氷の王子
青白い髪をした、青い瞳の若い男。滲み出る冷気は、男の持つ能力だろう。
「アンタ、一級の……」
「おぉ、知ってます!? 最近は日本に居なかったんで忘れられちゃってたりしたんじゃないかって寂しい思いをしてたんですけど、良かったです。あはは!」
明るく笑う男は自分の胸に手を当てて、俺と土山羊の群れを見回した。
「氷野雪也って言います。知ってるみたいですけど、重ねてお見知りおきを!」
そう明るく語る雪也は何かを期待するようにこちらを見ている。
「……あぁ」
「いやいや! 名乗られたら名乗り返すのが礼儀じゃないですか! 僕、氷野雪也! 貴方も名乗って下さいよ! ほら!」
「やかましい奴だな……」
「素気無い態度を取ったのはそっちじゃないですか! ……ていうか、誤魔化さないで名前教えてくださいよ! これじゃ僕、名乗り損じゃないですか!」
名乗り損と言われても、名乗れなんて言ってないからな。
「名乗る程の者じゃない。俺は帰るぞ」
「えぇ……」
唖然とする雪也の横を通り、俺はこの場を去ろうとする。当然、土山羊は大地に還し、雷鳥はただの雷として霧散させた。
「まだ何かあるのか?」
「まだも何も、始めの疑問が解決してないんですよ!」
「他人の名前くらい知らなくても何も無いだろ」
「いやいや、ありますって……こんなことやらかしてる人、流石に僕が名前も顔も知らないなんてこと有り得ない筈なんで……」
裾を掴んで引き留めた雪也に振り向いて言い合うが、その表情に染み付いた使命感のようなものは拭えなさそうだ。
「有り得ない、ホント有り得ない話なんですけど……その変異種、貴方が作ったもので、バレる前に処分しに来たなんてこともあるんじゃないかって……そう、思う部分も、無くは無いかなってくらいあるんで……」
「変異種を、作る?」
俺が聞き返すと、雪也はしまったというように口元に手を運んだ。
「ッ、いや、えぇとですね……まぁ、もういっか。最近、そういう話が出てるんですよ。人工の魔物、改造された魔物、そういうのが居るんじゃないかって」
変異種を意図的に作り出す奴が、若しくは奴らが、居るかも知れないってことか。
「僕が日本に呼び戻されたのもその調査の為で……ちょっと、僕は個人的にそいつらに用がありそうなんで」
「その容疑者が、俺ってことか?」
「いやいや、そんな大それた話じゃないんですけど……ちょっと怪しいなぁって思っちゃっただけです」
「……俺があのオーガを倒したのは事実だが、造物主だとかそんなんじゃない。調べたければ、あの死体も好きに調べれば良い」
俺が言うと、雪也は逡巡の後に頷いた。
「分かりました。ありがとうございます! いやぁ、疑ったりなんかしちゃってすみませんねホント!」
「別に良い。それが仕事なんだろ?」
「そう言ってもらえると助かりますよぉ……僕もこういうのは初めてなんで、調査って言ってもどこまでやれば良いものか」
雪也はそう言った後、俺達を囲むように集まり始めた魔物達を見回した。
「――――凍れ」
その言葉が響くと同時、遠巻きに俺達を囲んでいた魔物達の全てが一瞬で凍り付いた。
「驚かせてすみません。でも、これで暫くは大丈夫だと思います」
「いや、良い。だが……一つ、聞いて良いか?」
俺は雪也の青い目と、その力を見て一つ疑問を思い浮かべた。
「白雪天慧って、聞いたことあるか?」
「白雪、ですか? すみません、聞いたこと無いですね……」
まぁ、流石に関係無いか。
「別に、世間話程度の話だ。気にしなくて良い」
俺はそう言って雪也に背を向け、今度こそ別れを告げた。
「じゃあな」
「はい、色々すみませんとありがとうございます」
感謝と謝罪を一緒くたに告げながら、『氷の王子』は俺がこの場から去るのを見送っていた。
♦
何をすることも無く去って行った男。その気配が完全に離れたのを見て、氷野雪也は溜息を吐き、漂わせていた冷気を霧散させた。
「結局、名前も教えてくれなかったし……」
間違いなく、あの男は普通じゃなかった。雪也は心の中でそう独り言ち、ここにあった光景を思い出す為に目を閉じる。
(巨大な土の山羊と、雷の鳥……魔力は感じられなかったけど、異能って訳でも無さそうだ)
明らかにこの五級異界には相応しくない力。どう考えても奇妙で、どう考えても怪しい男だったが、雪也はその背を追うよりも目の前の変異種を調べることを優先した。
「……まぁ、実際無関係っぽかったけどね」
変異種を調査、若しくは回収するだけならここまでの騒ぎを起こす必要は無い。結界で隠蔽していたところで、魔物の殺戮はその存在を匂わせることになる。故に、雪也はあの男が騒動とは無関係であると判断していた。
「めっちゃ気になるけど、一旦放置」
雪也は頭の中から男の存在を掻き消し、穴だらけで四肢のもがれた無残な死体に意識を集中させた。