縛り付けの過去
公園の池の中に隠された空間。地下での話し合いは扉の外側から内側に移り、氷野達は同じ机を囲んでいた。
「ふぅむ、なるほどな。君の事情は分かった。と言っても、元から知っている内容も少なくは無かったが」
息を吐き、頷く男。四十代程度に見える紳士然とした格好のその男の名は、西北 島羽。氷野も既にその名前を聞いており、二人の少女も同じ苗字を名乗っているということも知っている。
「しかし、警察が既に動いているなら私の情報を渡す用意はある。条件はあるがね」
「ッ、本当ですか!? あ、でも命令元は正確には警察とも別ですが……」
「別に構わない。国の命令ということだろう? 一級を動かすということは、君の上もある程度本気で動いているということだ」
「それなら……条件を教えて下さい。島羽さん」
島羽は頷き、指を一本だけ立てた。
「条件は単純だ。必ず、私達の存在と居場所を露呈させないこと。君の上に伝える際も、私達のことは秘匿して欲しい」
「……なるほど」
要するに、上には情報元の怪しい情報として提出することになる。しかし、問題と言えばその程度だ。
「分かりました。最悪、僕だけでもその情報の確度が高いことを知っていればどうにかなりますからね」
「良いんだね?」
「勿論です。情報を貰えるだけでも、全然ありがたいことですから」
「分かった。私としても助かるよ。君に感謝する」
島羽の伸ばした手を氷野が掴み、握手を交わした。
「さて、折角だからね……資料を見ながら、質問があればすると良い。何でも答えよう。私の知っていることならね」
「ッ、お願いします」
公園で見かけた歪みからこんなことになるとは思わなかった。氷野は幸運に感謝しながらも、島羽が取り出した資料に目を向けた。
資料に記されていた内容は、まるで魔科学研究会を弾劾する為に作られたかのようだった。いや、実際にそうなのだろう。資料には数々の悪行、悪辣な研究についてが事細かに記され、それらに携わっていた者の名前や、研究所についてまで書かれている。
「……これは」
その情報の緻密さに、氷野は思わず息を呑んだ。
「僕についての情報は、無いんですね」
「あぁ。君の話は私の管轄外だったからね。とは言え、その内容の欠片や、氷漬けの件については知っているが」
「……となると、その部分に関しては僕が持っている情報とそこまで大差なさそうですね」
「君は、研究所に居た時のことを覚えていないのかな?」
島羽が尋ねると、氷野は緩慢に首を振った。
「曖昧な記憶があるという程度で……施設を氷漬けにしてやった時のことは、ハッキリと覚えてますが」
「ふぅむ、なるほどな」
島羽は深く頷いた。
「それで、聞きたいことが一つあるんですが……」
「何でも聞きたまえ」
そう言って、島羽は氷野と目を合わせる。
「貴方は、何故研究所を脱退したんですか? いえ、そもそも……何故、研究所に所属していたんですか?」
「……始めは、ただ優秀な研究者が集まる集団だと認識していたんだ。研究成果の一つも見せられ、こんな物を作り出せる集団の一員に加われることを光栄に思っていたよ。その時は」
「騙された、ということですか?」
「有り体に言えば、その通りだとも。勿論、言い訳にしかならないとは分かっているがね」
島羽は一息置いて、話を続けた。
「奴らは、私の雑多な知識を求めていたのだろう。科学にも魔術に精通し、神智学にも知識を持っている私ならば……それらを組み合わせたような研究を効率的に進めることが出来る筈だ、とな」
「……なるほど」
「そして、研究所に招かれた私は、始めはただ騙されていた。研究所の黒い部分を見せず、都合良く私を利用した。とは言え、その時の私は利用されているつもり等無く、頼まれた研究内容についても好意的に向き合っていた」
だが、と島羽は続ける。
「彼らは私の存在が有用なものであると判断を終えたのだろう。私を研究所の本部に招くと言い……魔術を施した。それは、謂わば一方的に契約を強要するような術だ。内容は命じられた研究に取り組むというのみで、自由意思を奪うことはされなかった。それが研究の効率を落とすことは知っていたからだろう」
「……なるほど」
そこで、氷野の思考に一つの疑問が浮かんだ。
「……でも、どうやってその契約から逃れたんですか?」
「神に関する研究の際に、私はそこの二人の少女と出会った」
そう言って、島羽は視線を金枝と銀子に向けた。金枝は微笑みながら、銀子は真剣な表情で頷く。
「私は契約に行動を制限されながらも、可能な限り二人への負担を排除してきた。それでも、残酷な実験の幾つかをこの手で実行してしまったのは間違いないことだが」
「お父様」
「パパ」
金枝が左から手を伸ばし、銀子が右から手を伸ばし、震える島羽の手を掴んだ。
「……すまないね。だが、事実でもある。そんな中、ある日私は彼女達に直接手を触れる機会があった」
このようにね、と言いながら島羽は両手で繋いだままの二人の手を上げて見せる。
「その時だ。私の体の中を何かが迸り、駆け巡り、そして……私を縛り付けていた契約という物は、綺麗さっぱり消え去っていた」
「ッ、何ですかそれ……!」
思わず声を上げる氷野を、島羽は静かに見守っている。
「……言っただろう。彼女達への研究は、神に関する研究だった。彼女達の身に刻まれた力、いや……授けられた力は、神の力だ」
島羽が言うと、二人は手を離し……そして、その身から力が溢れた。
「どうよ? 私は恥ずかしいからあんまり好きじゃないけどね」
「私は好きよぉ、可愛らしいでしょぉ?」
茶髪の少女の髪は銀に染まり、黒髪の少女の髪は黄金色に染まった。そして、その服装も瞬く間に変化し、白銀のドレスと黒金のドレスを纏った少女がそこには立っていた。
「……まさか」
そして、その正体を氷野は記憶の片隅に覚えていた。
「――――魔法少女?」
冗談めかしてか、そう呼ばれる存在がこの日本には居た。それは、間違いなく目の前の少女二人のことだ。
巨大な銀の腕を振るう銀の魔法少女と、黄金を操る金の魔法少女。対照的な二者は滅多に姿を現さず、その証拠と呼べるものもネット上に幾つかある画像や動画のみだったが、確かに実在したということを氷野はその目で確認した。
「ふふ、その通りだとも。何を隠そう、この装いを作り上げたのはこの私だからね」
「……それが、研究?」
どこか呆れたように言う氷野に、島羽は首を振る。
「いいや、違うとも。あの場所で行われていた研究は彼女達を管理し、その力を極限まで引き出すというものだ。そして、私が彼女達に施したのは……その力を暴走させずに制御する為の装備だ」
それが、この魔法少女のようなふざけた格好だと、島羽は寧ろ自慢げに言った。
「……分かりました。それで、それは良いんですが。何故、貴方を縛った契約が解けたのかを知りたいんですよ」
「あぁ、それかね。私も完全には分かっていないが……恐らく、彼女達に宿る神の力、それを通して神が私の契約を解除したのだろうと考えている」
「えぇと、神が……?」
「そうとも。別に、おかしな話でもない。彼女達に力を貸す神が、彼女達に味方しようとする私を助けるのは自然だ。幾ら神と言えど、研究所を破壊し、彼女達を逃がす程の干渉は出来なかったのだろう。だが、直接手で触れて来た私を解き放つくらいは出来たということだ」
氷野は黙り込み、島羽の言葉を頭の中で整理して少しずつ受け入れた。
「……それで、脱出したんですか?」
「その一言で片付けられる程簡単なことでは無かったが……そうだとも」
既に元の茶髪と黒髪に戻った少女達と、何故か紳士のような装いをした中年の正体。それらを知った氷野は、深い息を吐いた。