蟹野郎
手に取った箸で手始めにマグロを掴み、醤油を付けて一息に食らう。自信満々に本マグロと謳うだけあって、中々美味い。
「その研究者の話だが、そいつは鳥居異界の整備もしたことがあるらしくてな……どうやら、不自然で人為的なものを幾つも感じたらしい。崩壊する危険性も無く、拡大しようとする気配もない、おかしな異界だったって話だ」
「んぐっ……んだよ、それ。初めて聞いたぜ、俺」
寿司を口の中に放り込んだ七里は、眉を顰めて言う。
「しかも、魔術的な痕跡も幾つかあったってな。そこを縄張りにしていた妖怪をシンボルに仕立て上げることで作った異界なんじゃないかって話だ」
「妖怪かぁ……俺は、あんまり詳しくねぇな」
「そいつの予想だと、人工の魔物を作ってるような奴らがその異界を作った犯人じゃないかって」
「人工の魔物か。それが、さっきの蟹野郎に繋がって来る訳だな」
あの時は適当に聞き逃してたが、取り調べの時既に犀川は言っていた。人工の魔物や人為的に改造された魔物が居るってな。今更この話をほじくり返すことになるとは思わなかったが……運命からは逃げられないってことか? いや、まだ関わらずに終わる可能性も全然ある範囲ではあるよな。
「そういうことだ。その蟹野郎って奴の話を聞かせてくれよ」
「なるほどな……分かった」
七里はまた寿司を一つ口の中に放り込み、咀嚼の末に呑み込んだ。仕上げに熱いお茶で流せば、準備は完了と言ったところか。
「アレは、丁度富士山が大噴火して大嶽丸が蘇って日本がてんやわんやって日だったな」
俺の記憶にも良く残っているあの日の話を、七里は始めた。
「伊那市で出たそいつは、さっき話してた通りに黒い甲殻で全身を覆った両手が蟹の鋏みてぇな人型だった。能力は幾つかあったが、一番目立つのは鋏の能力だな」
言うと、七里は箸を俺の方に向けて、パチリと閉じて見せた。
「こうやると、その射線上にあるモノが全部斬られちまうんだよ。何かが飛んでってる訳でも無く、鋏が閉じると同時にだ。ビルだって一発で両断って始末だったぜ?」
「そりゃ中々だな」
大抵の奴はその能力だけで一撃だろう。動作は鋏を閉じるだけで、射程もあるとなれば、初見で反応するのは不可能なレベルだろう。殆どの人間にとってそれは、回避不能な即死攻撃だ。
「んで、相手はそんなやべぇ怪物だったんだが……俺が着く前に先に戦ってた奴が居たんだ。銀髪の、小っちゃい女の子だったな。戦う所は見れてねぇから分からんが、少なくとも持ち堪えてはくれてたらしい」
「異能持ちじゃないか?」
「分からん。ただ、もう俺が着いた頃にはボロボロって有様で、そっから俺が第二ラウンドを引き継いだって形で勝負になった。言っても、蟹野郎は大して消耗もしてなかったからな。防戦一方だったんだとは思うが」
「……その女の話は良い。蟹の話を聞かせてくれ」
蟹の話では無いか。まぁ、伝われば何でもいい。
「あぁ、蟹な。それで、そいつと俺の勝負になった訳だが……フィジカルじゃ、俺に分があったな。それでも食らいつかれるって程度には相手もパワーはあったが」
七里に食らいつけるレベルのフィジカルは、中々だろう。
「それから、お互いに本気を出して……幾らか斬り合った後に、俺が勝った」
「本気?」
俺が聞くと、七里は自信ありげに笑い、頷いた。
「相手は瘴気を解放して、俺は闘気覚醒を使った。瘴気による自己強化と、再生能力の高速化。どっちも厄介だったが、鋏の攻撃さえ食らわなきゃ、負ける要素は無い相手だったな」
「……」
瘴気。カラスが倒した変異種も、そうだった。瘴気を操る魔物……どうやら、相手が瘴気を便利な力として利用していることは間違いないらしい。
「俺が前に見つけた、改造されてそうな変異種も瘴気を使ってた」
「へぇ……そりゃ、きな臭いな。偶然って可能性もあるけどよ」
取り敢えず、聞けそうな話は粗方聞けたか。
「他に、話せることがあれば聞きたいが、何かあるか?」
「んー……今んとこ、思いつかねぇな」
「そうか。まぁ、だったら後はのんびり寿司でも食おう」
情報は粗方聞けたな。そう言って箸に手を伸ばそうとした時、七里があっと、声を上げた。
「そういや、死に際に言ってたな」
なにかを思い出したらしい七里は、皿の上で寿司を掴んだまま動きを止めた。
「俺は誘われただけだ、ってな」
そう言い終えると、七里は掴んでいた寿司を自らの口の中に放り込んだ。