プロとして
横に動いたようなフェイントをかけた後、体を一瞬にして前に倒し、こちらへと駆け抜けた文月。視界から消え、距離を詰める基本的な技術だが、洗練されているのは確かだ。
「しッ」
顎を下から斬り付けるように振り上げられたナイフ。体を後ろに逸らすことによってそれを回避し、そのまま文月から距離を取る。
「ッ、なるほど……初撃を外されるとは、驚きました」
文月はナイフをくるりと回し、僅かに姿勢を変える。
「油断してそうだったから、不意打ちなんてしてこないと思ってたが」
「舐めていたことは認めますが、油断するつもりはありません」
言葉を返すと、文月は再び動き出した。短い黒髪が揺れ、左右どちらに傾くとも悟らせないような足取りでこちらに接近してくる。
「どこまで、見切れるか……試してあげます」
俺の目の前に辿り着いた瞬間、文月はナイフを振り上げ、その動作のまま俺の胸元にナイフを投げつけた。右手に持っていた剣でそれを弾く俺だが、その間に動いていた文月は右側に回り込みながら新たに取り出したナイフで脇の下を斬り付けようとする。
「ナイフ、何本持ち込んでるんだ?」
「ッ!」
俺は体を捻ってナイフを回避し、文月の腕を掴もうとする。しかし、ナイフを手放して咄嗟に身を引いた文月はギリギリで俺の手を避けた。
「……ナイフは、沢山持っていますよ。備えあれば、憂いなしですから」
「俺は剣一本しか渡されてないんだが……まぁ、良いか」
これが本来の戦闘スタイルということなら、見ておけて良かったと思うべきだろうか。
「しかし、防戦一方みたいですけど……そっちから動く気は無いんですか」
「そこまで言うなら、動くか」
挑発するようにまた手に持っていたナイフを動かす文月。その目は警戒するようにこちらを窺っているが……カウンター狙いとは言え、隙を作り過ぎだ。
「ッ」
大地を蹴り、俺は一瞬で文月の眼前まで迫る。何とか防御を間に合わせようとナイフを体の前に持ってこようとする文月だが、もう遅い。
「ぐッ」
腹部に膝を入れ、そのまま足を伸ばして蹴り飛ばす。数メートルは飛んだが、倒れることは無く、腹を抑えながらも文月はナイフを構え直す。
「闘気も、魔力も……感じられませんでしたが、まさか」
「先に言っとくが、異能使いでは無いぞ」
俺が言うと、文月は困惑したように眉を顰めた。
「だったら、今の速度はどうやって……」
「さぁな」
今ので、回復する余裕はあっただろう。俺は再び地面を蹴り、文月との距離を詰める。
「くッ!」
悔しそうに表情を歪めながらも、赤い闘気を滲ませた文月は俺の剣を擦れ擦れで回避した。
「やっと、全力を出すつもりか?」
「……認めましょう。貴方は、護衛としての任を任されるに値する能力が持っています」
ですが、と文月は言葉を続けた。
「負けるつもりは微塵もありません。プロとして」
「もし負けたら、報酬は倍額でも良いか?」
俺が言うと、文月は眉を顰めた。
「……私にその権限はありません」
そう切り捨てた後、文月の姿が再び消えた。これは技術でも無く、単純に速度だ。
「魔術、併用してるんだな」
「勝つと決めた以上、手を抜くつもりはありません」
背後から振り下ろされたナイフを弾き、そこに続く足払いを逆に足で受け止める。闘気での強化に加え、魔術による速度上昇……階位が高い訳では無いが、それでも俺より速度はある。
「しッ!」
「なるほどな」
休ませる暇も無しに降り注ぐ斬撃の雨、それを弾き続けていると、魔法陣が開き、高速の光弾が放たれた。
「手札が多いタイプか」
「化け物みたいな身体能力ですね……!」
ギリギリで光弾の先に刃を寄せ、斬り裂いた俺に文月は怨嗟すら滲むような声を上げた。
「でしたら、仕方ありません……私の本領を見せて上げましょう」
文月は飛び退いて距離を取り、その途中で牽制するようにナイフを投げつけると、何か魔術の言葉らしきものを呟いた。
「……水の分身、か」
そこには、水で作られた文月の姿が幾つも並んでいた。
「本体同様の性能とは行きませんが、それなりに動きますよ」
本体の文月がそう口にすると、十体を超える文月の分身達が一斉に動き出した。
「何というか、思い出すな」
取り囲みながら襲い掛かる分身達が振るう水の刃を避けながら、忍者と初めに会った時のことを思い出した。手札が多く、近接戦闘主体で分身が使える相手と考えれば、意外と共通点は多い。同じように訓練を積んだプロでもある。
「とは言え」
水の分身に紛れ、襲い掛かってきた本体……に、見えるだけの偽物の攻撃を受け流し、気配と姿を消して近付いていた文月の本体に剣を突きつけた。
「実力じゃ大分劣るって感じだが」
「ッ!?」
胸元に当てられた剣先から魔力を流し込み、透明化を解除すると、驚愕を表情に浮かべた文月の姿が露わとなった。慌ててナイフで剣を弾き、距離を取ろうとする文月だが、俺は踏み込みながらその腕を掴んで動きを止めた。
そのまま掴んだ腕で文月の体を一周するように振り回し、近付こうとしていた水の分身達を追い払う。
「舐め、るなッ!」
何とか足を地面に着くと、掴まれていない片腕で懐からナイフを取り出し、俺の腹部に突き刺そうとする文月だが、避けながら腕を引っ張ると容易に体勢を崩した。そこでナイフを持っている方の手を膝で蹴り上げてナイフを落とし、そのまま掴んでいる腕を文月の背中に回して地面に押し倒し、首筋に刃を添えて動きを封じた。
「くッ……」
何も言えず、だが抵抗する気力を無くしたように体から力を抜いた文月は、悔し気に表情を歪ませた。
「いや、驚きました。想像以上です」
水の分身が力を失い、ただの水となって地面に溶けていった跡を、安治が踏み越えて近付いて来る。
「貴方に文句をつける者はもう居ないでしょう。校内の護衛を、どうかよろしくお願い致します」
「文句をつける奴は居なくなったかも知れないが……俺はこの後が、気まずくて仕方ない」
俺は剣を安治に渡し、足下で涙を滲ませている文月に目線を向けた。




