5_咲き綻ぶものはなに
王弟殿下とともに王宮内を歩く。エスコートは完璧で、身内にしかエスコートをされたことのないマリアンナにもそのそつなくこなす姿には貴公子らしさを感じた。
時折、王宮内の女中たちとすれ違うこともあるが、すっと音もなく回廊の端へと避けて深々とお辞儀をしている。背筋の通った姿は働く女性としてかっこよかった。決して王弟殿下にエスコートされているマリアンナのことを訝しげに見る、なんてことはなかった。
「まあ…すてきなお庭…!」
冬がもうすぐそこまできているというのに花々が咲き、木々も生命力豊かな様子だ。よほどの腕前の庭師が手入れをしているのだろう。
社交シーズンには母に連れられて庭園が有名な貴族のタウンハウスにも行った事があるけれど、これほど見事な庭園はない。風に乗って咲いた花の匂いも鼻に届いている。
マリアンナは気がつけばレオンハルトの腕を解き、勝手に庭園を歩き出した。その夢中な様子にレオンハルトは微笑ましい気持ちになる。先ほどのお茶会では緊張していたのだろう、表情が少し固かった。緊張を和らげてやりたかったが、国王に加えて自分が現れたことでより緊張しているのがわかり、話しかけるべきか否か迷っていたのである。兄が時折、話を振ってくれなければ置物のようになっていただろう。
マリアンナは花壇に目移りさせながら小道を歩いていると、突然足元がぐらりと傾いた。
「きゃっ」
「ダスティン令嬢!」
倒れる前にレオンハルトの腕がマリアンナを咄嗟に抱き止めたおかげでそのまま転ばずにすんだ。
「大丈夫ですか、ダスティン令嬢?」
「あ、ありがとう存じます…王弟殿下…。申し訳ありません、足元に気が付かず」
普段であればもう少し冷静に動くこともできるのだが、あまりに立派な庭園に心が少し浮き足だっていたのか、実際の足元まで疎かになっていた。そのせいで、小道の先に段差があることに気が付かなかった。
「この先は東屋があって、ほかの場所よりも低くなっているんだ…初めてきたのだから知らないのも当然だから、あまり気にしないでください」
「そうだったのですね…あ、殿下!手の甲に血が!」
「ん?ああ、枝にひっかけたのかな?」
あああ!なんてこと!王弟殿下に怪我をさせてしまうなんて!!!大失態だわ!!
「殿下、こちらに!!」
小道の先の東屋があるのなら、ベンチもあるだろう。
「さあ殿下こちらに座ってください!」
「いやこのくらい怪我のうちには、」
「だめです!小さな怪我も放っておけばひどくなることもあるんですよ!」
マリアンナの勢いに負けたのかレオンハルトは言われるままベンチに腰掛ける。大人しく、マリアンナに怪我をしたほうの手を見せる。
すぐそばに控えていたパメラに持たせていた手荷物からハンカチと気付薬として持ち歩いているブランデーを取り出した。手の甲についた血をハンカチでぬぐい、ほんの少しハンカチに垂らして傷口を洗う。こうするといい、と領地の庭師に教えられたのだ。
あまり深い傷ではないようで一安心だが、油断はできない。ハンカチを使って傷を手当する。
「あとでお医者様に見ていただいたほうがいいかもしれませんが、とりあえずこれで様子を見てください」
「こんな小さな傷を、ここまで丁寧に診てくれる医者はきっと貴女以外にいないでしょうね…ありがとうございます」
「いえ、そんな…私を助けてくださったときにしてしまった怪我ですし、元を正せば私のせいで…」
「そんなことはない、むしろ兄に貴女のエスコートを任されたのにきちんとできなかった私のせいだからね」
夢中になってレオンハルトの腕を離してしまったのはマリアンナのせいなのに、それを責めるよなことは一言も言わないレオンハルトにただ恐縮するしかない。
「伯爵令嬢がそれほど見惚れるものがこの庭にありましたか?私は幼いころからここを見慣れているから、それがわからず…どうか教えてくれませんか?」
「そんな…教えるだなんて、ただ本当に素敵なお庭で、よく手入れが行き届いているのと誰かに見せるために作られているのがよくわかって、とても洗練されたお庭です」
「私にはただの庭にしか見えないんだが…」
「まあ…このお庭の様式はヴァダパート王国風で、そうですねこの庭を見下ろすことのできるお部屋はありますか?」
「ん?ああ、そうですね…この庭なら、あの部屋…たしか貴賓室から見下ろすことができるはずだ」
「まあ、やっぱり!ヴァダパート王国風の庭園は、一望できる部屋から見下ろすと中央に菱形になるように花々を植えて、小道を挟んで少し背の低い樹木を等間隔で植えるのです」
「ほう…ヴァダパート風…」
正しくはロームプ様式と呼ばれる様式で、ラバグルート王国の北にあるヴァダパート王国から伝わってきた様式である。
「詳しいのですね…」
「ちょうどこのあいだ読んでいた本に書いてあったので、それでわかっただけですわ」
「ふむ、そうですか……では、伯爵令嬢、せっかくですから実際に菱形に見えるか確かめに行きませんか?」
「で、でもそこは貴賓室では?私が入っていい場所では…」
国内の有力な貴族や外交のために訪れた要人が使用する部屋だ。重要な機密などはないと思うが簡単に入ることのできる部屋ではないはずだ。
「大丈夫ですよ、私が責任を持ちましょう。それでもダメなら…兄になんとかしてもらいます」
「え、ええ…それは、大丈夫と言っていいんでしょうか…」
「もちろん。それに貴女をもてなすように、と仰せつかっていますからね」
にこり、と笑う王弟殿下を見るとなんとかなるような気がしてしまった。
「ふふふ…もし怒られたら、一緒に怒られてくださいね、殿下」
「もちろんですよ。さあ、今度こそ私にエスコートさせてください」
ただの伯爵令嬢であれば入ることのない貴賓室だが、王弟殿下の力は絶大だったようであっさりと入室を許可された。普段は鍵がかかっており、清掃のために訪れるメイド以外は実際に使用される時以外に人が入ることはほとんどない。
「まさか本当に入れるだなんて思いもしませんでしたわ、殿下」
「ははは、信じてもらえなかったとは。まあ、でも私もあまり入ったことのない部屋ですからね、自分が入ることになるとは思いもしなかったな」
「まあ殿下も入ったことのない部屋が?」
「王宮は広いです。それにこのあたりは応接のための区画ですからね、あまり馴染みがないんですよ」
ローゼンネイ城はとにかく敷地も広く、建物も立派で広い。王族の居住のための宮殿はここからさらに東側に存在し、いまマリアンナたちがいるところを中心として西側に騎士団や国軍の拠点が存在している。
「あまりこのあたりは入ってはいけない、と先王に言われていましたから」
「王子様でも入ってはいけなかったんですか?」
先王が生きていた頃であれば、王弟殿下もまだ第二王子だった時代だ。
「子供であってもダメなものはダメ。ここは重要な場所だから子供が入る場所ではない、と言いつけられていましたよ」
「そうだったんですね…でも、そうですわね…この部屋に置かれている美術品を見ると、子供の遊び場にはふさわしくないですね」
大きな花瓶や彫刻などが飾られており、走り回ったりなんてしたらいくら王子でも大目玉だろうことは想像できる。
「さあ、ダスティン令嬢はこちらへ」
バルコニーへと繋がる扉を開いてもらって一歩踏み出す。
「すてき!本当に菱形に見えるんだわ!」
「ダスティン令嬢が言っていた通りだ…こうして上から見ると木が等間隔で植えられているのがわかるね……枝もきっちり剪定して整えてある」
「熟練の庭師でなければこの庭園は維持できませんわ…。おそらくですが、庭師の方は貴賓室に入らずにこの庭園を作り上げたはずですわ」
「ああ、彼らはここに入ることはない。いつも下で見ていたから気づかなかったよ」
気づかせてくれてありがとう、とレオンハルトはマリアンナをまっすぐに見て顔を綻ばせる。自分よりもずっと年下の少女にしたり顔で教わっては機嫌を損ねる年長者もいるのに、レオンハルトにはそんな様子はない。
「いいえ、こうして見に行こうと殿下が誘ってくださらなかったら私も本物を見ることはありませんでしたから…。私の方こそお礼を言わせてください」
「私は、貴女に庭を案内しろ、と言われた時にこの時期の、花も少ない季節の庭では退屈させてしまうのではないかと案じていたが…」
「そんな!花が咲いているだけが庭ではありませんわ!もちろん花々が咲き誇っているのも美しいですが、こうして秋が深まりもう少しで冬を感じるこの時期の表情もあります。そう、本に書いてありました」
マリアンナは自分がまだまだ若輩者であり、デビュタントも済ませていない世間知らずの箱入り令嬢であることを自覚している。だからこそ、こうして見識を広めるためにも国王陛下のお茶会に参加したのだ。
「私は本で読んだだけで、実際にそれを感じたことがありませんでしたがこれがそのことなのだとわかって、いま心が弾んでいます」
「それほどまでに楽しんでいただけたのなら、案内してよかった…。あとで庭師にも伝えておきましょう、きっと彼らも喜ぶだろう。今回は東の庭を案内したが、社交シーズンになれば西の庭の花が見頃を迎えているはず、またご案内しますよ」
「まあ…いいんですか?」
「ええ、もちろん。次は西の庭にいきましょう、きっと貴女も気に入りますよ」
それはつまりまた王宮に招待する、ということだがきっと社交辞令だろう。そのくらいはマリアンナにもわかる。だが、こうして誘ってもらえるほどには気に入っていただけたことがうれしいので、待っています、と告げたのだった。
これがマリアンナとレオンハルトの出会いである。
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