女王陛下と飛び級大学院生が交わした約束
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」を使用させて頂きました。
政府専用機で帰国して宮廷への参内を済ませ、留守を預けていた左長史と右長史から朝議の報告を受けて。
そうして私が漸く緊張の糸を緩める事が出来たのは、丞相府に設けられた自分の執務室に足を踏み入れた時なのでした。
「ふぅ…どうやら私も、故郷に錦を飾れたようですね。きっと両親も来賓席に座る私の姿をテレビ中継で目にした時には、驚くと同時に感慨深い思いに駆られた事でしょう。」
そう呟きながら、私は座り慣れた執務室の椅子へ腰掛け、故郷から輸入した清茶で一息つくのでした。
両親を始めとする一族の住む台湾は、私にとっても大切な故郷で御座います。
この清茶の馥郁たる芳香を嗅いでおりますと、台北市で家族と暮らしていた時の事を思い出しますよ。
「それが今では中華王朝の官僚として政務に携わり、故郷への帰国も双十節の式典へ参列する国賓としてなのですからね。ここ最近では本名の『楽永音』で呼ばれる事よりも、役職名の『丞相』で呼ばれる機会の方が多くなってしまいましたよ…」
そう独り言ちて清茶を啜った私は、ふと十数年前の事に思いを馳せたのでした。
若手官僚という厳しい肩書も持たず、一人の少女として家族と一緒に台湾で暮らしていた時の事を。
私がまだ十代だった頃、人類社会は重大な危機を迎えており、世界各地で存亡を賭けた戦争が展開されていたのでした。
私達の住む台湾島は直接的な戦禍を免れたものの、海を隔てた大陸では幾つもの国が壊滅して沢山の人々が避難を余儀なくされる始末。
そんな状況に子供ながら思う所があったのか、或いは不穏な世相から目を背けて何かに没頭したかったのか。
その時の心境は今となってはハッキリと覚えていないのですが、何かに突き動かされるようにして勉学に励んだ私は学区内一番の秀才として飛び級に飛び級を重ね、遂には十一歳で台北大学への飛び入学を果たしていたのでした。
やがて戦争が終結して世界が復興へ舵を取り始めた頃、私は早熟な天才としてキャンパスライフを送りながら、己の力を最大限に活かせる道について思いを巡らせていたのでした。
「成る程…『帝政ロマノフ・ロシアに中華王朝。大陸で樹立された二ヶ国の立憲君主制国家は西側諸国との協調を宣誓し、国際社会は新たな時代を迎えつつある。』ですか。若き二人の女性君主の、御手並拝見という具合ですね。」
新聞を熟読しながら巡らす思考は、政財界の大物達の真価や彼等と比べた時の自分の力量が主なテーマでした。
戦後に樹立された二大新興国の君主を例に挙げるならば、差し詰め次のような私見を持っておりました。
帝政ロマノフ・ロシアの初代皇帝であるナターシャ・ロマノフ一世は、幼さを残した少女君主ではあるものの、革命を生き延びた王女の直系という高貴な出自でカリスマ性は充分。
年若さから生じるであろう未熟さは、有能な賢臣に支えて貰えれば問題なし。
後は帝王学を正しく修める事で、万民に愛される名君へ大成出来る素質は十分。
そして清朝の皇位継承権を行使して御即位された愛新覚羅紅蘭女王陛下は、勇猛果敢な軍人上がり。
自ら志願された先の戦争では清朝の太祖である努爾哈赤を想起させる雄々しき戦いぶりを発揮される傍らで、傷付いた友軍兵士を労る慈悲深さも示されたとの事。
これまた天子たるべき素質を充分に御持ちの方で御座います。
要するに、いずれ劣らぬ名君の素質を備えた若き君主という具合ですね。
とはいえこうした畏れ多くも無邪気な寸評が出来るのも、当時の私が国政への重責を負わない一般人だったからこそで御座います。
丞相の職に任じられた現在では、口が裂けても申せませんよ。
今にして振り返りますと、己の無責任な大言壮語振りにあきれ返り、冷や汗が全身から吹き出してしまいますよ。
若気の至りという物は、本当に恐ろしい物ですね。
そんな私の運命を大きく変えたのは、自宅へ届いた一通の封書だったのです。
「永音さん、貴女に郵便が届いておりますよ。それも中華王朝の大使館からです。」
「えっ!何かの間違いじゃないの、お母さん?」
修士論文の執筆のために自室で勉学に励んでいた私は、母の言葉に耳を疑うばかりでした。
然しながら封書は紛れもない本物で、その中身も驚くべき物だったのです。
「えっ、『貴殿の優れた力量を頼んで、中華王朝の官僚として御力添え頂ける事を御願い致します。』って…この私が!?」
幾ら飛び級と飛び入学を重ねた十代の大学院生とはいえ、私など所詮は飲酒可能年齢にも達していない一介の小娘。
悪い冗談でなければ、先方様の買い被りとしか思えません。
幸いにも「結論は急ぎません」とありましたので、修士論文を提出するまでお待ち頂けるよう返信させて頂いたのでした。
修論の提出と卒業まで、猶予期間は半年近く。
その間に先方様も、冷静な判断を下されるだろう。
当時の私は、そう気楽に考えていたのでした。
それから半年後。
修論発表会とゼミの打ち上げをこなした私は、翌朝一番に驚くべき人物と会談をする羽目になったのでした。
「御初に御目に掛かります、楽永音先生。御機嫌麗しゅう存じ上げます。」
大使館の公用車から降車されたのは、仕立ての良い青い漢服を折り目正しく着こなされた美しい漢人の女性だったのです。
白い細面は貴公子のように凛々しく、切れ長の碧眼は湖のように澄んでいて、その端正な御姿には同性の私でさえ惚れ惚れする程でした。
されど美しさ以上に印象的なのは、彼女の一分の隙もない足取りと身のこなしなので御座います。
「私は中華王朝で武官を務める司馬花琳と申す者で御座います。本日は親書の件で御伺いさせて頂きました。」
「これはこれは、司馬花琳将軍閣下!此の度は遠路はるばる、よくぞお越し下さいました。」
拱手礼を返す手の震えはどうにか抑えられたものの、心の中に生じた波紋はなかなか収まってくれなかったのです。
曹魏の謀臣として辣腕を振るった司馬懿と晋の初代皇帝である司馬炎の末裔である司馬花琳将軍は、知勇と美貌を兼ね備えられた若き名将であるばかりでなく、中華王朝の国家元首であらせられる愛新覚羅紅蘭女王陛下の信頼も厚い懐刀。
そんな国家的重要人物が直々に出向かれている以上、あの封書の内容が冗談や買い被りでない事は火を見るより明らかなのでした。
然しながら、ここで無責任な返答をする訳にもいきません。
そこで私は司馬花琳将軍に事情を御話しして、便宜を図って頂く事にしたのでした。
「私如きが御力になれるのは、誠に光栄であると存じ上げます。然しながら…」
「成る程、女王陛下御本人との会談の機会を御求めですか。宜しい、陛下に取り次ぐ事を御約束致しましょう。」
こちらの提示した会談希望日を部下達に記録させると、将軍は来訪時と同じく折り目正しい所作で御帰りになったのです。
そうして双方の日程を擦り合わせた会談日の当日、私は中華王朝大使館からの送迎車を今か今かと御待ち申し上げていたのでした。
女王陛下との会談の場は、大使館の何処に設定されるのだろうか。
果たして私は、女王陛下に礼を失する事なく受け答えが出来るだろうか。
考えたらキリが御座いません。
然しながら、自宅の玄関先に停車された公用車から降車された人物を目にした次の瞬間、それまで頭の中で巡らせていた思考が一瞬のうちに吹き飛んでしまったのです。
「御機嫌麗しゅう存じ上げます、楽永音先生。この愛新覚羅紅蘭、御会い出来て光栄で御座います。」
「えっ?あっ!はっ、女王陛下…」
動揺しながらも拱手礼をこなす事が出来たのは、せめてもの救いでしたよ。
何しろ司馬花琳将軍を始めとする側近達に守られながら降車されたのは、中華王朝の女王である愛新覚羅紅蘭陛下その人だったのですから。
束髪に結われた艷やかな黒い御髪に、慈悲深い笑みの御似合いな気品ある美貌。
いずれの特徴も新聞やニュースで見た通りの、それはまた見事な物で御座いましたよ。
然しながら私と致しましては、女王陛下が御自らいらした事に驚かされたので御座います。
私と致しましては、大使館へ自ら出頭するのだとばかり思っておりましたのに。
そんな私の驚きを察されたのか、陛下は優雅な笑みを浮かべたままで次のように仰ったのです。
「そう驚く事は御座いませんよ、永音先生。賢人である永音先生の御力を御借り出来るよう御願い申し上げるのですから、私の側から出向くのが筋で御座いますよ。」
幾ら飛び級を重ねたとはいえ、一介の修士風情に過ぎない私を「先生」とは…
女王陛下の私への期待は、予想していた以上に大きな物だったようです。
「かつて周の文王は太公望を丞相に迎える際に自ら車を引き、後漢末期の武将である劉備玄徳は諸葛孔明の昼寝が済むのを見計らって軍師に勧誘したのですからね。それに比べましたら、私の行動などは些事で御座いますよ。」
「勿体無き御言葉で御座います、女王陛下…」
君主と固い絆で結ばれた古の賢人達を引き合いに出されては、私と致しましては恐縮するより他は御座いません。
そもそも陛下は私を勧誘する為に三度も行動されましたが、これは諸葛孔明を勧誘する際の劉備玄徳が行った「三顧の礼」に擬えての事なのでしょう。
そこまで私を必要とされている御方を、袖にして良い道理があるでしょうか。
それに女王陛下が私の事を彼程に高く御評価されている以上、過度な謙遜や辞退は陛下の御名誉を損なう事にも繋がります。
私は中華王朝からの勧誘を受けるよう腹を括った上で、女王陛下との会談に臨んだのでした。
幾ら我が一族が燕の国で武将として活躍した楽毅の末裔であったとしても、幾ら父が台湾大学の教授を務めているとは言っても、私の家族はあくまでも一般人で御座います。
応接間といっても慎ましやかな物で、とても貴人や国賓を御通し出来る程の格では御座いません。
然しながら愛新覚羅紅蘭陛下に御座り頂けると、この平凡な応接間が途端に気品に満ちた空間に早変わりしてしまうのですから、生まれながらに御持ちの品格や威厳の力とは驚くべき物ですよ。
そうして応接セットのテーブルで向き合う形で会談が始まったのですが、謙虚で聡明な陛下の御人柄に私はすっかり魅せられてしまったのでした。
「先人達の遺して下さった歴史や文化は確かに受け継ぎつつも、因習や悪癖とは毅然とした意思で決別する。そして民族協和と仁政を国内で成し遂げ、国際社会と協調する。それが陛下の理想とする国政なのですね。」
「仰る通りです、永音先生。その為には、先生のような次世代の力が必要となって来るのですよ。」
こう仰ると、陛下は私の顔を射抜くかのように真っ直ぐ見つめられたのです。
「確かに先生の一族は古の名将である楽毅の末裔。その名に違わず、学者や文筆家といった知識人や文化人を大勢輩出されています。しかしながら先祖伝来の来歴以上に、永音先生は高い実力を備えていらっしゃると存じ上げます。その御若さで修士課程を修められた聡明さと、柔軟にして闊達自在な思考。それらの力を、我が中華王朝の明日に活かして頂きたいのです。」
「次世代の力、ですか…」
私と致しましても、悪い気はしなかったのです。
家名や親族の威光よりも、自分自身の力を優先的に評価される。
それは「自分は一角の人物である」と認識している人間ならば、誰もが願う事なのではないでしょうか。
「陛下の志された国政は、私と致しましても理想的な物で御座います。陛下が天子として仁政を敷かれて国際社会との協調を志す限り、私は臣下として陛下に御仕え致す所存で御座います。」
「もしも私の執政に少しでも疑問を感じられたならば遠慮なく諫言を御願い致しますよ、永音先生。それでも先生の意に沿えなければ、躊躇する事なく他国へ降って下さい。その時は私の執政から徳が失われたと現実を認め、潔く貴女の背中を見送る事を御約束致しましょう。」
かつて孔子が「論語」の中で「危邦には入らず、乱邦には居らず」と言ったように、君主から徳が失われて乱れた国を臣下が見捨てたとしても、それは不忠にはなりません。
しかしながら、それを臣下の契りを結ぶ前の相手に明言するだなんて、余程の覚悟と自信が無ければ出来る事では御座いません。
一国の君主にしては、余りにも謙虚で奥床しい。
そんな紅蘭陛下にだったら、己の将来を賭けるに値する。
私の胸中で形作られていた好感は、何時しか共感と忠誠心に昇華されていたのでした。
「しかと承りました、紅蘭陛下。それでは私からも、陛下と御約束を交わしとう御座います。この楽永音、決して陛下に道を誤らせる事のないように全力を尽くす所存で御座います。」
「永音先生!貴女という素晴らしい方と巡り会えて、この愛新覚羅紅蘭は喜ばしい限りで御座いますよ。」
こうして君臣の契りを交わした私達は、常に仁君と賢臣であるように心掛ける事を誓ったのでした。
そうして陛下に中華王朝へお招き頂いてから、早くも十数年。
中華王朝はアジアの立憲君主制国家の一ヶ国として国際社会と協調を果たし、沢山の国々と円満な友好関係を結ぶ事が出来たのでした。
我が故郷である台湾も、勿論その友好国の一つですよ。
そして国際情勢が時代によって移り変わるのと同様に、人間関係にも様々な変化が生じました。
司馬花琳さんは上将軍として大軍を指揮される立場に栄達されましたし、当時は赤ちゃんだった翠蘭王女殿下も今では利発な御世継ぎに成長されました。
しかしながら、若き日の陛下と私が交わした仁政の約束だけは決して変わる事がないでしょう。
たとえ幾星霜の時が流れ、どれだけ世代が変わったとしても…