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歯車はここに

ホーンテッド

作者: 民間人。

 目が覚めると楽器をかき鳴らすパソコンが目に入る。

 一日一日を大変に過ごしていた頃、当たり前にできた朝四時起床。今、デジタル時計が示すのは、朝六時二十三分だ。馬鹿馬鹿しい、私は改善するどころか、どんどん悪くなっていると分かる。


 最早連日のこととなった熱中症警戒アラートを聞きながら、ぼんやりと日常のルーティーンをこなす。「こんなこと」に何時間もかけるほど、落ちぶれてしまった自分にほとほと嫌気がさす。


 そろそろ、多くの人々が働きに出るところだろう。従順に生きようと懸命に過ごしていた時、私もそうして車を走らせていたのを思い出す。

 そうして、車内で口から零れる絶え間のない悪口を、耳にするたびに自己嫌悪に苛まれる。それを繰り返して、ついに耐え兼ねて精神科にかかって、休職することとなったと思うだろうか。物事はそれほど単純ではない。


「君、何か発達障害とか持ってる?」


 そう言われた時、どうして自分が「そう言う診断を受けたことはない」と答えないのか。それはずっと、悩み続けていたからだ。


 丁寧に磨かれたグラスに、冷蔵庫から取り出したばかりの麦茶を注ぐ。大粒の汗をかくペットボトルの中に、歪んだ顔が逆さまに映っている。

 学生時代、氷河期世代の兄が今の職場から一発内定を貰い、他の職場にも来るように請われていた頃、私は図書館で身にならないことを四六時中していた。成績ばかりが良くなる。でも、一度外で受けてしまえば最後、その牙城は脆くも崩れ去る。いくら頁を重ねても、ノートは紙で、紙の牙城では何も守れないのだ。

 二人目の兄が高校を出て、晴れて夢を叶えたその頃、私は身にならないことを四六時中していた。中学の頃に全くしてこなかったことを、消しては答えて、答えては書き込んで「覚えて」も、それは所詮頭の中には残らないのだった。


 考えてみれば当然のことだが、人口を維持するためには、二人に対して二人が生まれればよい。現実そうならないから三人目、四人目が生まれるのが望ましいのだが、いずれにしても三人目というのは余分だ。贅沢だと言い換えてもいい。贅沢品に意味を求めるのはとても馬鹿らしいと思うかもしれないが、それは「中」の話であって、外にあっては私も一人の人間なのだ。


 今も社会保障費を使い潰すのが耐えられない。ああこれが「余分」か。壊してくれ、壊してくれ・・・。


 掃除機のコードを伸ばしている。黄色いテープが顔を見せると、コンセントを繋いでスイッチを入れる。掃除機はそれで起動して、絨毯に食らいつくほどエネルギッシュに仕事をこなす。動かせばきちんとごみも吸い込まれていく。紙パック交換のライトが光ると、確かに仕事をしたのだと自慢げに告げているようにも見えた。


 これができていたら、苦しまずに済んだものを・・・。などと思うと、掃除機のハンドルを手放し、その場に蹲っていそいそと涙を流す。苦しそうに絨毯に食らいつく掃除機の唸り声が、ひどく自分を責め立てているように思えた。


 そのまま一時間ほど蹲ってから、再びハンドルを握る。無心で吸い込み口を前後左右に動かすうちに、時刻は午前十時に至る。


 今日も書けそうにないな・・・などとぼんやりと考え事をしていると、洗濯機がぴぃ、と甲高い声を上げて鳴いた。


「あくしろよ。あくしろよ」


 と、呼びかけられるままに、洗濯ものを籠に放り込む。今日も陽射しが強いので、洗濯物はよく乾くだろう。


 玄関を出て右手に物干しざおが掛かっている。籠をその横に運び、先端が錆びた金属製のハンガーで服を掛けていく。気持ちよさげに風に揺れる洗濯物から、洗剤のにおいが仄かに香った。


 靴を脱ぎ、廊下に上がると、放置された掃除機が寂しげにこちらを見ている。舌打ちを一つこぼしてこれを片付ける。


 ああ、されたなぁ。舌打ち。眉間に皺が寄るのもよく見たなぁ。胸がギュッと締め付けられて、動悸がますます強くなったものだなぁ。人が近づいてくると、何か言われると身構えるのは疲れてしまったよ。


 だからと言って、一人でいることにも耐えられないのだけれど。


 パソコンを開き、架空の動物がほわほわと喋っている動画を開く。考えが纏まらないので、それをぼんやりと見る。そうしていると手元が寂しくなってきて、縫い包みをかき集めて抱き締める。柔らかく心地よくて、何より抵抗をしない。私を拒絶しない。無駄な励ましの言葉も言わない。ただ黙って寄り添ってくれる。温かい・・・。


 少し心が上向いて、ワードを開く。タイトルの続きを開くが、悶々として、結局白紙のテキストを上から開く。暫く真っ白な頁と向かい合っていると、最小化された窓から愛らしい叫び声が聞こえる。開くと、何かに手間取って左右に揺れる動物がいる。「がんばれー」とか、「かわいい」とか、コメントが次々に流れていくのを見ながら、今自分がそういう気持ちを持っていて、それは自分に向けられないことを思う。


 小型犬が良く吠えるから嫌いと言っていた人のことを思い出す。小型犬は、体が小さく、捕食者であると同時に被食者の立場にもある。だから警戒心が強く、見ず知らずのものに警戒心を露にすることがある。猫が獲物で遊ぶというのもある。猫は獲物にとっては捕食者なので、襲われる立場にはない。つまり、猫は獲物をどのように扱っても損害を被ることは無いのだ。おもちゃで遊んであげれば、それが良く分かるというもの。


 愛されるには理由があるように、嫌われるのにも理由がある。そして、本当に弱い者たちは基本的に心底嫌われている。その意見に難色を示す人は、ただの偽善者だ。まずは自分が公平な立場にいるのだという馬鹿げた妄想を捨てるべきだろう。


 そう言うことで、ますます自分が馬鹿げた妄想に取りつかれていることに心を苛まれたりもする。ほら、いま手元で抱いているのは「愛されるための偶像」だよ?ってね。


 再びタブを白紙の頁に切り替えよう。さぁ、何を書こうかという言葉を肯定的に捉えることができない自分が、こんなことを呟く。


「何を書こうかなぁ・・・」


 思いついた言葉を打ち込んでは消して、消しては打ち込む。好きなものを思い出して、小説投稿サイトに打ち込むと、大抵は既に同じ題材のものがあるので、それを書くことを諦める。

 それを繰り返し、何となく「書いたつもり」になって、布団の中に体を埋める。白紙の頁が煌々と光を放っているのを直視できなくなり、目を瞑り、縫い包みを強く抱きしめた。

 温かい。柔らかい。無駄なことを言わない・・・。


 楽器がかき鳴らされて、目を覚ます。先ほどの動物の声は精悍な歌声に入れ替わっている。耐え難い言葉の羅列。すぐに演奏を止めた。


 夢、希望、愛。どうだろう。どれか一つでも自分に向かって与えられているだろうか?努力、勇気、挑戦。どうだろう。どれか一つでも、自分がしてきたことはあるだろうか。


 時計の針は三時を示している。ふん、と鼻を鳴らす。あったら今ここにはいないだろうよ。


 手持ち無沙汰でSNSを開くと、楽しげな投稿が。それが鬱屈とした思いをひどく責め立てているように思えて、いたたまれない気持ちになる。面白かった作品の感想なども流れてくる。そこに自分のいる場所はない。もっとも、もしいたとしても、それを自分が「気遣い」でない言葉だと思えるほど、私の心は純粋でもない。


 だって見てくれよ。89個の物たちを。これが真実だろうよ。これが真実だろうよ・・・。


 明日が来たときに、また仕事がないことを喜べるときが来るだろうか?それは明日になってみなければ分からない。わかり切った質問だ。


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