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3 兄が連れてきた嵐


 あれから一週間、マリアンナは大変困っていた。

 婚約がなくなったから、というよりは婚約者がいなくなったことを悲しんでいるでしょう、つらいでしょう、つらいなら無理をしないでいいのよ、と腫れ物に触るように母、マルグレートに扱われることだった。

 大丈夫です、と言っても強がっているとしか思ってもらえないので本当に困っていた。

「悲しくないわけではないの。でも悲しんだところで婚約は戻ってこないのだし、仕方ないじゃない?」

「マリアンナお嬢様の切り替えの速さは美徳であるとパメラは思っております」

 少し呆れを含んだ言葉にマリアンナは苦笑してしまう。パメラなりに心配してくれているのもわかるし、ちょっと薄情に見えてしまうのもわかる。しかし現実は待ってくれないし、戻ってもくれないのだから仕方ない。

「婚礼衣装の製作中止や家具、調度品の買い付けやペーデル侯爵家への運び込みなどはすぐに中止できたからよかったわ…」

「次が決まったらまた声をかけてください、と皆様言ってくださってよかったですね」

「そうね…でも新しい婚約者の方のところに持って行っていいものなのかしら?」

 失礼にならないかしら。その疑問も当然ではあるが、こんなレアケースはマリアンナも侍女としてあらゆる状況について学んできたパメラにもわからなかった。

「今度ヒラリーさんに聞いてみます」

「そうね、お願いするわ」

 ヒラリーとはマルグレート付きの侍女で、ダスティン家の侍女頭だ。

「それにしても急に暇になってしまったわね…一年後には嫁いでる予定でいろいろとやることが目白押しだったけど、ぜーんぶなくなっちゃったから仕方ないのだけど」

「だからといってダラダラと過ごしていい、というわけではありませんよお嬢様」

 ソファに体を預けて、のんびりと読書に勤しんでいた。

「だって侯爵夫人になるためのお勉強とか、復興のための慈善活動とか…領地についてとか、そういうの覚えても意味がなくなってしまったのよ」

「それはそのとおりですが…」

「婚約者もいないから刺繍を作っても贈る相手もいないし。こうやって本を読むくらいしかすることがないわ。もう少し暖かければ乗馬でもしたのだけど」

 もうすぐそこまで冬の気配が近づいている今の気候ではおそらくだが母が許さないだろう。風邪をひいたらどうするの!と叱られてしまう。

 刺繍にしても当てつけでもなく、ただ事実として相手がいないのだから仕方ない。まだデビュタントも済ませていないから夜会やお茶会への招待も来ない。母が主催をすれば参加もできるが、その予定は今のところなさそうだった。

「乗馬はできないけど、厩舎に馬を見にいくのはいいわね」

 乗馬を好むマリアンナのために兄が贈ってくれたかわいい馬がいる。その子の様子を見に行ってもいいかもしれない。

 つまり、せっかくなのでマリアンナはこの余暇を思いっきり楽しむつもりである。

 本来であれば読書をする暇もないほど忙しかったはずなのに、不幸なことに暇になってしまったのだからこれを利用しない手はない。伯爵家の図書室にはまだマリアンナが読んでいない本はいくらでもある。

「そういえば、お嬢様はいま何を読んでいらっしゃるのですか?」

「フォルモーント法典よ」

「は、はあ…法典…」

「と言ってもこれは簡略版で、一部抜粋されたものなのよね…。いまも活用されている法律しか載っていないわ」

「使われなくなったものがあるんですか?」

「そうね…一つの神殿に神官を八人にしてはいけない、とかかしら」

「なんでそんな法律が八人だと何かいけないんでしょうか」

「八が不吉で、不和を招く数字だと恐れられたことから神官は九人以上か七人以下でなくてはいけない、と定められていたそうよ。でも今は関係ない、気にしないことになってるわ」

 おもしろいでしょう?と言われてもパメラにはさっぱりだ。

「すべてが記されているものは我が家の図書室でも鍵のかかった書棚に保管されてて、私は読めないの。お父様に頼めば開けてもらえるかもしれないけど」

 大蔵卿である父の仕事道具でもあるので頼んでもだめかもしれない。

 パメラのお説教も終わったようなので、マリアンナは読書を再開した。

 しばらくすると扉をノックする音が聞こえてきた。音もなく静かに扉に近づき、パメラが返事をする。

「はい、どなたでしょうか」

「俺だよ、ブライアンだ。いま大丈夫か?」

「ブライアンお兄様?パメラ、お兄様を部屋に案内してあげて、あとお茶とお茶菓子を用意して」

「かしこまりましたお嬢様。どうぞブライアン様、お入りください」

 パメラが扉を開けるとそこには久しぶりに見る次兄の姿があった。

 マリアンナと同じ明るい栗色の髪に父と同じ明るい紺碧の瞳、父よりも上背のあるがっしりとした体躯の青年、ブライアン・ダスティンである。

「お久しぶりですわお兄様」

「マリー!ひさしぶりだな、少しやつれたか?顔色が悪いんじゃないか?」

「ふふふ、お兄様ったら心配性ですね。私、そんなに柔じゃありません」

 マリーはソファから立ち上がり、テラスへと続く扉の近くに設置してある猫足のティーテーブルのほうへとブライアンを促す。

「せっかくだからこちらでお話しましょう。パメラがお茶を用意しているのよ」

「ふむ、そうしよう」

 向かい合わせに座り、ブライアンを見る。少し見ないうちに元々の顔の良さに精悍さが加わり、すばらしい青年となっていた。これならばきっと王城ではさぞモテているのではないか、と思う。

「マリアンナ、どうした?俺の顔になにかついているか?」

「そうね、とってもハンサムなお顔が」

「ははは、マリーは口が上手だ」

「それにしてもお兄様ったらどうしたの?いまは年末の降臨祭まではまだ日にちはあるから里帰りには早いんじゃないかしら?」

「そうだな。今回は大事な用事があってな…だからただの里帰りではないんだ」

 まあ里帰りも兼ねてはいるんだが、と笑うブライアン。

「大事な用事?それは私が聞いても大丈夫なのかしら…」

 いつのまにか戻ってきたパメラが二人にお茶と茶菓子を出し、マリアンナのそばに控えた。

「ああ…そうだな…。ん…パメラの淹れるお茶はうまいな…家の茶がうまいなんて、家を出るまではわからなかったもんだ」

「パメラはうちで一番のお茶の名人だもの。ヒラリーだってその腕前には敵わないのよ」

「違いない…。騎士団だと自分たちでお茶を入れるんだが、茶葉が安いせいか、淹れ方が雑なせいか全然違うんだよ」

「お褒めいただき恐縮です」

「これを飲むために実家に帰ってきてもいいな」

 お茶の香りを楽しむなんて贅沢は実家でなければできない。

 ダスティン家の次男であるブライアンは近衛騎士団に所属しており、若いけれど有望株として第二部隊副長になっている。その地位がどれほど高いのか、マリアンナにはわからないけれど。そのため普段は王都であるシュネーユールにある騎士団の寮で生活をしている。

「よかった、少し顔色が良くなったな」

「え…私、そんなに顔色悪かったかしら?」

「そうだな…表情が少しこわばっていた…。もちろん、お前の状況はとてもつらいものだから、顔色良く笑顔で、というのは難しいとおもうし無理をさせたいわけじゃない」

「お兄様は知ってるんですね…お父様からは機密事項だと聞いていましたが」

「身内のことだし、これでも近衛騎士としていろいろと知っている。だから、今日はそのことできたんだ」

「えっと…それは、どういうことでしょうか」

 先ほどまでの兄の顔から、少し感情が抜け落ちたような表情のブライアンがマリアンナを見つめる。

「詳しくは父上のもとで話す。いまの時間なら、書斎にいるだろう」



 父の書斎の扉をノックすると家令が出てきた。アイザックの書斎は簡単な仕事などもこなせるように質の良い重厚感のあるデスクと大きな書棚がある。

「ブライアン、いつ戻ったんだ?」

「つい先ほど…」

 兄は帰ってきて父に挨拶もせず、マリアンナのところに来ていたのか、と少しだけ驚く。

「マリーまで一緒に来て、どうしたんだ?」

「マリーにも関係のある話だからですよ、父上」

 所在なさげにしていたマリアンナをブライアンはより部屋の真ん中へと移動するように視線を向ける。促されるままに父と兄のあいだに立つ。

「近衛騎士団第二部隊副長ブライアン・ダスティン、テオドール二世国王陛下より親書を預かっている」

 恭しく懐から出されたのは国王陛下からの親書というにはとてもシンプルな見た目をしていた。アイザックはそれを受け取り、検分する。

「確かにこれは陛下の印の押されたものだ、それも公文書ではなく親書…宛名は…ダスティン伯爵家令嬢マリアンナ……マリアンナ宛なのか!」

「え、ええーー!わ、私ですか?」

「た、確かにここにマリアンナと書かれている」

「国王陛下が私に用事なんてあるはずがないじゃないですか!お兄様、これは何かの間違いじゃないの?」

「俺もこれを隊長から預かっただけで内容までは確認していない。内容如何によっては父上の確認も必要になるだろうと思ってお前に直接渡さず、ここにきて父上にお渡ししたんだ」

「ふむ…ブライアンの考えはよくわかった…マリアンナ、お前宛の手紙だが私があけても構わないだろうか」

「ええ、お父様お願いします。私があけても、お父様に見ていただくことになりますから」

 デスクの上におかれていたペーパーナイフを使い慣れた手つきで手紙の封を切る。飾り気のない封筒だと思ったけれどよく見れば紋様は美しく箔で彩られている。

「……ふむ…むむむ、はぁ…なるほど…」

「お父様?」

「父上、難しい顔をされていますがそれほど無理難題でしたか?」

 眉間に皺を寄せて難しい顔をしているアイザック。やがて、意を決して手紙をマリアンナへと差し出した。

「無理難題を仰られるような方ではないよ、テオドール二世陛下は…。いや、だがこれは……陛下が、マリアンナとのお茶会を催したいと仰られている」

「え…そんな、まさか」

 冗談を言うなんて父らしくもない。告げられた内容を信じられずマリアンナは首を横に振ってみせたが、アイザックは困ったような顔をしながら手紙を娘に差し出した。自分の目で見て確認しろ、ということだろう。

 マリアンナは手紙を受け取り内容を確認した。内容は父に告げられたものと変わらない。目の前がクラクラしてきた。

「お兄様…これは、手紙の中身が違っていたのではないですか?」

「なんだと…こうした文書は侍従長が陛下に確認して封をされているのだから、万が一はない」

「で、では王妃殿下に送る予定だった手紙と取り違えたなど…そういう可能性は?そうでなければまだデビュタントもすませていない私にお茶会の誘いなど…」

「それは、そのとおりだが…しかし、取り違えた可能性はない。そんなことがあれば今頃俺の馬よりももっと上等な馬で俺を誰かが追いかけてきているはずだ」

 近衛騎士団にいる馬の中でもできるだけ脚が早く、長く駆けることができる馬に乗ってほんの少しの休みをとっただけで一日中駆けてきたのだ。そうだとしてもこのダスティン伯爵領までの道のりは大きな街道があり、脇道に逸れることもない。追いかけてこようと思えばできるはずだ。

 そういった使者がブライアンの元に来なかったということはこの手紙に間違いはないということになる。

「そうだ…マリーはまだデビュタントも済ませていないのだ……陛下は何をお考えなのだ…?」

「陛下との関わりなんて…なにも……。思い当たるふしは…あ!」

「なにかあるのか?」

「お父様…ペーデル侯爵令息との婚約解消は陛下のご采配だと、伺っておりますが…そうなんですか?」

「ああそれは前にマリーに言った通りだ。そうなんだが、そのために…?」

 うんうんと唸っている父を見て、マリアンナは少し困ってしまう。招待という体をとっているけれど、これはほとんど王命なのでは?と思えば断るのは不敬かもしれない。しかし、まだデビュタントを済ませていないのに国王とお茶会をしてもいいのだろうか。

 そういった不安はあるけれど、呼び出されたこと自体に不安はない。マリアンナは何一つ悪いことをしていないし、むしろ何かしらの褒美がもらえたりするかもしれない。今回キャンセルせざるを得なくなった婚礼のためのドレスの代金くらいいただけないかしら。

「陛下のお声かけだが、無理はしなくていい。手紙にも無理にとは言わない、と書かれているのだからそこは甘えてもいいだろう」

「そうかしら?」

「なにより、マリアンナはまだデビュタントも済ませていないことを伝えれば何も問題ないはずだ。これは茶会と書いてあるが、デビュタント前の令嬢は母親についていくような茶会以外は参加しないことは何もおかしいことじゃない」

 まだデビュタントをしていないマリアンナは、十六歳といえども年齢を問わず貴族社会においては子供という扱いだ。なので子供が茶会の参加を断ることに目くじらを立てるような大人はいない。

「お父様、お気遣いありがとうございます。でも、私はせっかくですから参加しようと思います」

「マリー、父のことは気にしなくとも良いのだぞ。それにブライアンもベルナルドの出世にも響くことはない」

「そうだぞ、俺や兄さんはそれぞれできちんと足場を固めているし、そのくらいで揺らぐものはないんだ。無理をしなくていいぞ」

「ふふふ、お二人が心配してくださるのはとてもうれしいです。でも、こんな機会きっと二度とありませんわ!王宮のお茶会、しかも国王陛下とお会いするなんて栄誉なことだもの」

 普通の貴族令嬢はデビュタントの際に陛下にご挨拶をする以外には王家主催の夜会で遠巻きに見ることくらいしかない国王陛下。そんな方とお茶会!しかもご本人から直々の招待だ。

「きっと一生の思い出になります。ああ、でもお父様がダメだとおっしゃるのであればもちろんお茶会は諦めます」

 本当に無理などはしていない、むしろ楽しそうだと思っていることを伝えるためにマリアンナはにっこりと微笑む。

「私がダメだ、とは言えない。しかし、本当に無理はしていないんだな?」

「ええ、もちろんですわ。行かせてくださいな」

 久しぶりの娘の笑顔に強く出られる父などどこにもいなかった。

ここまで読んでくださりありがとうございます。

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