仕事
新潟県の西部に浮かぶ佐渡島、蘆屋とカラスとメイアの二人と一匹はソロモンの魔の手にかかっているというこの地を調査しにやってきたのだ。
「そういう態度がほんっとうに気持ち悪くってさ」
「もう三回くらい聞いたわよ、それ」
フェリーから降りて遂に上陸した佐渡島を歩く二人。その上を飛ぶカラスは、常に周辺の警戒をしている。
『おい、お前ら。着いたんだからちょっとは気を引き締めろよ』
『寧ろ、敵地だからこその自然体よ。敵に敵だってバレたら困るでしょう?』
「ちょっと、僕はそれ出来ないんだからね。ずるいなぁ」
言葉を発さず意思を伝える二人に苦言を呈する蘆屋。そんな調子で一行は佐渡島を歩いていく。
『……おい』
途中、カラスが焦ったように声をかける。
「どうしたの?」
足を止めた蘆屋。合わせてメイアも足を止める。
『ここから見える範囲に居る奴ら……殆どが異常な状態にある。多分、洗脳されてるな』
「……マジ?」
『流石にそこまでだとは思わなかったわ……本当なら、不味いわね』
そして、カラスは更にあることに気付いた。
『……不用意に進み過ぎたな。囲まれ始めてる』
港からはもう遠い。いや、近かったとしても逃げ場がある訳では無いだろう。この島に上陸した時点で、彼らは標的となっていたのだ。
『殺さずに制圧するぞ。一応、これを付けとけ』
カラスの言葉と同時に二人の影から影の腕が伸び、その手に掴んだ仮面を手渡した。
「認識を阻害する能力がある。顔も隠せるから丁度良いだろ?」
パタパタと降りてきたカラスはそう言った。
「そうね。それに、格好良くて良いじゃない」
メイアは顔の上部を覆う黒い猫の仮面を付けた。
「格好良いかな、これ……ま、何でも良いけどさ」
続けて、蘆屋も白い狐の仮面を付ける。準備の整った二人を囲む人影がぞろぞろと現れていく。
「カァ、俺が良いって言うまで動くなよ?」
近付いて来る人の群れ。彼らは皆、虚ろな目を浮かべ、ゆっくりと近付いて来る。
「『病魔の風』」
瞬間、二人の居ない場所に温い風が吹いた。それは一行を囲む島民達を通り過ぎて行き……彼らはバタバタと地面に倒れた。
「カァ、一丁上がりだな」
「……私が仮面付けた意味ないじゃない」
「まぁまぁ、良いじゃん。どうせこれで終わりじゃないでしょ」
およそ百人程度。彼らは一人残らずカラスの生成した弱い毒によって昏睡状態になった。当然、一時的なものではあるが。
「あと、もうこそこそする必要も無いよね」
そう言って蘆屋は数枚の式符を取り出して宙に放った。
「『式神召喚』」
ひらひらと、式符が風に乗って空を舞う。
「『這い駆ける闇猫、クロ。取り憑く管狐、イズナ。連なる式の鳥、シロ。増え膨らむ鉄鼠、ライ』」
式符から文字が抜けていき、その文字たちは色を変え形を変えて式神となった。
「『地盤は支え、天盤は回る。式盤よ。求めるもののみ、指し示せ』」
続けて、蘆屋は霊力を操り、陰陽の術を唱えた。
「『簡易式占』」
成立し、発動した術。蘆屋はその視線を右辺りに向けた。
「悪い奴、こっちっぽいよ」
「おぉ、便利だなそりゃ」
感心したように言い、カラスは蘆屋の指差した方角に飛んだ。
「ッ、主様。私も向かった方がよろしいですよね」
「んー、そうだね。でも、無理しないように。どっちかって言うと、シロには司令塔の役割を持って欲しいし」
そういう訳でよろしくね、続けて蘆屋は式神たちに言った。
「にゃぁ」
「承ったでありんす」
「チュゥ」
猫、カラス、狐、鼠、カラス。五匹の獣達はそれぞれ蘆屋の指した方へと向かって行った。
「じゃあ、僕らも探そうか」
「えぇ、急ぐわ」
獣たちが去り、傍目にはただの少女にしか見えない二人。その背後から一人の若い男が現れた。右手に一冊の本を持った整った顔立ちの男だ。
「やぁやぁ、お急ぎかな?」
男はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべ、二人に近付いて来る。
「僕の名前はダンタリオン。悪魔さ」
若い男に見えていたその顔が、いつの間にか老人のように変化している。
「あはは、不思議だろう? これは僕の権能の一つでね、僕には沢山の顔があるのさ」
続けて、男の体が三つに、四つにとどんどん分かれていく。最終的に二人を取り囲んだ男は、一斉にけたけたと笑った。
「そんなものに惑わされると思ったのかしら?」
数十人の同じ顔をした男達。その内の一人をメイアは指差した。
「あはは、惑わされないよね。幻の類いは効かないんだよね。分かってるよ。ていうか、知ってる。今、見たからね」
「……見た、ですって?」
幻の分身を消し去り、顔を元の若い男に戻し、そしてニヤリと笑った。
「そう、見たのさ。君の記憶をね。そして……」
男が指先を向けると、メイアは一瞬体を強張らせた。
「ま、やっぱりこれも効かないよねぇ」
「今、私に何をしたの……」
心の内側に入り込もうとされるような不快な感触が、メイアの表情を歪ませていた。
「何って、君の思考を操ろうとしたのさ。僕の思い通りにね」
「……生かしてはおけないわね」
余りにも邪悪な能力に、メイアは目の前の敵を必ず殺す決意を固めた。
「良く分からないけど、幻とか精神攻撃とかしてくるんだよね」
「えぇ、そうみたい」
蘆屋は頷くと、高速で印を結んだ。
「『臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前』」
白い霊力が蘆屋の体から溢れ、ダンタリオンは目を細めた。
「へぇ……君は陰陽師か。あんまり強そうに見えなかったけど、そういうタイプなら納得だね」
「余裕そうだけど、これで君の力は効かないよ?」
蘆屋の唱えた九字は身体強化の術である以前に、精神を安定させ心を落ち着かせる護身法である。幻覚や思考の操作どころか、記憶の閲覧や心を読むことすら蘆屋には通用しない。
「あはは、確かにそうだね。僕の権能の殆どは君には無力ってことになるね」
しかし、それを知ってなおダンタリオンは余裕の表情を崩さなかった。