写本
訪れた静寂の時。今が一番、こちらが混乱している時間と言えるだろう。この後、探索部隊と集合してしまえば、敵は戦力を分散している以上、脱出は容易とは言えずとも難しくはない。
「犀川様、念の為……」
「来ます」
犀川が何かに気付いたように声を出し、鞄から金属球が飛び出した。危機察知の魔道具か何かで気付いたのだろう。
「私の身はエンシェントと結界で守りますので、貴方達は近付いて来る敵を蹴散らして下さい」
「ッ、分かりました」
「……おい、そのゴーレム」
金属球が変形し、現れたのは中心に青く光るコアを持つ人型の魔導機械。その正体に勘付いた俺だが、犀川が唇に指を当てたので呑み込んでおくことにした。実際、俺の血を素材にしたゴーレムだとか俺の口からも告げたくない。
「『敵が近付いている可能性が高いです。警戒部隊の方は更に警戒を』」
『りょう、か……ッ!』
文月が犀川の警告を他の護衛にも伝達したが、少し遅かったようだ。
『敵襲ッ、敵襲ッ! 敵の数はッ、目算でも五十体以上!』
五十体は多いな。そんな量の敵がどこから出て来たのかは気になるところだが……間違いない事実として、その量の敵が居れば警戒部隊を擦り抜け、相当数の敵がこちらに流れ込んで来るということだ。
「街中で人払いの結界も張らずに、この規模の襲撃……よっぽど、敵はアンタのことを重要視してるらしいな」
「多分、私が組織の正体に勘付いてるのと、既に調査に乗り出してるのがバレてるからかも知れませんね」
言いながら、犀川は自身を赤い結界で覆い、体をエンシェントに寄せた。その直後、周囲のビルの上から無数の影が飛んでくる。全員が黒いローブを纏った人型だ。
そこかしこから悲鳴が響く中、一般市民達は蜘蛛の子を散らすように逃げて行き、残った俺達と降りて来た敵達は向かい合うこととなった。
「――――アルガ」
俺達の正面に立った男は、そう一言呟いた。
「それが、俺の名だ」
フードを外した浅黒い肌の男の頭には、水色の髪が水生植物のように生えていた。
「既に知っているだろうが、俺達の目的はそのガキを攫うことだ。戦力差は歴然だって分かるだろ? ここで退くなら態々追いかけるようなことはしない……」
「悪いが、報酬は後払いなんでな」
俺は虚空から引き抜いた剣を男に向け、男とその後ろに並ぶ奴らを深く観察した。
「ククッ、ここで退けばただ働きになるから退けないか? ……命あっての物種だ。それも分からんなら、無様にここで死ねば良い」
「そうだな。だが、金は命より重いって考え方もあるらしいぞ」
まぁ、俺は全くそうは思わないが。
「……老日さん」
「あぁ、こいつらは敵の中でも精鋭らしいな。周りで暴れてる奴らとは、出来が違う」
何かを訴えかけるような目でこちらを見た文月に、俺は深く頷いた。目の前の男と、背後に並ぶ四人。周囲で暴れ回っている奴らとは、一つステージが違うように見える。
「ククッ、そうだ。正に、その通りだ。俺達と奴らでは、出来が違う。完成度がまるで違う。奴らはただの失敗作、だからな?」
男は隠れていた腕をローブの裾から伸ばした。その腕は、細長い無数の水草が絡み合って出来たような奇妙な姿をしていた。
「……もしかすると、って思っちゃいたんだが」
俺は溜息を吐き、男を睨んだ。
「アンタらが、魔科学研究会って奴らか?」
俺の言葉に、男は喜色を現すように口角を上げた。
「その通りだ。魔科学研究会、写本が一体……混成のアルガ」
「やっぱりか……」
何となくそうかも知れないと思ってはいたんだが、やっぱりそうだったのか。着かず離れずの距離で調べるだけに済ませておこうと思っていた相手と、結局相対することになるなんてな……勇者としての運命は、まだ俺を逃がしてはくれないようだ。
「そろそろ、ぺちゃくちゃと喋っているのも止めにする時間だな。離れた奴らが合流してきては面倒になる。特に、あの安治とかいう男は腕が立つらしい」
いよいよ戦闘を始めようと、植物で出来た腕をうねらせる男だったが、直前であることに気付いて目を細めた。
「む、そういえば……ッ」
俺の隣に居た筈の文月が消えていたことに気付いたアルガは、それを口に出そうとしたが、途中でその場から飛び退いた。
「なるほど、一本取られたな……!」
アルガ達の頭上から降り注いだナイフの雨、ただの自由落下の威力に収まらないそれらは、凄まじい鋭利さと速度で避けられなかった背後の四人と、コンクリートの地面をズタズタにした。
「――――直前で意図に気付いて頂き、助かりました」
その四人の後ろにスタリと着地し、立ち上がった文月がナイフをアルガに向けた。




