ健文は腹を括った。
「オレ、自分がゲイなんは気ぃ付いとったんですけど。
よお認められんで。誰にも言えんで。ヒトリでぐるぐるしとって。
せやからココ編入して、なんとか変わりたいて思うとって…。
そしたら。ハンドは面白いし、クラスも良え奴ばっかやし。ホンマに毎日楽しいて」
本音が溢れ出て止まらない健文を、猿橋が明るく笑う。
「そおやそおや。
言訳の網に絡まっとお場合ちゃうで。3年しかナイんやからな、やりたいコトやらんと。
それに恋愛て、まあもし上手く行かんでもソレはそれでもエエやん。
あの似古さん狙いて無謀な片想いでも、鬼島はシアワセそーやしなあ」
「お・いっ」
急に自分をネタにされた鬼島は唸るし。
猿橋はニヤニヤ笑いで、どれだけ鬼島が必死なのか更に話を盛るし。
いつの間にか健文は声を出して笑って喋って、指も爪も洗剤でベトベトなのに。
身体がホカホカするほど嬉しくなっていた。
(こんなフツーに恋バナ出来るやなんて。思うてんもみんかったなあ)
だから次の日の健文は、スキップしそうなウキウキ気分で。
望ともう一歩仲良くなるつもりで。前の席に望がやって来るのを待ち構えていた。
でも望は始業チャイムと同時に教室へ入って来て、そのまま着席して背中しか見せない。
(あれ?)
健文は違和感があったけれど。ちょいちょいと背中をつついて小さく声を掛ける。
「おはよ。ギリギリやったな」
「…」
「ぼーくん?」
かなり力が入った望の両肩が少し震え。それからぐるん!と望は振り返った。
「もおオレに構わんでくれ。ハンドも辞めるし、トモダチも止めや!」
大きくて潤んだ瞳をキっと吊り上げ。ちょっと無理するように力を込めて、言い切って。
向きを直すと、望はその背中に『話掛けンな』と言う分厚い壁をドン!と置く。
健文はもう空気まで凍る冷凍庫の中に居る気分になっていた。
放課後、健文は無意識にフラフラと部室棟へ向かう。他に行く場所が無いとも言う。
休み時間に何度も望に話し掛けようとしたけれど。
いつもの空気を読んでしまう癖が災いして(あーめっちゃ拒否られとる…)と動けない。
そんな健文の腕を犬塚弟がぐいっと引っ張った。
「どないしたんや?吉野原は。とにかく兄ちゃんトコ行くで。猿橋さんに相談や!」
健文の顔が歪む。
この間、本音を話せた猿橋達と顔を合わせるのはすごく気が重い。
(ぼーくんのコト好きやて話したばっかやのに、こんなことなって…。
恥ずかしー言うかみっともない言うか…それより何ンより…。
どないしよ。めっちゃ、哀しい哀しいかなしいかなしい。あかん泣きそうや)
望が見せてくれる、くしゃっと崩れる照れた笑顔と。今朝の氷の背中が頭の中でグルグルして。
渡り廊下の途中でとうとう健文は立ち止まってしまって。ぽろっと涙がひとつぶ頬を伝った。
夕方、下校生徒や仕事帰りのお客で混雑するには少し早い時間。
帰宅した望は、店のTシャツに着替えて階段を降りて行く。
1階が店舗で2階3階が居住用。
駅前通りの造りは昔ながらの商店街だから、家族で商いしていた時代のまま。
でもそんな家族経営では世間の変化に応えきれず、シャッター街になってしまう。
地方都市ならよくある事例だけど。
この駅前通りは、辺りを所有する地主が中心になって大改修。
通りをレンガと石畳で統一して、並ぶ店も厳選して穏やかな雰囲気を保っている。
だからジェラード片手に歩くと『ローマの休日』気分を味わえるとSNSで話題になったし。
オープンから1か月、ジェラード店は予想以上に順調で忙しい日々が続いている。
「ぼーちゃん、部活は?また休んだん?そんな毎日店手伝わんでもエエのに」
「へーきや。オレよりも、活ちゃんの調子どおなん?」
「大丈夫そうやで。コッチが心配せんで済むよーに、自分で体調管理出来とおで」
「今日はひとりで病院行ったん?」
「そお。もおすっかり慣れたみたいでな。
スッキリした顔で戻って来たし。今、夕飯作ってくれとる」
「つーコトは親子丼かカツ丼やな。こないだカツ売切で、コロッケ乗せたンも旨かったー」
姉の育と軽ーい会話を交わしてから。
望はもう一度階段を上がり直して、台所を覗くと。兄の活が野菜を切っていた。
「活ちゃん、夕飯何?」
「ぼーちゃん、おかえり」
それまで活の足元でニャアニャア喋ってスリ寄っていた大きな猫が、ぴくんと耳を立て。
あそぼー!と勢いよく突進して来たので、望はヨロけてしまう。
それでも8キロの巨体をよっこいしょ、と持ち上げてふわくる長毛に顔を埋めた。
「ぼおのお。ほんま大砲やなあオマエはあ。
今日もお客さんとようけお喋りしたんか?可愛がって貰うたかあ?」
SNSではジェラード以外に、この看板猫ボーノも人気者。
珍しいカールした長毛はぬいぐるみみたいだし、おおらかな性格でニンゲン大好き。
ここへ引越して来ても、新しい環境にすぐ慣れた。
リードは着けているけれど、自由に店頭へ出てお客さんとお喋りするのがボーノの仕事。
兄の活がボーノと望を見て穏やかに微笑む。
兄弟だから3人とも顔立ちは似ているけれど。雰囲気は全然違う。
瀬戸内のジェラード有名店で、支店長を任されていた育は明るくてテキパキしてて。
末っ子の望は日焼けした肌に大きな瞳で。コドモぽい顔が『夏の少年』そのもの。
そんな2人に比べると、兄の活はちょっと影があって痩せた身体。
店では製造作業だけして人前には出ない。と言うか出られない。
身体にも心にも治療が必要な状態で。やっとリハビリを始めたばかり。
姉の育とも弟の望とも、会話はまだ少ない。
島で暮らしていた頃は毎日のように姉兄弟喧嘩をしてたのに。
それも仕方ない。
自分のせいで、家族が平穏な生活全てを失ってしまったのだから。
島を出るしか無い状況になってしまったのだから。
「ぼーちゃん、パン食べへん?」
「パン?」
「角のベーカリーさんトコ行ったら、お裾分け貰うた」
「育ちゃんが作ったオレンジピール持ってったん?」
「そお。無農薬の新鮮な果物使うとるから、香りが全然ちゃうんやて。
それ使うて焼いた食パンも人気有って。これからもよろしくて言うて貰うた」
「へええ。よかったなあ。うわー!むっちゃようけ有る!」
「そおやねん。これとかちょおっとコゲとるけど」
「芳ばしいてエエやん。活っちゃんヒトリで店行ったん?」
皿にはシナモンロールやデニッシュにチーズたっぷりの総菜パンと色々山盛り。
オレンジジュースをコップたっぷり注いで望の前に置きながら、活も座る。
「うん。最近身体もキモチも調子良エんや。
開店準備からずうっと忙しかったやん?
それて、やるべき事がハッキリしとって迷わんで済むし。
動き回るから、毎晩熟睡出来て。腹も減ってよお食べれるし。
まだ商店街と病院だけの狭い範囲やけど。
会う人はみんな俺んこと『ジェラード屋の人』て見てくれるし。
ん…なんかめっちゃ息がし易い言うか気楽でなあ。育姉には感謝しか無いワ…」
「活ちゃん」
申し訳無さが混じった活の苦い笑み。望はボーノをテーブルに乗せくしゃっと笑顔。
「オレら4人で一人前やもんなっ。
育ちゃんが苦手な計算とかSNSは、活ちゃんがしとるし。
ボーノは優秀な宣伝部長やし。そお言うたらオレが一番何ンもしてへんかも」
「誠心学院の生徒さん、よお店来てくれとるで。
男子学生にジェラードがウケるやろかて心配やったけど。
ダブルや無うて、たっぷりのシングル2つ買うてくれるからなあ」
「そらあ育ちゃんと活ちゃんのジェラードが美味しいからや。
猿橋先輩なんて、もおサーティーワン卒業やて言うとったし。
健文は、昼ご飯代ちょおっとずつケチって…」
活に合わせて明るく話していた望だけれど、ふっと言葉が止まる。
健文のほんわり笑顔が思い出されてしまったから。
部活の後、一緒に店に寄って。
望おススメの塩ミルクを食べた時。健文は文字通り目を丸くした。
「何んっコレっ!牛乳飲む時塩入れよとか思わんのにっ。何ンでこんなに合うんや?」
すごおっ!ぼーくんのお姉さん天才ちゃうか!そんな誉め言葉にみんなで笑った。
育も言っていたけれど。
「あのコ健文くんて、言葉とか雰囲気とか程良おに気遣いが上手で。
めっちゃ感じエエ子やねえ。私ああいうコ好きやわあ」
そうなのだ。
クラスでも部活でも健文と一緒だと、望はいつも気分良く過ごせる。
健文は親切で気配りがあって。そしていつも自分をよく見てくれている。
ちょっと困り顔で目線を上げると。はい、と優しく笑って必要なモノを出してくれる。
そんな感じだから。
編入生同士仲良くなれて、ほんとに良かったと思う。
だからこそ。自分ン家の事情を知られてガッカリされるくらいなら。
距離を置いてタダノクラスメイトにしておこう。そう決めた。
階下から育の声が響く。
「活ーっ、ぼーちゃあん。どっちかちょお手伝うてー」
「俺行くワ。ぼーちゃん、ゆっくり食べとって」
「あ、うん」
ゆっくりと席を立って、活は階段を降りて行く。
その後ろ姿を見送ると望は胸が苦しくなってしまう。
(確かに、活ちゃんは法律に違反するコトして貰うた。色んなヒトに迷惑かけてもた。
それはアカンことやけど。
活ちゃん全部が悪いワケちゃう。これからの生き方まで全否定するモンちゃう。
ここでやり直すンや。そン為やったらオレも全力で協力するンや)
だから。
のんきに部活をやってる場合じゃないし。
噂の種がばら撒かれないように、人付き合いには要注意。
頭の隅に残る健文の笑顔を飲み込むつもりで、望はばくんっとデニッシュを頬張った。
兄の活は成績が良くて。島の小さな学校を卒業するとヒトリ大阪の大学へ進学した。
検事や弁護士に言わせると「世間知らずで知り合いも無い地方出身者は狙われやすい」。
その見本のように。簡単なバイトだからと誘われて。
気付くと半グレの使い走りにされていて。
脅されて、違法ドラッグの保管や運び係とか実刑確定なトコまで引きずり込まれ。
執行猶予付で島へ戻って来た時の活は、疲れ果て怯え別人みたいになっていた。
それでも待っていた家族にとっては、命が無事なだけで嬉しかったし。
なんとかやり直したい、やり直せるはずと信じて。
果樹栽培農家の両親は土地を手放して、被害者団体に精一杯の賠償金を払い。
育が勤めていたジェラード店のオーナーは、新しい土地での姉妹店を提案してくれて。
この駅前通りを管理している地主さんも、こんな映える場所に店舗を提供してくれた。
そんな風に手助けしてくれる人達が居る。だからまだまだ頑張れる。
ふむーっと鼻息上げて。望は目を閉じた。
家族の想いは明確だけれど。やっぱり非難や軽蔑の視線が刺さることはあるし。
あのまま知り合いだらけの小さな島で暮らすのは息苦し過ぎたし。
新しい土地とは言え、ココでも事情を知ってる人と会うのは緊張する。
このあいだ活の付き添いで病院へ行った時のコトを望は思い返す。
『くすのき』の名札を付けた看護師に呼び止められて。
息子と関わらないで欲しいと頭を下げられてしまった。
活は逃げ場が無くなってしまった時、自殺未遂になったことがあって。
今でも通院してカウンセリングを受けている。
だから看護師である、鬼島の母親と面識があるし。
鬼島も目立たない程度に、望の学校生活を気にしてくれている。
でも、健文の母親までもあの病院のスタッフとは知らなかった。
「私の家族はあの子だけなんや。あの子は真っ当な生き方させたいんや」
そう言われてしまったら。望はただ『はい』と応えるしか無かった。
教室の席は前後だから、登校すれば必ず顔を合わせるし。
同じ部活に入ったから、放課後も昼休みも休日だって一緒に練習するし。
優しくて気配りが出来る健文と居ると、喋りも笑いも尽きないし。
ジェラードもすごく褒めてくれるし。ボーノとも仲良しで。
いつも「ぼーくんの目ぇほんま大きいてキレイやな」「髪の毛くるくるや」そう言って。
健文はすごく幸せそうにニコニコ笑顔で自分を見つめるから。
『もしかしてオレんことスキなんやろか』と望の心臓はドキっとしたりした。
楽しくて心地良くて。
これから高校3年間一緒に面白可笑しく過ごして行けそうで嬉しかった。
でも、それも終わりにしないと。
いつも水面のように潤んだ望の大きな瞳から、ぽつんと一粒涙が落ちた。
鬼島祖父の畑練で、この日の健文は最悪にポンコツだった。
パスはこぼすし。投げ返してもボールは明後日の方向だし。
トイレを借りに部屋へ上がったら、猫のシッポ先を踏んで引っ掻かかれるし。
もう練習する気にもなれなくて。畑の隅で草むしりするしかなかった。
休憩になると。ションボリ健文の隣で、海苔巻き餅を頬張りながら雉場が文句を言う。
「えー?ぼーちゃん辞めるん?
アカンやろ。なんとか引っ張ってき。
あんな楽しそーやったやん。器用やし反応エエし。絶対向いとるて。
ボール持って跳んだらまあたすぐ続けたあなるて」
「…たぶん部活はスキなんやと思います。ただオレが避けられとおだけで…」
「ほんなら健ちゃんが辞めればエエやん」
「うっ」
「きじば」
遠慮ゼロな雉場の言い様に。さすがに黙ってられなくて、鬼島が低い声で遮る。
「ぼーちゃんならちょおっと鍛えたら、左右どっちサイドでも出来るよーになるで。
キーパーは鬼島が居るからええけど。
来年オレが居らんよーになったら、攻撃力激下がりや。点取れるヤツ居らんと」
「え?来年?」
雉場の発言が理解出来ず健文は困り顔。犬塚がタメ息交じりに確認する。
「おまえホンマに栄先輩に着いて行くんか?」
「うん。いま会うン週1にしてみて、よお解ったンや。もお別々なんイヤや」
「鬼島、止めへんのか?」
「何ンでオレが引き留めなアカンねん」
「せやかて。卒業まで面倒見る約束ちゃうんか」
「ンな約束してへん。じいちゃんが『ウチ来るかー?』で、雉場が『行く』言うただけや」
「ソレは育児放棄やろー。雉場に任せとったら瞬間芸な判断しかせえへんやんか。
その辺はちゃあんと鬼島がフォローしたらんと」
さすがに幼馴染なだけあって、犬塚はホンキの心配顔になる。
家族関係が複雑で色々不安定だった雉場は、栄先輩と出会って落ち着いて。懐いて。
パズルピースがぴたっとハマったみたいな関係になって。そのまま完成形。
それはそれで良かったけれど。
1学年上の栄は東京の大学を受験する予定。雉場は東京へ付いて行くと言う。
高校中退せんでも。卒業してから追いかければエエやんかとツッコミたくなるのは当然。
「せやけど先輩と約束したんやろ?
通信制でも何ンでも。高卒資格だけは取るんやんな?」
少し寂しそうな表情で猿橋が会話をつなぐと。
雉場はむうっと耐えてるようなむくれ顔になりつつも。癇癪を起さずに話す。
この場に居るメンバーが自分を心配してくれてるのは解っているから。
「オレしたいコトひとつしか無い。羽比良と一緒に居るコトだけや」
決定事項のように言われると。もう諦め顔を見合わせるしかない。
ゼロか百かの行動基準しかない雉場。迷うとか考え直すなんてコトは無いのだから。
「栄先輩が浪人したら、どおすンやろ」
「いやいや有り得えんワ。あの先輩に失敗言う単語はナイ」
「第一志望がアカンかったら、さっさと海外留学とかしてまいそおやんな」
「将来は社長サンやしなあ」
「誠心卒業生やったら社員にして貰えるやろか」
ははは、といつもの雰囲気になるけれど。健文だけは真顔で雉場の前に座り直す。
「あ、あの。何ンでそお強気で行けるンですか?
相手の迷惑になるかもとか、自分勝手で嫌われるかもとか。心配ならんのですか?」
雉場の黒目勝ちな目がまんまるになる。
「自分のキモチて、自分の為にあるんやろ?
自分以外誰もソレ知らんし。面倒見てくれへんで?
出て来たキモチ枯らしたあ無いンやったら、芽ぇ伸ばす方法考えるだけやん」
んぐっと健文の喉が詰まる。
(ほんまにそおや。
オレがこのキモチ無視したら。無いことと同じンなってまう)
このキモチをどうにか出来るのは自分だけ。どうしたいのかは自分で決めないと。
健文の頭の中で望の姿がぐるぐる巡る。
くるんくるんなクセ毛。水面みたいに光を映す大きな瞳。
日焼肌にくっきりした顔立ちは固い感じなのに、笑うとくしゃっと崩れて。ギャップ大。
部活が終わって歩って帰って。手を振って別れる時の後ろ姿が夕暮れ色に溶けていく。
健文はぎゅっと唇を噛んで立ち上がった。
「オレ、ぼーくんトコ行って来ます!一緒に部活続けよて言うて来ます!」
ロードバイクを降りて、額の汗を拭いながら健文はジェラード店を覗く。
営業時間は終わってるからシェードが半分降ろしてあって薄暗い。
でも片付けをしてる気配がするので、裏口へ回ってみる。
と、丁度大きなゴミ袋を持って出て来た活とばったり会う。
「こ、こんばんわっ」
「あ…えっと、ぼーちゃんの友達やろか?」
目が合った瞬間は強張った活だけど。健文の学校ジャージを見てちょっと笑顔になる。
「はいっ。楠て言います。ぼーくんと同じクラスで部活も一緒で」
「くすのき…」
さあっと活の顔が青ざめ立ち尽くしてしまう。
その様子に、察しの良い健文は母親の言葉を思い出す。
(母さんが気にしとった、ぼーくん家の問題て。このお兄さんのコトやろか)
「活ちゃん!!」
望の大きな声が響いて、固まっていた空気がビリっと震えた。
「活ちゃん、もおええから。片付けはオレするんで家入って」
望の言い方が、兄を気遣ってと言うよりは。健文から隠すための強引さを感じて。
健文は望の前に一歩出る。
「ぼーくん。お兄さんやろ?いつも美味しいジェラード作ってくれとるヒトやろ。
挨拶くらいさせてえや。この間のほろ苦なオレンジの、オレめっちゃ気に入ったし」
「そんな話しに来たんや無いやろっ。
オレ部活辞めるて決めたんや!もお関係無いンにウロウロすんなっ」
「それ、俺のせいなんか…?」
頭から湯気立ち昇らせてた望だったけれど。ぽつんと落ちた活の暗い声で、我に返る。
「活ちゃん」
「俺のこと知られたあ無いから。誰とも仲良おせんと、友達も作らんで。
せっかく新しい学校通うとおのに、またぼーちゃんを独りぼっちにさせてまうんか?
俺が一緒に居るせいで…」
「ちが」
「違わへん。ぼーちゃん、島の友達と離れて独りになって貰うたやんか」
苦しそうに歪んだ表情の活と、今にも涙が溢れそうな望との間で、健文はオロオロするけど。
解ってしまう。
どっちの言葉も想いも、気遣いと遠慮が不器用に噛み合ってなくて。切ない。
きっとホントはそんな否定の言葉ばかり言いたくないはずなのに。
そんな空気に明るい声が入って来て、3人は振り向く。
「なあ。片付け終わったんやったらコーヒー淹れて一息付こ。
ぼーちゃんのお友達も一緒にどおぞ」
長女の育がニコっと笑顔で立っていた。
育が優しい香りのコーヒーをテーブルに並べる。
「この豆なあ、そこの洋裁店さんのブレンドやねん。お薦めやで」
「ありがとおございます。いただきます。
このクッキー、ジェラードに付いとおヤツですよね。サクサクしとってオレ大好きです」
テーブルにはマグカップ3つと、真ん中にクッキーが置いてあって。健文はひとつ摘まむ。
「これは形が崩れてもたヤツやけど。毎日ぼーちゃんがキレイに焼いてくれるんや」
「そおなん?すごいな」
「…べつに。活ちゃんが作った生地をオーブンに入れるだけやし」
「でも葉っぱの形に抜いて、切れ込み入れるんやろ。パティシエみたいや」
斜め下を向いて視線を合わせない望のクセ毛を、育は指先で触れながら話し掛ける。
「ぼーちゃん、なあ。学校始まった時教えてくれたやん。
同じ編入生で話し易うて、仲良うなれそうなコ居るて。この楠くんやろ。
友達やったら、ちゃんと話せんと」
「友達なんて要らん。オレは店が上手く行くコトだけ考えたいンや」
「そんなコト言うとったら、お客さんも商品も大事に出来へんで」
「でもっどおせ」
しっかり者の育の隣に座ってると。末っ子の望が可愛がられてるのがよく判る。
健文の手前、望は必死で強がっているけれど。
口をへの字も曲げて、顔を真っ赤にして。言葉に出来ない感情が溢れそうで。
(やっぱ、ぼーくんめっちゃ可愛ええ)
そんな場合では無いのに、健文は胸がホワホワくすぐったくなる。
(そおや。オレにとってぼーくんは特別や。
このキモチ無くすことなんて出来ん)
健文はテーブルの上の両手をぐっと握りしめて、まっすぐ望を見つめた。
「オレ、初めて会うた時からぼーくんと仲良うなりたいて思うとった。
店ンこと一生懸命で。話すンも真っすぐやし。性格エエ子やてすぐ判ったし。
同んなじクラスなれて席も近いし、部活も一緒やし。
これからもずっと楽しいにやって行きたいんや。
オレが何ンかアカンことしたんなら謝りたい。仲直りさせてくれんか?」
健文から目を逸らすコトも出来ずに、望が言葉に詰まっていると。
ぽつんと暗い声が活から落ちた。
「楠くんは悪うないし。ぼーちゃんも全然悪うない。
悪いンは俺や。俺の罪にみんなを巻き込んで貰うて、不幸にして貰うて…。
一度付いたシミは絶対消えへん。無かったコトにはならん。
それどころかシミは広がるし、他にも移って行ってまうし…」
深く深く頭を落とし。
指が食い込みそうなくらい強く手を握りしめている活の肩を、育はそっと抱き寄せた。
「そおや。
確かに真っ白には戻らへんけどな。真っ黒にもせえへんで。
楽しいて明るうて美味しいフレーバーようけ作って、キレイな色で取り囲んで。
家族みんなでやり直そて決めたやろ。まだ始まったばかりや。
黒い方へは引っ張らへん。前向いてゆっくりやって行こ、な」
そのまま育と活は席を立って、部屋へ戻って行ってしまって。
テーブルには望と健文と沈黙だけになる。
(ど、どないしよ…)
健文の額には緊張の汗。
せめて仲直りが出来たら。そしてまたフツーに話すことが出来たら。
それくらいしか考えて無かったのに。
(具体的なコトは判らんけど。お兄さんの言葉めっちゃ刺さった…。
何んでもかんでも自分のせいやて思い込んでまうと。
近くに居ってくれる家族とも、どんどん遠おなってまう。
そんで思い込みの黒い空気だけがリアルになってまうんや。
オレは。オレも、その仕組みをよお知っとお)
ちらりと望を見ると、強張った肩でうつむいた表情は判らない。
だからぎゅうっと健文の心臓も苦しく痛くなって。考える間も無く言葉を吐き出した。
「あの、ぼーくん。オレの父親て香港出身やねん。
そお言うてもオレは生まれも育ちも日本で、ちょおっと中国語判る程度やねんけど。
でもな父さんは今、叔父さんらあとカナダに居んねん。
叔父さん達は、中国返還で民主派デモとか派手に抗議活動しとった世代で。
親戚内でも、叔父さんらあのせいで警察とか政府に睨まれるて嫌われとったらしーて。
結局カナダに移住するんも、日本に居った父さんが手伝うしか無うて。
そんでそのままもう3年会うてへん。ずっと母さんと2人で暮らして来たんや。
せやから、その。
ぼーくん家と同んなじとは言わんけど。
オレもちょおっとは解るつもりや。
世間とかヒトの目ぇとか掴みどころ無うて。在るかどおかも判らんのに。
それやのに。向かい合うても、避けて逃げても。
その正体がよお解らんモンはずうっとまとわりつくんや。
それが自分の思い込みかも知れんのに。自分の中で、在るコトにしてまうんや」
いつの間にか望は顔を上げて、大きな目でじっと健文を見つめていて。
言葉を区切った健文の方がドギマギしてしまう。
「オレ」
「え?」
「現代史も政経も苦手や」
「あ、うん。そおやったな、ぼーくん理数系のンが得意やんな。
ぼーくんに教えて貰うた数Ⅱの問題よお解ったしっ。あの、あんなっ」
やっと自分を見てくれたコトに舞い上がってしまって、健文は身を乗り出す。
「オレ、母さんと2人でそおゆう生活しとって解ったコトあるねん。
周りの視線とか空気とか、冷たあて痛い時でもな。
絶対的な味方が居ったら頑張れるねん。暗いキモチん中の明かりになるねん。
お兄さんにとっては、ぼーくんやお姉さんがそういう存在やろ。
せやから、その。オレがっ!ぼーくんのそおいう相手になられへんやろか?
いや、なりたいんでっ!どおかオレんことお願いしますっ!」
頭のてっぺんから湯気が立ち昇りそうに真っ赤な顔で、健文は望の目の前に迫る。
望は望で、これ以上見開くのはムリなくらい大きな目をぱっちりさせて。
それから。
くしゃっと崩れた顔で笑い出す。
「っふ、くっくくくく。はは!何ンや全然判らんワ。何お願いされたんや?オレ」
「え?あ、えっと。その」
(ぼーくん笑うてくれた!!)
望の笑顔に見入ってしまって、健文はもう言葉が出て来ない。
ただただ胸の奥が温かくてフワフワする。
望は壁時計とチラっと見るとイスから立ち上がる。
「もおこんな時間や」
「あ。うん」
そして真っ直ぐに健文を見て、望はもう一度くしゃっと顔をほころばせる。
「またあしたな」
「う、うん」
つられて健文も立ち上がりながら、大切なコトを確認するために繰り返す。
「またっ明日もなっ」
帰宅してから。
ぱん!と両手を合わせて念を送るようにスマホを拝んで。
健文はそのままスマホを枕の下に差し込んだ。
朝のアラームまで、もうスマホは見ないと決心して。
(何ンか通知が在るか無いかてモヤモヤしとったら今晩眠れへん。
ぼーくんは「明日」て言うてくれたんや。もお寝てまお。そんで起きたら希望の朝や。
はは。ラジオ体操の歌て、ぼーくんの歌や)
ひとりツッコミをして大きく深呼吸。健文はばふっとベッドに潜りこんだ。
でも。やって来た新しい朝は、失望の朝だった。
教室の望の席は、始業時間が近づいてるのに空っぽのまま。
呆然としてる健文に、犬塚達が声を掛けて来た。
「やっぱ吉野原は休みかー、店大変なんやろな」
「え?」
「え、て。知らんの?
嫌がらせのラクガキで、駅前通りエライコトなっとるらしーで」
「オレ電車通やけど。
朝っぱらから店の人らあが集まって、写真撮ったり掃除したり険悪モードやった」
「警察は?」
「あーゆーのて警察動くン難しいんや。脅迫性あって被害届出されんとなあ」
慌てて健文はスマホを取り出す。
今朝アラームを止めてから、一度も見て無かった画面には着信が1件。
『ごめん今日休む』望からのメッセージ。
「オレもっ!今日休むっ!」
蹴飛ばすように席を立つと、健文は荷物を持って教室を飛び出した。
思い切りペダルを回して駅近くまで来て。
ぜいぜいと呼吸は荒く、心臓は跳ね回ってるのに。健文の頭はざあっと冷たくなる。
哀しくなるくらい。駅前通りは痛々しい雰囲気だったから。
歩道にはゴミがぶちまけられ、店頭の植木はひっくり返り、スプレーの落書きもある。
何人もの人がホウキやゴミ袋を手に黙々と掃除していた。
(ぼーくんの店は…)
自転車を降りて歩道を横切ろうとして、健文は固まる。
「お、鬼島先輩?」
レインウェアみたいな作業着で。重そうな発電機みたいなのを動かしているデカイ2人。
でも片方は金髪のマンバンで明らかに年齢が上だから、先輩のはずはナイのだけれど。
いかつい体格も。振り向いた時のむっつりとした目元も鬼島先輩とそっくりで。
「百架、誠心の学生やで」
「何ンや楠か。サボったんか?」
そう言いながら2人並ぶとホントよく似ていて。
「いやあの。先輩こそ、その恰好何ンですか?」
「手伝いや。この辺は元々ラクガキ防止塗料使うとおからな。
この高圧洗浄機やったらキツイ薬剤使わんでも、汚れ落とせる。午前中に片付くやろ」
「はあ」
「こっちはオレの叔父。工務店やっとるけど、まあ何ンでも屋やな。
おまえ吉野原の様子見に来たンやろ?
今、似古さんが手伝いに行っとる。オレもこっち終わったらすぐ行くワ」
「あ、はいっ」
とりえずペコっと頭を下げて、健文は自転車を押しながら急いでジェラード店へ向かう。
ちらっと振り返ると。
でかい作業着2人は、慰めるように被害に合った店の人と話をしたり。
機材を手に働く姿はかなり頼もしい。
(似古さんて、あの2人の間くらいの年齢やんなあ。
年上と年下どっちが好みなんやろ。鬼島先輩もカッコエエけど。
叔父さん言うヒト、ほんま落ち着いとおオトナて感じやし。
先輩の片想い、勝ち目有るんやろか…)
別にソンナ事情は聞いて無いけれど。健文は勝手にアレコレ想像してしまう。
でも角を曲がってジェラード店が視界に入った時は、頭が真っ白になった。
正面のガラスに大きな亀裂が走っている。
テープを貼り、内側からボードを当てて応急処置をしているけれど。
とても営業出来る状況では無くて。
思わず立ち尽くしてしまってから、はっと気づく。店内に望の姿が見えた。
「ぼーくんっ!!」
少し開けてある入口から顔を覗かせて、健文は声を掛ける。
「ぼーくんっ!エライコトなってもおたな。
あのオレでも何ンか出来るコト無いか?何ンか手伝わせてくれや」
「たけ、ふみ」
その声に振り返った望は、大きな目をもっと見開いて。疲れが濃く浮かぶ表情で。
健文は胸が苦しくなる。
あんなに店のことを大切に思っている望だから。この状況はどんなに辛いだろうか。
「入口これ以上開けられへんから。裏回ってくれるか」
「う、うん」
自転車を邪魔にならない場所に置くと、健文は急いで裏口に回る。
ばたん、とドアが開けて望が出て来て。
そのまま体当たりするみたいに健文に突進して抱き着いて。
うわーっと爆発したように泣き出した。
「み、店がっ。ヒビ入ってもてっ。
特注のガラスやから、すぐには直せへんしっ。お金かかるし。
育ちゃんがデザインして、父さんも母さんも応援してくれた大事な店やのにっ。
せっかくっ活ちゃんも頑張って。お客さんも来てくれて。
すごい大事な店やのにっ、めちゃめちゃになってもたああ」
姉兄や商店関係者が居る前では堪えていた涙とキモチが溢れ。
コドモみたいに、望は健文の制服を握りしめて感情のままに泣く。
「うん、うん。
ヒドイよなあ悔しいよなあ。ほんまに、ほんまに辛いよなあ」
どう慰めてよいのか判らない。
それにきっと慰められるコトでも無い。
行き場のない望のキモチが、自分の腕の中で解放出来ると言うのなら。
精一杯受け止めて。少しでもこぼれる涙をすくいたい。
(ぼーくん、ぼーくんっ)
胸の中で繰り返し名前を呼びながら、健文は望をぎゅうっと抱きしめた。
胸元が涙で湿って行くのを感じて。健文は心の中でつぶやく。
(ぼーくんの悲しさ、オレんとこ来いっ)
くるくるクセ毛に頬を摺り寄せて。そのままずっとずっと抱きしめた。
少しの時間だと思うけれど。
2人きりで1つのキモチを共有してると、永く深い時間が経った気がする。
数人の話し声が近づいて来て。望はゴシゴシと顔を拭きながら、健文から離れる。
「ぼーくん…」
残念ながら誰がどう見ても、大泣きしてたのが判るほど望の顔は腫れぼったくて。
(何ンか赤ん坊みたいで可愛エエな)
危うく顔が緩みそーになるのをぐっと我慢して。
健文はサコッシュから取り出したミニタオルで望の頬を拭いてやる。
「あれぇ?誠心の学生が居る。学校どないした?」
「望くんは、この店の子ぉや。
大変やったなあ、修理ンことは駅前通りの組合主体でやるんでな。
あんまり心配せんで。みんなで協力したら大丈夫や」
声を掛けて来たのは5・6人の大人。
タブレットやちょっとした工具を持ち、如何にも被害調査中な技術者と。
白髪混じりのジャケットを着た責任者ぽい人と。
何故か趣味の悪い柄シャツの男2人。
隣に立つ育は、疲れた雰囲気だけれど。組合の支えのお陰か、少し笑顔が戻っている。
「ぼーちゃん。ごめんなあ、学校休ませて貰うて。
楠くんまで駆け付けてくれたん?嬉しいわあ、ありがとおなあ。
凹んどる場合ちゃうやんな。お店の復旧に向けてがんばらんとな」
「いくちゃん…」
育はニコっと気合を込めた笑みを作ると。望のクセ毛をくしゃくしゃと混ぜた。
「この騒ぎでボーノがご飯食べ損なったんや。
部屋戻って、ちょお様子見たって。
そんで午後からでも学校行き。今は他に出来るコト無いしな」
その会話を聞いて。柄シャツの2人が近づいて来た。
「学校行くンなら車乗せてくで」
「ちょうど羽比良さんを送るトコや」
男2人はにっと笑うけれど。
薄い色眼鏡にテカったパーマのオールバックと。剃り込み顎鬚なんて。胡散臭い。
「ちょおっ!タロジロ。未成年に手出しせんといてや」
聞き覚えのある声に振り向くと、似古さんと鬼島と。誠心の学生服がもう1人。
「そんな尖ンがった声出さんでもエエやろ~太郎ちゃん。お揃いの名前の仲やんか」
「名前の話すなっ!」
眉吊り上げる似古を見て。キレイな顔はキレイな怒り顔になるンやなと健文は思う。
鬼島も同じコトを思っているのか。そっと守るように腕を広げながらも黙って見ている。
でも、その横に立っているスレンダーな学生服は苛ついて冷ややかな表情で。
「鬼島」
「あ、はい」
「みどりが言うとったンは、この2人か?」
「そおです」
「おまえ、間入って話整理せえ。10分で終わらせて学校向かうで。みどりが待っとる」
「えっ」
いつもどっしりと安定感ある鬼島が困惑した表情だし。
大人達が作業に戻って行くと。残された学生達の空気はぴりりと緊張。
空気読みに敏感な健文には判ってしまって。冷や汗が流れる。
(誰やろ、このヒト。何ンかめっちゃヤバイ気する)
筆を払ったようにスっと上がった目尻。細い眼差しだけど迫力があって。
肌も髪も学生服すら隙が全く無いほど整っていて。コワイくらい。
無意識のままに望の手をぎゅっと握って、健文は隠すように自分の方へ引っ張った。




