1.トオメイ
引越しの段ボールは大体片付いたし。せっかく小春日和のお天気だし。
健文はお気に入りの古いロードバイクで、駅前通りの方へ出掛けてみる。
区画整理された駅前付近は、道路や街灯にも統一感在って落ち着いた雰囲気。
コンビニだって壁色を変えてロゴマークも控え目。
(観光地ならこーゆーのン有りかも知れんけど。こんな小さい駅前でなあ。スゴ。
よっぽど地元団結して計画工事とかしたんやろか?)
これまで母親と2人神戸で暮らしていて。
母親が別の病院勤務になるタイミングに合わせて、この街へ引っ越して来たところ。
神戸の学校は中高一貫で、ここからもギリ通学出来そうだったけれど。
健文は誠心学院高等部の編入試験を受けて、この春から学ランデビュー。
母親を説き伏せて、この全く知り合いも無い、新しい環境での高校生活を選んだ。
(まだ母さんにはどない説明してエエんか判らんけど…)
駅前通りは結構賑わっていたので、健文はロードバイクを押して歩く。
(やっぱオレはゲイやと思うし。それ以外のコトもなあ。
あそこで生活しとると、外には出せんで腹ン中溜め込むコトばっかり増えて貰うて…。
あのまンま誤魔化すしかない毎日が続くんはシンドイだけや。
いっそ新しい付き合いの方が、ゼロからやり直せそおやし。
それにオレには男子校のンが気楽や。
中学ン時みたいに女子ウケ気にしたり。友達との距離をイチイチ心配せんで済むワ)
後ろ向きな選択とも言えるけど。
気持ちは結構明るい。
今だって、先日の編入生向け学校案内を思い出すと。ぷぷぷと笑いが込み上げて来る。
ひょろりと背が高い先輩は、何故か編入生達を部活棟の裏へ案内して。にやりと笑う。
「こんな田舎の男子校やろー。
いつまでも鼻水垂らしてアホばっかしとる。
あんたらもな、最後のコドモ時間やと思うて。思い切りハジケぇよお」
そこはコンクリ剥き出しの大きな洗い場。備品を洗ったり、汚れ作業をするスペースのはず。
でも生徒数人半裸になって、ホースで水を掛け合い部活の汗を流していた。
残念ながらお湯は出ないようで。水の冷たさにぎゃあぎゃあ大騒ぎ。
「おおおっ編入生かあ?」
「シャワー室も在るンやけど。順番待っとれんでなあ」
「ははは六甲の天然水浴びやあ~」
「あほ。せいぜい加古川か武庫川の水やろ」
「新学期ンなったら覗きに来いやー待っとるでー」
何の部活かは不明だけど。逞しく日焼けした身体に、白い歯剝きだして笑う悪ガキども。
見学する編入生達はアホらしーと呆れたり、めっちゃ楽しそーと同化したり。反応は色々。
もちろん健文は後者。期待で心臓はドキドキ最高潮。
(カレシとか贅沢言わんでも。ココなら3年間オモシロ可笑しく過ごせそおやあ)
そんな夢心地だったせいか。
店頭の人だかりから弾き出された子を避け切れず、マトモにぶつかってしまった。
ロードバイクのギアは、ママチャリみたいにカバーが無くて剥き出し。
おまけに、その子は脛を出したハーフパンツだったから。
(やばっ!)健文は焦る。
視線を下へ向けると、銀色のギア歯がその子の脛に食い込んでいた。
「うっわっ!!大丈夫か?ごめんっアッチ来こ。オレ絆創膏持っとるんで」
ロードバイクで出掛ける時は必ずサコッシュを持っている。
中にはワイヤー錠・携帯ポンプ・替チューブ・パンク修理用パッチ・絆創膏などなど。
スポーツ自転車の規格は複雑。
バルブ形状が異なると、例え自転車屋が目の前に在ってもタイヤに空気も入れられない。
特に健文の愛車は古いタイプだから専用の処置セットは必需品。
ついでに絆創膏とテーピングも。ロードバイクの前傾姿勢でスっ転ぶとダメージ大だから。
ギアにはチェーンオイルが塗布されていて。
その子の脛は、オイルの汚れと伝い落ちる紅い血が生々しくて。健文は益々焦ってしまう。
「水買うて来るな。傷口洗わんと」
「店で洗うんで、要らん」
ずっとその子の足元ばかり見ていたけれど。ぶっきらぼうな声がコロンとこぼれて。
健文は視線を上げて、改めてその子を見た。
痛がってるワケでも怒ってるワケでも無く。ただ、むっとメンドクサソウな表情。
それがチャーミングで、全意識を持って行かれてしまう。
(わっ!目でっかーーー!
日焼けしとおからかな?何ンかめっちゃ顔立ちがはっきりしとるな。
特に目ぇが。潤んどおみたいに透明感あってキラキラや。
それにこのクセ短髪くるんくるんや。何ンやったっけ猿のぬい、えーとモンチッチやっ。
うわーうわーカワイイやんか!クシャクシャって髪触りたあーっ)
健文の心臓がドカンと跳ねた。
でもそんな欲望のままに行動するワケにも行かないので。
どどどどっと溢れ出る感情の処理に、健文は額に汗を滲ませて固まる。
その子は水面のような瞳で健文をじっと見返すと、チラシを差し出した。
「絆創膏も要らん。その代わり店来てくれ」
「え?」
健文が聞き返すと、その子は急に恥ずかしそうに俯いてボソボソつぶやく。
「姉ちゃんの店、お客さん来て欲しいンで」
「あ…」
辺りを見渡して、やっと健文も状況把握。
その場所は新規オープン店の前。開店記念クーポン付チラシを貰う人でにぎわっている。
チラシには『ジェラテリアVenite』の店名と、たくさんのフレーバーを表すカラフルなイラスト。
そして明後日のプレオープンは14種類どれも100円でお味見、と特別価格設定な上に。
このチラシを持って行くと500円で600円分のチケットに交換、と大盤振る舞い。
瀬戸内果物を使った有名なジェラテリアから暖簾分けとあるので、美味しさも保証付き。
春休みのポカポカ陽気に、この金額で色んなフレーバーを楽しめるなら。
店頭の人混みも頷ける。
「う、うん!行く!絶対」
「そおか…」
初めてほっとして、その子の表情が緩む。
それを見ると健文の心臓がドスドスと肋骨まで蹴り出すから、胸が詰まる。
(やっぱかわええええええ!!中学生やろか。
どないしよ、名前訊いてもエエやろか。いきなり過ぎやろか)
あまりに見つめ過ぎたせいで、その子はまた無表情に戻って。くるりと背中を向けてしまう。
「え、ちょ。ちょお待って。あの」
日焼け色でキュっと締まったその子の腕を掴んだら。
低い声が響いた。
「何ン絡んどるんや」
「えっ」
いつの間にか隣に、厳つい作業服姿の男が立っていた。
「望くん、脚ケガしとるで。そいつのせぇか?」
「それはもおエエんや」
(名前、のぞむ言うんや)そんなコトを健文がふやけた頭で思っていると。
作業服男はずいっと割り入って来て、睨みを利かす。
「他のお客の迷惑なるんで離れてくれんか」
「いやオレそおいうつもりや無うて、その」
「百架くん?その怖い顔のンがよっぽど世間の迷惑やで」
不穏な空気に、ぴょこんともう1人作業服姿が顔を出して来て。これがまた。
(うっわーーーー!!めちゃ美形っ!
えっえっ?まさかTVレポーターとか?新規店の取材とか?いやでも作業服やし…)
またまた健文の心臓はドキドキと膨れ上がるし、顔面赤化で汗が噴き出る。
「オレはただ望くんが困っとるンか思うて」
厳つい方が、美形を前にしょぼんと肩を落としている。
美形はブルーアッシュの長髪を無造作に縛っていて。整った顔の造りを少しラフに見せている。
そうでもしなければ、切れ長の瞳とすっきりした輪郭はモデル並みにキマリ過ぎになりそう。
当人もそれは意識しているようで、柔らかでフレンドリーな笑みを絶やさない。
まさに美貌と緩さの融合。
(もし、もしやけど。
日焼けくりくり目の子と。年上ハイブリッド美形と。
運命の相手どっちか選べ言われたら、オレどないしよ…)
どこの女神様だって、そんな選択並べてないけれど。
予想外の出来事が続いてしまって、健文の頭はもおパンク状態だった。
ちょっとゴタゴタしたけれど。
明後日は絶対店行くと約束して。一応自分の名前も伝えて、健文は帰宅した。
大切なチラシを冷蔵庫にマグネットで貼り付け、改めてじっくり眺める。
(アイスて、シロクマしか食べへんけど。
バニラとミルクてどおちゃうんやろ?チョコっぽいのんが3種類もあるで。へええ)
「何見とおの?」
健文の肩の辺りから、母親が覗いて来た。
少々妄想バカな健文だけど。
すらりとした長身で、ちょっとユルめな顔立ちもまあまあ。
性指向誤魔化し技にも年季が入ってるから、空気を読むのも相手に合わせるのも上手い。
学校では『上の下』か『中の上』階級で無難にやり過ごし。
家では病棟薬剤師で多忙な母親に負担を掛けないように、いつも穏やかな空気をキープ。
そんな気配り万全な性格だから。今時男子にしては、母親とも姉弟みたいに上手くやっている。
「さっき出掛けたらな、このチラシ貰うてん。一緒に行ってみん?」
「うわあ♪美味しそおやあ。行こ行こ!
柑橘だけで4種類も有るう~どれにするか迷うわあ。
仕事終わったら駅前まで出るんで、待ち合わせしよ」
「そんな慌てんでも。
職場変ったばっかで大変やろ?家で一休みして、夕方行けばエエやんか」
自分から誘ったのに、健文は心配顔になる。
サイクリングのついでに、母親の新しい勤め先を見に行って驚いた。
そこは大きな特定医療法人で、以前勤務していた市営病院とはケタ違い。
きっと仕事量もキツイに違いない。
後継者不足や医療機器の多様化で、今や病院も生き残りがタイヘン。
しかも前の職場では、お役所のお伺いを立てないと何ひとつ変えられず。
今在るモノで何んとかするしか無くて。働くヒトへ皺寄せが増える一方。
だから母親はいつも残業や呼び出しで仕事まみれで、タメ息と愚痴ばかり。
母親にばかり苦労を掛けている心苦しさが、いつも健文の奥底に重く沈んでいた。
「いやーソレやねんけどなっ。
今度の病院ほんま天国手前か思う程エエ環境やねん」
「え?ソレって終末期医療ってヤツ?」
「ちゃうワ。ベリーホワイトな職場つーこと。
ここいらで一番の規模と責任あるから、現場はもちろんシビアやけどな。
患者さんの明日のために、スタッフこそ今日も明日も明後日もタフで居らなアカンて。
休日もシフトもしっかり守られとおし。
私みたいな途中モンでも、カンファや勉強会に参加させて貰えんねん。
昨日なんかな、ちょお気になったコトをチーフに質問したら。
それは共有すべきやて、外科の副部長さんとミーティングなって。めちゃ緊張したワー。
せやけど私の意見取り上げて貰えてなあ。
何ンかなあ、これまでの経験とか苦労とか。無駄やなかったて嬉しかったわあ」
健文は口も目もぽかんと丸くなってしまう。
仲の良い親子関係を続ける秘訣として。
深いトコロまでは訊かず語らず。サラリと穏便に。そーゆー空気にして来たから。
こんな風に、途中で口も挟めない勢いで。母親が興奮して語る姿なんて久しぶり。
「へえ…そおなんや。良かったなあ」
「うん!せやから待ち合わせしても大丈夫やで。
前みたいに残業で時間が読めん、なんてコトにはならんし」
「わかった。そンならお祝いしよ。転職成功祝い。アイスはオレが奢るな」
「やったー♪全種類制覇や」
「腹壊すで」
「健文」
「ん?」
ちょっと母親は神妙な顔になる。
「その、そーゆー状況なんで。これからはもう少し家に居れるし。
私もホンキで勉強して、出来たら資格増やしたいんや。
この職場でずっと働いて、上目指したいしなあ。
ただそーすると残業代減るし、まだ試用期間で給料低いし。
暫くは家計も引き締めなアカン。まあココは社宅やから家賃かからんし。
いきなり生活困るワケちゃうんやけど」
「うん。わかっとる。
残業代で給料増えたからて、ヒトリで牛肉弁当食べるより。
卵かけごはんでエエから、母さんと一緒に食べれる方がエエやんか」
「あははは。嬉しーコト言うてくれるやん。ほんならせめて味噌汁は作っとくワ」
「それにオレ高校なったらバイトしてみよ思うとって」
「何言うとおの。遊べるンは高校までやで」
「せやからこそ色々経験しときたいやんか。エエ出会いが有るかもしれんし」
にまっと笑いながら健文は内心自画自賛。
(あのアイス屋でバイト出来へんかなー。そしたら望くんと仲良おなれるやんか)
そんな勝手な妄想で、明後日が待ち遠しくなっていた。
開店記念日、昼過ぎに健文がジェラート店に到着すると。行列が出来ていた。
とりあえず並ぼうとしたら、あの子『望くん』に声を掛けられる。
「ちらし有りますか?チケット交換すんやったら、先こっち来てください」
「あ、うん。こないだはゴメンな。足のケガどお?」
「?」
何ンのことや?と言う顔を見て、健文は凹む。どうやら覚えて貰ってナイ。
「オレ楠健文や。こないだチャリぶつけて、望くんの足にケガさせて貰うたやん」
「あー…アレかあ。別に何ンとも無いで。それよりホンマに店来てくれたんやな」
「うん。母さんも来るで。めっちゃ楽しみにしとる」
入口の隣に小さなテーブルを出して、望はそこでチケット交換係。
健文から、ちらしと500円玉を受け取り。100円と印刷された6枚綴りのチケットを渡す。
「今日は味見なんで。小さいカップに3種類まで盛れる。
1種類100円な。フツーはその3倍の量で400円くらいや」
(高っ。マクドのてりやき食べれるやんか)食べ盛りな高校男子つい比較。
「今日の14種類は人気のフレーバーばっかやから。
どれ選んでもきっと気に入るで。あ、てかその。気に入って貰えたらエエなて…」
タメ口になってるコトに気付いて。望は慌てて接客モードに切り替える。
10センチくらい身長差があるので。
Tシャツにエプロン姿の望を、健文はニヤケ顔で見下ろしてしまう。
(うわあああ。何ン言うか、こお不器用で一生懸命で。めっちゃかわええええ!!)
健文の心臓は地球を1周しそうな勢いでジタバタ。
(さっきの値段の説明て。きっと今日の為だけにセリフ覚えたんやろな。
お姉さんの店の為に頑張っとって。望くん絶対エエ子や。
400円で会えるんやったら。昼飯代毎日200円ケチって、1日置きにこの店来たい!)
そんな下心満杯な健文には、ぶっきらぼうな望が眩しく見える。
少し眉を寄せて、むっと唇を尖らせているのはきっと照れ隠し。
受け取ったちらしの端を指先でイジってるのは、まだ何か言い足りないよう。
「望くんがスキなんて、どれ?
ようけ種類有って迷うてまうから。望くんのおススメを参考にするワ」
にこおっと、健文は愛想良さを前面に押し出してみる。今度こそ名前も顔も覚えて欲しい。
健文の営業スマイルよりも、商品関係の質問は効果有りなようで。
望は大きな目をもっと大きく見開いて、健文をじっと見つめて来た。
その潤んだ瞳は陽の光が反射してキラキラ増し。健文は吸い込まれてしまって動けない。
「今日のフレーバーやったら、塩ミルクや。
塩てな、後味もさっぱりしてくれンねんで。それにな」
「望くん、ちょおたんま」
せっかく始まった望の言葉に、待ったが掛かる。
「似古さん」
「フレーバーの説明はこっちでするし。
今はチケット捌きガンバッてくれる?お客さんを待たせて貰うとお」
「あ」
少し困り気味な声を掛けられて、望と健文が振り向くと。
店頭の列では、あのハイブリッド美形がエプロン姿でメニュー案内中。
そして健文の後ろには、いつの間にかチケット交換待ちの列。
本来なら、チケットを受け取ったら注文の列に移って。メニュー見てフレーバーを決める流れ。
望と話がしたくて、健文が渋滞を作ってしまっていた。
「あわわわ!すんませんっ」
「ご、ごめんなさい。お待たせしましたっ」
自分の後ろに並ぶ人達に頭を下げ、大慌てで健文は移動する。望も急いでチケットの束を用意。
でも肝心なコトは忘れずに。
健文はもう一度望の顔を見て、ぶんぶんと大きく手を振る。
「塩ミルクな!絶対注文するワ!」
列に並ぶと、美形がメニューを持って来た。
「邪魔して貰うてゴメンなあ」
「いえ!そんなっ周りを見てへんかったオレが悪いんで」
取りなすように優しい笑顔を向けられると。
みっともない失敗で萎んだ健文の心臓が、また膨れ上る。
(やっぱめっちゃ綺麗な顔やあ。さっきニコサンて呼ばれとったな。
笑顔のにこ?あだ名やろか?
でもとにかく、こんな間近で顔拝めて。名前まで知って。今日って何ンの記念日や~)
この店のイメージカラーはオレンジ色と水色と白色。
瀬戸内の柑橘と海と雲を表していて。スタッフのエプロンとTシャツも3色を組み合わせてある。
ブルーアッシュの長髪をきっちりと結い上げた美形にもよく似合っていた。
(眼福や…)つい健文はデレ顔になってしまう。
「今日はちょお、お喋りすンのは難しいけど。
新学期始まったら毎日会うもんな。望くんと仲良おしたってな」
にこっと似古が微笑む。
「え?学校?」
「あんた誠心の編入生やろ?猿橋くんが教えてくれたで」
似古の視線の先には、スパチュラでジェラートを盛るスタッフ。
あれは正にこのあいだ学校案内をしてくれた先輩。
「望くんも編入生やで」
「えっ!同い年っ?」
「あははは。可愛いからなあコドモぽく見えるやんな、望くんは。
ついでに言うたらな、あのでっかいのは2年生やで。オッサンちゃうんやで」
指差すのは、この間健文を睨んで来た厳つい奴。今日はエプロン姿でカップとかゴミ整理。
似古の視線に気付くとノシノシと近づいて来た。
「似古さん、ずっと立ちっぱで疲れたんちゃいます?案内係オレ替わります」
心配そうにそっと声を掛ける。
けれど当の似古は輝くような営業スマイルに、指先を口元に添えて決めポーズ。
「イヤや。
案内係て、素敵なお客さんとお近づきになれて楽しいンや。百架くんには譲らへん。
どおですかあ?メニューお決まりですかあ?
オレ全種類味見済みですよお。このブルーベリーとヨーグルトの、めっちゃお薦めですう」
似古に声を掛けられると、列に並ぶ女性客はきゃあきゃあと賑やかになるし。
知り合いも多いようで列のあちこちから呼ばれている。
「なあなあニコちゃん、この店で働くん?」
「もお修理に来てくれへんの?」
「いえいえ。地味な作業着姿がオレの正装なんでー。
このお店の改装工事やらせて貰うた縁で、今日だけお手伝いしとるんです。
またパソコンエラーになったり、何ンか困り事ありましたら呼んでくださいねー」
耳に入って来るお喋りから、似古がアイドル的存在なのが健文にも理解出来た。
オープンしたばかりで、まだ色々とモタモタしている店頭だけど。
スタッフはそれぞれ持ち場を一生懸命こなしてるし。
愛想の良い似古が笑顔でフレーバーの説明してくれたり、雑談してくれて。
待ち時間もイライラしないどころかトキメキタイム。
そして順番が巡ってくると、特別価格で色んなフレーバーが楽しめてしまうなんて。
美味しいい~きれいな色~もう1カップイケルわ~と店頭は盛り上がるし。
その雰囲気に誘われて、道行くヒトが覗いて来るし。
(何ンや、小さいお祭りみたいやあ。エエ感じやなあ)
先日ちらしを配りながら『お客さんに来て欲しい』と心配していた望を思い出すと。
健文は笑みが浮かんでしまう。
(全然心配要らんやん。よかったなあ)
「たけふみっ」
母親の声に呼ばれて我に返る。
「びっくり。混んどるねえ」
「うん。めっちゃ人気や。
もおチケット交換したし、オレが2カップ買うて来るんでフレーバー決めてや」
「わたし並ばんでエエの?」
「オレが奢るて言うたやん」
「うわ。めっちゃ嬉し!」
「気が利く息子さんやねえ。羨ましいわあ」
母親の後ろからもう1人女性が顔を出す。多分母親と同じくらいの年齢。
「健文、こちら職場の先輩で鬼島さんや。
ジェラートの話しとったらな、一緒に行こ言う話んなって。
息子さんもな、誠心通うとるねんて。そんで今日はここでバイトしとるんやて」
「え…」
健文の脳裏には、ジェラート盛ってる猿橋と。ゴミ集めしているもう1人が思い浮かび。
この目の前の女性のキリっとした強気な顔の造りを見ると、思い当たるのは大きい方。
「あ!百架っ。あんたはチケット持ってへんの?」
「げっ。母さん、何ンで居るんやっ」
やはり厳つい方の母親だった。呼ばれた息子は渋い顔になる。
「アイス喰うにしても、今日や無うてもエエやろ。ヒト多いし忙しいし」
「ちゃんと『お客さん』て言いや。ほんま接客向いてへんなあ」
「オレは似古さんの手伝いしとるだけや」
「足引っ張っとおにしか見えへんワ」
ボケ×ツッコミではなく、ツッコミ×ツッコミの応酬で。健文と母親は圧倒されて無言。
鬼島母は背伸びをして、暫く店の中を覗いていたけれど。くるりと振り向いて笑った。
「育さんに声掛けたかったンやけど。
も少し混雑が収まった頃に来よかな。今日は帰るワ。
楠さん、何ンの味が美味しかったか明日教えてな。ほんならお先」
そのまま軽やかな足取りで、鬼島母は駅の方へ向かって行った。
「何ンしに来たんや、ほんまもお」
百架はブツブツ言いながら仕事に戻って行くけれど。少し圧のある視線を健文に向けた。
そして隣の母親にはちょっと戸惑った色が滲んでいて。
それだけ条件が揃うと、健文はピンと来た。
(この店の人、患者さんなんやろか)
以前にもよく在ったコトで。
母親とスーパーで買い物をしてると、見知らぬ人から会釈されたり、視線を送られたり。
そうすると、母親は相手にそっと同じ仕草を返していた。
「病棟で働いとるとな、患者さんと街中で会うこともあるやろ。
せやけど治療とか入院とか、人によっては悪いイメージ持つこともあるし。
外ではナイショにするんや」
「知らんフリするん?」
「んん、まあそお見えるかも知れんけど。キモチはちゃうよ。
具合悪かった人が、ちゃんと歩いてお買い物しとる姿見たら。良かったなあて思うやん。
ただソレが漏れんよおに、自分の中に収めるだけや。
あちらさんも同じやで。きっと心ン中で『元気にやってますよお』て言うてくれてるはずや」
「ふうん」
幼い頃からそんな風に教わって来て、身に付いているから。
健文の空気読み力は高性能なのかも知れない。
それから母親は悩みに悩んで。
選んだのは、はちみつミルク・黒糖ナッツ・レモン。もう1カップはキウイ・桃・ヨーグルト。
健文はスプーンひとくち味見して。ほとんど母親がぺろり完食。
どのフレーバーも、目を丸くするくらい美味しかった。
舌触りも香りも抜群で。濃い味なのにすっきり消えて行く透明感。
「こんなん初めてやあ」
大袈裟かも知れないけれど、ちょっとした感動。そう望に伝えたいと、健文は思ったけれど。
店頭の混雑は益々膨れて行って、食べ終わったら場所を譲らないとイケナイ感じ。
「1週間ごとにフレーバー入替やねんて。また来よか」
「そやな。この混雑やしな今日は帰ろ」
チケット捌きに必死な望の姿をもう一度遠目に見て、記憶に収めて。健文と母親は駅に向かう。
(こないだの学校案内には居らんかったし。
望くんホンマに同い歳やろか?新学期始まったら全クラス回って探そ)
それに残念ながら、望お薦めの塩ミルクは売り切れだったから。
今度は一緒に食べられたらエエなあ、そんなコトを思って。
健文は新学期がすごく楽しみになっていた。
登校初日、健文が教室に入ると。
入口すぐの席にたむろっていた数人が顔を上げた。
「楠くんやんな?」
「あ、はい」
ちょっと緊張で声が上擦るけれど。そんなコトは気にもせず、他の生徒が喋り出す。
「何ンで敬語や。クラスメエトやでオレら」
「はい、て敬語か?」
「おまえオレに、はいて言うコトあるか?」
「有るで。掃除ン時言うやろ」
「そら、箒で掃いて言う意味やろが」
(うわあイキナリコント。どない反応すればエエねん)健文は顔が引き攣る。
一番初めに声を掛けてきた真面目そうな眼鏡が、にやりと笑う。
「アホは気にせんでエエで。
このクラス一番ゆるいンや。まあ気楽にしい。
今年の編入生で他県出身ンは楠くんと、もう1人居って。その2人がこのクラスや。
他の編入生は地元出身やから、知り合い居るし。馴染むンも早いやろけど。
楠くんはどおや?まだ慣れてへんやろ?学校以外のコトでも何ンでも訊いてや。
オレ犬塚。大抵委員長とかやらされるんでな、自主的に案内役や」
「はは、ありがと。助かるワ」
「とりあえず席こっち。しばらくは編入生2人1セットや」
窓際の席に案内される間も、他の生徒達から声を掛けられる。
(意外とフレンドリーやなあ。いや、ちゃうか。
それだけ、持ち上がり組は安定しとって。かえって編入生に気遣うてるンやろな。
2人セットて言われても。そんなお客さん扱いに甘えとる場合ちゃう。
オレだけでも積極的に持ち上がり組に入って仲良おせんとな)
空気読みアンテナを張り巡らせて、健文の頭の中では情報入力開始。
まずこの犬塚をクラスヒエラルキーのトップに置く。
これまで通り、無難な友達付き合いで落ち着こうとつい計算してしまうけれど。
これまでとは違う、隠し事無しで付き合える友達が欲しいと言う望みも有って。
矛盾しているけれど。
期待と不安。無難と願望。そういうのは表裏一体で悩ましい。
でも唐突に打算メモがびりりと破ける。
案内された席の前に座って居るのは、くりくり目の望だった。
(えっ!ウソっ望くんや!ほんまに同じ歳なんや!)
しかもモンチッチヘアは盛大にピョンピョン跳ねていて。オシャレなのか寝ぐせなのか。
(いや寝ぐせでも!めっちゃかわええええ!
前言撤回や。編入生セット万歳!もおこのままずっと一緒でエエわ)
美味しかったジェラートの感想を、いや塩ミルクを一緒に食べよと言う約束を。
何の話題から入ろうかと健文は顔を真っ赤にして口をぱくぱく。
そんな健文をじっと見て、望は犬塚に訊く。
「これもう1人の編入生なん?」
「そおや楠君」
「ふうん。どおもオレ吉野原や」
がくーーーっと膝を折って健文はその場にしゃがみ込んでしまった。
「うわっ!どないしたん?」
犬塚はびっくり大慌て。望の目も最大級に大きくなる。
「どおもて何んや~。会うン3回目やで~自転車ンことも、店にも行ったやんかあっ」
泣きそうな顔で訴える健文の姿を見て。
望はくしゃっと顔を縮こませて、笑った。さっきまでの他人面は何処へやら。
「ふっくくくくっ、あははははっ。
ごめん忘れとったわー今思い出した。でもそんな床に座らんでも。ははははっ」
「おーおーえらいツボってからに」
他の生徒達も寄って来て。いつの間にか編入生2人を真ん中に盛り上がってしまった。
昼休みになると犬塚を中心に数人が集まって、一応編入生歓迎ランチタイム。
健文と望にはデカプリンがプレゼント。
「午前中あっという間やったやろ?へーきか?」
その質問に健文は苦笑いを返すしかない。
「正直びっくりや。
自己紹介何言うか色々考えて来たンやけど。いきなり授業始まるし。
名前も顔も判らんのに、クラス委員とかあっさり決まるし」
「ははは。1学年3クラスしか無いし。お互いよお知っとるからなあ」
担任教師は教室へ入って来ても、編入生2人と周りに座るメンバーを確認すると。
この面子なら任しておけばイイとばかりに、すぐ時間割とか授業のハナシ。
そして担任が何かを言う前に、今日の日直が席を立ってクラスを見渡した。
「1学期の委員長は犬塚でエエよなあ?」
「おーう」
「エエでー」
「すぐ文化発表会やし水無月祭も続くし。1学期忙しいもんな。犬塚、頼むワー」
「後は楽させたるからなあ」
「しゃあないなあ。引き受けたるから、犬塚大王様の言うコト聞けよお」
そんなノリに健文は呆然とするばかり。
確かに学校説明会では、生徒の自主性を尊重し自立心を育てるとか何ンとか掲げてあった。
でもそれがどーゆーコトか改めて実感して、ちょっと冷や汗が滲んでしまう。
これまでみたいに、空気を読んで合わせるだけの処世術では間に合わ無さそう。
ちらりと望の様子を確認すると。黙々とコンビニパンを食べている。
(両手でパン持つてハムスターみたいや、可愛い♡
って、ちゃうちゃう!望くんはこの校風に戸惑ったりしてへんのかな?)
何かを思い出したように、望は急に顔を上げた。
「なあハンドボール部って誰か入っとお?」
「ハンドやりたいん?」
「ん-分からんけど。お礼言いに行きたい」
「お礼?」
「ん。こないだ店手伝うてくれたんや」
皆の視線が犬塚に集まる。ので、渋々と言った表情で犬塚が応えた。
「オレの兄ちゃんがハンドやっとるけど。
同好会で人数少ないし。確か他校との合同チームでしか試合出られへんレベルやで。
店の手伝いて、何ンの話やろ?兄ちゃん何ンも言うて無かったけどなあ」
「背え高いサルハシサンと、身体ごついオニシマサンが手伝うてくれた」
「えっ」
急に雰囲気がギシっと軋む。
「その2人かあ。めっちゃ濃い面子と知り合うとおなあ」
「吉野原の店てナニ屋?あの先輩に似合うんて居酒屋とか定食屋やろ」
「自家製ジェラート屋」
「はあああっ?」
健文以外の全員が身を乗り出してしまう。
「うっそやろ!あのオッサン顔の2人がスイーツっ?無理無理無理!客逃げるワっ」
「似合わん!似合わな過ぎてホラーやっ冷え冷えやーっ」
「冷凍庫要らんなあ」
勝手なコトを並べて大騒ぎ。
「似古さんてキレーなお兄さん居ったから、お客さんようけ来てくれた」
その言葉を聞いて、犬塚がナットクと言う顔になる。
「ははあ。もしかして店は駅前通りなん?
鬼島さんの工務店あるもんな。あの通りは店同士よお協力しとおって聞いとる。
似古さんが居るなら、鬼島さんもくっついて行くやろな。ふうううん」
それからニヤリと悪巧み顔を、望に向けた。
「ええで。オレ放課後案内するワ。
兄ちゃん、部員が集まらんてブツクサ言うとったから。これで貸し作ったろ」
「オレ小さい学校やったから、チーム競技てあんまりしたコト無いんや。
ハンドボールも初めてやし。コッチ知り合いもまだ居らんし。
猿橋さんも鬼島さんも親切やったし。せっかくやから一緒に部活出来たらエエなあ」
歓迎プリンをぱくんと頬張って、望がくしゃっと笑ったりするから。
益々犬塚は機嫌良くなる。
「どおせ同好会やし、ゆるい活動やから。とりあえず入部してみてもエエんちゃう?
そしたらオレ、兄ちゃんにめっちゃデカイ顔出来るワー」
「オレもっ!行くっ!!」
もう黙って居られなくて、健文は思い切り身を乗り出して。望の視界に顔をねじ込んだ。
放課後、部室に行くのかと思ったら。犬塚は小走りで駐輪場へ向かう。
「今日は畑練やねんて。急ご、行ってまう」
「はたけれん?」
「鬼島さん家の畑」
「え?畑?」
望と健文は顔を見合わせるけれど、とにかく犬塚に付いて行く。
駐輪場ではTシャツ姿が4人。通学チャリですぐにでも出発しそうな感じ。
「貴重な部活時間に待たせンなや」
キリっと太眉な顔が文句を言う。眼鏡有無だけの違いで、犬塚兄だとすぐ判るほど似てる。
「そンなコト言うてエエんかあ?せっかく入部希望者連れて来たったのに」
「マジ?」
犬塚兄は、やったあと大歓迎な顔になるけれど。
後ろに居た猿橋は申し訳無さそうに頭を掻いている。
「ぼークン見学来てくれるんや。却って気ぃ遣わせとるみたいやなあ」
「そんなコト無いです。
店ンことあるし。ホンキな部活する時間は無いんやけど。
何ンか新しいコトしたいなあとは思うとって」
「そお言う感じならエエんやけど。義理立て要らんからな。
3年が卒業して貰うたんで、高等部はオレら4人だけなんや。
中等部はギリ7人揃ったんで今年から公式戦エントリー出来るんやけど。
オレらは他校との合同チームで参戦するしかナイし。あんま張り合い無いかもやで」
「えー?栄先輩はあ?」
いきなり犬塚弟が会話に割り込んで来て。猿橋は苦笑いを返す。
「受験準備するからて、あっさり引退」
「うわ。らしいわぁ」
「見学すンにしても、体育館の練習日がエエやろ。今日は外で基礎練だけや」
犬塚兄は自転車のサドルに座る。
自転車の前カゴや後ろにはボールバックや色んな荷物が山盛り。
「こいつン家のじいちゃんがな、畑やった所にコート作っとって。使わせて貰うとるんや。
体育館は週2しか使えんから、ほとんど畑で練習しとお。そんなレベルやで」
「畑でもエエです。見学させてください」
「ははは物好きやなあ」
ずっと黙って腕組みしていた鬼島が口を開いた。
「中等部の奴ら待っとおし。猿橋と雉場、先行けや。オレと犬塚でこいつら連れて行く。
カバン持って来てチャリに乗せえ。畑までランニングや」
「ありがとおございます!ついでに着替えてきますっ」
そう応える望の声は明るくて。大きな目はキラキラしていて。
このフツーの部活らしからぬ在り様に戸惑うどころか、興味津々なのが伝わってくる。
逆に健文は悶々と葛藤中。
(いくら人数不足の同好会や言うても、畑で部活かあああ。
ミミズがうようよとか。肥料臭いとか有りそおやんなあ。
もおちょいマシなフツーの高校生活送れるよーな運動部、他にあると思うんやけど。
望くんは、顔見知りの猿橋さんと鬼島さんが居る部がエエんやろか…)
暗い顔で黙りこくっている健文を、望の大きな目が見つめる。
「楠はどないする?」
「え、あ。えっと。あの何ンで『ぼークン』なん?」
「へ?」
質問に質問を返してしまったけれど。健文が一番気になっているトコロが咄嗟に出てしまった。
「家でそお呼ばれとおから。
あの日手伝うてくれた人らあも、何んやいつの間にかそお呼んどおな」
「オレも、そお呼んでエエか?
オレんことも、たけふみでエエし」
(うわーつい勢いだけで言うてもたけど。引かれてまうやろか…)
緊張している健文を、望は瞬きもせずじいいいっと見て。くしゃっと笑った。
「ほんなら行こ、たけふみ」
(名前呼びーーーっ!!)
健文の心臓がどっかーんと膨らんで、レイセイナハンダンなんて吹っ飛ばす。
(畑仕事でも何ンでもエエわ!これ以上の青春なんて無いワもおっ)
なんとなく収まったのを見届けると、犬塚弟はヒラヒラと手を振った。
「2人ともガンバリやー」
「うん。犬塚くん、ありがとおなあ」
そしてカバンを取りに戻る望の後ろ姿を、健文は追いかける。
「ぼーくん、オレ自転車なんや。カバン運ぶで」
「リュックやからへーきや、ランニング出来る。
何んもかんも初めてやから。健文が一緒で助かるワ」
くるっと振り向いて言う望はちょっと照れ笑い。
(ほんまにカワエエ)健文の心臓はハッピーダンスを踊っていた。
部活見学行くから帰宅遅なる、とラインがあったので。
健文の母親は、肉増々の夕飯を並べ。仕事の薬剤資料を読みながら息子を待っていた。
「ただいまあ」
少し疲れた声で健文がリビングに顔を出す。
「おかえり…って何んか薄汚れてへん?」
「はは。昭和な草っ原みたいなトコで走り回っとって。土埃まみれなんや。
とりあえずシャワー浴びてくるワ。
うわー夕飯豪華やなあ。腹ペコやねん、めっちゃ嬉しーわー」
「お風呂沸かしとるから、さっぱりしといで」
「ありがとお」
ぱたんとドアが閉まった後も、母親は少しぼんやりしてしまう。
身長は自分より高くなって。声も顔つきも成人男性みたいに成って行くのに。
さっきの姿は、幼い頃の息子そのまま。
自転車好きの父親と山だの海だの1日中ペダルを回して、父子とも汗だくで帰宅して。
いつも山盛りの食事と風呂を用意して出迎えていた。
そんな風に健文の帰宅を迎えたのは、本当に久しぶり。
ずっと残業と夜勤のすれ違いばかりで。
そんな生活が始まったばかりの頃は、健文に申し訳無い気持ちも有ったけれど。
シビアな職場はとにかく忙しくて、いつも頭の中は仕事でいっぱいで。
それに健文は『そんなん気にせんといて』と気配りしてくれる息子だから。
いつの間にか、それがアタリマエになっていた。
でもそれは家族時間を後回しにしていただけ。
元気いっぱい部活して帰って来た息子は、まだ子供。
母子の時間を取り戻すのも、間に合いそうに思えて。思わず顔を覆ってしまう。
「はあ、やあっと。色々やり直せそうやあ」
ふうっと深く一息つくと。母親は食器棚から大きなどんぶりを取り出した。
あの様子だと、きっと健文は白米山盛り食べるだろうから。
濃い目に味付けた回鍋肉が白米と一緒に、どんどん健文の口に入って行く。
野菜スープも、健文の分にはウインナーを追加したのに。それも完食。
「あー美味しかったっ。満腹満足やあ」
「よお食べたなあ」
「うん。見学だけのつもりやったから、昼はコンビニおにぎりだけやって。
部活ん途中で、その先輩のおじいさんが餅出してくれたんやけど。
まだ入部してへんしって遠慮しとったら。それから後の練習がめっちゃハードやって。
カロリー不足になってもた。一緒に行ったぼーくんもフラフラになっとったワ。
ぼーくんてな、吉野原いうて同じ編入生やねん。
やっぱ受験でかなり体力落ちとるんやな。頑張って取り戻さんと」
体操服に着替えて、他の部員達と合流してからのコトを思い出すと。
健文は自然と笑いがこぼれてしまう。
だってもうわちゃわちゃだったから。
人数不足の弱小同好会と思っていたのに。
実は先輩4人はクラブチームにも所属して、週末は本格的なトレーニング。
しかもキーパーの鬼島とシューターの雉場は、クラブチームでもレギュラーで。
他校との合同チームでは選抜常連の実力者だった。
今日は中等部員中心の基礎練だったから「試しにやってみ?」と引っ張り込まれ。
必死で走り回って。初めて触れるボールで慣れないパス回しをしまくった。
それから後片付けして、おじいさんにお礼言って解散。
部員達はまだ走り足りないみたいに、あっという間に散らばって行って。
ぽつんと残された望と健文は顔を見合わせた。
「もおなあ。見学って何ンやろな」
「脚ガクガクや。ペダル踏んだら脚攣りそお」
「よぼよぼ歩って帰ろ」
そして並んで歩く望がコツンと肘を当てて来て。健文を見上げる。
「なあ。部活言うより、外で遊んどおみたいやったな」
「あははは。ほんまソレな。
走り回っとお内に、学年上とか下とか関係無くなるヤツやんな」
「オレ別に大会とか記録とか要らんし。
ただあんな風に、ガキん頃みたいに。思い切り走り回るン好きやなあ」
それから望は大きな目に期待を映し。ちょっと口を尖らせて、小さな声で訊く。
「健文はスキか?」
「好きです」
「ほんまっ!ほんなら一緒に入部しよおや。
オレ店の手伝いあるから時々サボるけど。そのぶん昼休みとか2人で練習しよおや」
ウレシイの四文字を顔いっぱいに浮かべる望を見下ろしながら。健文は思い切り後悔。
つい本能のままに告白してしまったコト。
そして雰囲気的に、スキの意味合いが勘違いされたまま終わってしまいそうなコトに。
「そやな。一緒やったら楽しいやろな。
それに、ぼーくんが店のことする時は、オレも店手伝えたらエエなあ」
少々強引に軌道修正する健文には、ヘンな汗が額に浮かんでるけれど。
気付かない望は笑っている。それもすごくすごく可愛らしい顔で。
「店の儲けギリギリやからバイト代なんか出んで。
その代わり、新フレーバーの試食し放題やけどな」
丁度、帰り先の別れ道。信号が変ると望は手を振って離れて行く。
「ほんなら明日もなあー」
「うんっまたあしたなあっ」
ちょっと大きめの声で望を見送った健文は、そこに留まったまま動けない。
それは走り過ぎて脚ガクガクだからじゃなくて。
さっきココで自分に向けられた望の眩しい笑顔が名残惜しくて。
夕暮れ時の薄暗さの中、光るモノ全て。街灯の明かりや信号の点滅光まで。
キラキラと輝いていた望の笑顔とセットで記憶したかったから。
少し震えるような母親の声がして、健文は我に返る。
「ちょお待って、健文。
もう1人の編入生て、吉野原って。こないだのジェラート屋の子なん?」
「そお。教室でびっくりしたワ。コドモぽい顔で、中学生か思うとったのに」
「やめて。その子と仲良おせんとって」
「え?」
少し怒りが滲む母親の顔。リビングの室温を下げてしまう冷えた声。
どちらも健文はよく知っている。
父親に関わるコトになると、よく母親はこんな風になっていた。
「患者さんの情報やから、詳しいコトは言えへんけど。あのお家はあかん。
買い物行くくらいならエエけど。親しい付き合いはせんとって」
「患者て。別にフツーに元気な子やで?」
「その子や無い。ご家族の方や。
でも一緒に居ったら、周りから同ンなじやと誤解されるかも知れん。
せっかくここでやり直すんのに。あんたもよお解っとおやろ?
人の目とか噂とか、形の無いモンほど厄介なんは無い。
そーゆーのとは関わらんで。な?」
健文の頭の中に、望の笑顔が浮かぶ。
照れた顔するクセに、唇尖らしてぶっきらぼうな口調。
一緒に居てあんなに楽しくて。ずっと見てたいくらい可愛くて。
多分ホンキで好きになったのに。
突然ぶつんと電源を切られて真っ黒な闇にされた感じ。
母親を気遣うとか、とりあえず誤魔化すとか出来なくて。
強い言葉が噴き出てしまった。
「何ンでまた、そんなコト言うん?同じコト繰り返すん?
噂とか見えへんモンはどないしようも無い。
気にせえへんようにするしか無い、もお振り回されへんて。そう決めたやんか。
形の無いモンに、思い込みで善悪付けとおのは、母さん自身やんかっ」
しん、とリビングが静まり却って。母親の表情も身体も固まっている。
「ごめん。言い過ぎてもた…。
夕飯美味しかった、ごちそうさま。後片付けはやっとく。
炊飯器のタイマーもしとく。米はいつも通り2合でエエ?」
健文はナントカいつも通りの柔らかな表情と声を作ったけれど。
母親は唇をきつく噛み無言のまま席を立って、そのまま寝室へ行ってしまう。
「はあ…」
深いタメ息を吐くと、健文はただ食器を片すしか無かった。
(オレはこの引越で、キモチ切替出来たけど。
母さんはやっぱ、今までキツい視線浴びて来たんを忘れられへんのかなあ…)
そしてふと思い出す。
そう言えばあの日、ジェラート屋に鬼島の母親も立ち寄っていた。
しかも病院関係者で望の家族を知ってるようだったし。それなら。
(まずはダメモトで鬼島先輩に訊いてみよか…)
母親が望の家族について何を否定しているのか、ちゃんと知りたい。
そして何んとか母親から反対され無いようにしたい。
そしてそして出来ることなら。
(オレがぼーくんを特別に想うとおって伝えられて。
それを母さんが受け入れてくれたら、めっちゃエエんやけどなあ)
母親の全否定はキツかったけれど。健文は逆に覚悟が決まった気がした。
望の家族について何かを知ったからと言って。
(このキモチが無かったことには、もお出来ひん。ほんま見えへんモンは厄介や。
透明やのに、想えば想うほど濃いになって行く。
そおや。キモチて在るか無いか言うより、自分で信じ切るかどうかや)
健文は、よっしゃと小さく呟くと。スポンジに洗剤を付けて食器を洗い出す。
目の前のコトをひとつずつやって行くしかない。
ひとつ積み上げれば、その下は『在る』コトに成るのだから。
洗剤の泡立からふわと浮かび上がった小さなシャボン玉は。透明なのに一瞬虹色を映した。




